2017年03月02日

(証し) 清平に来ると思い出す、熱い視線! お父様に見送られたエピソード!



944924_1664176873821905_8168686803102116987_n.jpg


まだ、お父様が立っておられました。
「背中が熱いなぁ」
思わず、こんな言葉が出ました。



先日、清平に行かせていただきました。
修練会を終えて、早朝のバスで清平を出発する時、
櫻井設雄先生の証しを思い出しました。

生前、私たちの教会に来られて
説教をされた時の内容です。


今から30年近く前の出来事です。
真のお父様は、日本の幹部2名を
清平に呼んでくださいました。

そのうちの1人が、私でした。

ひとしきりみ言と指示を受けた後、
帰国することになりました。

その頃は修練所まで、バスが通っていなかったので、
近くの町まで、何時間も歩かなければなりませんでした。

私たちは、お父様に挨拶をしてから、
修練所を出発しました。

しばらく、お父様に見送られてから
町に向かって歩き出しました。

相当な時間歩いてから、修練所を見ると、
まだ、お父様が立っておられました。

「背中が熱いなぁ」
思わず、こんな言葉が出ました。

そして私たちが、見えなくなるまで、
ずっと見送っておられたのです。

お父様を背にしながら、歩く私たち二人の姿は、
日本の姿だと感じました。

日本を何よりも愛されるお父様。
いつも、熱く見つめてくださっておられます。
(文責:ten1ko2)



清平が出発したころ、
1970年代だと思いますが、
近くの町まで歩くのは、
とても大変だったと思います。

今までは高速道路を降りて、
1時間以上山道を走らないといけませんでしたが、
最近、新しい高速道路が出来て、
インターチェンジを降りてから、
15分程度で到着します。
帰国のバスでは、朝の4時くらいに出発し、
仁川空港に着いたのは、5時半くらいでした。

将来的には、世界中の人たちが、
たくさん清平に訪れるようになり、
今、エルサレムやメッカのように、
聖地巡礼をする人たちで溢れかえる・・・
そんな時も来るのかな、バスでそんなことを思いました。

櫻井先生の証しを思い出しつつ、
清平への行き方がどうあれ、
私達一人一人を同じまなざしで、
お父様は霊界から見つめておられる。。。
そう思わされた今回の修練会でした。





にほんブログ村

良い記事だと思った方は、
応援のクリックをお願いします!
(なお、記事の冒頭の家庭連合のバナーもブログ村のバナーとなっています
どちらからでも応援して頂けます)


※ このブログは、
あくまでも個人において、書いているものであり、
教会本部とは一切関係がありません。
過去においても、今後においても
全ての責任は私自身に帰属するものであります。

さらに、ブログの記事においては
曲解や悪用ととれる引用、
無断転載はお断りいたします。
(善なる目的で使用することに関しては
その限りではありません)

posted by ten1ko2 at 09:08 | Comment(0) | TrackBack(0) | 私と御父母様 ・信仰の証し | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年12月29日

文先生はメシヤ?! 一度も疑ったことがない、その理由とは?! 《中村信一牧師》4



6123.jpg
(右から2人目が中村牧師)


中村信一牧師の証し
今日が最後になります。



来臨の主を確信した理由


わたしは文先生をメシヤであると確信してから、
今まで一瞬たりとも疑ったことはありません。
そのことをどうして確信するに至ったかをお話しします。

わたしは五十年間、いかなる迫害があっても聖書を捨てず、
牧師として過ごしてきました。
今日も統一教会は、迫害を受けていますが、
初期はもっと激しい迫害の中にあったのです。


そのようなとき、ある週刊誌を手にしたのです。
そこには、統一教会のスキャンダルを暴露するために、
統一教会の会員が寝泊まりしているホームに、
新参者を装って進入した人の証言が掲載されていました。

その記事を見て、驚きました。
男女問題のスキャンダルを暴こうと入ったその人物は、
男女問題を一つも発見することができなかったというのです。

人間が堕落するときは、やはり男女問題です。
この男女問題を勝利したか、あるいは皆無でないにしても、
男女が同じ屋根の下に生活していながらも、
清い関係を保っていけるというこの団体に、
大変素晴らしいものを感じたのでした。


ところで、わたしは牧師ですから、文先生が究極の救い主であるかどうかは、
聖書にその根拠を求めざるを得ません。
その秘密を聖書から見つけることができたとき、
それはどれほどの喜びであったでしょうか。

旧約聖書の「詩篇」第六八篇四節には、次のように記されている箇所があります。

「神のみまへにうたへ その名をほめたゝへよ
乗て野をすぐる者のために大道をきづけ 
かれの名をヤハとよぶ その前によろこびをどれ」

上記の文は、文語体ですが、口語体のある聖書の訳は、次のようになっています。

「神にむかって歌え、そのみ名をほめうたえ。
雲に乗られる者にむかって歌声をあげよ。
その名は主、そのみ前に喜び踊れ」

同じ箇所でも、このように訳が違うのです。

わたしは学生時代、ヘブライ語を学んでいたため、
なぜこのように訳が異なるのかが、よく理解できるのです。


前述した文語体の「野をすぐる者」とは、
「荒野(路程)を勝利した者」という意味ですが、
ヘブライ語では、「雲に乗ってくる者」と同じ言葉なのです。

ですから、来臨のメシヤは、
「荒野路程を勝利されるかた」でもあられるという解釈ができるのです。


人間は、自分を愛するという自己保存の本能的なものを持っています。
ですから、文先生が自ら進んで荒野四十年路程を乗り越えられたということに、
わたしは本当に感動したのです。

韓国でのキリスト教の摂理が失敗したとき、
なぜ、命を懸けて北朝鮮に行かれて、
今一度、伝道活動をしなければならなかったのでしょうか。

興南硫安工場で、死の峠を幾度も越えるような道を、
なにゆえ行かなければならなかったのでしょうか。
人間はだれでも、自ら選んで荒野路程を行く人はいません。

これらのことを研究してみるときに、
「荒野路程を勝利された文先生は、来臨のメシヤである」
ということが、はっきりと見えてきたのです。




「雲に乗ってくる」というのは、
原理講論の再臨論においては、
『キリスト教徒たちの指導者として現れる』
そのような記述がありますが、
中村先生のヘブライ語訳の解釈で、
「荒野路程を勝利した」とありますが、
この解釈も一理あるような気がします。

また、このように解釈しようとされる
中村先生ご自身が、「お父様を再臨主として侍りたい」
そのような思いの表れであることを感じます。

また、男女問題においても、
過去から現在に至るまで、
本当に厳しい指導を受けてきたし、
私もそのように指導させていただいています。

私が学生部のころは、
「女性に3メートル以内、近づいてはいけない」
そんな噂がまことしやかに流れていました。
でも、よくよく考えてみれば、3メートル以内なんて、
ホーム生活できないですよね(笑)

20年以上前のことですが、2日修の講師の時にも、
閉講式のあと、「講師、ありがとうございました!」
と言って、女性修練生に握手を求められることがありました。
しかし、それを回避するために、飴の箱を持って、修練生に配る、
そんなこともありました。

堕落の原因が何か、
そのことをお父様が解明された・・・
中村先生ははっきりと認識されていたのだと思います。




にほんブログ村

良い記事だと思った方は、
応援のクリックをお願いします!
(なお、記事の冒頭の家庭連合のバナーもブログ村のものです
どちらからでも応援して頂けます)


※ このブログは、
あくまでも個人において、書いているものであり、
教会本部とは一切関係がありません。
過去においても、今後においても
全ての責任は私自身に帰属するものであります。

さらに、ブログの記事においては
曲解や悪用ととれる引用、
無断転載はお断りいたします。
(善なる目的で使用することに関しては
その限りではありません)




posted by ten1ko2 at 10:13 | Comment(0) | TrackBack(0) | 私と御父母様 ・信仰の証し | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年12月27日

お父様とボートに乗って、もしも転覆したなら?! 《中村信一牧師》3



20010421.jpg


中村牧師の証し、続編です。



忘れられない清平での思い出

その後、清平で文先生にお会いしたことがありました。
そのとき、文先生は「これから山に登ろう」と言われ、
モーターボートに乗って、山の方に向かいました。

ボートに乗ったのは、文先生とわたしと運転手の三人です。
文先生は運転手に、「もっと速く走れ」と檄を飛ばされます。

ところで、ボートには救命胴着は一つしかありませんでした。
その救命胴着は文先生が身に着けられ、わたしと運転手は救命胴着を着けることができず、
不安を感じながら乗っていたのです。

文先生はボートの中で、「もし、このボートが引っ繰り返ったら、
この湖の下は水が渦を巻いているため、死んでしまうことがしばしばある。
非常にここは危ないところだ」と言われるのです。

ボートは、浅瀬を避けるため何度も急カーブを切ります。
そのたびに、ボートが横転しそうになるのでした。
すると、文先生はわたしに「非常に危険だから、しっかりしろ」と言われるのです。
そのように言われても、わたしはどうしていいのか分かりません。


そのとき、ボートの中で考えたことがあります。
それが、一九五四年に日本の津軽海峡で起きた青函連絡船洞爺丸の事件です。
この海難事故は、皆様もご存じかと思います。

救命胴着を身に着けていたある神父が、
ある青年のために自分の救命胴着を脱いでその青年に与え、
そのため神父は死亡し、その青年が助かったという事件です。
キリスト教の自己犠牲の美談として、話題となった出来事です。

ところが、文先生の場合は、「危険だから気をつけろ」とだけ言われて、
自分だけ救命胴着を着けておられるのです。
キリスト教の精神からすれば、理解しがたいことでもあります。


ところが、このとき、ある悟りが与えられたのです。

かつて、米国のハドソン川の近くで、修練所建設の調査をするために、
文先生ご夫妻と一緒に小高い丘に登ったことがありました。
しかし、丘を登るところに笹が生えて、そこに雪が積もっていたため、
登ろうと努力しても靴が滑って登ることができないのです。

ところが、文先生だけは簡単に登られたのです。
わたしと文夫人は、どうしても登れません。
そのときです。
一番先に登られたはずの文先生が、
いつの間にかわたしの後ろにおられて、
わたしの背中をひと突きされたのです。

すると、九十キロもあるわたしの体が、
ポーンと空中に跳ね上がったのでした。
そうして、その坂を無事、登ることができたのです。
この出来事を思い出したのです。


この湖でボートが沈没したとすれば、救命胴着を着けられた先生であれば、
その胴着を利用してわたしたち二人を救ってくださるに違いない、
と、そのときに確信したのです。

しかし、わたしだけが救命胴着をしていたとすればどうかを考えてみました。
自分自身のことが精いっぱいで、二人を救うどころではありません。
もしかして、自分自身の命さえ救えず、
湖水の中に沈んでいったかもしれません。



山登りの中で、
お父様が中村牧師の背中をポーンと押して、
空中に跳ね上がった・・・

この証しは、直接、中村牧師から聞いたことがあります。
「自分でもわからないんだけど、奇跡が起こったんだ・・・」
そんなことを語られていました。

ただ、ボートの救命胴着の証しは初めて聞きましたが、
人間的に見つめずに、
背後のお父様の心情を悟られた世界は
本当に素晴らしいと思います。

お父様の精神、救いの心情、
それは中村牧師だけでなく、
私たちにも注がれているものだと思います。



にほんブログ村

良い記事だと思った方は、
応援のクリックをお願いします!
(なお、記事の冒頭の家庭連合のバナーもブログ村のものです
どちらからでも応援して頂けます)


※ このブログは、
あくまでも個人において、書いているものであり、
教会本部とは一切関係がありません。
過去においても、今後においても
全ての責任は私自身に帰属するものであります。

さらに、ブログの記事においては
曲解や悪用ととれる引用、
無断転載はお断りいたします。
(善なる目的で使用することに関しては
その限りではありません)






posted by ten1ko2 at 17:05 | Comment(0) | TrackBack(0) | 私と御父母様 ・信仰の証し | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする