2021年03月31日

ダビデ王も、必死に悔い改めた?! 《奈田寿美子先生・悔い改め2》

反省、自覚してからが肝心、本当の悔い改めのためのステップ



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奈田先生の「父母と共なる生活」

サタンと決別して
神様の者となるためには、
「悔い改め」が必要だということ。

悔い改めの5つの段階、
今日は、2つめと3つめです。

四 悔い改め
(2)心の転換

さて、自分が醜い存在であることを
自覚してからが問題です。

それから、どのように心を転換していくかが大切なのです。

今までとは違った生き方をしなければ意味がありません。
自己中心だった考えが
神を中心としたものにならなければならないのです。


また、神を中心とするということはよく言われますが、
全体を中心としていくことも重要です。
そこで、自分の立場をはっきりさせていくことが必要です。

自分を中心としてものを見るということを遂にすれば、
神を中心にするということになります。

具体的には神の代身を中心にするという見方であり、
すなわち、全体を代表するという見方になります。

自分のことよりもまず全体を中心にして考える
というもののとらえ方、考え方を
しっかりと身につける必要があります。


それから、瞬間だけ、その場だけというのではなく、
時間を置いてみることも大切です。

その場で全部答えを出してしまわないで、
少し時間を取って考えてみるとか、永遠性をもって
考えるというように、見方を切り替えていくのです。

そのようになって初めて、告白という段階に至るのです。

(3)告白

告白というのは、「もう黙っていられない。
この嫌な自分をどうしたらいいのでしょう」
と言うようになることです。

その時の参考として、次に聖書の詩篇から
抜き書きしてみました。

「主よ、わたしの言葉に耳を傾け、
 わたしの嘆きに、み心をとめてください。
 わが王、わが神よ、
 わたしの叫びの声をお聞きください。
 わたしはあなたに祈っています」
(詩篇五篇1〜2節)



「主よ、いつまでなのですか。
 とこしえにわたしをお忘れになるのですか。

 いつまで、み顔をわたしに隠されるのですか。
 いつまで、わたしは魂に痛みを負い、ひねもす心に
 悲しみをいだかなければならないのですか。
 いつまで敵はわたしの上にあがめられるのですか。

 わが神、主よ、みそなわして、わたしに答え、
 わたしの目を明らかにしてください。

 さもないと、わたしは死の眠りに陥り、
 わたしの敵は『わたしは敵に勝った』と言い、
 わたしのあだは、わたしの動かされることによって喜ぶでしょう」

                             
(詩篇一三篇1〜4節)



これはいずれもダビデの作といわれるものです。
これらの告白は、ダビデのように王になった人までも、
このように神を求める姿勢があったということを物語っています。

罪に陥った者が、本当に謙遜に、
悲しみに暮れている姿が見られます。

人間はそういう姿に一度立たなければ、
神を迎えることができません。

神はそういう訴えの背後で、
「真実のお前の姿をどれほど探したか」
といつも叫んでおられるのです。

そのように、私たちは本当の意味で
神と邂逅する一瞬を迎えなければならないのです。


この告白にあたって注意すべきことは、
自分が罪人だという意識で落ち込むのではなく、
その意識を神の方に向けるということです。

「神様は本当にそういう心を待っていた。
そういうあなたを待っていたのだ」と、
告白を受けた者は
一緒に泣いてあげるぐらいでなければなりません。

そこで、神と結びつくことができて
本当によかったという実感がわき起こってくれば、
その一瞬で大きく転換されてくるのです。


罪ある者はどんなに悲しいかという例を
聖書の中から見いだし、人にも教えてあげるとよいと思います。

罪というものを悟ると、人間は本当に無力だ
ということが分かるようになります。

そういう状況にまでなって
祝福に至るのが正当だと思います。

奈田壽美子
「父母と共なる生活 
信仰生活の真髄をつかむ」 
第一章メシヤ観
四 悔い改め


人間というのは、自然の前に無力なのに、
万物をなりふり構わず主管する
身勝手な存在です。

創造主であり、人類の親なる
神様、天の父母様の存在を知ったなら、
神様の前に委ねざるを得ないし、
謙虚な心情を持つことができると思います。

真のお父様は、神の独り子である自覚を持ちつつも、
日本留学をされたころに、早稲田、高田馬場周辺を
「45度以上顔を上げて歩けなかった」といいます。

ご自身を罪ある人間と見立てて歩まれた、
真なる親としての深い心情を感じます。

私たちも神様の前に謙虚な心をもって
「より頼む」者になっていきたいと思います。





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posted by ten1ko2 at 07:23 | Comment(0) | 信仰生活・信仰講座・礼拝説教 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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