2017年05月30日

原理講論をお父様が執筆しなかったワケ?! そして、イエス様出生の秘義が! 《史吉子先生》



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史吉子先生の「こうして原理講論は執筆された」
第5弾です。


すでに述べたように、『原理講論』は一言一句にわたって
お父様の監督と指示のもとに書かれたものです。

ですから、もし私が、「『原理講論』は私の夫が書いた」
と言えば、お父様は怒られます。
「おまえの夫が書いたのではない。先生が書いた」と。
そのとおりです。


それでは、お父様がどうして直接、書かれなかったのでしょうか。

統一原理とは「創造」、「堕落」、「復帰」
という三つの部分から成っています。
堕落した罪深い人間は、この原理によって罪を清算し、
罪から解放されて神様に帰ることができるのです。

ですから原理とは、堕落した人間の中から代表を一人選んで、
“罪を告白させる”という形で書かせなければならないというのです。

真のお父様は、堕落とは関係がない、完成したおかたですから、
ご自身が原理を執筆することはできなかったのです。


けれども、神学博士とか神学者、またはクリスチャンが
無条件にお父様を認めて従ってくるときには、
お父様ご自身が「原理原本」を書くと言われました。

「原理原本」においては、イエス様の母である
マリヤの問題が一番深刻です。
それで私はいつも、その時を今か今かと待っていたのです。

ところが近年、お母様が講演された
「救援摂理史の原理観」というみ言には、
イエス様の血統が明らかにされています。

お父様は、原稿をほとんどご自身で書かれますから
“ああ、お父様はお母様を通して『原理原本』の一部を
少しずつ出しておられるのだ”と悟った瞬間がありました。


また、お母様の「真の家庭と私」の講演にも、
私は大変感動しました。

その内容は、心と体の問題、良心の問題、人生の目的等々、
人間だれもが考えることが語られています。

そこでお父様に、「これこそ本当に、だれもが一度は考えるものです。
その人間の心の悩みがお母様によって語られ、
導かれて、本当にうれしかったです」と申し上げると、
「それは先生が、四十年間み旨の道を歩きながら、
ずっと経験してきたものだ」と言われたのです。


「救援摂理史の原理観」と「宇宙の根本を探して」
という重要なみ言に加えて、
今回の講演では、「真の愛を中心とした真なる家庭と真なる宇宙」
という題目で語られました。

お父様は、「真の家庭と私」を基礎としたこの三つの講演文を合わせて、
「成約聖書の本をつくるように」と言われました。

ここにおいて結論は皆、出ました。
お父様の「原理原本」は、このように
お母様を通して、今地上に現れてきたのです。

ですから私は、このように考えるのです。
『原理講論』の中に入っている原理は、
家に例えれば骨組みであり、そこにきれいに壁を作り、
屋根をつけて、肉づけしていくのがお父様のみ言なのだと。



イエス様出生の秘義は、
公式的には、真のお母様が
初めて明らかにされた・・・
これはとても重要なことではないでしょうか。。

最近、お母様が語られるみ言では、
マリヤが使命を果たさなかったこと、
そして、その使命を果たされたのが、
大母様であることを堂々と語られています。
そして、『私がひとり娘である』と。。。

お父様ご自身がお母様を立てられて、
重要なみ言を語らせているのです。
そのことを私たちは知らなければならないと思います。

史吉子先生のみ言、
次回が最後になります。
お楽しみに。




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2017年05月27日

原理をそのまま語りなさいと、お父様が言われる理由(ワケ)?! 《史吉子先生》



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☆原理講論が初めて出版された日
1966.5.1☆


史吉子先生の証し。
続編です。


このように、お父様が「本を読みながら講義しなさい」と言われることには、
もう一つの大きな理由があります。

お父様は昨年、有名な講師たちによる原理講義のビデオを
アラスカでごらんになって、とても心配されました。

そしてお父様は、
「分派、教派分裂したら統一教会は滅びる」と言われたのです。
それは恐ろしいことです。


説教する人は、あくまでも『原理講論』やみ言集を手放してはいけません。
講師の中には、説教をするときに、聖書を形式的にみ言を
ちょっと引用してから自分の話をする人がいますが、それがいけないのです。

私がなぜ、これほどまでに縛りつけるのかというと、
今まで人間がやったことは、その動機が自己中心的なものでした。
ですから、これを神様のみ言で焼き尽くさないといけないのです。

ですから今からは、原理講義は、
『原理講論』のとおりに講義することが望ましいのです。
そのようにして、分派を防ぐのです。

そして説教では、『原理講論』やみ言集を読んで解釈しながら、
「自分はこのようにみ言を実践した」という証しを入れていくのです。
そのように、あくまでも本を基にするのです。

お父様が、四十年間以上かけて語られたみ言がたくさんあるではないですか。
いくら語っても語り尽くせないほどの内容が、有り余っているのです。
それにもかかわらず、なぜ、そこに自分の考えを入れて、薄めてしまうのでしょうか。


その点、女性たちは素直にやるのではないかと思います。
男性の講師たちは皆、物知り屋で、話し始めたら、
いつの間にかお父様の話からそれていってしまいます。
いくらしかっても、その癖を直せない講師が多いのです。

聖書に、「新しいぶどう酒は新しい皮袋に入れるべきである」
とありますが、
それが今、女性時代において、
お母様とともに成すべきことであるといえます。


責任者たちがお母様に、
「何か一言おっしゃってください」とお願いすると、
お父様は、
「お母様は、お父様の書いた原稿以外は話さないよ」
と言われます。

そうなのです。
お母様は、お父様の反射体であられます。
月は、太陽の光を受けて光るのです。


ですから原理講義は、女性が今まで以上に行うべきです。
女性は、言われたこと以外はやりません。
そのことだけを一心不乱に行うのです。
最後の短期決戦を女性が担うということには、このような理由があるのです。

それでお父様は私に、
「男性は天使長だから女性についてくる。
だから妻を連れてきて教育すれば、夫はついてくる。
だから女性を教育しなさい」
と言われているのです。



お父様がおられるときは、
お母様は絶対服従の道を行かれました。

今は、お父様が霊界におられるので、
お父様と一つになって歩まれるお母様です。

しかし、原理原則の道を貫いておられる
真のお母様であることを知らないといけません。

原理講論、キリスト論を見れば、
真の父母様の価値が一目瞭然なんですが。。。

続きます。





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2017年05月25日

講義を聞いて「いいお話でした」で終わるワケ?! こうして原理講論は執筆された3 《史吉子先生》



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お父様の原理講義、
説教は
“涙”です。



史吉子先生の証し、続編です。


こうして「原理原本」を基に
『原理講論』が執筆されていったわけですが、
当時においては、いろいろな問題も生じてきました。

例えば、「洗礼ヨハネが責任を果たせなかった」という内容は、
大変な反対を引き起こしました。
クリスチャンにとって、洗礼ヨハネという人は、
とても尊い聖者ですから、それも当然です。

また、イエス様の母親のマリヤのことも「原理原本」には、
すでにはっきりと書かれていました。
しかし、それらの内容は、当時はそのまま出すことができないので、
「これくらいだけ発表しなさい」ということで、選んで書かれたようです。


また当時は、「皆さん聞いてください。
六千年の神様の秘密が文鮮明先生によって解き明かされました」
という調子で、既成教会を意識して書かれたので、
そこには聖句がたくさん引用されていました。

こうして、まず第一段階としてまとめられたのが、『原理解説』です。
『原理解説』は、原理の一部を説明するものにすぎません。
そして当時は、原理講義と言わず、「原理宣布」と言っていました。

その10年後の1967年に、
「今度は、講師が読みながら講義することができるように、
もっと論理的に書くように」と言われて、何年間かを費やして、
今の『原理講論』がつくられました。
これは、“読みながら論ずる”ということです。


特に、お母様が来られて以降は、平和の時代となり、
愛と教育で世界を迎える時代になりました。

ですから、今さら暗記をする必要はないので、
お父様は、「原理の本を読みながら講義しなさい」
と強調されるようになったのです。


けれども、それまで劉協会長から伝統を受け継いだ
講師や牧会者たちには、一つの癖があるのです。
それは、相手を説き伏せるための“けんかのような講義”です。

当時は、今のように「静かに本を読みながら聞いてください」と言っても、
だれも聞いてくれないような時代です。

そのような中での原理講義は、例えていえば、
正規軍ではないゲリラ部隊のようなもので、
激しい戦いの中で口で言えるだけバババッと言って、講義していたのです。

その癖が、いまだに抜けない講師たちは、口さえ開けば、
あとは自分なりに講義ができるので、
今さら本を見ながらするのはめんどくさいらしく、
なかなかお父様の言われるとおりにやらないのです。

何回も何回もお父様からしかられながらも、
それでもやっぱりやらないのです。


原理講義において、『原理講論』をほったらかして、
自分の言いたいことを言い、たくさんの例え話や本で
読んだ知識を語るとどうなるでしょうか。
お父様の原理は薄められて、原理の味がしなくなってしまいます。


お父様の原理講義、お父様の説教は“涙”です。
金恵子さんのお母さんであり、平壌から侍ってこられた
金仁珠さんの証しを伺ってみると、そのことがよく分かります。

金仁珠さんが平壌で、お父様に初めてお会いしたとき、
お父様はまだ二十七歳(数え年)でいらっしゃいました。

お父様の歌われる讃美歌はとても静かでしたが、
やがてお父様の額からは汗がにじみ出て、しばらくすると、
涙が滝のように流れ、鼻水も垂れて、後で見てみると、
コップの水を半分くらいこぼしたように、床に水がたまっていたそうです。

それを見た金仁珠さんは、原理を聞く前に、
“ああ、このように必死になって讃美歌を歌われ、神様の心情、
イエス様の心情をこれほどまでに真剣に伝えてくれるこの方から、
私はもう離れることができない”と決心したというのです。


要するに、原理講義というものは、
その講師がどのような心情で行うのかによって、
聞く人の決心が決まるのです。

そのことを理解できないので、適当に例え話をしながら、
物知り屋みたいに、あれやこれやと本で読んだものを語っても、
聞く人は絶対に心霊的に復活しないのです。

「いいお話でした。面白かったですよ」とは言うけれども、
“この道をついていこう”という決心は、なかなかできないというのです。
ですからそのような講師は、
霊的生命に最後まで責任を持つことができないのです。



お父様は、原理を訓読するように、
昔から指示されていたんですね。。。

原理のみ言をしっかり受肉していれば、
今の分派の問題もないのだろうな、と思います。

原理講論は、本当に理路整然としていますが、
背後には、深い神様とお父様の涙があることを、
噛み締めながら、受肉していきたいです。

続きます。





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