2017年01月09日

青年よ、、、真の父母を目指せ!! そして独生女はここに! 《米2世へのみ言・前編》



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昨年の12月4日、
アメリカ・イーストガーデンにおいて行われた
『天地人真の父母様主管青年集会』での
真のお母様のみ言を紹介します。


アダム・エバの堕落によって、
天は悲しく苦労の多い路程を辿られながら、
蕩減復帰摂理歴史を導いて来られざるを得なかった
悲しい事情があります。

太初に神様が天地万物を創造され、
人間先祖となることのできるアダム・エバを創造しました。
見るによく、美しいと言われました。

ところで特別にアダム・エバには責任を下さいました。
成長過程を通じて神様と絶対的に一つになった立場で
成長しなければならなかったのです。

その祝福を受ける立場が、
神様が人類の真の父母になる立場なのです。
それが天地創造をされた神様の夢でした。

ところで責任を果たさなければならないアダム・エバ、
サタンの誘惑に落ちたとか、欲心が生じたのです。
自分というものが入り始めたのです。


あなたたちも同じです。
祝福家庭の2世、3世として、
君逹の本質は真の父母なのです。

真の父母から離れては、あなたたちの存在価値はありません。
それを知っていますか?
祝福を受けたあなたたちの立場も、
責任を果たさなければならないということなのです。

あなたたちが完成した人間として、祝福の立場に行くまで、
真の父母と一体となる立場で
勉強もしなければならないのです。

あなたたちの素質を育む面においても、
いつも“私がこんな事をするのは
真の父母様にお見せしなければならないからだ。
真の父母様が望まれる者になるからだ。
私がその一面を担当して成功して見せる。”
こういう欲心は大丈夫なのです。

しかし自分を中心とする欲心は、
災いを引き起こすと言うことを知らなければなりません。


堕落した人類の願いは、
真の父母にお会いすることが願いです。
摂理が分かっても分からなくても、
絶対者の立場で自分を主管してくれることのできる
主人が現れるのを待って来たのです。

それで全世界的に4大宗教が出て来たのですが、
その中でキリスト教は中心であると言うことができます。

なぜかと言えば、神様を説明することはできないけれども、
神様をお父さんだと信じて来ました。

本来神様が創造した目的が、
人間の父母になるためだったので、
漠然として説明ができないけれども、
神様はお父さんである。

ところで神様の創造において、
すべての微生物から動物世界まで、
対(カップル)で創造されたのです。

人間もカップルとして創造されました。
そうだとすれば神様は天の父母様であって、
天のお父様お一人ではないのです。


蕩減復帰摂理歴史においてサタン世界で、
それでも善良だと言える選民思想、善なる民族を選ばれて、
蕩減復帰摂理歴史を発展させて来られました。

個人から家庭・氏族・民族・国家基盤の立場まで来る過程が
どれだけ大変だったら、
4000年もかかったのでしょうか、4000年!

神様が堕落した世界で、私の息子であると言うことの出来る
イエスキリストを誕生させるまで4000年がかかりました。
とても考えることもできないほどの神様の痛みだったのです。


ところでイエス様を誕生させたマリアは、
摂理が分かりませんでした。
自分がどうしてイエス様を誕生させたのか
分からないという結果を作ってしまいました。

イエス様に近いザカリア家庭、ヨセフ家庭、
ユダヤ教、イスラエル民族、それほどにひたすら
“メシヤを送って下さい”と願い、天は約束を守ったのに、
メシヤに侍ることができなかったのです。

そのようにイエス様を保護しようとする環境が
作られませんでした。
どれほどに4000年という長い歳月を通じて
天が独り子として送って下さったイエス様が、
100年も生きることができずに、33歳で
十字架につけられなければならないことが救いでしょうか。



このように神様は痛みを忍耐され、
再び期待をかけられたのがキリスト教歴史であり、
摂理歴史なのですが、2000年のキリスト教摂理歴史は、
神様側から見る時には独生女を探し出す摂理歴史です。
このことを知らなければいけません。

イエス様が十字架に掛けられながら、また来ると言われました。
また来て小羊の婚宴をすると。
婚宴をするためには、相手が必要ではありませんか。

このようにすべて分かることができるように語られ、
見せて下さったのに、それでまた来られるメシヤの前に
必ず現われなければならない方がいて、
その方が独生女です。
それが、皆さんが見ている前にいるのです。



真のお母様のみ言を訓読させていただきながら、
真の御父母様を侍ることができる、
そのことがどれほど貴いことか、
奇跡の中に生かされている者であるということに
心から感謝しました。
しかも、摂理の最絶頂期のこの時なのです。

教会長は、昨日の礼拝説教の中で、
「一番重要なことは『私』が変わることです」
そのことを最も強調して語られました。

周りを見れば、いろんな思いがでるかもしれません。
しかし、周りがどうのこうのよりも、
『私』自身が今この時に、何を成すのか、
そのことの方が重要ではないか、と思うのです。

明日に続きます。。。




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