2018年10月06日

悪い人に悪いと指摘してはいけない?! お父様の場合は 《金元弼先生》



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今月は、解放と祝福の月です。
教会長から、そのような話を伺った時、
お父様の過去の路程が浮かんできました。

やはり、お父様がお若いころの証し、といったら、
お父様と長年歩んでこられた金元弼先生ではないでしょうか。。。

改めてお父様を慕うべく、
印象に残った証しを再度紹介したいと思います。

その中でも一押しの証しです。


(文先生が)興南刑務所におられるとき、
囚人の中で殴ったり苦しめる問題の囚人がいました。

誰もが『この人がいなければいいのに』
と思いながらそのまま過ごさざるを得ませんでした。

文先生に解決の道を求めましたので、
先生は一度忠告をしていかれました。

しかし、先生はその後、祈ることが出来なくなりました。
暗黒の中をさまようような一週間が過ぎて、
一週間たって初めてお祈りができたといいます。

なぜ、暗黒のような日を過ごさないといけなかったのでしょうか。

実はこの悪い囚人は本当に悪いのですが、
『神の前の私』という観点で見ないといけないというのです。

「神様、私はあなたの前で、
このように善くない者です」
と自分を省みないといけないのだといいます。

「神様は、このような者を許して、
愛して、また信じて導いてくださる」
という感謝の心を持たないといかないのです。

なので、どろぼうをした者がどろぼうに対して、
「お前、どろぼうするな」
と言えないのです。

ですから、文先生は
一週間真っ暗になったというのです。


文先生はアメリカに来られて、
国を挙げて反対する姿を見た時、
次のように考えられました。

『私が、一九六四年に、
早く来ていればこんなことはなかったのに、
遅れて来たからこういう目に遭っている』

このような観点で見るとき、
私たちが、メンバーの悪口を言ったり、
リーダーの悪口を言ったり、
さらには夫婦において妻や夫の悪口をいうのは、
いったいどうなのかというのです。

人の悪口を言うのは、
神様に対して、真の親に対して、
「私はこんなに悪い者です」
と言うのと同じだというのです。



お父様のこの証しを読んで、
聖書の一節を思い出しました。

罪を犯した女に、群衆が石を投げつけようとしたとき、
イエス様はこのように言われました。

「あなたがたの中で罪のない者が、
まずこの女に石を投げつけるがよい」
そして、年老いた者から去っていき、
だれもいなくなったのでした。

私たちは堕落性があるので、
すぐに人の批判をし、相手の堕落性を指摘します。
本当に人の粗探しをすることは得意ですよね。。。
しかし、自分も五十歩百歩だというのです。

ましてや、お父様のような人が、
悪い男を裁くことができないとすれば、
私たちのような者たちは、何も言うことができません。

元弼先生が指摘されたように、
『神様の前の私』を意識する生活を
心掛けないといけないな、と
昨日もちょっとしたことがあり、反省しきりなのですが
悔い改めて、再出発していきたいと思います。






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posted by ten1ko2 at 08:10 | Comment(0) | 信仰生活・信仰講座・礼拝説教 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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