2015年11月22日

「精誠の頂」!!



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何よりもお父様ご自身が
精誠のチャンピオンです。


史吉子(サ キルヂャ)先生が、あるとき
荒れた海に出掛けようとされるお父様に
「きょうは海に行かれずに、
ゆっくりなさったらよろしいのではないですか」
と話されました。

すると、お父様は

「変わらずに続けることが大事なんだよ」

と語られたというのです。
そして海に出て数時間後に、
大きなマグロを釣られたのです。



最近出版された『精誠の頂』という本があります。
その中の『はじめに』に紹介されているエピソードです。

『精誠の頂』は、
機関紙『トゥデイズ・ワールド・ジャパン(現:世界家庭)』に
本部広報局の鴨野局長が連載されたものです。

食口たちの中で、際立って精誠を捧げた方たちの
『証し集』ともいえるものだと思います。

どの方の証しもとても素晴らしいのですが、
今日は、『はじめに』から、もう少し紹介したいと思います。
鴨野局長がこの証しを執筆するに至った動機の部分を抜粋します。


「精誠」という言葉が、筆者の心に鮮烈な印象を持って刻まれたのは
2013年初春、宋龍天・全国祝福家庭総連合会総会長が、
就任されてから講話の度ごとに強く訴えられたからでした。

その背景には、宋龍天総会長ご自身が、
真の父母様の世界巡回に同行されながら、
最後の最後の瞬間まで、精誠を尽くし準備をされる
父母様のお姿を直接、
拝見してこられたことが大きいでしょう。

また、宋龍天総会長ご自身、先輩から
「難しいからやめておけ」と言われた、
真のお父様のヨーロッパ入国の足かせとなっていた
シェンゲン条約の問題という極めて
難解なテーマに取り組み、見事に解決されたのですが、
その実現を可能にしたのが、総会長を先頭にして
ヨーロッパのすべての兄弟が捧げた、
汗と涙のにじむ精誠でした。

それゆえ、宋龍天総会長が語る「精誠」という言葉には、
重みがあり、威厳があり、希望があったのです。

精誠という言葉は、
日常的にはあまり使われません。
「精」という漢字には、
「不純物を取り去り良質なものにする。
よりすぐる。よりすぐったもの」という意味があります。

「精誠」とは、「真心の中の真心」
「誠の中の誠」「混じり気のない誠意」と表現できます。

いつしか、筆者の心の中では、
次のような思いが渦巻いていました。

2000年前、救世主イエス・キリストの教えに従い、
多くの弟子たちが十字架、火炙り、猛獣の生贄など、
残酷なまでの試練を受けながらも、地の果てまで、
イエスの教えを広めていった。

現在、再臨の救世主、メシヤ、人類の真の父母様と
信じて侍る天一国時代の私たちの精誠の‘かたち’
とは一体、いかなるものか。
その精誠の「頂」を書き記してみたい。



そのような中で、執筆することになったといいます。

お父様の証しにもあるように、精誠とは継続であり、
とても具体的なことであると思います。
「愛の実践」「為に生きる」ことがイコール「精誠」です。

つまり、私たちの霊人体を完成させ、
天一国人となるためには、「精誠」が、空気を吸うように
ご飯を食べるように必要なのではないでしょうか。

この本を読んで、食口たちの精誠に
とても心を動かされました。
機会を見て、証しを紹介したいと思います。


(お父様のみ言)

天に対する精誠は、
サタンといえども、
これを根こそぎ奪い去ることはできない。
ゆえに精誠ほど恐ろしいものはない。
それをサタンも知っている

徳野会長の「発刊に寄せて」 より



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posted by ten1ko2 at 08:22 | Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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