蝶野知徳(ちょうの とものり)本部家庭教育部長の
「精誠篇(せいせいへん)」
いよいよ1巻目の最終回です。
☆
蕩減復帰の本質から・中心人物に求められる【責任心情】
中心人物に立つというのは、
原理講論的に言えば
信仰基台を立てるということです。
原理講論には実体基台が失敗するということが、
よく出てくるようですが、
それは、信仰基台を外的に立てているケースにおいて
そうなっているのです。
中心人物、信仰基台というのは
内的蕩減条件です。
信仰基台は、内的蕩減条件ですが、
外的なことをさせます。
信仰基台は、内的蕩減条件なんだけども
外的な命令をされるのです。
つまり外的なことをやることで
信仰基台が立つのではなくて、
内的なものを、天が確認するときに、
外的なことをやらせて確認するのです。
原理講論のレベル、先天時代においては
これを紹介して来ませんでしたが、
でも実際はそうなんです。
羊を備えなさいといっても、
神様が羊が欲しいはずはありません。
羊も、神様が、自分が創ったものですから。
「丸々と太った、一番いいものを私にくれるか」
と、神様が聞くということは、何を問うていますか?
私を愛しているのかということを、
内的には問うているのです。
内的な事を問うために、外的な命令が来ている。
ところが、外的にだけやるので、
実体基台が失敗してしまいます。
☆
例えば、相手の悪い状態に悩んでるとしますね。
この私の想いは、相手が原因だと思うことでしょう。
例えば子どもが家出をして不品行すると、
親が悩みます。
あるいは、自分が働いている会社の上司に悩んでいるとか
あるかもしれませんが、
これは、相手の問題だと思っています。
そう考えるのは、普通です。
これは【現実的な事実】です。
みなさんがこのような(相手が原因だ
という左側の)世界で行くと、
一生、神体験がなくなってしまうかもしれません。
☆
昔は、外的な自己否定で、
証しがどんどん出て、奇蹟も出ました。
ところが今は、本当に自分の内面を
原理で作っていくというところにしか、
霊界が関心がなくなっているようです。
お母様は基元節の出発におかれまして
「三大祝福を成就するときは来た」と言われました。
今までもそうじゃなかったのかといえば、
先天時代と後天時代、
蕩減時代と無蕩減時代と時代が、変わってきました。
そして、(今が)こういう時代だということです。
☆
【復帰から見た摂理的な事実】は、
(現実的な事実とは)反対だというのです。
この私の思いがあるから、これが起こってるんだ。
ここが皆さん、宗教の門をくぐるか、
一般の人になるかの分水嶺です。
宗教団体だから、うちがこれを言ってますけど、
宗教団体じゃなくても、気づいている人が中にはいます。
会社経営でも、クレイマーというものを、
全部いい顧客に変えている会社もあるでしょう。
あっこれは、会社の弱点を言ってくれた。
会社を成長させるために、この人が
クレイマーの役割をしてくれてるだけだという、
社員教育をしっかりしているところがありますね。
すごいですよ。
だから、相手が悪いのではなくて、
私たちにまず責任があってという前提で、
教育をしている会社があります。
☆
これはとても原理的です。
私の責任だと感じた瞬間、原理軌道に乗ります。
お父様がなぜ真の父母なのですか?
世界で起こることは、私の責任だと
本気で思っていらっしゃいますから。
私たちは学んだみ言で、「相手の性質で悩む」という
堕落性で生きているので、個性完成できない
ということになってくるかもしれません。
☆
こちらは【私の責任】(左)としてみる、
こちらは【人の責任】(右)としてみる。
でも皆さん、普通こっち(右:人の責任)なのです。
子供が万引きしたから、私が、悩んでいます。
普通はみなこっちでしょう。
でも、霊的には、こっち(左:私の責任)なのです。
息子のこのことで、自分が胸を痛める時、
こういう内容を、『自分が蕩減しないといけないから、
息子がそれをやったんだ』、
そういうふうに思うべきなのです。
そうすると、これは【アベルの心情】です。
氏族の中で、皆さんが神氏族メシヤとなるときには、
この【アベルの心情】。
こちら(左)は【カインの思い、カインの立場】ということです。
例えば、「この伝道対象者に私は苦しめられている、
伝道して良かったんだろうか」とね、
これはカインの思いです。
スローガンだけアベルで、スローガンだけ素晴らしくて、
情はカインだということが、
起こらないようにしないといけません。
アベルの心情、【アベルの立場で、摂理
中心人物へ】っていうのが左の下ね。
でも、なかなかこれが思えないんです。
まあ、そうでしょう、普通こう(右:カインの立場、
カインの思い)ですから。
☆
それでも、今日お話しすることを、
どんどんどんどんやっていくと、
だんだんだんだんこうなって
きます。(左:アベルの立場、アベルの心情…)
私たちが憧れていた人格に自然になっていきます。
どのぐらいの確率でできるかというと、100%です。
100%です。
ただ、まったくできない場合もあるのです。
成長しない場合もあります。
それはどういう場合ですか。
これを知っていても、全く成長しない場合、
それは、これを忘れている時です。
実践しない時なのです。
蝶野知徳・精誠篇1
☆
2018年に蝶野部長が広島の家庭教育部長だった頃
全国の教区から要請があり出張して語られた講義より
(文責:ten1ko2)
全国の教区から要請があり出張して語られた講義より
(文責:ten1ko2)
先天時代から後天時代、
成約時代から天一国時代へと
摂理が大きく移り変わってきました。
より、本然の状況になったということです。
ですから私たちも変わらないといけない、
ということなのだと思います。
考えてみれば昔は、信仰的訓練を受けるときにも
様々な証しが続出しました。
今は、どうでしょうか。。。
同じようにやったとしても、
証しがなかなか出ません。
ビギナーズラックという言葉があります。
連休に家族でボーリングをしたのですが、
初心者の末っ子が、2ゲーム目、
急にストライクを連続して、
信じられないような点数を出しました。
フォームとかは全然できていないのですが、
途中から、気にせず何も考えずにやったら、
真ん中に球が吸い込まれるようにいくようになって、
楽しんでできたようです。
伝道の実績も、初心に帰って
無心で楽しんでやっていくときに
ポッと与えられたりします。
精誠を立てることに
慣れてきた私たちなのかもしれません。
内的な精誠がもっともっと必要なのでしょう。
やり続けながらも、
内的なものを価値視していく、
そのようなものになっていきたいと思うのです。
※ このブログは、
あくまでも個人の意志に基づいて、書いているものであり、
教会本部の意向とは直接関係がありません。
過去においても、今後においても
全ての責任は私自身に帰属するものであります。
さらに、当ブログの記事に対して
曲解や悪用ととれる引用、
無断転載はお断りいたします。
(善なる目的で使用することに関しては
その限りではありません)
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