2014年05月26日

文氏「一緒に働きましょう」 主に従うのは、簡単ではなかった…! 〈玉世賢先生の証し〉


先生は私にしばらくみ言を語られ、
最後に「一緒に働きましょう」と言われました。
私は、それにおこたえして
聖日ごとに先生を訪ねていき、
礼拝を受けました。



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昨日、姜先生の証しを掲載し、
ボンネッコルの写真を載せました。

この中には、北朝鮮でお父様に導かれた先生が
そのまま付き従っておられます。
金元弼先生しかりです。

その中に、玉世賢(オクセヒョン)先生も写っておられます。
先生はお父様のために髪の毛で靴を編まれたということで
とても有名な方ですが、啓示で導かれたと聞いていたので、
どんな風に導かれたのか、とても気になり、調べてみました。

玉先生は、平壌のシンチャン長老教会の執事になりました。
ご長男が22歳で軍隊に行くことになり、
「息子を助けてください」と痛哭して祈祷を捧げました。

そのあとの内容は、
成和社の「証言」に掲載されていますので、
少し紹介します。



   平壌で先生に出会う

ある日、特別に恩恵を受けた人が集会をするというので参加し、
それからその人を私の家に招待して、
息子の無事を願う祈祷会を三日間行いました。

祈祷会を終えた日の夜、寝床で横になっていると、
部屋中が真っ赤な火の玉でいっぱいになりました。
おかしいと思い、外をのぞいてみると、
庭にも太陽のような赤い火の玉が
四方に行ったり来たり動いていたのです。
部屋中に満ちた火の玉は、
いつの間にか私の体を包むように回っていました。
しかし、そのとき私はあまり深く考えず、
祈祷してそのまま寝てしまいました。

次の日の朝、目が覚めてから考えてみると、
夕べの火の玉は聖書でいう
聖霊の火に間違いありませんでした。
神様は特別に私を訪ねてくださり、
聖霊の火を下さったのに、
愚かにも私は受け入れることができずに寝てしまったのです。
残念に思い、さらに悔しくなりました。

その翌日、寝床に入ってさまざまな思いに浸っていたのですが、
何かが来て私の頭をトントンとたたいて、
「起きなさい」と言ったのです。
驚いて飛び起き、何か声が聞こえるのを座って待ちました。
ところが、昨晩のように聖霊の火が
満ちているだけで何の音もしないので、
“今晩も昨日と同じようなことが起きるな”と思いながら、
何の感覚もなく寝てしまったのです。

三日目の晩は、あじか(土などを運ぶ、竹などで編んだざる状のもの)
に火の玉をいっぱいにして、
私の体に覆いかぶせました。
私はあまりにも熱くて身もだえしましたが、
それ以外は何の役事も起こりませんでした。

そのようなことがあってから数日後に、
以前、私の家に来て祈祷をしてくれた人が、
向かい側で祈祷会をするというので参席しました。
礼拝を終えてから、私に「祈祷をしなさい」と言いました。
私は執事までしたのですが、大衆の前で祈ったことはありませんでした。

しかし、「しなさい」と言うのでしかたなく立ち上がって、
「お父様!」と呼んでから祈祷をしようとすると、
口がぴたっとふさがって声が出てこないのです。
しばらくの間、及び腰で立っていると、
私に祈祷するようにと言った人が代わりに祈り、
祈祷後、「玉キョンシンさん(私の昔の名前)を、
きょう神様が特別に呼ばれて恩恵を下さいました」と言いました。
それで、「私のような人間に、神様が恩恵を下さるとしても、
その恩恵にこたえることができるでしょうか?」と私が反問すると、
「とにかく、サタンに捕まらずに強くありなさい」と言われました。

家に帰ってくると、その人の言うとおりに気分がおかしくなり始めました。
体が空中に浮かんでいるようで、歩いても虚空を踏んでいくようでした。
やがて、耳が開けて奇妙な音が聞こえ、目も開けました。

家で祈祷をしていると、サタンが部屋いっぱいに押し寄せてきて嘲弄しました。
「サタンに捕まるな」という言葉を思い出しながら、
さらに力を込めて祈ると、突然叫び声が聞こえて驚きました。
しかし、恐ろしさに耐えて最後まで祈祷を行いました。
そのようにして三日間、サタンの試練を受けた後、
二度とサタンは現れませんでした。

戦争がさらに激しくなると、教会はがらがらになり、
代わりに労務者などさまざまな人々が教会に身を寄せ、ごった返しました。
そのようにして教会はサタンの巣窟になったので、
私は教会に行かずに、家で祈祷をしました。

解放を前後して、多くの聖霊の役事があったのですが、
ある日の明け方、私に啓示が降りたのです。

「以南(朝鮮半島で休戦ライン以南を言う語)から来られた先生が、
万壽台の向こう側にいらっしゃるから訪ねていきなさい。
その先生は今、現れずに隠されている」、
「山に祈祷に行きなさい」という内容でした。

私は、とてもうれしくなりました。
私たちの教会は労務者でいっぱいになっているので、
“どこかにきれいな教会を建ててその先生をお迎えしなければならない”
と思いました。
しかし、自分の生活のために、
山に祈祷に行く日を一日一日と延ばしていると、
天から懲戒を受けて熱病にかかり、とても苦労しました。

一九四六年十一月に姉が訪ねてきて、
「ある女性の先生が良いみ言を語られているから一緒に行ってみよう」
と言うので、ついて行きました。
そのかたは、五十数歳になるおばさんで、
“以南から来た先生”から恩恵を受けて祈祷会をしていると言いました。
その翌日、そのおばさんについて行き、“以南から来た先生”に出会ったのです。
その若い先生が、正に文鮮明先生であられました。

先生は、髪の毛をそられており、真っ青なチョゴリ(韓服の上着)を着ておられました。
私を連れてきたおばさんが、
「このかたも恩恵を受けようと思っています」と先生に紹介すると、
先生は私にしばらくみ言を語られ、
最後に「一緒に働きましょう」と言われました。
私は、それにおこたえして聖日ごとに先生を訪ねていき、礼拝を受けました。
その当時、先生は二十七歳(数え年)、私は四十八歳でしたが、
先生に対するのはとても難しいことでした。

いくつかの教会から信仰深い執事たち数人が集まり、
先生を中心として礼拝を受けるようになりました。
礼拝の雰囲気はとても恩恵深く、
天の前に感謝する涙、天の事情を知って
悔い改める涙であふれ返りました。
そのような雰囲気であったために既成教会から讒訴され、
家族が反対し、ついには保安署に拘禁される事態にまで至りました。
二千年前の五旬節の日、マルコの屋根裏部屋に降りた
聖霊の役事を私もそこで体験しました。

私の家庭では、私が先生の所に通うので、
「以南から来た若い人の所に通っている」と大騒ぎし、
牧師と信徒たちも毎日、私の家に訪ねてきて嫌がらせをしました。
私は彼らを無視して先生について行きました。
今、考えてみると、天の役事でなければそのような勇気は出てこなかったと思います。



そうやって信仰を持ち続け、お父様と共に
平壌から南下し、釜山での記録的な写真が上です。
その後もずっと、ご父母様に侍り続けてくださいました。

姜先生のときもそうでしたが、
当時はキリスト教を始めとして、
親族の方からも猛反対を受けました。
直接天が強烈に役事されたのでなければ、
やはり越えるのは簡単ではなかったでしょう。

それを乗り越えてこられたがゆえに、
今の統一教会があり、
そして、私たちがあるのだと思うと
大先輩に改めて感謝したいと思います。


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posted by ten1ko2 at 19:30 | Comment(0) | TrackBack(0) | 私と御父母様 ・信仰の証し | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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