2017年07月11日

語られたみ言はすべてではなかった! 語られなかった事情とは?! 《李ヨハネ先生》



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新約聖書の4つの福音書の中に残されたイエス様のみ言は
ほんのわずかしかありません。

真の父母様の語られた生涯のみ言は、読み切れないほどのものとして
しっかり記録されています。
しかし、その背後の心情は語られていないというのです。

李ヨハネ先生の1977年の説教、
続編です。


(イエス様の)「哀痛しなさい」、「謙遜になりなさい」、
「人に哀れみを施しなさい」、「兄弟同士和睦しなさい」
と言われたみ言の中に、神の事情が全部入っているのではありません。

それは心をどのように準備するのかということに対するみ言でした。
いうならばイエス様がこの地に来られて教えたみ言の中には、
神の事情が入っていなかったのです。

ただ私たちの心をそのように治めて、
その準備された心に神の要求や事情を植えようとしたのであって、
神の中心的み旨を植えようとされたのではありませんでした。


同様に、今日私たちも、統一教会の蕩減復帰原則は学んだけれど、
先生の心中のみ言は聞けないでいます。

『原理講論』は今までの未知の事実を解いた内容ではあるけれども、
父母が子供に本当に言おうとするみ言ではありません。

今まで先生がみ言をたくさん語ってくださったと思っていましたが、
実際分かってみると、私たちが個人の罪、祖先の罪、
人間関係の不和などを清算できないでいるために、
父母として子供に語らなければならないみ言は語ることができなかったのです。


今しがた帰ってきた放蕩息子を迎える父母は、
自分の心の思いをすべて話すことができません。
父母として言うべき言葉を話せません。

ただ服を着替えさせ、しっかり食べさせ、
難しいことをさせずに慰めるばかりであって、
子供が離れていた間の家庭の困難だった事情は、
一つも言うことができません。

不孝だった子供が帰ってきたなら、父母は言いたいことも言えず、
子供の心が家庭で落ち着き、父母の前に肩身が狭くなくなる時まで、
生活の中で心をいやす言葉を言うだけにとどめておきます。


今まで私たちは蕩減復帰路程を歩んできて、
サタンと闘い、自分の堕落性と闘い、
その次には自分の祖先、自分の現実と闘いながら、
先生からこういう闘いにはこのようにして、
あのような闘いにはあのようにしろということだけ学びますが、
先生が父の立場で子供に言いたいみ言を
すべて言われたと考えることはできません。

先生の説教はたくさん聞きましたが、
そのみ言の中に先生として本当に言いたくて語られたみ言、
心中深く保っていた事情をぶちまけられたみ言は
ほとんどないと思われます。

事実、先生が本当に語りたい内容を語られたなら、
私たちは聞き分けることができません。
あまりにもレベルが高くて、
その世界のことを聞いても、信じられないからです。

職員修練会での説教 
1977年5月23日 中央修練所



イエス様も真の父母様も、神様の事情、
その全てをご存知であるにもかかわらず、
証しすることができませんでした。
イエス様は本当に無念だったに違いありません。

真の父母様は、そのようなイエス様の使命をも勝利して
神様の恨をはらすために
どれほどの心情を抱えて
私たちの基準がないゆえに、語るに語れないできたのでしょうか。

時が来ています。
なかなか悟れない私たちを前にして
時だから、押し出すしかない、
そして父母としてできうる限りの環境を整え
最高のものを与えようとする真の父母様です。

そんな天と真の父母様の心情、事情に通じ、
願いを果たしていくそんな私になりたいと思うのです。

続きます。




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