2022年05月18日

このような人になりたい! 100%なれるけど、なれない理由は 《蝶野部長*精誠篇》J



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蝶野知徳(ちょうの とものり)本部家庭教育部長の
「精誠篇(せいせいへん)
いよいよ1巻目の最終回です。


蕩減復帰の本質から・中心人物に求められる【責任心情】

中心人物に立つというのは、
原理講論的に言えば
信仰基台を立てるということです。

原理講論には実体基台が失敗するということが、
よく出てくるようですが、
それは、信仰基台を外的に立てているケースにおいて
そうなっているのです。

中心人物、信仰基台というのは
内的蕩減条件です。

信仰基台は、内的蕩減条件ですが、
外的なことをさせます。
信仰基台は、内的蕩減条件なんだけども
外的な命令をされるのです。

つまり外的なことをやることで
信仰基台が立つのではなくて、
内的なものを、天が確認するときに、
外的なことをやらせて確認するのです。

原理講論のレベル、先天時代においては
これを紹介して来ませんでしたが、
でも実際はそうなんです。

羊を備えなさいといっても、
神様が羊が欲しいはずはありません。
羊も、神様が、自分が創ったものですから。

「丸々と太った、一番いいものを私にくれるか」
と、神様が聞くということは、何を問うていますか?

私を愛しているのかということを、
内的には問うているのです。
内的な事を問うために、外的な命令が来ている。

ところが、外的にだけやるので、
実体基台が失敗してしまいます。


例えば、相手の悪い状態に悩んでるとしますね。
この私の想いは、相手が原因だと思うことでしょう。

例えば子どもが家出をして不品行すると、
親が悩みます。

あるいは、自分が働いている会社の上司に悩んでいるとか
あるかもしれませんが、
これは、相手の問題だと思っています。

そう考えるのは、普通です。
これは【現実的な事実】です。

みなさんがこのような(相手が原因だ
という左側の)世界で行くと、
一生、神体験がなくなってしまうかもしれません。


昔は、外的な自己否定で、
証しがどんどん出て、奇蹟も出ました。

ところが今は、本当に自分の内面を
原理で作っていくというところにしか、
霊界が関心がなくなっているようです。

お母様は基元節の出発におかれまして
「三大祝福を成就するときは来た」と言われました。

今までもそうじゃなかったのかといえば、
先天時代と後天時代、
蕩減時代と無蕩減時代と時代が、変わってきました。
そして、(今が)こういう時代だということです。


【復帰から見た摂理的な事実】は、
(現実的な事実とは)反対だというのです。

この私の思いがあるから、これが起こってるんだ。
ここが皆さん、宗教の門をくぐるか、
一般の人になるかの分水嶺です。

宗教団体だから、うちがこれを言ってますけど、
宗教団体じゃなくても、気づいている人が中にはいます。

会社経営でも、クレイマーというものを、
全部いい顧客に変えている会社もあるでしょう。

あっこれは、会社の弱点を言ってくれた。
会社を成長させるために、この人が
クレイマーの役割をしてくれてるだけだという、
社員教育をしっかりしているところがありますね。
すごいですよ。

だから、相手が悪いのではなくて、
私たちにまず責任があってという前提で、
教育をしている会社があります。


これはとても原理的です。
私の責任だと感じた瞬間、原理軌道に乗ります。

お父様がなぜ真の父母なのですか?
世界で起こることは、私の責任だと
本気で思っていらっしゃいますから。

私たちは学んだみ言で、「相手の性質で悩む」という
堕落性で生きているので、個性完成できない
ということになってくるかもしれません。


こちらは【私の責任】(左)としてみる、
こちらは【人の責任】(右)としてみる。

でも皆さん、普通こっち(右:人の責任)なのです。

子供が万引きしたから、私が、悩んでいます。
普通はみなこっちでしょう。
でも、霊的には、こっち(左:私の責任)なのです。

息子のこのことで、自分が胸を痛める時、
こういう内容を、『自分が蕩減しないといけないから、
息子がそれをやったんだ』、
そういうふうに思うべきなのです。

そうすると、これは【アベルの心情】です。

氏族の中で、皆さんが神氏族メシヤとなるときには、
この【アベルの心情】。

こちら(左)は【カインの思い、カインの立場】ということです。
例えば、「この伝道対象者に私は苦しめられている、
伝道して良かったんだろうか」とね、
これはカインの思いです。

スローガンだけアベルで、スローガンだけ素晴らしくて、
情はカインだということが、
起こらないようにしないといけません。

アベルの心情、【アベルの立場で、摂理
中心人物へ】っていうのが左の下ね。

でも、なかなかこれが思えないんです。
まあ、そうでしょう、普通こう(右:カインの立場、
カインの思い)ですから。


それでも、今日お話しすることを、
どんどんどんどんやっていくと、
だんだんだんだんこうなって
きます。(左:アベルの立場、アベルの心情…)

私たちが憧れていた人格に自然になっていきます。
どのぐらいの確率でできるかというと、100%です。
100%です。

ただ、まったくできない場合もあるのです。
成長しない場合もあります。
それはどういう場合ですか。

これを知っていても、全く成長しない場合、
それは、これを忘れている時です。
実践しない時なのです。

蝶野知徳・精誠篇1
2018年に蝶野部長が広島の家庭教育部長だった頃
全国の教区から要請があり出張して語られた講義より
(文責:ten1ko2)


先天時代から後天時代、
成約時代から天一国時代へと
摂理が大きく移り変わってきました。

より、本然の状況になったということです。
ですから私たちも変わらないといけない、
ということなのだと思います。

考えてみれば昔は、信仰的訓練を受けるときにも
様々な証しが続出しました。

今は、どうでしょうか。。。
同じようにやったとしても、
証しがなかなか出ません。

ビギナーズラックという言葉があります。

連休に家族でボーリングをしたのですが、
初心者の末っ子が、2ゲーム目、
急にストライクを連続して、
信じられないような点数を出しました。

フォームとかは全然できていないのですが、
途中から、気にせず何も考えずにやったら、
真ん中に球が吸い込まれるようにいくようになって、
楽しんでできたようです。

伝道の実績も、初心に帰って
無心で楽しんでやっていくときに
ポッと与えられたりします。

精誠を立てることに
慣れてきた私たちなのかもしれません。

内的な精誠がもっともっと必要なのでしょう。
やり続けながらも、
内的なものを価値視していく、
そのようなものになっていきたいと思うのです。




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