2018年09月14日

孝情カエル?! 真の父母様を忘れるなら希望があるのだろうか 《6周年聖和祝祭》



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お父様の聖和祝祭のミュージカルに
カエルたちのパフォーマンスがありましたね。

「なぜ、カエルなんだろう」
と思っていましたら、
以前、韓国牧会者から、礼拝で、
カエルの昔話に関する説教を受けたことを思い出しました。

どんな童話なのか、紹介します。


あるアマガエルの親子がいました。
子供のアマガエルは
とにかく天邪鬼(あまのじゃく)でした。

お母さんが右に行けと言えば
左に行き、
前に行きなさいと言えば
後ろに行ってしまいます。

いつも親が言うこととは全く
正反対のことをするのです。

あまりにも言うことを聞かない息子を心配して、
お母さんは病弱になりました。

自分の命は長くないことを悟り、
お母さんは息子に言いました。

「おいお前。
お母さんが死んだら
墓を作っておくれ。
決して山の上に作らないんだよ。
お母さんの墓は
川岸に作って欲しいんだ」

天邪鬼な息子は、川に墓を作ってほしいと言えば、
山の上に作ってくれると思ったからでした。

そして、お母さんは死にました。
子供のカエルはお母さんの墓を作りました。

どこに作ったのでしょうか。
お母さんの遺言通り、
川のすぐ近くに墓を作ったのです。

それで、雨が降ると、
川辺の墓が流されるのではないか、
それでアマガエルは「ケロケロ」泣く、
そのような話です。

お母さんは、息子のことを
最後まで心配しました。
「天邪鬼な息子だから、
私が川岸に墓を作れと言ったら、
きっと山の上に墓を作ってくれるに違いない」
そう思いました。

しかし、息子は違いました。
心から自分の姿を悔い改めました。

「自分は親不孝だった。
お母さんの言うことにいつも反発してきた。
本当に申し訳ない。
今度こそ、お母さんの言うことに従おう」
それで、お母さんの言うとおり、
本当に川辺に墓を作ったのでした。


聖和祝祭のミュージカルは、
この物語の内容とは違いますが、
韓国では、カエルと言えば
この親孝行のカエルを連想するのでしょう。

お母様の発案なのか、どなたかの創作なのか、
詳しいことはわからないのですが、
ただ、歌詞の内容を見ると、
やはり、孝に関することだと思います。


古い家をあげるから新しい家をちょうだいな。
家を建ててあげるから水をくんできておくれ
入って来なさい。

家ができたら何をする?
子供たちだけで暮らせるの?
親が居なくて暮らせる?

毒を持った蛇がいるんだけど。
毒を吐いて毒蛇と闘うヒキガエルがいるんだ。
結局食べられてしまうんだけど、
残しておいた毒を蛇のお腹で吐いて、
毒蛇も殺してしまうんだ。

そうするとヒキガエルのお腹の中の卵が
お母さんと蛇をエサにして、
健康な赤ちゃんヒキガエルになるんだ。
私たちのように。

古い家はお母さんヒキガエル。
新しい家は赤ちゃんヒキガエルになるんだ。
お母さんだから。。。


童話の内容と
今回のミュージカルの内容を通して、
私たちは親の愛、真の父母様の愛の中で生かされ、
真の父母様の犠牲の道によって、
守られ、愛された者である、
ということを改めて感じるのです。

最後、盲人役の男性の歌詞も
とても胸に迫るものがありました。

真の父母様の映像をバックに、
素晴らしい演奏と歌声、現場の雰囲気、
その時の感動にはほど遠いかもしれませんが、
歌詞を書き起こしましたので、
真の父母様を思いつつ、読んでくださればと思います。


この煩わしい世界に出会って
君はどんな希望を持つの?
富と栄華を手に入れれば、
希望があるのだろうか

青い空
明るい月の下
じっくりと考えてみると
世の中のすべては
はかない春の夢のようだ

 (女性主役の独白)
 月が明るいですね
 笑っておられますよね?
 明るく
 いつも一緒だということは
 わかっているけれど
 私はこの月明かりが好きです
 世界を抱く明るい月明かりが
 こうして踊りを踊ります
 月明かりの下
 愛を抱きながら

富と栄華を手に入れても
春の園の上での夢のようで
100年生きたとしても
朝には霧がかかる

物質の名誉に心を奪われ
本分を忘れた中心性に
真の父母様を忘れるなら
希望はあるのだろうか

この煩わしい世界に出会って
君はどんな希望を持つの?
真の父母様を忘れるなら
希望はあるのだろうか
希望はあるのだろうか


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posted by ten1ko2 at 12:00 | Comment(1) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
「エデンの園で二人が神様と一つとなれず神様を裏切ったために僕となりました。

ですから二人が完全に一つとなって初めて復帰が始まります。

それが何かと言うと、「小羊の婚宴」です。聖書を見ると小羊の婚宴の日の事が出てきます。

その小羊の婚宴の日というのは、二人が神様の愛を中心として初めて一つとなる、すなわち一つに結ばれる日です。

またその日は永遠に祝すことの出来る日なので、万民はその日を待ち望んで来たのです。

ですから、摂理の目的もそこに、人類の歴史もそこに、宗教の目的もそこに行って終結するのです。」真の父母と神の家庭p589
Posted by 小羊の婚宴 at 2018年09月15日 06:11
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