2019年10月28日

神様がイエス様を失った心情が、どれ位か知っていますか?! 《李ヨハネ先生》



191028-20191026.jpg
南東ヨーロッパ・ピース・サミット
☆アルバニア国会議事堂10.26☆


第60回真の子女の日、おめでとうございます。

今回は、李ヨハネ先生のみ言。
「苦労の中でも神の心配をされる先生」(前編)を紹介します。


神はひとり子イエス様がこの世を去られる時、
とても胸が痛かったとお話ししました。

ところで、第三のアダムとして来られる再臨主がこの地に来て、
再びあちこちで冷遇や虐待を受けるのを見る神は、
そうでなくても心が痛いのに、再び来られた方が、
またそのような目に遭うのを見られる心情が、
どれほどすさまじいだろうかということを考えてみてください。

心情のレベルの低い私たちが、
いくら考えてみて分かったといっても、
神のその心は分かりません。
私たちの心情では、分からないということです。


私たちのような信仰者は、果たして何をもって悩む私たちなのか、
何に対して驚く私なのか、比較してみましょう。

数千万ウォンのお金を扱う人は数万ウォン、
数十万ウォンを逃しても、別に驚きません。

しかし道端に座って商売しながら、
10万ウォン、20万ウォンを集めて、
やっとつくった数十万ウォンを、ある人に貸してあげたところ、
踏み倒されたという時は、どうなりますか?
卒倒することでしょう。


愛着をもっていた時間が長いか短いかによって、
胸の痛みが決まるのは神も私たちも同じです。

4千年をかけて、ひとり子のイエス様お一人を育てたのに、
そのひとり子のイエス様がこの世を去るようになったので、
天地が真っ暗になりました。

お金に精誠を尽くして失った時の驚きとは、比較になりません。
この人間世界では比較することのできない高次元の苦痛なのです。


ですから、問題は信じる私たちが神の驚かれた心を
知り尽くさなければならないのです。
それさえ分かれば、この世の驚くべき出来事を、
すべて勝ち抜くことができます。

殉教者はどういう人なのでしょうか?
神の心配事を知った人です。

一つの家庭でも、父母の苦労を知っている子供は、
自分の悩みや心配、自分のおなかが減ったことなどは問題になりません。

父母を非常に愛する子供なら、自分の苦労を
父母の前にあえて出すことができないのです。
父母がこの日まで苦労したことに比べれば、
自分の苦労は何でもないからです。

職員修練会での説教 
『み旨による私』より
1977年5月23日 中央修練所



自分の愛する人が傷ついていたら、
心配し、胸が痛くなることでしょう。

自分が受けた傷は、
自分が乗り越えたらいいのですが、
愛する人が傷を受けているとき、
自分はどうすることもできず、
苦しむしかないのです。

それが、神様とイエス様との関係であり、
お父様と神様の関係だと思います。

天の父母様を愛する孝情のチャンピオンは
他ならない、真の父母様です。
本当に深い絆で結ばれているがゆえに、
どんな迫害を受けても、神様を思い、
乗り越えていかれました。

今日は真の子女の日ですね。
神様の前に孝行息子、娘として立ち、
神様も誇らしく思われる真の父母様。
私たちも見習っていきたいと思うのです。





にほんブログ村
良い記事だと思った方は、
応援のクリックをお願いします!

(なお、記事冒頭の家庭連合のバナーも
ブログ村のバナーとなっています
どちらからでも応援して頂けます)


※ このブログは、
あくまでも個人の意志に基づいて、書いているものであり、
教会本部の意向とは直接関係がありません。
過去においても、今後においても
全ての責任は私自身に帰属するものであります。

さらに、当ブログの記事に対して
曲解や悪用ととれる引用、
無断転載はお断りいたします。
(善なる目的で使用することに関しては
その限りではありません)


この記事へのコメント
コメントを書く
お名前: [必須入力]

メールアドレス: [必須入力]

ホームページアドレス:

コメント: [必須入力]

※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。

この記事へのトラックバック