2017年04月10日

(証し) お父様の𠮟り方?! わかっているようで知らないアベル・カインの原則! 



19910203.jpg


「アベルカインというのは、原則ですが、
以外にわかっていない人が多いと思います。

中心とひとつになるということなのです。
そこから霊的な生命がくるのです」

以前聞いた信仰講座の内容です。
その中で、お父様の証しをしてくださいました。


ずいぶん昔韓国に行ったときのこと。
未熟ながら幹部の先輩方と同席をして、
お父様のみ言を拝聴しました。

そのとき、当時の久保木会長に
お父様はものすごく大きな声で、
「久保木!」
そして、こてんぱに怒って
もうぼろくそにいろんなことをおっしゃいました。
他の幹部の先生方にも同じでした。

なんていいますか、
人間の常識を超えて、叱っておられたんですね。

聞いている私たちの方が、
「そこまでも言わなくても」という思いになるわけです。
あえて、そういう同情心が沸くように
叱られたのだと思います。


お父様は個人的に注意をしないんです。
公衆の面前で、ぶった切ります。
10のうち、9くらいは切りますね。

皆さん、お父様の前で完璧な者がいるでしょうか。
責任者はみんな足りないので叱られるしかないです。

ところが、そのあと、どうするのでしょうか。
ほめ始めるんです。
「この分野においては、こいつしかいない。
こういういいところがあるんだ。
だからひとつになるんだよ」
そのように語られます。

まさに、芸術的なお父様なのです。
お父様の荒治療と言ってもいいのではないでしょうか。


皆さん、カインアベルのみ言は
相手を裁く剣として使ってはいけないのです。

私たちは、み言をもって、自分を正当化してしまいます。
み言を、アベルに向かって攻撃の武器として使ってしまうのです。

「アベルはこうあるべきだ、そう書いてあります」
なんて、アベルに向かってみ言を提示してしまいます。

逆に、アベルはカインに対して 
「あなたたちは間違っている。
カインはこうあるべきだ。
絶対従順!」

そのようにして、
み言を利用して相手を裁いてしまうのです。


み言は人を裁くためにあるのでしょうか。
違います。
私自身のためにあるのです。

だから、アベルとして、カインとして
自分がどうあるべきかということを
正すためのみ言なのです。

カインもアベルも完璧ではありません。
両者に原因があるのではないでしょうか。
ともに悔い改める必要があるのだと思います。

だから、み言で相手をせめても
何の発展もないのだと思います。

父母の心情で相手を見つめる。
そのためにみ言が必要なのです。




み言は、私の霊的成長のためにある、
そのことは肝に銘じないといけません。

さらに、人を裁くこと。。。
だいたい簡単に人の批判をする人は、
自分を棚に上げますね。

真のお母様を批判する人も、
お母様がどれほどの基準で歩まれているのか。
お母様の御心情はいかばかりか。。
尋ね求め、祈ってみれば、
わかると思うのですが。。。




にほんブログ村

良い記事だと思った方は、
応援のクリックをお願いします!
(なお、記事の冒頭の家庭連合のバナーもブログ村のものです
どちらからでも応援して頂けます)


お父様のみ言

カインはアベルを通さずに、
み旨の道を歩むことができない。


アベルを立てた理由は
カインを救うためである。
カインを救うためには、
神様から受けたその愛を全部与えると同時に
自分の愛までも合わせて与えなければならない。


生活する中においてカイン、アベルを分別しなさい。
ぶつぶつ言えばカインである。
アベルを中心として団結しなければならない。


御旨の道より


※ このブログは、
あくまでも個人において、書いているものであり、
教会本部とは一切関係がありません。
過去においても、今後においても
全ての責任は私自身に帰属するものであります。

さらに、ブログの記事においては
曲解や悪用ととれる引用、
無断転載はお断りいたします。
(善なる目的で使用することに関しては
その限りではありません)


posted by ten1ko2 at 07:23 | Comment(1) | TrackBack(0) | 信仰生活・信仰講座 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
日本には、カインの信仰を強要しているのは何故でしょうか?
日本人は昔(江戸時代頃)から武士の精神を説いてきました。
それは、上の者が手本を見せる事です。
自らが、上の者の気持ちを察して下の者を持ち上げれば自然とついてくると思います。
お父さまは生前私が愛した神様を、愛してくれる者がいないと嘆いておられました。
ならば、教会?分派?がそれをいかに実践するかが今回の見言葉の本質ではないでしょうか?
Posted by 花火と案 at 2017年04月10日 12:43
コメントを書く
お名前: [必須入力]

メールアドレス: [必須入力]

ホームページアドレス:

コメント: [必須入力]

※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。

この記事へのトラックバック