2021年01月17日

若き再臨主の「火のようなみ言」 神霊の役事で礼拝は大騒ぎ 《平壌開拓 元弼先生》



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金元弼先生の「伝統の源流」から、
平壌(ピョンヤン)時代の証しの3回目、
『火のようなみ言』を紹介します。


先生はその当時、先生を訪ねてくる人々に
テーブルに座って話してくださいました。

そのみ言はとても簡単明瞭でした。
創造、堕落、復帰原理という筋で、ポイントをついて
一、二時間で全部話してくださいました。

一緒に周りにいた人たちは、先生の言われることに
非常に感動してよく頭に入れ、うなずきながら聞いていますが、
私はその人たちのごとくはっきりと分かりません。
感動できません。

そこでどうして私はそうならないのかと、
先生のみ言を聞いて感動する隣の人に対して、
非常にうらやましく思いながら、
先生のみ言を聞いたことを記憶しています。

私はキリスト教の教理が何も分からず、
人生の問題に対する深刻な悩みを
特別にもったことがなかったからかもしれません。


私はその当時、先生のお年を聞こうとも考えなかったのですが、
お年が分かったのはそれから何年も経てからでした。
私には先生が若くは見えませんでした。

先生はこの世の人とも思えない本当に慈悲深い、
そういう平和のお方であると思いました。
心が先生にどんどん引かれたのは否定できません。
私は先生に会って非常に平和感を覚えました。

先生のみ言の一つ一つを熱心に書き付けておいて、
それを覚えるくらい何度も繰り返して読みました。

ただ一つ私の心から離れないのは、
先生が下さったそのみ言であり、
町を歩いてもどこを歩いても頭から離れないで
いつもいつも思い浮べました。


先生の周りにいる食口たちは、年を取っている人や若い人たちですが、
私の目にはすべての人が神様のごとく天使のごとく映りました。

そこで時間があれば教会を訪ね、「帰りなさい」と言われない限り、
いつまでも教会の中にいました。

もちろん私に帰りなさいという人はいませんが、
その当時は午前零時から通行禁止(戒厳令)になっていましたので、
自分で時間を見て帰らなければなりませんでした。

食口たちと一緒に、先生のみ言を通行禁止の時間になっても、
それを忘れて聞いていた時にはそのまま教会に一緒に寝ました。

食口たちは本当に道を求めてきた人たちでしたので、
通行禁止の時間が迫ってもなかなか教会を出ようとはしませんでした。


私がこのように先生の最初の牧会のことを話しているのは、
その時の先生の様子を共に皆様に想像してもらうためです。

皆さん、米国では男女が同じ部屋で話し、
いろいろな人が寝泊まりしていても何も言う人はいません。
けれども当時の韓国では、男女が夜遅くまで同じ所で、
たとえクリスチャンであっても、同じ場所で長く話し、
そこに寝泊まりするということは、本当に理解し難いことでした。

米国では壁と戸が全部屋にあって
隣の部屋に人がいても見ることができませんが、
韓国の家というのはそうなっていないので、
人々がいるのを見ることができるのです。

先生は、み言を与えることによって人々の生命が復活するのを願う
その一念に心掛けていますので、時間が遅くなっても、
人はどう見るだろうかということに気付かずにみ言を下さいました。


先生はみ言を語るにしても、お祈りをするにしても、
いつもいつも涙を流しておられました。

今、先生の年は中年を越えているのですが、
私たちの前でみ言を本当に大きな声で熱心に語ってくださいます。

二十六歳という若い時の先生が、
小さな部屋でどれくらい大きな声で熱心に語ってくださったか
想像するのに難しくないと思います。

先生はみ言を語り始めると、食口たちが用事があって立たない限り、
いつまでも語り続けられるのです。


また先生がお話しされる時に入神する人、予言する人、異言を語る人、
その異言を通訳する人もいました。

そのような雰囲気の中で、食口たちの大部分は火を受けるようになり、
ある人は肩から火が入ってくるのを感じました。
また、胸から火が入ってくるのを感じ、熱いながらも平和感を感じていました。

先生は公席ではお話をたくさんしてくださいますが、
私席においては絶対にみ言を語られないのです。

そして先生がみ言を語り始められますと神霊の役事が起こるのです。
そうなると声が大きくなり、その次には体がじっとしていられないのです。

過去には神の心情を知らなかった人が、神の心情を体恤するようになって、
悔い改めながら泣き、泣いた後は心からうれしくなって喜んで歌ったり、
踊ったりするので、礼拝は大騒ぎとなるのです。

火のようなみ言

信仰生活シリーズ 6
「伝統の源流 主と歩んだ教会創立以前の道」 
金元弼(1998年7月1日発行)
*『信仰と生活第二集伝統の生活化』を改題
I 平壌開拓から興南解放
第一章 平壌開拓の日々


残念ながらその当時のお写真はありませんが、
お父様がみ言を何時間も熱く語られる
その姿が浮かんでくるようです。

火のようなみ言を語られるお父様。
そして、集まった人たちが霊的な役事を受ける。。。
すごい光景だったことでしょう。

東洋のエルサレムと言われた平壌、
神霊的な雰囲気があったのかもしれませんし、
共産党の本拠地で、外は迫害の真っただ中だったわけですから、
天が霊的な役事をおこさざるを得なかったのかもしれません。

それでも、時代は違うとはいえ
み言は、普遍的なものですから、
今も切実にみ言を求めれば
そのような役事が現れるのでしょうか。

もっともっと切実な姿勢が必要なのか、
いろいろ考えさせられます。

そんな中、金元弼先生は、
食口たちが感動しているのに、
感動できなかったと語られています。

お父様の三弟子であられる金元弼先生であっても、
導かれた当初の18歳の頃は
み言がわからなかったのですね。

しかし、お父様のみ言を書き付け、覚えるくらいに読んで、
心からみ言が離れなくなった、というのは
心情がとても素直であり、
本当にお父様を慕っていたんだなと思います。

昔は、み言は書き付けておかなければ
記録されませんでしたが、
今は、み言が溢れている時代です。

だからこそ、私たちも、金元弼先生のように、
切実にみ言を求める姿勢が必要だ、と感じるのです。





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posted by ten1ko2 at 08:58 | Comment(0) | 草創期の証し(韓国・日本) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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