2017年06月15日

いつも神様の心臓部に立つ私! み言に喜ぶより、受肉しよう! 《李ヨハネ先生の里程標》



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李ヨハネ先生の証し。
任地を与えられ、伝道活動を中心に
活動している証しがその後、掲載されていますが、
その部分は省略させていただきました。
最後のところだけ紹介します。


み旨の前に召命を受けてから30余年になりました。
今や還暦も過ぎて子女たちが成長して、
今まで私が歩んで来た道を共に歩んでいます。

過ぎて来たことをたどると感慨深い内容が多いですが、
まだみ旨の一線で後輩を養成して、み言を
伝えなければならない立場であり、過ぎたことよりは
未来にもっと関心が行くことはどうしようもありません。

まだ先生は先に立っておられ、
これから成さねばならないみ旨があるので、
私は緊張を少しもゆるめることができません。


私の半生涯は、ただ牧会と教育に
身を投じたと言っても過言ではありません。

大邱(テグ)で、ソウル明洞(ミョンドン)会館で、そして本部教会で、
私が立ったどこにおいても神様の心臓部に立っている
という気持ちでみ言を述べ伝え、
今も統一家族の指導者になる統一神学生たちの教育と
21日修練生を指導しています。

今まで私のみ言を聞いた人たちを、どれだけ感化させたか、
また人生の里程標*となった(大きく人生の指針を与えられた)とも言い切れませんが、
いずれにしろ神様のみ言の代身者という心情で、
体と心をみな捧げて伝えようと努力して来ました。


今も私はみ言を伝える者として、一番心配しているのは
み言を聞き、恩恵を受けてそれで終わるのでなく
その原理のみ言を受肉して人格化させねばならないということです。

今まで(見てくる中で)、み言に出会うと、そのみ言に陶酔して、
あたかも小さい子供がおもちゃを持って遊ぶように喜んで、
終わってしまう場合が数多いように思われます。

今はみ言を宣布する時期というよりは、そのみ言で人になるときです。

初期には信仰が幼く世間知らずで、神様がくださったみ言を
嬉しく楽しく受け、その気分と一つになって事を成してきたのですが、
今になってみると人格と生活に連係させなかったような気がします。

もし、み言を聞いて喜んでばかりいないで、
「人になる」ことを心配したならば、
今日よりもっとましであったと思うのが私の心情です。



み言を伝える立場の人たちが、
今まで、多く離れていったのは、
やはり、み言を受肉していなかったこともあるでしょう。
李ヨハネ先生もそのことを痛感しておられます。

古い大先輩たちが、
お母様のもとを離れていくのも、
心痛いことではありますが、
神様の代身である、真の父母様を
正しく見つめていくこと、
そして、お父様とお母様が一つであること、
そのことを、はっきりともう一度、
認識しないといけないのではないでしょうか。

何よりもみ言は、人の為に語ったとしても、
それは自分のためであり、私自身が受肉するものである。。
そのことを肝に銘じないといけないと思うのです。。。

明日で最終回になります。





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