2020年11月26日

いかに位置を守るか・・それでも私は神の子です! 《李ヨハネ先生「信仰と生活」》



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李ヨハネ先生の信仰と生活。
今回は、「自分の位置」です。


堕落した人間に、「あなたはサタンの息子ですか」
と言ったなら、とても怒るのです。

「ではあなたは神の子ですか」と言うと、
「それもどうかな」と言うのです。

では「あなたはだれですか」と聞くと、
自分の位置をはっきり答えられないのが、
堕落した人間の良心です。

しかし、そこがあいまいではっきりしていなくても、
神の立場を分かった信仰者においては、
自分がだれのものかということは、
自然に決まってくるのです。

その主体者が決まっているから、
自分の位置も同時に決まるのです。
その自分の位置をいつも聖別して、
いかに守っていくか、
そこに人格という問題が出てくるのです。

 
イエス様が胸の中に秘密としていたのは、
「自分は一人息子である」ということです。

それは、たとえ悔しいことがあっても、
いくら木の下に寝転んでいても、
また、乞食の格好をしていても、心の中では、
自分は神の一人息子であるというその位置を、
一生涯、十字架につけられるまで、
一度も変えたことがないのです。

いわゆる、信仰貞操です。


その位置を変えてしまうと、人格的にも崩れるし、
平面的にも人間関係が混線してしまうのです。

自分の位置うんぬんというのは、
一面を見ると傲慢なようですが、
ここを間違ってはいけないのです。

例えば、映画館とか、とにかく大勢の中に自分一人がいた時、
自分はどの位置でこういう所に来ているのかということです。

こういうサタンの世の中で、自分は神の子だという信念とか、
自分の立つべき位置を持続している信仰をもった人に対して、
神はとても感謝するのです。

だから神も、人間に恵まれなくてはならないのです。


イエス様においては、いくら蔑視されても、
その心では自分は一人息子だという思いが
かえって強くなるのです。

しかし私たちは、悲しい立場に置かれると、
だんだんと自分の位置を疑う人が増えてくるのです。

もうどうにもならない立場になると、本当に
神が一緒にいてくれるかどうか、疑ってしまうのです。
自分の位置を、自分が疑うのです。

そういう神との関係がない時にこそ、
自分の位置を守って、神から干渉がなくても、
神の息子だという、その責任をもっている者に対しては、
サタンも頭を下げるのです。

イエス様は、それを私たちに見せてくださったのです。

私たちが信仰しているうちは、
「いつもうれしい」と言っていいのですが、
神から捨てられる時、また、捕まえてくださる時と、
こういう波があり、私たちも
波のように成長していくのですから、
その時どういう実績を残すか、
どういう蕩減条件を立てるか、
これが神と私たちとの関係になるのです。



自己牧会プログラムを実践していくと、
本心が啓発されていきます。

与えられた現象、目に見えるものは、
同じだったとしても、
どのように捉えることができるのか、
それが重要になってきます。

ですから、ヨハネ先生が語られているように、
神の子である、という位置をしっかり守ること、
本心を中心とした生活をしていくこと、
このことを常に意識していきたいと
改めて思うのです。






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posted by ten1ko2 at 10:42 | Comment(0) | 信仰生活・信仰講座・礼拝説教 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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