2017年08月08日

うまくいかない時── 成長のチャンス or サタンの罠?! 《阿部先生のweb説教》前



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常に全国を飛び回っておられる阿部局長が、
Web礼拝説教をアップしてくださいました。
タイトルは、「試練という成長の糧」です。


人間だれもが「幸せ」を求め、「幸せ」を願いながら生きています。

では、幸せとはどのような状態をいうのでしょうか?
一言で表現すれば、「楽しいことがあふれた人生」や
「嬉しいことが多い人生」とも言えます。

しかし、「楽しい」という字に示されているように
「楽な人生」を過ごしているからといって「楽しい人生」とは限りません。
いつも「面白可笑しく生きた」としても「嬉しい人生」とは限りません。

楽な人生を歩んでいたとしても空しくなり、
面白いもの、可笑しいものを求めていても
心から喜べない場合もあります。

反対に、多くの苦労を経験した人、
逆境を通過しながらそれを乗り越えた人ほど、
心から幸せを実感している人が多いものです。


スポーツの世界において、「勝利者」という栄冠を勝ち取る人の人生は、
楽をして面白可笑しく生きてきた歩みではありませんでした。
反対に、厳しい練習の積み重ねであり、
肉体の限界、能力の限界を越えた訓練の連続であり、
安楽な人生とはかけ離れたものでした。

しかし、そのような練習の結果、普通の人から見たら驚くような
素晴らしい能力を発揮したり、
人を感動させるような技術を身につけたり、
誰にも負けない超一流の選手になったりするものです。

そのような人たちは、長い期間にわたる苦労と苦痛の土台の上で、
優勝した「瞬間の喜び」、
目標達成した「瞬間の充実感」を味わうようになります。


人生も同じように、楽なこと、好きなことを
その時々に自由気ままに過ごしている人は、
その時々に刺激的な快楽があったとしても、人生の充実感もなく、
心からの満足を得ることができないのではないでしょうか。

試合に勝つためには、地獄のような練習をするなど
苦労と困難が必ず土台となっているように、
幸せな人生をつかむためには、
思い通りにいかない苦労や耐えがたい困難は、
必要な要因だということです。

そのように考えれば、人生の苦労や困難は「不幸や災難」ではなく、
自分自身の「人格を磨く試練」であり、
「訓練」と考えていくべきものです。


夢の実現に向けて、何かの目標に向けて努力する場合、
順調な時は誰もが心地よく投入することができるものです。
しかし、順調にいかない時も同じように投入することが
できるか、できないかが勝敗の別れ道になります。

人間関係でも仲良くうまくいっている時は心地よく過ごすことができます。
しかし、人間関係がぎくしゃくしてうまくいかず悩むこともありますが、
その瞬間こそ「愛の試練」であり、
「愛の訓練」ととらえたらどうでしょうか。

愛の器を広げるための訓練と考えれば、
好きな人や気の合う人だけでなく、タイプの違う人や波長が合わない人をも
受け入れようとする心の余裕が出てきます。


試練や訓練ととらえることができず、不幸や災難ととらえた場合、
「誰のせい?」「何が原因?」と考えます。

すると、「目の前の人が悪い」
「環境が悪い」と判断しやすいものです。
その瞬間、目の前の人に対する「裁きの思い」「要求の思い」が沸いてきます。
環境に対しても「不満の思い」「怒りの思い」になってしまいます。

また、困難と苦労に直面した場合、
「意気消沈」したり、「自信喪失」するなど
自分に対する自尊心や意欲を失う人もいます。

これらが正に、堕落性を誘発しようとする「サタンの誘惑」です。
 

皆さん、最近、困難が多く苦しんでいないでしょうか?
思い通りの結果がでないので思い悩んでいないでしょうか?
人間関係のトラブルがあって
許せない思いで苦しんでいないでしょうか?・・・

そのような時に、今一度考えてみましょう。
苦労や困難というものは、「神様の試練」ととらえれば
「成長に導く幸せの踏み台」となります。

反対に、ただ単なる不幸な出来事ととらえれば、
「サタンの誘惑」によって「堕落性を誘発する罠」になってしまいます。
幸不幸に分かれる鍵は、私の心の中にあります。


信仰者の大切な生き方は、
「人生におけるすべての出来事は、神様が与えて下さるプレゼント」
として受け入れることです。

何か良いことがあれば「神様の恵み」として感謝し、
何も起こらなければ「神様の守り」として感謝します。
何か悪いことが起こったとしても
「神様の試練」として感謝するのです。

たとえ悪い出来事と遭遇したとしても、
悪霊が救われるための復活現象として、
先祖の不足した歩みを清算するための蕩減復帰であったりします。
また、神様が私に何かを気づかせるための機会として与えているかもしれません。

すべての出来事を、神様を中心として受けとめる人には
サタンが相対することができません。

結果が良いと有頂天になったり、悪いと落ち込んだりする
一喜一憂する損得勘定の姿勢では、
結果に振り回され本質を見失う可能性があります。


真の父母様の信仰生活に関するみ言を紹介いたします。


信仰生活の本質とは何でしょうか。
神様に感謝する心です。

そのような心があれば、それが、堕落の因縁を越えて
神様と私が一つの因縁で結ばれる基になるのです。

自分がこの世の中で良い立場に立って、
初めて感謝しなければならないのですか。
違います。

今まで神様は、良い時だけ
私たちのために苦労してこられたのではありません。
困難な時であるほど、より苦労することを誓われたのです。

ですから、今日の私たち自身も、
神様を私の父として侍るためには、
私の代わりに働かれ闘ってこられた神様に、
良い立場で感謝することよりも、
困難な立場でより一層感謝しなければなりません。

したがって、深刻な十字架の途上でも
神様に感謝できるというのは、
このような原則を理解するときに可能なのです。


(「後天時代の生活信仰」P143〜144)



このように、深刻な十字架のような困難に直面した時ほど、
感謝が必要だということです。

困難や苦労は「神様の試練」として受け止め、
迫害や否定に対しても「神様の試練」として受け止め、
思い通りに結果が現れなくても「神様の試練」と受け止めて、
さらに投入する人になりましょう。



阿部局長のみ言は
とてもわかりやすいので、感謝です。。。

スポーツの例をあげていましたが、
創造原理の世界、本然の世界においても、
苦労、試練というものはあるのだな、と思います。

ですから、内的な世界においても、
人間関係などにおいても、
ただ単に楽しく、喜びの世界だけではなく、
どのように捉えることができるか、
それが重要なのではないでしょうか。

それが阿部局長の話される
「神様の試練」
なのではないか、と思います。

どんな環境、状況にあっても
神様とともに乗り越えていく、
その究極が真の父母様ですから、
私たちはどんな試練でも
乗り越えていくことができるはずなのです。

明日、もう一度続きます。




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posted by ten1ko2 at 06:24 | Comment(0) | 信仰生活・信仰講座 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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