李耀翰(リ ヨハネ/イ ヨハン)先生の「信仰と生活」より
「行う」です。
☆
「やれ」と命令された時には、やりたくなくてもやれば、
そのあとで何かが得られるのです。
神は絶対に私たちに何も与えないで、
強制したり、犠牲にしたりはしないのです。
何かを与えながら、生命的に授受しながら、
私たちを使っているのです。
だから殉教者たちは、殺される時にも、
神と交わりながら、苦しみの中にいながら、
苦しみを知らずに死んだのです。
また、全く新しい、何も知らない人に何かを手伝ってもらって、
働いたあとで「気持ちはどうか」と聞いてみると、
「何となく素晴らしい気がする」と言うのです。
なぜかというと、自分も知らずに、
善なるものに主管されていたからです。
何事によらず、情的に動かないと、自分が損をします。
例えて言えば、御飯を食べる時、
「どうも食べたくないけれども、今晩食べなかったら、
あすの朝までは腹が減るし、しようがないから食べてやろう」
と、嫌々食べたとしても、よく消化しないのです。
信仰も同じことです。
統一教会に献身はしたし、親も投げ出してきたんだから、
今さら帰るのは恥ずかしいし、どうにもならないから、
しようがなくついていくとすれば、それは信仰的な病人なのです。
そういう時には、ちょっと休みながら、
自分を反省しなくてはいけないのです。
1.牧会
「行う」
信仰生活シリーズ 5
心霊を育てる生活原則
「心情開拓」
李耀翰
(「信仰と生活 第一集 原理の生活化」増補、改編)
「行う」
信仰生活シリーズ 5
心霊を育てる生活原則
「心情開拓」
李耀翰
(「信仰と生活 第一集 原理の生活化」増補、改編)
☆
先日、北千葉教区で家庭教育局の蝶野部長をお迎えして
二世圏祝福父母セミナーがありました。
題目はまさに『初動と精誠』
蝶野部長は、このように語られていました。
「道が開けないのは、『何もしない』時だけ。
どんなに小さくても初動があれば、
そこから摂理が始まる」
「『0』か『1』である。
どんなに小さくても良い。
内外の条件で」
子供をどのように祝福に導くか、
事情は様々あれど、結局悩んでいるだけで、
精誠のために行動していない、
動けば、神様は必ず摂理してくださるのだ、
講座の中で、一番強調されていました。
ヨハネ先生のみ言とは、
また違う観点のお話ではありましたが、
やはり、実践、行動することが
とても重要なことであると思って、
紹介させていただきました。
※ このブログは、
あくまでも個人の意志に基づいて、書いているものであり、
教会本部の意向とは直接関係がありません。
過去においても、今後においても
全ての責任は私自身に帰属するものであります。
さらに、当ブログの記事に対して
曲解や悪用ととれる引用、
無断転載はお断りいたします。
(善なる目的で使用することに関しては
その限りではありません)
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