2022年01月05日

夫や子が頑固かどうかはどちらでもいい?! 続 神が働かない人・あるある 《蝶野部長*精誠篇》B



220105.jpg


神様が働こうとしても働けない、
そんな「私の思い」があるようです。

蝶野知徳(ちょうの とものり)本部家庭教育部長の
「精誠篇(せいせいへん)」の続きです。


3 私の思い:『この子は宗教を嫌ってるし…』

(「私の思い」の)3つ目、『この子は宗教を嫌ってるし…』
あのご主人は、宗教に抵抗なかったから上手くいったんだ
またこのようにして、条件付けをしてくるわけですね。

宗教を嫌ってる、うちの子は宗教を嫌っているから
難しいんだ、特別です、と。

家系図を見てもらっても宗教的背景ないんだ、って言うんですよ。
じゃあ、なんであなた来ているの、
あるから来てるんでしょ
ということなんですけどね。

4 私の思い:『この子は頑固だからな』

そして『この子は頑固だ』
「(証しの)あの子は素直だったからだ」と、
「うちの子は頑固なんです」(と言ったりします。)

私も伝道教育部長を15年くらいやってきたので、
夫復帰、夫復帰、夫復帰と、
ずっと夫復帰の霊界でやってきたんですよ。

この4、5年ですよ、子女のことをやり始めたのは。
ですから、ご主人がいるところでは、
訪問に行ったりするわけですよ。

でも、ご主人はね、金魚のえさばっかりやって、
顔を会わせてくれないんですよ。
だから凄い大変なんですよ、皆さん、
反対しているご主人の訪問に行くのは。

挨拶をしたら、ちょっとまあ挨拶してくれるんですが、
社会的な礼儀としてやってる感じなんですよ。
でも、いいところも私なりに見えたんですね。

で、またご婦人と教会で会うと
「ウチの主人どうでした」って言う。

「いいご主人だと思いますよ、
こういうところがいいんじゃないですか」と言ったらですね、
「蝶野部長、それは、よそからお客さんとして来てるから
あれは外面(そとづら)の顔ですよ」って言うんですよね。

「うちの主人はもう、この世の男性で
一番頑固な男性なんだ」というふうに言うわけですよ。
で、私がいろいろ話すと、それは外面だというわけですよね。

「外面だっていうこの思いがあるとね難しいよ」
って言うとですよ、
「それは蝶野部長が私の家を見てないから
それが言えるんだ」というわけですよね。


でも皆さん、ここで大事なのは、
ここのポイントは、そのご主人が
本当に、頑固かどうかは、どっちでもいいんです。

昔はね、本当にこの夫が頑固なのかどうなのかを
調査しに行ったんですよ。

今日の話はですね、そういうのを飛び越えるんです。
夫が頑固かどうかはどっちでもいい。

何がまずいかというと、頑固だと思っている
「私の心」がある限り、頑固だろうが
この人の思い過ごしであろうが、神は役事しないわけですよ。

我々は、事実関係を確かめすぎなんですよね。
もしかしたら、その外面(そとづら)のご主人が
本当のご主人かもしれないでしょ。

ご主人の本性というか、神性というか
(これは)誰にもあるからね。
そういうのを、もう最初から
切っちゃってるんですよ、妻がね。

(そこは)夫復帰も、子女復帰も、伝道も全部一緒です。


自分がカチンと来るところ、
自分がいいと思うところとかが
『なぜわからないの』と思う、その思いですね。

これが実は皆さん、神様が私に
ものを教えようとするのを塞いできたんです。

という話をしたら、あるご婦人が
「それはね蝶野部長、うちの夫がどれだけ頑固なのかを
知らないからだ」と、まだ言うんですね。

だから、本当に頑固でもいいんです。
皆さんいいですね、何回も言います、ここ大事なとこなんで。

どっちでもいいんです。
その思いを持っていることがまず、
摂理されない私がある、というのです。

蝶野知徳・精誠篇1 

父母による子女の家庭教育 精誠篇より
「内的蕩減と生活信仰」
摂理される私、実体基台のために
このみ言は、2018年に蝶野部長が
広島の家庭教育部長だった頃
全国の教区から要請があり出張して語られたものです。
(文責:ten1ko2)


蝶野部長は、私たちの内面、
心のひだまでお見通しって感じですね。

自分の視点で相手を見つめ、「ここが変わってほしい」
そのように、相手に要求しているならば、
神様に摂理されない、ということなのですね。。。

神様の観点でその人を見ることができるか、
そのことが一番重要なのだと改めて感じます。


にほんブログ村 哲学・思想ブログへ
にほんブログ村
良い記事だと思った方は、
応援のクリックをお願いします!

(なお、記事冒頭の哲学・思想ブログのバナーも
ブログ村のバナーとなっています
どちらからでも応援して頂けます)



※ このブログは、
あくまでも個人の意志に基づいて、書いているものであり、
教会本部の意向とは直接関係がありません。
過去においても、今後においても
全ての責任は私自身に帰属するものであります。

さらに、当ブログの記事に対して
曲解や悪用ととれる引用、
無断転載はお断りいたします。
(善なる目的で使用することに関しては
その限りではありません)


この記事へのコメント
コメントを書く
お名前: [必須入力]

メールアドレス: [必須入力]

ホームページアドレス:

コメント: [必須入力]

※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。