2016年12月20日

「まず、私を愛しなさい!」 忠告は、ただしても通じない?! 《金元弼先生の信仰サプリ》



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金元弼先生の≪信仰サプリ≫
今日は、「天情と人情、自己否定」です。

※興南の地で、お父様のお母さんが
お父様に会いに行かれた時、
お父様がその情を切っていかれた内容は、
皆様もご存じだと思いますので、
その部分は省かせていただきました。


先生は、食口が教会を訪ねて帰る時には、食口の後ろ姿が見えなくなるまで、
門の所でじっと立って見送りました。
食口がまだ帰って来ない時には、外に立って待っている先生でした。

そういう先生であるがゆえに、
(興南でお父様の)お母様が帰ったとしても、
親孝行の思いは、いつまでもいつまでも心から離れるはずがないのです。


皆さんも、神のために決心してやっているのに、
愛する兄弟、愛する友達、愛する親がこの道を理解できないで、
家に帰るように、あるいは一緒にいるように
と言って涙を見せるならば心が非常に弱くなります。
そして親の所に、友達の所に戻っていくということもあるわけです。

もし、教会員が皆様を訪ねて、
「私はどうしたらいいのでしょうか。
家に帰ってきたらいいでしょうか」
と尋ねますと、皆様自身も、どのように指導してあげたらいいのか、
心が弱くなる時があると思います。


我々は人情と天情に対して、こんがらがるときがあります。

元々、堕落しなかったとすれば、人情は天情に通じ、
天情はそのまま人情に通ずるものでした。
ところが堕落した結果、人情と天情は一致しないものとなりました。

それゆえに、私たちはまず天情を結び、
その次に人情を立てなければならない、
そういう復帰の道を行くようになったのです。


そこで二〇〇〇年前に来られたイエス様も、
私たちに教えてくださったのは、
まず「だれでも、父、母、妻、子、兄弟、姉妹、さらに自分の命までも捨てて、
わたしのもとに来るのでなければ、わたしの弟子となることはできない」
(ルカ一四・二六)ということです。

その事情がよく分かっていたイエス様は
「地上に平和をもたらすために、わたしがきたと思うな。
平和ではなく、つるぎを投げ込むためにきたのである」
(マタイ一〇・三四)と表現しました。

誰よりもイエス様を愛さなければならないことを教えました。
イエス様との情は天情を意味します。
自分の兄弟や親子との情は人情を表します。
ですから、「私をより愛せよ」とは、
人情よりも天情を立てなさい、ということです。


そういう点をはっきりさせていない時には、今の私たちであっても、
神の道をまっすぐに行けないことがあります。

この世の中の人情を切ることが目的ではありません。
堕落して汚れた因縁をもっている人情を一度分別して、
天情につながることによって、再び人情を立てるためです。

ですから、過去の自分、堕落した時の自分を否定することによって、
初めて本然の自分を立てることができるのと同じです。
宗教が自己否定を主張したのもその点からなのです。


しかし、自己否定は本然の自分の否定ではありません。
私たちも、最初み旨の道に入ったころ、
すべてを分別する生活をしました。

親との関係、社会との関係も全部分別していました。
その当初は、兄弟でも親でもサタンの血統圏にいるように考えて、
分別する生活をしたこともありました。

先生はそのように教えたのではないのですけれども、
私たちにはそういう心がありました。
親子の関係も社会の関係も全部永遠に切るものだと思いました。


1960年以降になりまして、たびたび氏族復帰のことを教えられました。
今まで完全に切ってしまっていた関係を
これから復帰しなければいけないということは、
ほかの人にはどうか分かりませんが、私としては非常に大きな仕事でした。

分別する元々の目的が復帰することであったと、はっきり分かってきました。
分別する時代は分別そのものに目的があるのではなく、
統一というところに目的があるということがはっきり分かったのです。

私たちが神の人となるために、
こういう厳しい分別の時代があるということを忘れてはなりません。


私たちが、兄弟の中にあって、間違ったことを見たとしましょう。
私たちはその兄弟が分別できるように、
厳しく教えてあげるのは当然だと思います。

また厳しく分別するように教えなければいけません。
分別する時は厳しいものです。

分別というのは、誰と誰を分別することでしょうか。
何を分別することですか。
間違っている人を分別してあげるとは、どのようにすることですか。
何を分別することですか。

(悪いことをする思い、邪心)。
ですから、サタン的な要素を厳しく分別してあげなければいけないでしょう。

分別する目的は何でしょうか。
(サタンを分別するため)。

誰と一つになることですか。
(神)。


ところが、「こうしてはいけません」とか、
「こういうふうにしましょう」という人は、
言う前の気持ちが必ず悪いのです。
それは、真の授受作用がないからです。

気持ちが悪いというのは、早く授受作用しなさいということなのです。
だから授受作用するためには、
分別してあげなければならない部分を取り除かなければなりません。

そうしたら一体化するのです。
その人が好きになるのです。

ところが、現実はそうではありません。
理論的にはそういう結果が出なければいけないのに、
結果としてもっと嫌になるのです。


統一教会を理解していない人たちに会いますと、皆さんは一体化できません。
ところが、その人の心を変えて、
統一教会に対して正しく理解してもらうと、その次にはどうなりますか。
一つになります。
その人が好きになります。

それ以前に、私たちを理解できないで反対していた時には、
皆さんは一つになれませんでした。
その人に対して気持ちが良くなかったからです。

私たちがその人に原理を教え、教会を教え、神の道を教えるということは、
結局は理解できない部分を取り除いて一体化するためです。
人に話してあげるのは、一体化することに目的があります。


皆様が忠告してあげても一体化できないということは、
目的を達成していないということです。

ですから、一体化までが目的地だ
ということをはっきりと分かってほしいのです。
話をしてあげただけで、
その人に対する忠告が終わったと考えてはいけません。

神のみ言を中心として、私と相手が一体化して
非常に気持ちが良いという立場まで到達しなければいけません。



私も拉致監禁の現場から、
偽装脱会して抜け出すためには、
次元は全く違うとは思いますが、
お父様が興南の地において、
愛するお母さんの情をきっていった
そのことを思いながら乗り越えていきました。

また、イエス様が語られた聖句も
よくよく胸に刻みつけながら、越えていきました。

その時は、親にとっては屈辱的、
そして、衝撃的なことだったかもしれません。
しかし、今になって思えば、
それでよかったのだと思うし、
両親もきっと、霊界で納得していると確信します。






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