2014年08月26日

「なぜ私がお前を愛するのか、私の子だから」 《桜井節子先生の証し》



img_1043030_42806730_0.jpg


おまえが苦しむ前に、悲しむ前に、
私自身が苦しみ悲しんでいたのだ。
なぜ、私がおまえを愛するか。
おまえがかけがえのない私の子であるからだ。



先日、姜先生の証しを紹介したTPマガジン8月号に、
桜井節子先生の証しが掲載されていました。

真のお父様が、どのように私たちを愛してくださるのか、
祝福前の桜井節子となられる以前の、
とても有名な感動的な信仰の証しです。


1965年1月28日夕刻、
羽田空港に着いた飛行機のドアが開き、
真っ先に真のお父様が降りてこられました。
その夜は、渋谷の南平台の教会本部で
歓迎夕拝をもちました。
涙で神様の悲惨な心情を訴えられるお父様の姿に、
「なんと狂おしいばかりに、天を愛されるお方であろうか! 
このお方に似、このお方に続く者とならねばならない」
と深く決意させられました。

その時、一人ひとりと握手してくださり、
私の順番が来た時、お父様は「ほう、節子か。
毎日一生懸命、原理講義をしているか?」
とおっしゃるではありませんか。
私を覚えていてくださる、
天にも昇る心地でした。

滞在中、お父様は寸暇を惜しんで
み言を語ってくだいました。
ちょうどその頃、私のもとに「チチキトクスグカエレ」
という電報が舞い込むようになり、
五年間病床にあった父が危篤だというのです。
大きな衝撃でした。
しかし、お父様をお迎えしているこの時、
責任を持つ一人として、ただ祈るほかありませんでした。

2月5日の夜、父の死を知らされました。
覚悟していたものの、心にこたえるものがありました。
誰よりもこの父にみ言を伝えたかったのです。
心から冥福を祈りました。
その翌日、翌々日と、お父様は血を吐くような
イエス様の苦しみ、悲しみを、さらには
神様のお心の痛みを訴えられました。

そんなお父様に、人類の父たる姿を見ました。
「このお方こそ、私たちの親だ!
きょう私がもし生きていると言えるとしたら、
全てはこのお方によるものではないか」。
強い愛慕の情が湧くとともに、なぜか、
亡くなった父の霊がこの部屋に来て、
私と一緒にみ言を傾聴しているように思えてなりませんでした。


1965年9月29日、世界巡回を終えたお父様が
再び日本にお立ち寄りくださいました。
主な地区を巡回され、さらに連日連夜、
兄弟姉妹にみ言を語ってくださいました。
ある夜、原理講義所に詰めっきりで
滅多にお父様のお話が聞けなかった私を配慮してくださり、
申美植先生がお父様のもとに私を案内してくださいました。

嬉しい反面、こんな罪深い、醜い私をご覧になったら、
不快に思われ、苦々しいお顔をされるのではなかろうかと考えると、
身がすくむ思いでした。

緊張している私に、お父様は「おお、節ちゃん、来たの」
と優しい笑顔で迎えてくださいました。
お菓子を勧めてくださりながら、
幼子を慈しむような眼差しで講義所のようすなど、
問い掛けられるのです。

「節ちゃんは、日頃どんなことを考えるの?」
「あの、あの……、私はとても空想家です」
「ほう、どんな空想をするの?」
初めは遠慮がちにお答えしていましたが、
「それで?」「それから?」と、
おまえの話を聞くのが一番の楽しみだと
言わんばかりに聞いておられます。
そして最後に、
「節ちゃんを早く祝福結婚させてあげて、
幸せになって喜ぶ姿を見てみたいな」
とおっしゃったのです。
感動で胸がいっぱいになりました。

自分の部屋に戻った後も、
眠るどころではありません。
お父様の言葉や表情、
一つ一つの場面を思い浮かべていました。
神様から愛される何の資格もない私なのに……。
何度も、真っ暗な天井に向かって尋ねました。
「神様、なぜあなたは今晩、
こんなにも私を愛してくださったのですか?」


「なぜ私がおまえを愛するか。
それは、おまえが私の子であるからだ! 

私の似姿としておまえの中に埋めた真の生命は、
私自身も慕わざるを得ない、清く尊く美しいものなのだ。

しかし、おまえは罪人の子という
運命のもとに生まれざるを得なかった。

おまえは己の罪に悩んだね。

胸を打って泣いたね。

しかし、そういうおまえを私が一度でも責めたと思うか。

醜いからといって顔を背けたことがあったと思うのか。

おまえが苦しむ前に、悲しむ前に、
私自身が苦しみ悲しんでいたのだ。

なぜ、私がおまえを愛するか。

おまえがかけがえのない私の子であるからだ……」



激しく強く迫るみ声を聞きながら、神様の真実の御愛に、
私は初めて目を開かされる思いでした。
私は、神様の愛は深い憐れみによるものであり、
自分のような醜い者を愛せるはずがないと考えていましたが、
神様は、いまの私をご覧になっておられるのではなく、
私の中にある、やがていつの日か発揮されるであろう
神の子たる本来の生命、本質を見つめていてくださったのです。
全能なるこのお方が私の悩みを悩み、
共に歩んでくださっていたという事実を知った以上、
他に何を悩むことがありましょうか。
あとはただ、古い偽りの自分を脱ぎ捨て、
本来の私自身を発揮するためにのみ努めるべきなのです。
平安が臨み、限りない希望と感謝の思いが心に溢れました。



神様が桜井先生に語りかけるみ言は、
本当に私達の心を打ちつけるものですね。

本来の「私」を見つめて下さった神様であり、
真のお父様なのです。
それは、桜井先生だけでなく、
私たち一人ひとりに対して、見つめておられます。

だからこそ、桜井先生の言われるとおり、
『あとはただ、古い偽りの自分を脱ぎ捨て、
本来の私自身を発揮するためにのみ努めるべき』
そのような思いを持って歩むことが重要だと思います。

応援のクリックをお願いします。
にほんブログ村 哲学・思想ブログ 統一教会へ


※ このブログは、
あくまでも個人において、書いているものであり、
教会本部とは一切関係がありません。
過去においても、今後においても
全ての責任は私自身に帰属するものであります。
さらに、ブログの記事においては
無断転載はお断りいたします。
曲解や悪用ととれる引用も、
差し控えてくださいますよう
よろしくお願いします。
(もちろん、善なる目的で
使用することに関しては
その限りではありません)



posted by ten1ko2 at 08:52 | Comment(0) | TrackBack(0) | 私と御父母様 ・信仰の証し | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前: [必須入力]

メールアドレス: [必須入力]

ホームページアドレス:

コメント: [必須入力]

※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。

この記事へのトラックバック