2017年07月20日

教会長を喜ばせ、家族を一つにするには── 私の生活がみ旨になる?!   《李ヨハネ先生》



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李ヨハネ先生のみ言。
今回は、『み旨に拠る生活』です。


神のみ旨は四位基台を造成することであり、創造目的を成すことです。

教会に所属されているなら、教会長の意図をよく知らなければなりません。
教会長の心配や願いが何なのかをよく知らなければなりません。

それをよく知っている人は、職員として教会のみ旨をよく尊ぶ人です。
そうでないなら、その職員は、教会を発展させる位置や、
教会を協助する立場に立ってはいない人です。


家庭でも、家族の意図や事情が一つになり、
家庭の目的が一つになってこそ、神がその家庭に臨むことができるのであって、
みなばらばらに暮らす家庭を、神はどのように助けてあげますか? 

夫人は夫人の思うとおりに、夫は夫のやり方で、
子供は子供で生きていく家庭は駄目です。
それでは信じても信じなくてもうまくいきません。
これは何かの道徳論ではなく、原理がそのようになっているのです。

ですからみ旨による私となろうとするなら、
原理的な思想だけもてばそれでいいのではなく、
教会の中心がだれなのか、その方の心配や願いが何なのか、
そういうことからよく知らなければならないのです。


職員である皆さんが教会の責任者を喜ばせようとするなら、
礼拝時間に早く行くことが一番です。
時間前に参席するほど、教会の責任者を喜ばせることはありません。
焼肉定食をごちそうすることよりいいです。

毎週日曜日にきちんきちんと時間を守ってあげれば、
それこそお父様のようであり、お母様のようであって、
忘れようにも忘れることができないでしょう。
それを分かっていましたか?


皆さんが本当にみ旨による自分になろうとするなら、
教会長の意図を知り、教会長の心配を知り、
教会長がもどかしく思うことをよく知って、
心が教会長と一つにならなければなりません。

そして調子が合ってこそ、生活が合ってこそ、み旨が可能なのです。
そうなってこそみ旨による私の位置を見いだすことができるのです。

原理をいくらよく知っていても、目の前に見える、
もどかしさを抱えている教会の責任者を尊重しないなら、
それは何のみ旨を知っている人だと言えるでしょうか?


皆さんはどのようにみ旨による自分の生活をしようとしましたか? 
「み旨による私」は、まず自分の生活圏内において常に公的であり、
み旨的であり、心がお互い和合することのできる
関係をもって生きなければなりません。

家庭でもそのようにし、教会に来てもそのようにしてみてください。
そういう関係を離れるようになると、私たちの心霊は沈みます。
明らかな道理です。

み旨だといって、原理や先生のみ言だけ頭に覚えておくのではなく、
私たちの生活で実際にみ旨が何かということを
考えることができなければなりません。

「あなた、私」を中心として意志が疎通しなければならないということです。
「あなた、私」を中心として遠慮なく通じ合える私にならねばなりません。

職員修練会での説教 
『み旨による私』より
1977年5月23日 中央修練所




『焼肉定食』のたとえはなんとも面白いですね。。。
確かに私も毎週、礼拝の司会を担当し、
また時たま説教をさせていただくことがありますが、
早く礼拝に参加してくださる方にはありがたい思いが湧きますね。

また、何か事情はあるのかもしれませんが、
毎回のように礼拝が始まってから参加される人を見ると、
「しっかりと恩恵を受けてくださいね」と祈らずにはいられません。

相手を喜ばせること、ために生きることが原理の本質ですから、
常に教会長に喜んでいただくように生活することが、
何よりも重要であることを感じます。
そして、自分自身にも恩恵が来るのだと思います。

家族もそうですが、情が近くなればなるほど、
相手に要求したり、相手のマイナス部分が見えて、
そのことを指摘してしまったりします。
しかし、そのことによって、
何の発展もありませんね。
結果的には、『自己満足』に繋がってしまいます。

日々の生活の中においても、
家族や食口たちとどのように接するのか、
それが、『私のみ旨』に連結されていくということだと思います。
日々、努力していきたいですね。。。

続きます。




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posted by ten1ko2 at 08:12 | Comment(0) | TrackBack(0) | 信仰生活・信仰講座 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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