史吉子(サ キルジャ)先生「原理に関するみ言の証」より
『殉教を覚悟して語られるお父様』後半です。
「み言を語っている途中、倒れて殉教すること」
これが真のお父様の願いの一つだということですが──
壮絶な証しです。
☆
私は一度、心の中で慟哭したことがあります。
1988年に龍仁にある一和のメッコールエ場で挙行された、
6500双の祝福式の時でした。
私が前にも言いましたが、日本の食囗たちの中でも
既成家庭の方たちが精誠をたくさん尽くします。
この既成家庭の約250双が祝福を受けに来る日でした。
女性たちは反対する夫を説得するか、半強制で連れて来る途中でした。
この方たちが、夕方7時頃に到着すると連絡が来ました。
ですから、お父様はこの方たちが到着した後に食べると言われながら、
夕食を召し上がりませんでした。
既に約婚した韓国の祝福対象者たちにずっとみ言を語られながら、
食事をされませんでした。
ところが夕方7時が過ぎても、彼らは来ませんでした。
その既成家庭が翌日の早朝5時頃に到着するまで、
お父様は彼らを待つために、み言を継続して語られながら夜を明かされました。
お父様は寝ないようにと、み言を継続して語られたのです。
遂に日本の既成祝福予備家庭の人たちが到着すると、
彼らを講堂に集めておいて、
二家庭ずつを壇上に上がらせ、代表祝祷をなさった後、
協会長に代わりに祝福式を主導するように指示されました。
☆
その当時、私はお父様の指圧を担当していて、
どこであっても少し眠っておかなければならなかったので、
講堂の一隅でうずくまって寝ていたようです。
急にお母様が、「吉子(キルジャ)!早くこちらに来なさい!」と
大声で呼ばれて、急いで駆けつけました。
お部屋に行ってみると、お父様はみ言を語られるために、
ずっと立っておられたので、足がどれだけ固くなっていたのか、
座ろうとしても曲がりませんでした。
お父様はあまりにも血が足に集まって自然に座ることができずに
まるで枯れ木が倒れるようにその大きな体が
「どん」と音をたてながら、横に倒れました。
本来(の担当として)、尹(ユン)と言う、
お父様に指圧をして差し上げる人がいました。
彼は先ず上半身部分を指圧して、私は足を揉んで差し上げました。
ところで足を指で押すのですが、どれだけ固くなっていたのか、
押すことができませんでした。
その時は本当に慟哭しそうになりましたが、
必死にその思いを押さえました。
お父様の足は角材のように固くなって、
指では指圧ができませんでした。
仕方無く、痛いでしょうが、肘でして差し上げました。
それでもよく押せませんでした。
本当に息も止まりそうな瞬間でした。
お母様もどうして良いのかわからない様子でした。
お父様の全身が固くなっていたからです。
私は大きな危機意識を感じました。
なぜならば、既にアメリカで一度、経験していたからです。
☆
(米国で)その日も、お父様は12時間も立ってお話されました。
お父様は毎日、強行軍をされて足が麻痺状態になっているのに、
ものともされませんでした。
その日の夜、お母様と一緒に寝室で休まれました。
お父様は眠っている途中、トイレに行くために起きられました。
トイレはどこかと言うと、寝室を過ぎると
お父様の書斎があり、トイレはその隣です。
お父様は辛うじて寝室を通って書斎に行かれましたが、
足が固くなってそのまま倒れたそうです。
完全に感覚が無かったそうです。
お父様は、「私はこのまま霊界に行くかもしれない。」と思われそうです。
暫くの間、気を失って倒れておられてから、
「だめだ。逝ってはいけない。」と思いながら気を取り戻されたそうです。
お父様が、足が固くなって倒れるくらいになっているのなら、
手足に麻痺状態が来ていると言うことではないでしょうか?
この時、お父様が足に、「足よ!もう一度立ち上がって欲しい。
お前がもう一度立ち上がって私の体を支えてくれるなら、
私か天国へ行く時、おまえもついて行けるじゃないか?」
と説教なさったそうです。
その程度なら、足だけが固いのではなくて、全身が固くなっているのです。
お父様は普段、鍛錬された体力と意志力を総動員して揉まれたので、
暫くしたら血が巡って来たそうです。
ですから、どれだけ深刻な状況だったでしょうか?
☆
この話を、お父様から直接お聞きしました。
私がこのような話をお父様から聞いていた上、
直接、その光景を目撃したのですから、どれだけ驚いたと思いますか?
しかし、私が驚いたことはそうだとしても、
お母様は更にどれだけ驚かれたでしょうか?
皆さんも一度、想像してみてください。
私はどれだけ怖かったかわかりません。
お父様の心臓が止まったのではないかと思うくらいでしたが、
到底申し訳無くて、胸に当てて確認してみることができず、
本当にもどかしかったです。
尹と私は、角材のように固くなったお父様の足を指圧しながら、
思う存分泣きたかったのですが、泣くこともできませんでした。
お父様とお母様が横にいらっしゃるのに泣くこともできず、
張り裂けそうな胸を辛うじて押え付けていました。
☆
いつか、お父様がみ言を語られている途中に急にばたんと倒れて
逝ってしまうと言われたのですが、こんなことが何度か更に有れば、
本当にそうなるのではないかという心配をしたりしました。
このようにお父様の体が、言葉では言い表せないくらいに、大変です。
私たちが思う時、お父様はメシヤであられるから、
特別な体質を生まれつきに持っておられるから健康だろうと
思いやすいのですが、そうではありません。
お父様は、今も死力を尽くしてみ言を語っておられると言うことを
知らなければなりません。
お父様は、今から寝ようと思って緊張を緩めたら、
恐らく10年は寝ても眠りが足りないだろうとおっしゃいました。
一部割愛、編集 文責:ten1ko2
史吉子先生「原理に関するみ言の証」
第7章、復帰原理 緒論
『殉教を覚悟して語られるお父様』
史吉子先生「原理に関するみ言の証」
第7章、復帰原理 緒論
『殉教を覚悟して語られるお父様』
☆
肉体の限界の限界を超えて歩まれたお父様。。。
6500双の既成祝福は、
「神様から、するように言われていません」でした。
本来、行う予定ではなかったそうです。
しかし、急遽行うことになり、
日本の食口たちも突然行くことになって、
それで、到着するのが、遅くなりました。
お父様はずっと待っておられて、
朝方まで、み言を語られたのでした。
当時、その場におられた倉本先生の証しを
いつか書こうと思うのですが、
徹夜してみ言を語られたのは、
「蕩減条件を立てられた」ということです。
しかし、その背後に、
このように壮絶なエピソードがあったとは。。。
み言をまさに実践されたお父様でした。
肉体の限界を超えられたので、
「霊的には」殉教の道を行かれたのと
同じような条件を立てられたのではないでしょうか。
真のお母様も、また同じように
肉体の限界の限界を超えられながら
歩んでくださっています。
私たちのために、
このような道を歩んでくださる父母様、
本当に感謝しかありません。
※ このブログは、
あくまでも個人の意志に基づいて、書いているものであり、
教会本部の意向とは直接関係がありません。
過去においても、今後においても
全ての責任は私自身に帰属するものであります。
さらに、当ブログの記事に対して
曲解や悪用ととれる引用、
無断転載はお断りいたします。
(善なる目的で使用することに関しては
その限りではありません)
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