2014年12月23日

父の涙の祈祷に号泣、草創期の烈女! 朴奉愛先生の場合 《受難の源流より》



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十字架を負い、困難な立場に立っても
『お父様! 私がいますので心配しないでください』
と言える子女となれるようにお導きください。


1950年代のお父様の祈り



「受難の源流」
今回は、『最も恐れられた女性議員』
朴奉愛(パクポンエ)先生の証しです。


朴奉愛女史と統一教会の出会いは、
同女史の知人であった保健社会部(日本の旧厚生省に当たる)の婦女局長、
金順華(キムスンファ)女史を訪ねたことから始まる。
ちなみに、金順華女史の長男は、世界基督教統一神霊協会の
第二代、四代、六代の協会長となった金榮輝(キムヨンヒ)氏である。

「聖書の勉強をしてみませんか? 
ソウル運動場の裏の小さな家に、聖書を
科学的に解説してくれる青年がいるので一緒に行きませんか?」

金順華女史のこの言葉がきっかけとなり、朴奉愛女史はその青年を訪ねた。
1955年2月22日のことである。
朴奉愛女史は、朝、三時間、昼、三時間、
夜、三時間の講義を劉孝元氏から三日間聴いた。

「統一原理」を学んだ朴奉愛女史は、喜びに満たされた。
家に帰ろうとすると、劉孝元氏は
「重要な講義がまだあるので、聞いていってください」と、言った。

“重要な講義とは何だろう?”と思った朴奉愛女史は、
さらに講義を聞くことにした。

講義の内容は、イエス・キリストの再臨に関するものであった。
そこでは、 
「イエス・キリストは雲に乗って再び来るのではなく、
肉身をもって来られる。
それも、来臨する国はこの韓国である」
というのである。

このことを聞いた朴奉愛女史は衝撃を受け、
その日は床に就いても眠れなかった。

同女史は民主党員であり、全国を巡回しながら
政治活動をしていた人物だった。
「統一原理」を学んだ後の朴奉愛女史の決意は、次のようなものであった。

「私は今までに社会、政党、婦人運動をしてきたが宗教運動はしてこなかった。
この『原理』こそ、私の余生をささげる運動であり、歴史の最後の革命である」

文師はそのとき、朴奉愛女史のために祈りをささげた。

その祈りは、今まで聞いたことのない魂の奥深くまで染み通る涙の祈祷だった。
朴奉愛女史は、その祈りを聞きながら号泣した。
涙を抑えることができず、気が済むまでその場で泣き続けた。

もちろん、このときの文師の祈りは、残されていないが、
1950年代の祈りを通して、
このころの文師の内的世界を垣間見ることができる。
以下は、1950年代の文師の祈祷の一部である。



「人類に対してこられたイエス様と神様には、
悲しみが晴れる間がなかったということを知っています。
二千年前のイエス様を回顧してみるとき、
イエス様は人知れず涙を流されました。
また、飢えや迫害の路程で悲しくて泣かれたことも知っています。

イエス様がこのような道を歩まれたので、
その後に従った多くの聖徒たちも、
血の道や死の道も意に介さず闘ってきたという事実を私たちは知っています。

天の城に行く道は、十字架の道です。
それゆえ、自分の十字架を背負って、
ゴルゴタの山頂まで行かなければなりません。

十字架を負い、困難な立場に立っても
『お父様! 私がいますので心配しないでください』
と言える子女となれるようにお導きください。
困難な立場に置かれている子女たちを見て、
悲しまれるお父様を慰めてあげることのできる
子女たちとなれるように、切にお願い申し上げます」



朴奉愛女史が「統一原理」を聞いて三か月もしないうちに、
「梨花女子大事件」が起きた。

朴奉愛女史の長女は、そのとき梨花女子高校の三年生であった。
その長女は、統一教会に通っているという理由で退学措置を受けた。
梨花女子大学校だけでなく、高校でも同じことが行われていたのである。
朴奉愛女史は、娘の学校を訪ねた。

そのとき、顔見知りの校長は、朴奉愛女史を笑顔で迎えた。

「どうして、学校に来られたのですか?」

「私の娘が退学させられるというので来ました」

「何ですって? 朴先生のお嬢さんをだれが退学させると言ったのですか?」

校長は聞き返した。

「私の娘が統一教会に通っているという理由で、
退学処分を下して追い出したそうではないですか?」

朴奉愛女史は、1954年、民主党の婦女指導部長に就いた実力者で、
雄弁家としても有名だった。
同女史は、校長にさらに詰め寄った。

「私の娘が梨花女子高等学校の校則の何条を破って、退学になるのですか? 
この答えだけを話してください。
学則を破ったのでしたら、退学させられてもしかたないでしょう」

校長の顔は蒼白になり、しどろもどろになった。

朴奉愛女史は、このとき46歳である。
同女史は日本の東京女子体育専門学校を卒業し、
学生のときから「喉から鉄の響く声が出る」と言われたほどの正論を吐く、
能弁な女性であった。
それだけではない。

「民主党の中で、朴奉愛の口がいちばん恐ろしい」

とまで言われていた。
悪に対しては絶対に妥協せず、徹底的に最後まで闘う女傑だった。
朴奉愛女史は、校長にさらに言葉を浴びせかけた。

「統一教会に通っていることが、退学の条件になるのですか? 
入学するとき、いつそのような条件で娘を入学させたのですか? 
国家の憲法が信教の自由を保障しているのに、
梨花女子高校は憲法を無視するのですか?

今、この学生のなかにはムーダン(巫女)や占い師の娘もいるはずなのに、
なぜ統一教会だけを問題としているのですか? 
梨花女子大学が退学をさせたので、
この高校も統一教会に通っている生徒を退学させるのですか?

あなたの学校では、いつから学則を変えて
大学の学則を取り入れるようになったのですか? 
私の娘は、私が通っている教会に私が連れて行きます」

校長は何も言えなかった。
学校側は朴奉愛女史との闘いを不利とみたのか、退学処分を撤回した。


朴奉愛女史は、自分の娘の退学問題で闘っただけではなかった。

後に、統一教会をつぶすために作られた
「宗教団体審査委員会」をも解体に導いた。
朴奉愛女史は、同委員に一人ひとり会って次のように訴えたのである。

「言論人や法律家であるあなたがたが良い悪いと言って、
宗教が栄えたり滅んだりするのではありません。
それは、神様がなさることです。
歴史的な汚点を残さないようにしてください」

朴奉愛女史は、上記の審査委員会をなくすために、
民主党を脱党して自由党に入党してまで闘った烈女であった。



朴奉愛先生は、民主党婦女指導部長を経験されながらも
統一教会に入教されました。

後に、リトル・エンジェルス団長
さらには、国際女性勝共連合理事長
などの要職を歴任された方です。

証しを読んでいるだけで、
まさに『烈女』という言葉が浮かんできます。

「もし、自分の娘が高校生ではなく、
梨花女子大生だったら、大学に乗り込んでいた」
そんなことも言われていたそうです。

実際に、朴奉愛先生の娘さんが、
梨花女子大生だったら、梨花女子大事件も
変わっていたかも知れないな・・・

そんなことも思わされるほどですね。

こういう強い気概を
今こそ、私たちは持たなければならないのではないでしょうか。。。


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