2017年07月25日

教会の中にも恩讐がいる?! 恵みを取りこぼさない方法とは!  《李ヨハネ先生》最終回



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李ヨハネ先生のみ言
「み旨による私」。
いよいよ今日が最終回
「家庭問題に勝つ方法」後半です。


今回も皆さんがここへ来て原理が分かったので、
「本当にそうだなあ」と悟って所属の教会に帰るでしょう。

そうすると、教会長があいさつするや否や、何と言うでしょうか?
「聞いたみ言をちょっと報告してみてください」と言うでしょう。

恵みを受けたのをすぐに報告すると、恵みが全部こぼれてしまうから、
何日か心に刻んでから話すのがよいのですが、
何日かあとに言えというなら言うのに、
すぐに言えというから困るでしょう。

教会長の言うことも聞かなければならないのではないでしょうか? 
ですから、話すこともできず、
話さないでおくこともできない状況でしょう。


また教会に戻ると、自分が恵みを受けたのを知って、
どうにかして奪おうとする人もいます。
教会の中でもそうなのです。

協助するどころか、その中心を揺さぶろうとする人がいます。

聖書の「あなたの家族が怨讐となるだろう」(マタイ10・36)
という聖句は、
共に行く人もそのようにぶつかる可能性があるという意味なのです。


こういう時であればあるほど恵みを奪われてはなりません。

恵みを奪われない方法は、正に天のお父様を慰労することです。
そうすれば、教会がうまくいくでしょう。

だれかと考える方向が違って、悩みとなり、重苦しい時は、
「お父様、信仰の人物をこの地に送っておいて、
どれほど悲しみに遭われましたか? 
イエス様お一人のみ言に従順に従うべきイスラエル人が、
むしろ悪霊が入ったと責め立てたとは、
どれほどあきれられたでしょうか?」と慰労してください。

天を中心として悟り、考えることが間違いのない啓示であって、
神の考えにみな似てこなければならないのですが、
そのような思いをもった人が一人もいない場合があるのです。

家に帰っても、教会へ行っても、
そういう決意をした人が一人もいない時、
皆さんはあまりにも重苦しくて、恵みをこぼしやすいのです。

そういう時は、抱いた思いをしっかりつかんで、
神を慰労し、主を慰労し、先生を慰労しなければなりません。


私が信じるに足る人がいないといって恨み嘆くけれど、
先生はこの地に信じられる人がいるでしょうか? 
皆さん自ら、先生の前に信頼できる人になりましたか? 

先生がこの自分を信じて、
ご自身の真なるみ言を語ることのできる自分になったのかというのです。
私たちに互いに距離があるので、
先生はどれほど寂しく思われるでしょうか? 

寂しいといって、先生ほど寂しい方はいません。
また創造主はどれほど寂しく悲しいでしょうか?


苦労にぶつかる時は、神によって解決しなければなりません。
私たちがぶつかる困難は神によって解決されなければならないのです。

自分がいくら耐えても駄目です。
そうすればいつかは爆発します。

讃美歌にも「泣いても駄目であり、耐えても駄目だ」とあります。
信仰というのは、耐えて成るものではありません。

父の前に行って解決しなければならないものです。
そこですべて解決することができるのです。

お父様の悲しみを知り、お父様の苦労を知ってこそ、
自分の心の中の重苦しいものが、すべて解けるのです。
これを解かずに、ずっと積もらせておくと、大きな闘いが生じます。


きょうの説教を総整理してみると、

「み旨による私」として、
自分の生活圏内から、み旨による生活をしよう!
家庭でもみ旨による生活、教会でもみ旨による自分の位置を開拓して、
逆境があるたびに、天によって、
天を慰労しながら行こう

という内容をもってお話しいたしました。

職員修練会での説教 
『み旨による私』より
1977年5月23日 中央修練所



恵みを受けた時ほど、神を慰労する。。。
というか、恵みを受けた時、
その恩恵を分け与えても相対圏がなく、
一人で苦しんでいる時ほど、
神様を求めていく、
苦しい思いを自分だけにとどめるのでなく、
神様と共有し、神様と近くなっていく。。。
そういうことなのかな、と思います。

そのような道を歩まれたのが、
イエス様であり、真のお父様であり、
そして、真のお母様なのだと思います。

そう考えると苦労の道も感謝であり、
孤独な道も感謝なのです。
私の周りを通して感じる苦痛も、
天に近づくことができるならば、感謝なのですね。。。
ちょっと力が出てきました。

貴重なみ言を与えてくださった、
李ヨハネ先生に心から感謝いたします。






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*李ヨハネ先生のお名前について
李耀翰と書いて、イ・ヨハンというのが正式なお名前ですが、
日本では、李(リ)ヨハネ先生としてもお馴染みです。
ご父母様が、文鮮明(ムン ソンミョン) 韓鶴子(ハン ハクジャ)であるように
元老の方々のお名前についても、日本語読みではなく韓国語読みに変えるべきであるかとは思うのですが、
このブログでは、シリーズとなった《李ヨハネ先生のベスト・アンサー》で紹介するに当たり、
親しみを込めて李ヨハネ先生とお呼びしています。



※ このブログは、
あくまでも個人において、書いているものであり、
教会本部とは一切関係がありません。
過去においても、今後においても
全ての責任は私自身に帰属するものであります。

さらに、ブログの記事においては
曲解や悪用ととれる引用、
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posted by ten1ko2 at 06:17 | Comment(0) | TrackBack(0) | 信仰生活・信仰講座 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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