浅川 勇男先生の
「『平和の母』に見る10大奇跡」より、
今日は、
「第2奇跡〜北朝鮮脱出と朝鮮戦争危機回避」です。
奇跡の連続の、北からの脱出劇、
さらに2年後、韓国動乱が勃発し、
ソウルからも逃れなければなりませんでした。
☆
サタンは、(数え)6歳まで
神の独り娘(韓鶴子総裁)を殺害できませんでしたが、
北朝鮮に拘束さえしていれば、
いつでも殺害蹂躙(じゅうりん)することができました。
この期間は、独り娘の命を巡る神とサタンの
壮絶で激しい戦いの分水嶺であり、
一瞬一瞬が生死の岐路を分かつ奇跡の連続でした。
祖母(趙元模)は南に行くことを決断します。
祖母の息子(韓鶴子総裁にとっては叔父)が南の軍隊にいたからです。
「天は叔父に対する祖母の切実な思いを通して、
私たちが出発できるように役事(やくじ)されたのです」
(韓鶴子総裁自叙伝『人類の涙をぬぐう平和の母』77ページ)
☆
(1948年秋、)祖母、母(洪順愛)、娘の三人は、
200キロメートルを超える道のりを、
千辛万苦して38度線にたどり着きます。
しかし、北朝鮮軍に拘束されました。
万事休す。
サタンにとって、最後の北朝鮮内での拘束のチャンスです。
救われる可能性は皆無。
しかし奇跡が起こりました。
寒さと空腹で苦しむ歩哨に、
6歳(満5歳)の女の子が食物を分け与えたのです。
生死を分かつ死線の中で、怨讐への愛が道を開きました。
「故郷に帰れと言って、人民軍が
私たち三人を解放してくれました」
(同、78ページ)
☆
38度線を超えましたが、新たなる死の危険が迫っていました。
もしそこで、北朝鮮の歌を歌ったら、
瞬時に南の軍隊に銃撃されていたでしょう。
しかしこの時、「南の歌」を歌ったのです。
「もし、私が歌を歌っていなければ、北の人民軍と誤解され、
その場で銃弾を浴びて命を落としていたでしょう」
(同、79ページ)
その後、ソウルで奇跡的に叔父と出会えました。
☆
1950年6月25日、サタンは、あたかも独り娘の殺害のために
一挙に南に進攻しました。
またもや、危険にさらされたのです。
(6月27日夜)
住居から避難しますが、そのまま漢江大橋を渡っていたら、
命を失っていたでしょう。
その時です。
「私はふと何かを感じるものがあり、
祖母の服の裾を引っ張りました。
祖母は足を止めたのを見て、母がいぶかしげに尋ねました」
(同、82ページ)
祖母は来た道を振り返り、息子(叔父)が
「来るかもしれない」と言い、戻ることにしたのです。
叔父は家に迎えにきました。
軍隊の通行証をもっていたので、早く橋を渡れたのです。
その直後、橋は爆破されました。
「わずか数メートルの差で、
生と死が分かたれた瞬間でした」
(同、84ページ)
サタンは、独り娘の命をわずかの差で逸したのです。
祖母のひらめきが奇跡的に道を開いたのです。
☆
「私は幼い年でしたが、戦争の残酷さを直接目撃し、
悲惨な避難民の生活を経験しました。
純朴な人々がまるで虫けらのように死んでいき、
親を失った子供たちが泣き叫びながら街頭をさまよっていました。
私は数えで八歳にして、戦争は地上から
永遠に消えさらなければならないという思いを強く持ちました」
(同、85ページ)
編集・文責:ten1ko2
(年月日、年齢について括弧書きで加えました)
編集・文責:ten1ko2
(年月日、年齢について括弧書きで加えました)
『平和の母』に見る10大奇跡 2
第2奇跡〜北朝鮮脱出と朝鮮戦争危機回避
浅川 勇男
第2奇跡〜北朝鮮脱出と朝鮮戦争危機回避
浅川 勇男
☆
まさに「奇跡の生還」ですね。
感想文にも書いたのですが、
韓国動乱(朝鮮戦争)において、お父様は興南監獄から
奇跡的に解放され、生還することができましたが、
真のお母様も北朝鮮から韓国に、
奇跡的に逃れることができたのですね。
お父様の場合は、
興南監獄で12名の基台を立てた、
その土台で霊的に守られましたが、
お母様の場合は、
母と祖母、お母様ご自身、
三代にわたっての信仰によって
守られたのだと思います。
そういう意味で、
韓国動乱は、真の父母のための
聖戦であったといえるのではないか、と思います。
お母様の自叙伝にも、
参戦した国々の兵士たちを集めて、
リトルエンジェルスの公演をして、
慰労した記述がありますが、
受けた恩を忘れない、御父母様なのだと思うのです。
※ このブログは、
あくまでも個人の意志に基づいて、書いているものであり、
教会本部の意向とは直接関係がありません。
過去においても、今後においても
全ての責任は私自身に帰属するものであります。
さらに、当ブログの記事に対して
曲解や悪用ととれる引用、
無断転載はお断りいたします。
(善なる目的で使用することに関しては
その限りではありません)
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