阿部先生の「家族の絆づくり」
今回は、『創造本性と堕落性本性は紙一重』です。
☆
二つの本性の分岐点は?
堕落は「神と同じ立場に立てない」
ということから始まりました。
言い換えれば、「神中心ではなく、
自己中心の動機を持つようになった」ということです。
このように動機は「神中心」と
「自己中心」という二つに大別することができます。
この「動機の善しあし」で人生が大きく左右されます。
創造本性でも自己中心になると堕落性本性になり、
堕落性本性のように見えても
神中心になると創造本性になります。
まさにこの二つは紙一重であると言えます。
☆
それって本当に堕落性本性?
「嫉妬心」を堕落性本性のように捉えがちですが、
『原理講論』には「創造本性から誘発されるところの、
不可避的な副産物であり」(122ページ)
と記されているように、創造本性から出てきた心です。
この「嫉妬心」は神中心の動機であれば、
「優れたものに憧れる心」
「優れたものを目指す向上心」になります。
しかし、自己中心の動機になると、
恵まれた人の「足を引っ張ろうとする心」や
「攻撃しようとする心」という堕落性本性に変わります。
☆
また、「自信と誇り」を持つことは
神の子女として大切な創造本性ですが、
自己中心になると自信過剰の「傲慢」になり、
過度に自己主張する「自己顕示欲」という
堕落性本性に変わります。
☆
堕落性本性の2番目の「自己の位置を離れる」
という堕落性本性の例えとして
「血気怒気」を挙げることがあります。
「怒り」は堕落性本性でしょうか。
義憤という正義のための怒り、愛のための怒り、
さらには防衛本能からの怒りなどは創造本性です。
『原理講論』では、
「神は…御自分の性相と形状のとおりに、
喜怒哀楽の感性をもつ人間を創造され、
それを見て楽しもうとされた」(64ページ)
と説明しているように、神にも怒りがあるということです。
しかし自己中心の動機になると、
相手を攻撃したり、裁いたり、要求する
「破壊の衝動の怒り」になり、
その瞬間、堕落性本性になります。
このように動機に敏感になり、
常に創造本性で生きていきたいものです。
家族の絆づくり 160
創造本性と堕落性本性は紙一重
ナビゲーター:阿部 美樹
(blessed lifeより)
創造本性と堕落性本性は紙一重
ナビゲーター:阿部 美樹
(blessed lifeより)
☆
私自身に起きる様々な感情も、
神中心か自己中心かによって
評価され、ふさわしい結果が
導き出される、ということになります。
思いが言葉になり、
言葉が行動になることを思うと、
どんな思いを持つかが重要です。
真の父母様は、ご自身の思いすべてを
「神中心」で歩んでこられました。
気がつけば自分の思いばかりになって、
神様のことはそっちのけで歩んで
しまいやすい私たちではありますが、
神中心の動機をもって、
創造本性で歩む、このことに常に
立ち返っていきたいと思うのです。
※ このブログは、
あくまでも個人の意志に基づいて、書いているものであり、
教会本部の意向とは直接関係がありません。
過去においても、今後においても
全ての責任は私自身に帰属するものであります。
さらに、当ブログの記事に対して
曲解や悪用ととれる引用、
無断転載はお断りいたします。
(善なる目的で使用することに関しては
その限りではありません)
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