休まず行かなければならない! 通行禁止を予知された主
金元弼(ウォンピル)先生のみ言。
「自分の考えで先生を測れない」です。
☆
南へ逃げるのに際して、私たちは毎日、
32キロの路程を歩かなければなりませんでした。
それで2週間くらいたった時、その日は
いつもより早く出発して、夜遅くまで歩いたので、
疲れに疲れ、ひもじくてどうにもなりませんでした。
一つの館を見つけて、そこに入って
食事の支度を始めました。
そこは主人のいない大きな家だったので、
たくさんの避難民たちがその中に入り、
寝ていたのです。
寝るといっても、ふとんがあるのでもなく、
荷物をベッドのようにして、
着物を着たままで寝なければなりませんでした。
食事の支度をして、それを食べてしまうと
非常に疲れが出ました。
夜の11時になっていました。
☆
それで朴(パㇰ)さんと私は、
ここで休んでいくことを先生にお願いしました。
いつもなら受け入れてくださるはずでしたけれども、
「行かなければならない」とおっしゃって、
この時は2度、3度お願いしても、
聞き入れてくださいませんでした。
12月の末だったので非常に寒く、
また疲れていましたが、仕方なくまた出発し、
2、3時間歩いてから、
道端に家を見つけて、そこに泊まりました。
☆
次の日は、朝早く出発しましたが、
途中で橋が全部壊されている川があり、
その中を渡らなければなりませんでした。
そのころは、UN(国連)軍のジェット機が
空をうるさく旋回しており、向こう岸では
UN軍がバリケードを構築していました。
後ろからは、中共軍が加わって追撃し、
大砲の音が身近に聞こえる切迫した時でした。
ちょうど私たちがその川を渡ろうとした時のことです。
一人の若い将校が、「以後、この川を
避難民が渡るのは許さない」という命令を下しました。
敵軍がどんどん追撃してきているので、
最終的にこれを防ぐためにバリケードを構築しているのです。
ところが、避難民をそのままほうっておくと
作戦がうまくいきません。
いったん通過を全面禁止にすれば、
作戦を自由に行うことができるのです。
その命令は、私たちが渡り終わった時に下されました。
その人たちが私たちに、「避難してここまで
渡ってきたのだから、これを手伝え」と言うので、
私たちは一生懸命に手伝ってから、また出発しました。
☆
そこで私は、昨晩、もっと休んでいきたいと
先生に申し上げたけれども、
先生が聞いてくださらなかった理由が、
その時、初めて分かりました。
私が「寝ていきましょう。泊まっていきましょう」
と言った時に、先生がなぜ泊まってはいけないか
と一つ一つ説明されたならば、私はすぐに納得したでしょう。
しかし、そういうことを言われないで、
ただ「行かなければいけない」
と言われただけでしたので、
なかなか理解できなかったのです。
先生には、そういう世界があるのです。
自分の考えで先生についていこうとしたら、
難しいことがたくさんあります。
平壌開拓から興南解放
第六章 興南解放と釜山伝道
「自分の考えで先生を測れない」
信仰生活シリーズ 6
「伝統の源流 主と歩んだ教会創立以前の道」
金元弼(1998年7月1日発行)
*『信仰と生活第二集伝統の生活化』を改題
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「自分の考えで先生を測れない」
信仰生活シリーズ 6
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金元弼(1998年7月1日発行)
*『信仰と生活第二集伝統の生活化』を改題
☆
川を爆破することをお父様は
予知されていたのでしょうか。。。
何か胸騒ぎがあったことは間違いない、と思います。
でも、そのことをあえて語られない、
というところに意味があるようにも思います。
そういうことを考えると、
中心と一つになることは重要であると感じます。
一つになることによって、
結果は必ず導かれると思うのです。
※ このブログは、
あくまでも個人の意志に基づいて、書いているものであり、
教会本部の意向とは直接関係がありません。
過去においても、今後においても
全ての責任は私自身に帰属するものであります。
さらに、当ブログの記事に対して
曲解や悪用ととれる引用、
無断転載はお断りいたします。
(善なる目的で使用することに関しては
その限りではありません)
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