2015年12月06日

自叙伝書写は、「洗浄力がある」?! 〈願いを叶える人、叶えない人の4つの違い〉2 



19911206.jpg
☆金日成主席との会談 1991年12月6日☆


浅川先生の書写に対する姿勢について。
二番目と三番目です。


日本人は、初詣に行く人が多いですね。
そして、神社やお寺でお願いをします。
この自叙伝書写もそうですね。
願いを込めながら、文鮮明先生の貴いみ言を書写するのです。

初詣は、賽銭箱に小銭を入れて、
祈りを捧げるわけです。
しかし、書写は書きながら願っています。
とにかく、この書写は、
書いた言葉が素晴らしいのです。
すなわち、言葉に威力があります。

私は、自叙伝書写は、
『洗浄力がある』と思っています。
これが書写を通して、願いがかなう秘訣の二番目です。
書写をすることを通して心が清まっていきます。
私の心に神様が宿るようになるのです。

こんな話を聞いたことがあります。
姑さんのお友達がいました。
お互いお嫁さんに葛藤していました。
その二人で、お参りに行きました。
「嫁との仲が良くなりますように・・・」
そんな風にお参りをしたのです。

ところが、その後にどうしたでしょうか。
二人で嫁の悪口を言って帰ってきたというのです。
しかも、まだ鳥居をくぐる前にです。
これでは、神様もかなえさせることができないでしょう。

しかし、書写は違います。
心を綺麗にしてくれる「洗浄力」があるのです。


願いがかなう秘訣、三番目は『心がけ』です。
すなわち、本音で願うということです。

人間は、建前と本音ということで
うまく、使い分けますね。
人と接する時でも、心では憎いと思っていても、
顔では笑うことができます。

しかし、犬はそうできないです。
ご主人さまに餌をもらいたいから、
ご主人が憎いと思っても、尻尾を振る。
そんな犬はいません。
嬉しいから素直に尻尾を振るのです。
しかし、人間は建前ですることができます。

しかし、書写を建前でやる人は忘れていきます。
毎日、願い事を書いてもすぐに忘れてしまうのです。
そういう人に願いはかないません。
だから、本音で書くのです。



洗浄力のある自叙伝書写。
しかし、建前で書いても
心が綺麗にならないかもしれません。
本音で書写をするということ。
私自身も中途半端にやっていたので、
本当に悔い改めさせられています。

もう一日、続きます。


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posted by ten1ko2 at 05:00 | Comment(0) | TrackBack(0) | 自叙伝書写(浅川先生) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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