2019年09月15日

UTSを揺り動かした覇権争い──終結の決め手は?! 《神明先生・UTS時代の神体験》



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真のお母様大統領宮接見(2019.9.5) サントメ☆


「ドクター神明の信仰エッセー」
続編です。



リーダー同士の熾烈な争いをやめさせた神様の役事

1985年の1月から辛うじてUTSで教鞭を執り始めることができたばかりの私は、
まだぺえぺえにすぎませんでした。

しかしUTSを本当に神様の願う学校にしたいと祈りつつ、
困っている学生を助けて励まし、またUTSのリーダーたちに無条件に仕えていました。

そのせいか、自分でも知らないうちに、ある事案に巻き込まれ、
決して私の力ではなく神様の力でそれが解決されました。

その事案とは、その年の11月の後半、UTS慣例のクリスマスシーズンの
ファンドレイジングを予定どおり実行するかどうかをめぐって、
UTS内の2人のリーダーが熾烈な争いを展開していたことです。
若手の事業部長 (白人の米国人) と43双の大先輩である副総長 (中国系米国人) との間の争いでした。

当時のUTSは奨学金全額支給制だったため、
その代わりに学生は夏休みと冬休みを返上して
UTSのためにファンドレイジングをしていました。

学生生活全般を支援する事業部は会社を作ってモールなどに臨時の店舗を出し、
学生が様々な商品を売っていたのです。
しかし、その年まで会社の事業はあまりうまく行かず、
多額の赤字になっていました。

事業部長は、その赤字をなくすためにも、そして将来のUTSの経済基盤を作るためにも、
慣例のクリスマスシーズンのファンドレイジングは断固続行すべきだ考え、
計画していました。
そこには総長 (36家庭) の大きな期待もかかっていたのでした。

それに対して副総長は、より現実的な考えを持っていて、
赤字をなくすのは無理だから、今の事業の会社をつぶしてでも、
簡単な花売りでもやった方が即効性があり、
そのほうがUTSのためになる、と主張してやまなかったのです。

副総長にとっては、彼よりも若い生意気そうな事業部長が
あまり上にのし上がってきては困るという気持ちもあったようです。
事業部長としては、そのような副総長が現場を知らない高慢な人間に見えたようです。

そして、双方とも自分は総長の支持を受けていると言い張って、議論は平行線でした。
そのような争いが11月後半ずっと続いたのです。

私は原則的には教鞭を執ってさえいればよかった部外者ですが、
彼等の不協和音がUTS全体に響き渡り、
霊的にとても悪い雰囲気となっていたので、心配しながら祈っていました。


その日は金曜日で、私1月の務めを終えて、
1時間半離れた自宅に自動車で帰ろうとしていました。
夕方7時からは事業部長と副総長がそれぞれアシスタントを1人ずつ伴って、
合計4人で最終案にこぎつくための会合を開くことになっていました。

すでに暗くなっていたUTSの駐車場を7時ちょっと過ぎに出た私は、
10分間ぐらい運転したでしょうか。
突然、心配のあまり心が切なくなって泣きたくなり、
“UTSに直ぐにUターンせねばならない”という思いに駆られたのです。

その後の自分の行動は不思議そのものでした。
もはや自分ではないようでした。

彼等が会合をしている部屋まで歩いて来て、その扉の前に立って外から耳を澄ますと、
中から怒号の応酬が聞こえてきました。
私はその会合に招待されている身分でもないのに、扉を開けて中に入り、
静かに末席に座りました。

しばらく彼らの激しいやり取りを聴いていましたが、
そのやり取りにちょっとした間ができたとき、すかさず口を開きました。
「皆さん! ここで一体何をしているのですか?」 と。
そして失礼にも、先ず事業部長を強く叱咤しました。 

「事業部長よ、先輩の副総長が事業部のことをどんなに心配しているのか、
そしてUTSのことをどんなに心配しているのか、分かっているか!
それを分からないで副総長をただ軽蔑し、批判してるのではないか!
それでは絶対に進展がない!」 と。

それだけでも非常に無礼なのに、私は次に矛先を副総長に向けて叱りつけるという、
普通では考えられないようなことをしてしまいました。

「副総長よ、あなたの後輩である事業部長は能力を買われて、
何もかも捨ててこの事業に従事している犠牲的な兄弟であることが分からないのか!
それを先輩として心から分かってあげなければならない。
分かってあげれば、もう少し話に進展があるはずではないか!」 と。

いつの間にか、私の目には涙がいっぱいたまっていました。
それを目撃した彼らはショックで唖然として何も言えませんでした。
今ここで一体何が起きているのか分からないといった面持ちでした。

それで状況が一変しました。
私は言わねばならないことを言ったと感じたので、その後すぐにそこを立ち去り、
帰途に就きました。自動車を運転しながら、
けんかする彼らに対する神の愛を感じて、泣けてしかたがありませんでした。


翌日、総長から喜びの電話が私にありました。
「昨晩の会合の報告は聞いた」と。

どういう結果が出ようとも、総長としては
その2人のリーダーが仲良くやってくれればいいのだ、ということでした。
「そのきっかけを、よくもドクター・シンミョウが作ってくれたね」と褒められました。

「これからは、事業とか資金調達についての会合にはいつも参席してくれ」とも言われました。
「えー、神学しか分からないこの身がそんな分野にまで?」と私はいぶかりました。


結果的には、その年の12月のクリスマスシーズンは、一応以前の計画どおり、
モールに臨時店舗を出して商品を売ることになりました。
それでも、それは双方が内的に歩み寄った結果の決断だったのです。

私は自分でも驚きました。
足らない私が心配して祈っただけで、神様がその小さな条件を取って
役事してくださったに違いないと思いました。
誇れるものは神様の力だけです。

その後、私はもっともっと皆に仕えるために、
学生たちがファンドレイジングをするモールの店舗を巡回して手伝いました。

私たちの間でたとえ不協和音があったとしても、
神様の立場から心配するがあまり、
愛の涙でもって強く訴え叱咤さえする人が出現すれば、
生きた神様がそれを止めさせる驚くべき役事を起こすことができると私は思います。

もちろん、具体的、現実的、組織的な問題もあるでしょうが、
それを超えた内的、霊的次元で神様の愛に出会い
授受作用することによって解決されていくものと思います。

UTS時代の神体験:ドクター神明の信仰エッセー
神明忠昭(しんみょう・ただあき)


完全なアベル・カイン決裂の危機でしたね。

感情的に意見をぶつけただけでは、
たとえどちらかの意見が通ったとしても、
問題は残る気がします。

神明先生が、二人に言った意見も、
もしも批判する思いで言ったとしたら、
このような役事はなかったでしょうし、
もっとこじれたことでしょう。

UTSを思い、彼らを愛し心配する親心に通じたので、
神様がその場に導き、
代わりに言わせたのかと思います。

天の摂理は、心情を通して働く。。。
そのことを身をもって体験された
神明先生の見事な証しですね。

私たちも、神様が働かれるような
歩みをしていきたい、そのためにも
神様の心情と一つとなっていきたいと思うのです。





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2019年08月21日

ある学生が受けた啓示、Dr.神明は誰よりクリスチャン的?! 《UTS時代の神体験》



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統一神学校(UTS)の元総長、
神明(しんみょう)先生の信仰エッセー、第2回目は、
『日本人はキリスト教神学を教える資格がないと言われて』です。

なんとかUTSの助教授となった神明先生を
待ち受けていた次なる試練とは──


いろいろな障害物を通過して、1985年1月初めに始まる冬学期から、
やっとのことUTSで教鞭を執るようになり、
その直後の4月初頭から始まる春学期には、
いよいよ 「キリスト教神学序説」 なる必須科目を教えました。

ところが、そこに待っていたのは、
やはり一部の学生からの日本人に対する偏見でした。

当時の UTS は殆どの学生が米国人食口でした。
それで、第二次世界大戦でサタン側のエバ国家であった、
雑教・多神教の日本出身の、どこの馬の骨か分からないような私が
キリスト教神学の講義を壇上からするわけですから、
それに抵抗する学生も中にはいました。


その中に、私の講義を1、2回聴いた後、嫌になって、
必須科目なのに“二度と教室には戻るまい”と決意した
一人の白人の女子学生がいました。

彼女は悔し涙でチャッペルに走り込み、必死で次のように祈りました。
「神様、どうしてあの日本人が私たち米国人に
キリスト教神学を教えなければならないのですか」 と。

でもそのとき、彼女は霊界から声が聞こえてきたそうなのです。
「心配するな。あの日本人の男は、
このUTSの中で誰よりもクリスチャン的な人間だからね」 と。

それで彼女は、霊界がそう言うのならば(と)、
それが本当かどうかを確かめるために、
半信半疑ながらも一応教室に戻ることにしました。
そして、学期の最後まで私の講義を聴き、
やはり霊界の言うのは正しいと感じたとのことです。

これは、その学期が終わってから、実はこういうことがあったと
彼女の方から告白してきたので分かりました。


私が当時、UTSの中で誰よりもクリスチャン的であったかどうかは分かりませんが、
もしクリスチャン的という意味が、神様から捨てられても
神様を捨てずに感謝して、勇気をもってみ旨を愛し抜く、
ということであるならば、それが少しは分かるような気もします。

当時私は、あまりにも忍耐せざるを得ない道を通過させられ、
それでも感謝し、そこにかえって神様の大きな愛の力を感じるようになり、
善人を見ると涙し、悪人を見ると愛ゆえに恋しくて更にもっと泣いていました。


私が高1のときに、国際ギデオン協会が福島県会津地方の田舎の
私の高校にやってきて、新約聖書を無料配布してくれました。
そのときの新約聖書は肌身離さず持っていて、いつも読んでいました。

そして福音書のイエス様の言行にはひそかに感動していました。
でも洗礼は受けていないのでクリスチャンではありませんでした。

実家は仏教、神道、儒教が雑居する、それこそ雑教・多神教です。
(家系図の専門家からは、先祖の中に
処刑されたキリシタンがいると指摘されはしましたが。)

このような不足な日本人である私に、イエス様の苦難の土台の上に
真の父母様が生身でもって更に苦労して紹介してくださった、
本当の一神教の一片にでも触れさせていただき、感謝です。

ドクター神明の信仰エッセー UTS時代の神体験
『日本人はキリスト教神学を教える資格がないと言われて』


国際ギデオン協会の新約聖書は、
妻も配布を受けて愛読していたとのこと。
雑教の日本人の啓蒙のための摂理だったのかもしれません。

キリスト教を知らない日本人と
欧米人との溝は、
日本にいたままでは考えてもみませんが、
証しを読みながら、信仰を持つ人の中にも、
「プライド」や「こだわり」、「偏見」というものが
あるのだろうな、そのように思わされました。

統一原理、という新しい真理が出現したとき、
自分の信仰が一番である、という思いを持つ人は、
家庭連合のうわさだけを鵜吞みにして、
み言の本質を理解しようとはしません。

しかし、今現れている義人たちは、
心で、魂でみ言をとらえて、
お母様を、み言を受け入れています。
素晴らしいことです。

キリスト教の信仰の土台がない日本人が、
なんで、キリスト教を教えるのか、
そのような偏見に、精誠を持って対し、
見事に長子権復帰をされた神明先生の姿。

父母様の生き方に通じるものであり、
私たちにも大きく示唆してくださるものだと思います。





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2019年08月10日

涙の祈りが、ダンベリーの父に届いていた! 《神明先生・UTS時代の神体験》



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世界家庭に好評掲載中の
「ドクター神明の信仰エッセー UTS時代の神体験」
私もとても感動しています。

神明(しんみょう)先生が、統一神学校(UTS)で
まず、教鞭をとることになるまでの
エピソードです。


私は1977年にUTS(ニューヨーク州ベリータウン)を卒業しました。
その後、他の大学でさらに神学の勉強を続け、
1984年の春、無事に神学博士号を取得しました。

その直後の6月末に、イーストガーデンに来るようにと
真のお父様からお呼びがかかったのです。

真のお父様はあと2、3週間後にダンベリー連邦刑務所(米国・コネティカット州)に
収監されることになっていて、どちらかというとイーストガーデンの中は
緊張感が漂っているようでしたが、
お父様がわざわざ個人面接をしてくださったのです。

結論として、「これからUTSで教鞭を執るように」と言ってくださいました。



 神明先生は、7月初めのUTSの卒業式の日に、
 当時の総長にあいさつしたのですが、
 あからさまな無視をされ、傷つきながらも
 静かにUTSを去ることにします。

 その際、誰もいないサッカーフィールドの中央で
 快晴の青空を見上げながら祈ったといいます。


「神様、UTSは決してこの私のものではありません。
あなたのものです。ですから、誰か私よりもっと優れた人がいれば、
その人をここに呼んで、教えるようにしてください。
そしてUTSをりっぱな神学校にしてください。
UTSがりっぱになるのなら、何も私はここで教えなくてもいいのです」

こう祈ると、涙があふれ出てきました。

実は、総長はUTSで私より一級下の優秀な米国人の兄弟を
UTSに呼ぶことを考えておられたようでした。
それで私は、その兄弟の成功のためにも祈りました。

そのときの切ない祈りが
時空を超えて神様と真のお父様に伝わったことは後で知りました。


それからというもの、できる仕事は何でもやりました。
ニューヨーク市で黒人の青年たちがよくやっていた低賃金の仕事もしました。
教会ですぐに自分の責任分担が決まるわけではないので、
妻と4人の幼い子供を抱えて異郷の地で路頭に迷う可能性もあったからです。

教会で献身的に歩み始めた頃は廃品回収や花売りをしたので、
何でもこなして生き残る訓練は受けている身ではありますが、
み旨のために直接働けないことを悲しく思い、
「本当はみ旨のためにやりたいのです」と神様に向かって叫びながら過ごしました。


それから5か月たった12月のある日、突然UTSから手紙が舞い込んできました。
驚くべきことに、その月の給料の小切手が、小額ではありますが同封されていました。
まだ雇用の契約書のサインもしていないのに、です。

これは後に総長から直接聞いたことですが、
総長がダンベリーのお父様にUTSの報告をしに行くたびに、
お父様は何度も語気を強めて 「神明はUTSで教えているのか」 と言われたとのことです。

それで、さすがの総長もこれ以上はそのままにしておくことができず、
まだ私を雇っていないのに、パートでもいいから雇ったという形にしたというのです。

それで、その翌月から、すなわち1985年1月から正式にパートの講師の立場で、
UTSで教えることになりました。
まだフルタイムの助教授の立場は許されませんでした。


そんなある日、朝拝担当を頼まれました。

「カインの救い」 と題する説教を通して、
忍耐は必ず神様に通じるという内容を話したら、
参加していた数人のカイン的な学生が、感動のあまり、すすり泣き始めたのです。

その渦は広がって、当時はほとんどの学生が白人の米国人食口でしたが、
「ドクター・シンミョウの手にかかると全ての悩みが解決される」という
うわさが流れ、次々に学生が相談しにきました。

私も、最も悩んでいる学生がどこにいるかと気になり、
神がかり的になって探し回り、そのためには自然に足が動き出していました。

それを聞いた総長は驚いたらしく、
その月の終り頃には、私をフルタイムの助教授に任命してくだいました。


最終的には、それから9年後の1994年に、
思いがけず私自身が真のお父様からUTSの総長に任命されることになるのですが、

そのときお父様は、
「UTSは自分のものではないと祈ったその祈りによって
自分を無にしたので、総長に任命されたのだ」とおっしゃったのです。

そのように祈ったのは自分が全面的に拒否されたからだったのですが、
その祈りは時空を超えて神様に通じ、
ダンベリーの真のお父様にも通じ、
お父様が干渉してくださることになったのだと思います。

今は霊界におられる真のお父様が地上の真のお母様と共に
神様の実体として立っていらっしゃるので、
そのような私たちの祈りと努力はもっと敏感に感じられるに違いありません。

ならば、私たちのところに必ず来てくださり、
全ての問題を解決してくださるはずだと思います。

UTS時代の神体験:ドクター神明の信仰エッセー
「自分を無にしたとき、お父様が干渉してくださった」
神明忠昭
中ほどの一部は省略させていただきました。
ご了承ください。


自分を無にする祈り、それがお父様の思いに通じたのですね。
お父様の霊的直観力に改めて感動するとともに、
私たちの精誠、真なる心情は、
天に通じるのだな、と思います。

そして、一番の試練の時に、
どのように受け止めていくのか、
これがターニングポイントなのだ、と思います。

私たちは天願うとおりにできないことがあります。
逆に天の願いだと思っても、そうならないこともあります。

そうだとしても、感謝して受け止め、
天を優先し、公的なものを優先していく、
それは、必ず天の父母様が見つめておられるのです。

しっかりと肝に銘じていきたいと思います。

神明先生のエッセーは、6月から始まりましたが、
毎月一回、16回シリーズ、ということです。
このブログでも後追いで紹介していきます。
お楽しみに!






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