2021年11月28日

霊界のお告げ 家庭連合の信仰と神道の信仰、どっちが… 《北谷先生》



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北谷先生のみ言です。
今回は、『宗教の目的は「真の父母」を迎えること』です。


姉が家庭連合の信仰を持ったとき、神道の信仰を
持っていた家族はもちろん、親戚中が反対しました。

姉が家庭連合で献身的に歩むようになった後に、
母方の祖母が亡くなったのですが、
その時、姉は葬儀のために戻って来なかったのです。

そんなこともあって、親戚も私も、家庭連合を
「とんでもないところだ」と思っていたのです。

ところが、そんな私が七年後に導かれ、
献身的に歩むようになりました。
そして、妻と母も家庭連合を受け入れたのでした。

私は家族や親族の援助を受けて大学に行かせてもらいました。
卒業後、就職して七年から十年ほどかけて、
いろいろなことを学ばせてもらい、必要な資格を取って、
実家が経営する会社に入ることを約束していたのです。
ところが、その約束を反故にすることになってしまいました。

そのため、「父と兄夫婦」と、「母と姉と私たち夫婦」
という構図で対立するようになってしまいました。

父や兄夫婦は、家庭連合に対して不信感を持っていたのですが、
母は、姉と私たち夫婦が家庭連合の信仰を持っていることを
受け入れてくれていたのです。

私たち一家は父の交通事故以後、日常的に、神様や先祖からのメッセージを、
母を通して受けていました。

家(神道の教会)でお勤めをしているときだけでなく、
神社仏閣 に行ったときにも、墓参りに行ったときにも、
母を通して先祖が伝えてきました。


随分後になって知ったのですが、母と兄夫婦で墓参りに行ったときに、
母に先祖の霊が入ったことがありました。

そのとき、「あの子らのおかげで、
どんどん明るい所に出してもらっている」と言ったのだそうです。
「あの子ら」というのは、姉と私のことなのです。

毎日家の教会でお勤めし、先祖供養を熱心にしていた兄夫婦ではなく、
家庭連合で神様のみ旨に没頭して、家に帰れず
墓参りもままならなかった姉や私のおかげだというのです。

おま けに、「あの子らの子供を、何とか助けてやってくれ」
とも言ったそうです。

兄夫婦も熱心に信仰し、先祖供養もしているのに、
家庭連合で歩んでいる姉や私のおか げで、
霊界で明るい所、高い所に行かせてもらっているというのです。

すべての宗教の目的は、「真の父母」を迎えることにあります。
「真の父母」というのは、 人間始祖アダムとエバが堕落して
失ってしまったすべてのものを復帰し、神様の創造理想を実現させる方です。

家庭連合は、真の父母様を中心に、
神様の創造理想の実現を目指しているため、
他の宗教とは比較にならない価値を持っていることを、
この先祖の言葉は端的に示していると言えるでしょう。


光言社刊 北谷真雄 / 著
「死んだらわかるけど、それでは遅い」より


宗教は「世界平和と人類の幸福を願う」
そういう観点においては、一つです。
細かい部分では相違があっても、
根っこでは繋がっていると思います。

真のお母様は、
「天の父母様聖会」という名称で
すべてを一つの傘に収める取り組みをしておられます。

南アフリカのハデベ預言者や、
ジンバブエのウンダンガ大司教、
さらには、アメリカのノエル・ジョーンズ司教も
大枠において、真の父母様聖会を受け入れている
そのような立場ではないか、と思います。

比較することよりも一つになること、
そのことが重要だと思うのです。

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2021年11月23日

天国には、交通事故はない?! 私の見た霊界の姿 《李相軒先生*霊界からのメッセージ》



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李相軒先生が、霊界から送ってくださったメッセージ。

「霊界の実相と地上生活」より、
今回は、『霊界の姿と生活』です。


私は李相軒(イ・サンホン)です。
私を李相軒でないのではないかと疑う瞬間に、
とても自尊心が傷つきます。

神様が認められるなら、
信じて聞いてくださるとありがたいです。

霊界の姿

霊界は目に見える現象世界とそっくりのようですが、
霊界のその膨大な規模は、地上とは比較になりません。

例えば、現象世界の自動車の姿は、限定されていますが、
霊界の自動車は、一台がいろいろな姿に変わります。

前に行ってから後ろに行き、後ろに行ってから
再び回ったりもします。
回ったと思うと……。

車が瞬間的に山を貫いたりもし、
車を運転する運転手の思いどおりに車が動きます。

まるで子供たちが見る空想映画や、
神秘の宇宙世界の姿のような動きです。

「交通事故が起きないでしょうか」と李相軒院長に聞くと、
「無秩序なようだが、徹底して法度を守る
世界であるために交通事故はない」と語られました。

霊界の生活

地上で暮らす人たちが、朝に起きて夜に寝るように、
霊界生活においても、起きたり寝たりします。

しかし、朝に起きて、夜に寝るというのではなく、
朝も夜も考えによって変わるようになります。

霊界に、地獄、天国、楽園という名を
誰がつけたのか分かりませんが、
本当に地獄、天国、楽園の生活の差はとてつもないものです。


例えば、地獄にはこの世では見物することができない光景があります。

女が下半身も隠さないまま裸で立っていると
一人の男がその女の下半身に触ります。

すると別の女が、その男の下半身を触って、
自分のものだと言いながらけんかするのです(雑多な者の集まり)。

それでも恥ずかしい様子がなく、
悠然と悪に染まっている姿です。

 
下駄(げた)を履いた日本の女が走っていて転ぶと、
ほかの女がその下駄を自分のものにしようとして隠します。

下駄をなくした女が捜していると、
下駄を隠した女は、「知らない」と叫びます。

すると周囲の人たちは「あの女が泥棒だ」
と指さしながら、皆が走り寄って、ぶんなぐるのが常です。


指をけがした老人が、手が不自由で食べ物をつかめないでいると、
周囲の若者が、器ごと奪っていって、
自分の口に放り込むような生活が行われる所です。

髪を剃(そ)られた若い女が、髪の毛がないのを恥じて
手拭いで頭を隠していると、人が通り過ぎるたびに、
その手拭いをはぎ取って、手を拭いたり顔を拭いたりします。

女が手拭いを奪われてから、取り返してまたかぶると、
今度ははさみで切って半分は持っていき、
半分だけ頭に投げ掛けてやるのです。

そうすると、その女は、恥ずかしい姿を
隠すことができず、絶えず暗い所を探していくのです。

(1997年5月23日)

(光言社刊『霊界の実相と地上生活』より)
第一部 霊界の実相と地上生活
第二章 霊界で見た暮らしと地上生活
一 霊界の姿と生活


李相軒先生が送ってくださる、天国と地獄の様相。
地獄の様子はリアルであり、悲惨ですね。

地獄に関して、いろんな人たちが、絵とか文章で表現していますが、
だいたい同じようなものになっているのは、
本当にそういう世界だ、ということなのだと思います。
欲望がむき出しになっているのですね。。。

地上でどんな人生を送ったのか、
その心持ちが霊界を決定することを思うと、
改めて、正しい心根をもっていくこと、
良心に根ざした生活を送ることの重要性を感じます。


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2021年11月15日

苦労はするが、死んだらわかる「祝福」の価値?! 真の父との強烈な出会い 《北谷先生》



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北谷先生の「死んだらわかるけど、それでは遅い」
今回は、『祝福は天国への唯一の切符』です。


家庭連合の祝福結婚には、
人間始祖アダムとエバから始まった過ち(原罪)を
清算するという意味があります。

その道を開いてくださったのが、
文鮮明・韓鶴子ご夫妻です。

一九九〇年頃、教会のリーダー三十人ほどで訪韓し、
ご夫妻にお目にかかる機会がありました。

一行の中に女性が十人いたのですが、そのうちの五人は
その時、まだ祝福を受けていませんでした。

そのことを聞かれた文鮮明先生は、私たち男性陣に向かって、
「なぜ祝福を受けていないのだ!
こんなに苦労しているのに、
なぜ助けてやらないのか」と、
男性リーダーを激しくお叱りになったのです。

そのお姿が強烈に印象に残っています。
そして文鮮明先生は、まだ祝福を受けていない五人の女性に向かって、
次のように語られたのです。


「先生(文鮮明先生自身のこと)の一生は、
 苦労で始まって、苦労で終わるんだよ。
 だからおまえたちは、先生に出会って苦労するんだね。

 でも、先生がその苦労に報いてあげられる道が
 一つだけあるんだ。
 それが祝福なんだよ」


さらに、こう言われたのです。

「祝福を受けて苦労しすぎて、
 恨みを持つ人がいるかもしれない。
 でも、恨んでいたとしても、
 霊界に行った瞬間、感謝に変わるよ。

 地上でどんなにために生きたとしても、
 祝福を受けていなかったら、
 霊界に行った瞬間、
 愛の減少感の極致を感じるようになる。

 だから、どんなことがあっても、祝福を受けるんだよ」



祝福の素晴らしさ、偉大さを痛感させられた言葉でした。


このときの文鮮明先生のお姿と言葉の印象が
とても強烈だったので、
私はそれから祝福を最も重要視するようにしました。

私は担当する教会で、毎月、
一泊二日のセミナーを行ってきました。

セミナーでは「統一原理」の講義をし、
真の父母様(文鮮明・韓鶴子ご夫妻)の証しをし、
祝福(結婚)を紹介するところまで話します。 
それを三十数年続けています。

婦人の皆さんには「ご主人を連れてきてください」、
青年たちには「親を連れてきてください」と、
家族をセミナーに参加させることを奨励しています。

天国は一人では行くことができません。
夫婦で、家族で行く所なのです。

祝福を受けることを紹介することに
力を注ぐようにしてきたのです。


光言社刊 北谷真雄 / 著
「死んだらわかるけど、それでは遅い」より


お父様のみ言が心にしみます。。。
「家庭教育部長」という肩書を与えられている者として、
責任を痛感するみ言であります。

み旨で苦労したおられるご婦人ほど、
祝福を受けていただかないといけない・・・
そのことを改めて感じます。

話は変わりますが、昨日、夢を見ました。
万物復帰に出発する直前の夢でした。
ものすごく緊張感をもっていましたが、
「こんな心情をもって、み旨を歩まないといけない」
朝、目覚めて思ったのでした。

もちろん、緊張感をもって歩むより、
喜んで感謝して歩むことの方が
み旨は導かれる時であるとも思いますが、
いずれにしても、北谷先生が語られているように、
重要視していきたい、と改めて思いました。


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