2013年05月30日

これは信仰の戦いだ?! 〜統一教会への信教の自由の侵害!〜 米国務省「国際宗教の自由報告書」日本語訳


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☆精神革命☆


昨日の記事で、アメリカ国務省の
「国際宗教の自由報告書」について
とりあげましたが、その中の
統一教会に関する文章を在米の知人が
翻訳してくださいました。
ありがとうございます。

JAPAN 2012 INTERNATIONAL RELIGIOUS FREEDOM REPORT
(2012日本における国際宗教の自由報告書)の中の、
Section III. Status of Societal Respect for Religious Freedom
(宗教の自由に対する社会的な尊重の状況)です。


宗教への加盟、信仰、実践に基づく、
社会的虐待や差別に対する多少の報告があった。
報告によれば「強制改宗専門家」は家族と協力しながら、
統一教会の会員や他の少数派の宗教団体の
メンバーに対する拉致は継続されてきた。
その報告されたケースの数は、1990年代以降、急激に減少したが、
非政府組織である「国境なき人権インターナショナル」は、
統一教会員に対する拉致と改宗は、
継続し発生していると断言した。
日本の裁判所は、これらの拉致に対する認知できる
有効証拠の欠如という理由に基づき、
起訴に対する請求や民事裁判における賠償の請求を拒絶してきた。

統一教会は、この年内において、メンバーが拉致された3つのケース、
及び2件の拉致の疑惑のケースがあったと報告した。
教会によれば 一人の拉致被害者は、
未だに監禁されている可能性があると報告した。
拉致され、後で解放された他の個々人たちは、
年末の時点においては、まだ教会に所属していた。  

また、全国の大学では、状況を改善するため努力しているにも関わらず、
学生に対して統一教会に関連した団体を避けるよう促す
(「カルト対策」 の研修会やキャンペーン)、
統一教徒学生にとっては厳しいキャンパスの環境の原因ともなる
「カルト対策」 の研修やキャンペーンが続けられてきたと
統一教会は強く主張した。

ある大学の学長は、
反カルトの研修会というものが存在することを認めた。
しかしながら、それらはもっぱら統一教会だけを
標的にするものではないと主張した。

申し立てられた陳述によれば、佐賀大学の学生が、
両親の統一教会による結婚を軽蔑したとして、
佐賀大学に対し
誹謗中傷と、信教の自由を侵害したということで裁判を起こした。

7月に提起された裁判では、統一教会は、
その勧誘の課程において正体を隠し勧誘し、
そして原告が統一教会に入会したことにより、
原告が報酬のいい仕事を失ったと申し立てた。
このケースは、年末の時点でも、未解決である。



アメリカの影響というものは
本当に大きいと思います。

また、アメリカ国務省も
「国際宗教の自由報告書」と謳っているように、
これは人権の戦いである以上に、
信仰の戦いでもあると思います。

教会員たちが拉致監禁を通して、
多くの苦しみを味わってきましたが、
その背後に神様もともにおられ、
神さまご自身が苦しんでこられました。

ですから、この問題の解決は
教会員のためでもありますが、
それとともに神様を解放するためのものである、
そのことを私たちは忘れてはならないと思います。


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お父様のみ言

21世紀の人間は、
宇宙を創造した神様の根本原理から外れては、
これ以上、地球星の主人として存在することはできません。
人々が願わなくても、人類の未来は、
より密接な人間関係を要求します。

人々が地域と民族と皮膚の色を超越し、
より親しく交わって生きていかざるを得ない
「地球一家庭の時代」が近づいています。
さまざまな宗教と文化と伝統、
そして互いに異なる生活意識を越えて互いに交わり、
受け入れざるを得ない世の中が来ています。


「天運を呼ぶ生活」より



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posted by ten1ko2 at 10:11 | Comment(1) | TrackBack(0) | *拉致監禁 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
振り払っても、振り払っても、自分の後を追いかけてくるもの。それは妄想です。貴ブログで以前に投稿させていただいたように、再臨主が地上に降臨される時、そのお手伝いをするために、自ら志願して生まれてきた、というのが生まれた時からの私の記憶であり、妄想です。いうなれば、弟子零号でしょうか。そして、文先生が亡くなられたとき、またもう一つ妄想が追加されました。文先生が亡くなられる前、私に葬儀委員長になって欲しいと懇請され、あとのことをよろしく頼むと言われたことです。最初はありありと現実感のある夢であったのが、だんだん錯覚か妄想のように思われてきます。なぜ私のような者にという気持ちと、やはり私しかいないのかという気持ちの間を揺れ動いています。他の人にとって単なる誇大妄想であるように、私の中でも錯覚か妄想になってしまうかもしれませんが、死ぬまで逃れることのできない妄想となることは間違いありません。でも、先生が何も言われずに行ってしまわれていたら、私は悲しみと自責の念のあまり廃人同様になっていたでしょう。昔、サタンから忍耐王の称号を受けたことがありますが、これでは妄想王になってしまうかもしれませんが。
Posted by hide at 2013年05月30日 22:40
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