2019年12月04日

怒りはなくならないのか?! 創造本性と堕落性はどう違う 《大知先生 心理学》



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ニジェール祝福式☆


大知(おおとも)先生の「氏族伝道の心理学」
先回の『創造本性と堕落性』の続きです。


きれいな人間(完成人間)になるためには、
心の中の捨てるべきごみ(堕落性)と
残しておくべきもの(創造本性)をきちんと区別しなければなりません。

悲しいことですが、「統一原理」を学んでも、
実際の堕落人間は、あまりにも堕落性にまみれているので、
自分自身の創造本性と堕落性の区別がつかなくなってしまっています。


では、簡単なことから始めていきましょう。
まず、「不安」と「怒り」をなくしましょう。
これならシンプルでわかりやすいと思います。

もっとシンプルにしましょう。
大母様が掲げた「天国に行くための条件生活」の第一項、
「絶対に怒ってはいけない」を実行することから始めてみてください。
これならば、誰にもわかることですね。

しかし、理解することは簡単ですが、実行するのは難しいことです。
怒りは、どこからともなく湧いてきます。

妻の顔を見ると、夫の顔を見ると、子供たちの様子を見ていると、
ちょっとしたことで怒りが湧いてきます。


ちなみに、私は、この成約牧会カウンセリングの内容を、
教会員以外の人にも話をしています。
大学の授業の中で講義もしましたし、いろいろな企業や教育委員会など、
様々なところから講演を頼まれたときも、
成約牧会カウンセリングの内容の講演をすることが多くあります。

つまり成約牧会カウンセリングの外向けバージョンということです。

外向けですから、アダムとエバとか、
堕落の動機と経路とか、神様や真の父母様の話はしません。

心の病や問題の背景には、不安と怒りがあり、
それは自己評価の低さに由来し、
その背景には自尊感情のあり方の問題があること、
そして自尊感情の低さは親子関係に由来していること、などです。

そして、教会員の方に言うのと同じように、
「怒らないようにしましょう」と伝えます。

成約牧会カウンセリングの心の構造についての説明は、
教会員でなくても理解できます。
自分の情の構造を見れば、そのようになっているからです。

しかし、「怒らない」というのは、やはり難しいことです。
ある学生は、次のように言いました。
「怒りはなくならないと思います。怒りは本能だと思います」。

怒りが本能である、という考え方は、心理学の中にある考え方です。
そしてこうした考え方は、一概に間違っているとは言えません。


『原理講論』には、次のように書かれています。

天使が神に反逆して、エバと血縁関係を結んだとき、
偶発的に生じたすべての性稟(せいひん)を、エバはそのまま継承したのであり、
こうして天使長の立場に置かれるようになったエバと、
再び血統的関係を結んだアダムも、またこの性稟を受け継ぐようになった。

そして、この性稟が、堕落人間の
すべての堕落性を誘発する根本的な性稟となってしまったのである。
これを堕落性本性という
(『原理講論』122ページ)


ご承知のように、これは四つあり、
@神と同じ立場に立てない(ねたみ嫌う)、
A自己の位置を離れる(不義な感情で自己の分限を離れる)、
B主管性を転倒(逆主管)、
C犯罪行為の繁殖です。

このように、堕落人間にとって、堕落性を誘発する「堕落性本性」があり、
これは本能と言ってもよいほど、私たちの中に深く根を下ろしています。
ですから、堕落人間が
堕落性を自分自身で解決することは、極めて難しいのです。

このように考えていくと、怒りを本能だと言った学生は、
あながち間違っているとは言えないのだと思います。


『原理講論』の「創造原理」に、次のように記されています。

本来、「人間の心はその作用において知情意の三機能を発揮する。
神はどこまでも、人間の心の主体であるので知情意の主体でもある」と。

ところが堕落によって知情意は本然の姿を失い、いびつなものになった。
そして、堕落人間の生活環境の影響により、世代を重ねることで、
ますます打撃を受け続けてきたと考えられます。

したがって、正確には、不安や怒りは堕落性自体ではありませんが、
密接に関係し影響し合って起こる心の問題として、
堕落性同様、私たちが越えていくべき課題ですから、
ここでは堕落性と同じように考えていこうと思います。

堕落人間においては、どんなに修養を積んだとしても、
堕落性を脱ぐことは極めて困難です。

私たちの中にある究極の不安は、神様から離れてしまったという不安でしょう。
哲学で言う実存的不安というのは、こうした神様から離れてしまった、
親から離れて孤独になってしまった人類が
根源的に抱えている不安のことを言うのだと思います。

一方、どんなに残虐非道なことをしても、創造本性がなくなることはありません。

私たちは神様から創造された存在であり、
創造本性は創造の際に神様から与えられたものですから、
たとえ堕落することによって神様から遠く離れたとしても、
創造本性は必ず私たちの中にあるものです。


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ところで、図2は、原罪をもっているときに当てはまる内容です。

祝福家庭は、真の父母様の祝福により、原罪を清算されました。
そして、神様との親子の関係が回復されたのです。
ですから、祝福を受けた祝福家庭のメンバーは、二世も含め、
図3のようになっているはずです。

この図は、祝福を受け、原罪が清算されることにより、
堕落性は本性ではなくなり、私たちが神様との関係を回復していく中で、
なくしていくことができるものとなっているのです。

祝福を受けて図3のようになっているとすれば、
堕落性に対するエネルギーの供給源はなくなっているはずです。

その一方で、私たちは真の父母様からたくさんのみ言(ことば)を頂き、
み旨を実践しています。
ですから、時間がたてばたつほど、堕落性は自然と立ち枯れるようになり、
創造本性はエネルギーをもらって大きくなっていくはずです。

そして、最後は、堕落性が消滅して、
私たちは創造本性だけの存在、すなわち完成した人間になれるはずです。


では、現実の祝福家庭の姿は、どのようなものでしょうか。
もちろん、時間の経過とともに、堕落性が減少し、
完成に向かっている家庭もたくさんあると思います。

しかし一方では、時間の経過とともに家庭の中の不安と怒りが増大し、
身動きが取れなくなっている祝福家庭もあります。

そうした問題を抱える多くの家庭が、家庭を出発した時より
現在のほうが問題がひどくなっている、と言います。

また、二世による家庭内暴力という例もあります。
当然ですが、そうした二世も生まれた時から暴力的だったわけではなく、
様々な環境的な要因の中でストレスをため込み、暴力へとつながっていったのです。

原罪を清算され、サタンとの血統的な因縁がなくなった
祝福家庭の中の不安と怒りが、なぜ減少していかないのでしょうか。

大知 勇治・著
(光言社・刊『成約時代の牧会カウンセリング 氏族伝道の心理学』より)
第3章 氏族的メシヤ勝利と心の問題解決
創造本性と堕落性




怒りをなくす、ということ。
大知先生がおっしゃられるように、
口で言うのは簡単ですが、
克服するのは本当に大変です。。。

祝福家庭は、「堕落性はなくしていくことができる」
そのように語られています。
本来ならば、そのようになっているのに、
実際にはいろいろな問題がある、ということです。

「あなたたちは祝福家庭なのに、何だ!」
そうご指摘をする人もいるかもしれません。

次回、先生がなぜ難しいのか、
その理由、また解決案を話してくださるので、
楽しみにしたいと思います。






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posted by ten1ko2 at 10:07 | Comment(0) | 信仰生活・信仰講座・礼拝説教 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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