2022年12月22日

外には寛容なのに、内輪の人には厳しくなってしまう?! 効果絶大、自己牧会プログラム




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私たち家庭連合には、素晴らしいみ言の
教えがあり、神を愛し、人を愛することを
心掛けています。

ところが、愛に満ちた教会であるはずですが、
「教会には愛がない」と言う人もいます──

自己牧会プログラム。
今回は、「怒りや焦りを切り離す」です。

(女性 30代)

人と接する時、み言を聞いていない人に対しては
「まだ知らないのだから」と思えば、
許しの心、愛そうと思う心が
ちゃんと湧いてきます。

一方、教会内部の人は難しい……。

「み言で聞いたでしょ?」
「なのにどうしてできないの?」と、
み言を基準に瞬時に判断しては、
相手を否定するということがなかなか止まりません。

ほとんど無意識にこれを教会生活で
繰り返していた自分だったことに、
自己牧会プログラムを学んで気付かされました。


そこで、その教えに従い、自分自身の心の状況を
実況中継して客観視することに徹してみました。

「否定している」
「ああ、また否定している」と、
ずーっと実況中継していると、だんだんと
相手への怒りや自分の焦りが、
自分から切り離されていくのを感じます。

そして、相手の立場に立って考える余裕が生まれ、
優しい気持ちが湧いてくるのです。


以前もこういう挑戦をしたことはありましたが、
自己牧会プログラムで「良心」について
きちんと学んだ土台で実践すると、
効果が大きいように感じます。

私の場合は効果絶大でした!

手放した先にはちゃんと良心が出てきて、
それに従うと喜びがある、
良心が喜ぶということが
分かるようになったからだと思います。


以前は伝道することがすごくつらくて、
「皆が頑張っているから、やらなければならない」
という感じでしたが、良心が喜ぶことをすると
平安と喜びに満たされるので、
ずいぶん自然にできるようになりました。

苦手な人に対しての愛する努力も、
ずっと容易になったように感じます。

自己牧会プログラムの実践を始めてから、
「喜びを中心として歩む」という感覚が
つかめてきたように思います。

心から感謝しています。

私の心の中にいる神様 152
怒りや焦りを切り離す
(blessed lifeより)


これは、家庭連合あるあるですね。
み言を誰かに当てはめて、批判する。

神様から見れば、五十歩百歩でしょう。
逆に言えば、別な意味で
「私」の方が課題があるのかもしれません。

教会内部だけでなく、祝福を受けた家庭でも
同じようなことがあるでしょう。

蝶野部長は、「み言は人に適用するものではない」
と、おっしゃいます。
み言は、私のためのもの。

他の人に対しては、神様が私と全人類を
愛してくださっている、それと同じように
神様の立場で愛する、
これが、私に与えられたみ言ですね。

そのためにも、良心を中心に物事を考えると、
驚くべき効果があるという、
素晴らしい証しでした。

私たちは、つい自分が正しいと
思い込んで、相手の立場や
神様の視点に立つことを忘れがちです。

感情的になる時には、
一歩立ち止まって冷静になり、
良心を呼び覚ます、心の余裕を
もっていきたいと思うのです。




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posted by ten1ko2 at 10:05 | Comment(0) | TrackBack(0) | 自己牧会プログラム | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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