2020年08月17日

(証し)徹夜でみ言を語られ、お父様のお体は… 6500双裏話 《史吉子先生》後半



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6500双のカップルにみ言を語られる文鮮明師☆


史吉子(サ キルジャ)先生「原理に関するみ言の証」より
『殉教を覚悟して語られるお父様』後半です。

「み言を語っている途中、倒れて殉教すること」
これが真のお父様の願いの一つだということですが──
壮絶な証しです。


私は一度、心の中で慟哭したことがあります。

1988年に龍仁にある一和のメッコールエ場で挙行された、
6500双の祝福式の時でした。

私が前にも言いましたが、日本の食囗たちの中でも
既成家庭の方たちが精誠をたくさん尽くします。
この既成家庭の約250双が祝福を受けに来る日でした。
女性たちは反対する夫を説得するか、半強制で連れて来る途中でした。

この方たちが、夕方7時頃に到着すると連絡が来ました。
ですから、お父様はこの方たちが到着した後に食べると言われながら、
夕食を召し上がりませんでした。
既に約婚した韓国の祝福対象者たちにずっとみ言を語られながら、
食事をされませんでした。
ところが夕方7時が過ぎても、彼らは来ませんでした。

その既成家庭が翌日の早朝5時頃に到着するまで、
お父様は彼らを待つために、み言を継続して語られながら夜を明かされました。
お父様は寝ないようにと、み言を継続して語られたのです。

遂に日本の既成祝福予備家庭の人たちが到着すると、
彼らを講堂に集めておいて、
二家庭ずつを壇上に上がらせ、代表祝祷をなさった後、
協会長に代わりに祝福式を主導するように指示されました。


その当時、私はお父様の指圧を担当していて、
どこであっても少し眠っておかなければならなかったので、
講堂の一隅でうずくまって寝ていたようです。

急にお母様が、「吉子(キルジャ)!早くこちらに来なさい!」と
大声で呼ばれて、急いで駆けつけました。

お部屋に行ってみると、お父様はみ言を語られるために、
ずっと立っておられたので、足がどれだけ固くなっていたのか、
座ろうとしても曲がりませんでした。

お父様はあまりにも血が足に集まって自然に座ることができずに
まるで枯れ木が倒れるようにその大きな体が
「どん」と音をたてながら、横に倒れました。

本来(の担当として)、尹(ユン)と言う、
お父様に指圧をして差し上げる人がいました。
彼は先ず上半身部分を指圧して、私は足を揉んで差し上げました。

ところで足を指で押すのですが、どれだけ固くなっていたのか、
押すことができませんでした。
その時は本当に慟哭しそうになりましたが、
必死にその思いを押さえました。

お父様の足は角材のように固くなって、
指では指圧ができませんでした。
仕方無く、痛いでしょうが、肘でして差し上げました。
それでもよく押せませんでした。

本当に息も止まりそうな瞬間でした。
お母様もどうして良いのかわからない様子でした。
お父様の全身が固くなっていたからです。

私は大きな危機意識を感じました。
なぜならば、既にアメリカで一度、経験していたからです。


(米国で)その日も、お父様は12時間も立ってお話されました。
お父様は毎日、強行軍をされて足が麻痺状態になっているのに、
ものともされませんでした。

その日の夜、お母様と一緒に寝室で休まれました。
お父様は眠っている途中、トイレに行くために起きられました。 
トイレはどこかと言うと、寝室を過ぎると
お父様の書斎があり、トイレはその隣です。

お父様は辛うじて寝室を通って書斎に行かれましたが、
足が固くなってそのまま倒れたそうです。
完全に感覚が無かったそうです。
お父様は、「私はこのまま霊界に行くかもしれない。」と思われそうです。

暫くの間、気を失って倒れておられてから、
「だめだ。逝ってはいけない。」と思いながら気を取り戻されたそうです。

お父様が、足が固くなって倒れるくらいになっているのなら、
手足に麻痺状態が来ていると言うことではないでしょうか?

この時、お父様が足に、「足よ!もう一度立ち上がって欲しい。
お前がもう一度立ち上がって私の体を支えてくれるなら、
私か天国へ行く時、おまえもついて行けるじゃないか?」
と説教なさったそうです。

その程度なら、足だけが固いのではなくて、全身が固くなっているのです。
お父様は普段、鍛錬された体力と意志力を総動員して揉まれたので、
暫くしたら血が巡って来たそうです。
ですから、どれだけ深刻な状況だったでしょうか?


この話を、お父様から直接お聞きしました。
私がこのような話をお父様から聞いていた上、
直接、その光景を目撃したのですから、どれだけ驚いたと思いますか? 

しかし、私が驚いたことはそうだとしても、
お母様は更にどれだけ驚かれたでしょうか?
皆さんも一度、想像してみてください。

私はどれだけ怖かったかわかりません。
お父様の心臓が止まったのではないかと思うくらいでしたが、
到底申し訳無くて、胸に当てて確認してみることができず、
本当にもどかしかったです。

尹と私は、角材のように固くなったお父様の足を指圧しながら、
思う存分泣きたかったのですが、泣くこともできませんでした。
お父様とお母様が横にいらっしゃるのに泣くこともできず、
張り裂けそうな胸を辛うじて押え付けていました。


いつか、お父様がみ言を語られている途中に急にばたんと倒れて
逝ってしまうと言われたのですが、こんなことが何度か更に有れば、
本当にそうなるのではないかという心配をしたりしました。

このようにお父様の体が、言葉では言い表せないくらいに、大変です。
私たちが思う時、お父様はメシヤであられるから、
特別な体質を生まれつきに持っておられるから健康だろうと
思いやすいのですが、そうではありません。

お父様は、今も死力を尽くしてみ言を語っておられると言うことを
知らなければなりません。

お父様は、今から寝ようと思って緊張を緩めたら、
恐らく10年は寝ても眠りが足りないだろうとおっしゃいました。

一部割愛、編集 文責:ten1ko2

史吉子先生「原理に関するみ言の証」
第7章、復帰原理 緒論
『殉教を覚悟して語られるお父様』


肉体の限界の限界を超えて歩まれたお父様。。。
6500双の既成祝福は、
「神様から、するように言われていません」でした。
本来、行う予定ではなかったそうです。

しかし、急遽行うことになり、
日本の食口たちも突然行くことになって、
それで、到着するのが、遅くなりました。

お父様はずっと待っておられて、
朝方まで、み言を語られたのでした。

当時、その場におられた倉本先生の証しを
いつか書こうと思うのですが、
徹夜してみ言を語られたのは、
「蕩減条件を立てられた」ということです。

しかし、その背後に、
このように壮絶なエピソードがあったとは。。。

み言をまさに実践されたお父様でした。
肉体の限界を超えられたので、
「霊的には」殉教の道を行かれたのと
同じような条件を立てられたのではないでしょうか。

真のお母様も、また同じように
肉体の限界の限界を超えられながら
歩んでくださっています。

私たちのために、
このような道を歩んでくださる父母様、
本当に感謝しかありません。





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posted by ten1ko2 at 07:49 | Comment(0) | お父様・お母様の路程 証し | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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