2017年07月24日

家庭に恩讐が?! 教会で受けた恵みを、家に帰って失わないためには?!  《李ヨハネ先生》



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李ヨハネ先生のみ言、
最後に近づいてきました。
今回は、「家庭問題に勝つ方法」です。


では最後に、そういう中でどのように苦痛を扱っていくか
という問題について話してみましょう。


イエス様にとっては、神のみ言を
分かつ対象がいないことが最も大きな苦痛でした。
神はこのように語れと言われたのですが、
そのように語ることができませんでした。

ですから神の前に罪人のようだったのですね。
神が命令されたとおりにできなかったのですから。

そうかと思えば、人々の前にも罪人のようでした。
安息日に病気を治したので、
ユダヤ教徒の前には罪人だったでしょう。
ユダヤ人が受け止めきれないことをされたからです。

その人たちが受け止めきれないことをされたイエス様は、
どんなに苦しかったことでしょう。

とりわけ安息日でも羊が穴にはまれば
引き上げてやらねばならないのではないだろうか
と説得された聖句(マタイ一二・11)があるのを見ると、
イエス様の気の毒な事情が推測されます。

痛々しい患者を見ると、治さねばならず、
ユダヤ人は安息日を侵したとしきりに言い、
神と人の間にはさまって、こうもできず
ああもできず苦労されたのが分かります。


私たちも家庭のことを考える時、
家庭のすべてがみ旨を中心として、
このようになったならいいと思うのに、
全然見込みがないように思えて、
これを流してしまうこともできず、
つかんでいることもできない時があるでしょう。

家庭をうまく率いていかなければならないのですが、
み旨として見ると、悩み苦しむ時があるのではないですか?

そういう苦痛を最小限一回くらいは背負うようになります。
それをよく背負わなければならないのです。


その時は、その場で問い詰めたり、
相手ゆえにもどかしがらないでください。

そういう時は、
「私がどれほどお父様の心を煩わせたのか、
今こそ分かりました。
このようにぶつかってみて、はっきり悟るようになりました。
右手が正しい道だと教えてあげるのに、
しきりに左側だと我を張ります。
このように何も分からない人間を率いてこられた神様は、
どれほど苦労が多く、心を煩わされたでしょうか」

このようにまず神を慰めてさしあげてください。
これが正に勝つ方法なのです。
煩わしいといってやたらに自分を捕まえてもどかしがると、
その人ゆえに自分まで罪を犯します。

ですから大抵の人が教会に来て恵みを受けながら、
家に帰ると、みなこぼしてしまうのです。
家に怨讐が待っています。

家にいる人は、自分が教会に来て恵みを受けて帰ると、
必ずその恵みを損おうとします。
以前にたくさん経験されたでしょう。

職員修練会での説教 
『み旨による私』より
1977年5月23日 中央修練所



人というものは、自分の思うようには動かないものですね。。。
特に、家族、子供たちを見つめながら思わされます。

「天の願い、基準からみると、うちの子供たちは・・・」
そう思いつつ、要求することもできず、
「結局は自分が問題なのだ。。。」
そんな風に思うこともあったりします。

ヨハネ先生は、こういうときほど、
「神を慰めてさしあげてください」と言われています。

天の心情を求めつつ、
もちろん、現状にとどまることなく、
しかし、要求することなく、
本心が動くように導いていきたいな、
そんなことを思わされています。

長くなりました。
あと、一回です。






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posted by ten1ko2 at 09:27 | Comment(0) | TrackBack(0) | 信仰生活・信仰講座 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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