2019年06月21日

(証し)「天宙をかけてみ旨をやったことがあるか?」 父の問いに、どう答える?!



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真の父母様の願い、
私たちにくださる使命や責任は、
とても不可能なことのように思えるかもしれません。。。

本部でスタッフをされている先生の
お父様との貴重な証しを紹介します。


私には、お父様との出会いの中で忘れられない思い出があります。

1999年の夏にジャルジンの40日修練会に参加しました。
そこでは「興進様の聖和は私たちが氏族メシヤを
勝利できなかったことが大きな原因である」ことが強調されました。

私は、5万50万摂理、ホームチャーチ摂理、
還故郷摂理の過去の経験からして、
「お父様は、私たちが、もっとも取り組みづらい時に指示されてきたな」
という思いが押し寄せてきて、他の全ての事柄は整理できても、
「氏族メシヤは難しい、不可能だ」という思いを強く残して帰ってきました。


真の子女の日に、当時の水沢里の修練所に行く機会がありました。
 
ある時間、モヤモヤした思いで下を向いて座っている私の前に、
お父様が立ち止まられて、み言を語り始められました。

「真の父母は天宙にも替えがたい」と言われながら、
突然私の頭を強くはたかれたのです。
「お前、今まで天宙をかけてみ旨をやったことがあるか?」

私は頭の中が真っ白になってしまいました。
天宙という単語は私の辞書にはなかったのです。
とっさに「はい、ありません」と答えていました。

真のお父様は、ニヤリと笑われながら、
「そうだろう。だから、そんな渋い顔をしてるや」と言われ、
その場が爆笑につつまれました。

後で冷静になったとき、答えが見つかりました。
「ハイ、それをされたのは真の父母様だけです」が正解です。

真の父母様が文字通り、血と汗と涙で天宙までの勝利圏を立てて下さり、
それを、個人・家庭・氏族の3段階の勝利で相続して下さるのに、
それが「できない」とか「難しい」ということは、
どれほど真の父母様にとって悲しいことであり、
残念なことなのかを思い知らされました。

まず、そのことに取り組み、勝利したいと決意して出発すること自体が、
天の父母様と真の父母様の願いなのです。



証しを読みながら、
私自身がその場にいて、
お父様から尋ねられたなら、
どのように答えていただろう、
そのように思わされます。

『死生決断、全力投球』
そのように語られていた、
真のお父様の姿が思い出されました。

天宙をかけて歩まれている真の父母様がおられるので、
困難な道が開かれ、摂理の黄金期を迎えているのだ・・・
そう思わされます。

『430』という数字、
縦においても、横においても、
決して簡単な数字ではありませんね。

それでも、先生の語られているように、
出来ない、難しい、という思いで何もしないのではなく、
絶対に勝利すると切り替えて、あきらめず
一歩一歩を父母様に捧げていく。。。

実際に、精誠を尽くせば、道が開かれるし、
何が起きるかわかりません。

地上ではお母様、霊界ではお父様が、
死生決断で歩まれています。
私たちもそんな真の父母様を慕いながら、
「天宙をかけて歩んでいます!」
そのように答えられる者になっていきたいと思うのです。





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2019年06月20日

(証し)アラスカ精神! お父様と50名の日本人女性、八定式までの道



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「八定式」が宣布されてから、もうすぐ30年が経つということです。
アラスカにおいて、精誠を尽くした
日本人女性たち。。。。

『世界家庭』では、当時の方たちの
証しが掲載されています。
そのうちの3名の方の証しを紹介します。


  米国50州の代表として集められた日本人姉妹50人

1983年の秋頃、コディアクの水産工場に、
西洋人と祝福を受けたばかりの若い日本人女性50人が集められました。

工場での仕事は、魚の水洗い、魚の内臓出し、冷凍作業、箱詰め、すじこ作りなど、
長時間立ちっぱなしの肉体労働でしたが、
「50人は米国50州を代表するんだね」というみ言を力に、
若さと信仰のパワーで乗り越えました。

冬は寒さとの闘いでした。
タラを処理する作業は多くの水を使うのですが、
作業台から流れる水は凍って、つららになっています。

作業は、軍手をはめ、その上にゴム手袋をはめて行います。
ナイフを使うため、時にゴム手袋を切ってしまい、
冷たい水が軍手にしみ込むこともあります。
ぬれた軍手や穴の開いたゴム手袋は次の休憩時間まで替えることができないので、
いつもお湯の入ったバケツをそばに置いて、
凍える手を温めながら作業を続けました。
(真佐子ウイットモア)


  釣りをされるお父様の船は神聖な空気に包まれていた

1989年9月、真のお父様と一緒のボートで釣りをさせていただく恵みにあずかりました。

ボートが停止すると、お父様は即座に釣りに集中されます。
釣り糸を垂らして、じっと海面を見詰めるお父様。
そして釣り糸の引きを念入りに確認されます。

海の上のお父様は、ただひたすら釣りに専念されます。
その張り詰めた神聖な空気が、ボート全体を包み込みます。

ボートでの私はひどい船酔いでしたが、
それでも釣り糸だけは海に垂らしていました。
すると私の糸に引きがあり、私にしてはたいそう大きな
アロートゥース(ハリバットと同じカレイの仲間)が釣れました。

一緒にボートに乗っていたある日本のリーダーが、
「お父様、私はあれより大きいのを釣ったことがあります」と申し上げると、
途端にお父様が「ええい!大きいんだよお」と大きな声でおっしゃったのです。
そのお言葉に娘をかばうような親の愛を感じて、
うれしい気持ちが込み上げてきました。
(洋子モウリス)


   「何年も待った夫を大切にしなさい」とお父様

毎年のように真の父母様はアラスカに来られました。
ですから工場で働く私たちはそのたびに、真の父母様にお目にかかれたのです。

そんな私たちに真のお父様は、
「あなたたちよりもっと苦労していても、
私に会うことができずにいる兄弟姉妹がたくさんいるんだよ」と言われました。

アラスカを出るときお父様が、
「何年もあなたたちを待った夫を大切にしなさい」と言われ、
心配しながら送ってくださったことが忘れられません。

どのような事情、環境にあっても全く変わらないお父様、
どんなに夜遅くなっても報告を聞かれるお父様の実体に侍る機会を、
コディアクにいたというだけで与えられ、
たくさんの思い出を頂いたことを、心から感謝しています。
(克子ホフマン)


『世界家庭』2019年6月号
「八定式」制定30周年記念
「誰よりも苦労する」アラスカ精神で歩んだ7年
水産工場で精誠を捧げた日本人姉妹たちの証し(上)
( 読みどころ紹介)


今から30年前、1989年8月31日に
お父様は八定式を制定されました。
翌9月1日には、天父主義を宣布され、
8段階の蕩減を越えて、
新たな時代の到来を宣言されたのでした。

お父様はこの時、
「70日後に大きな変化が起こる」 
そのように語られました。

まさにみ言のごとく、8月31日から70日後の11月9日に 
共産主義の一つの象徴でもある、
ベルリンの壁が崩壊したのでした。

そのような歴史的な宣布をされるための
立役者のごとく、精誠を捧げていかれたのが、
50人の日本のお姉さんたちでした。

お父様は、優秀な方たちをアラスカに集め、
多くの苦労の道を行かせました。
なんのためにこのようなことをするのか、
特別なみ言を与えられたわけではなかったのですが、
その精誠が大きな条件となったわけです。

7年もの期間、そのような苦労の路程を通過した
お姉さんたちに感謝します。
それは、お母様のご聖婚からの7年路程にも通じる気がしますし、
お父様は、この期間、祈られながら
宝物のように愛してくださったのだと思います。

けして小さい精誠ではありませんが、
このように思ってもいない大きな実を結ぶこともある。。。
私たちもそんな思いを持って、
日々、与えられた環境で
精いっぱい尽くしていきたいと思うのです。




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2019年05月04日

無神論者が、神様を信じるまで?! 昭和のパウロ誕生 《周藤先生の証し》



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日本では今までにない、長きにわたるゴールデンウイーク。
巷は令和に浮かれているように見えます。

この時代の真の価値は、
神様の願いを知らなければ本当の意味でわかりません。
この人たちが、神さまの子女であると知り、
孝情の心情が、この社会に満ちたらどんなにいいだろうか・・・

そんなことを思っていると
ふと周藤先生のことが頭に浮かんできて、
かつての証しを思い出しました。

実は、周藤先生は、
バリバリの無神論者だったのです。
その周藤先生が、
神様に出会った証しを紹介します。


大阪大学理工学部の頃、一人のクリスチャンの友達がいました。
「教会に行きましょう」と言われたのですが、
いつも断っていました。

「君は教会のことを言わなければ本当に良いやつなのに、
それだけが玉にきずだよ」とも言っていたくらいでした。

三年生の時に薬学部に変更し、四年生の時、
インフルエンザを患い、それがもとで急性腎炎になってしまいました。
医者から、三ヵ月くらい休んだ方が良いと言われ、
しかたなしに田舎に帰って、療養することになりました。

しかし二、三ヵ月経ってもすこしも良くならず、
寝たきりになって一年半も経ってしまいました。
その頃はよく空中を飛ぶ夢とか、空中を歩く夢を何度も見ました。

そのせいかいろいろなことをだんだん悲観的に考え始めたのです。

たとえば、もうこのまま死ぬのではないかとか、
また、病気も慢性化してきているので、
もうこのまま一生治らずに
生涯まともな体になれないのではないかという不安の中にいました。

そんな中で、ただ一つだけ私を慰めてくれたのは自然の美しさでした。

そのうち近所の人たちから『信心』をしたら治るなどと、
いろいろな勧めを受けました。
しかし信仰をするくらいなら死んだ方がましだと、私は思ったのです。


ある時、生長の家の本が送られてきました。

最初は関心がなかったのですが、何度も何度も送られてくるので
半信半疑で開いてみると、結核の空洞が消えたとか、
ガンが治ったとか、家庭の不和が止んだとか、
不治の病が治ったとか書いてあったのです。

そのうちに、一つのことを発見したのです。
それは、そういう奇蹟が起こる前には
悔い改めとか懺悔というものが必ずある、ということでした。

では自分はどうなのかと考えてみると、
今までに二十年間の自己中心的な歩みが次から次に浮かんできて、
自分の醜さに対してどうすることもできなくなってきたのです。
そして、こんなに汚い自分がこのままもし死んだとしたら、
と思うと堪えられなくなったのです。


次にもう一つ気がついたことは、
自分は今までたった一人の人をも
愛したことがなかったということです。

誰をも愛さず、誰からも愛されず、
こんな醜い姿をして死んで行かなければならないとしたら、
どんなに惨めだろうと思いました。

学校の卒業証書だとか、表面的なものが何になるか、
裸の自分はどうなのか、その自分の姿は何と醜い姿なのかと思った時に、
たまらなくなってきました。

私は、七日間涙ながらの悔い改めをしました。

すると今度は八日目に『甘露の法雨』(生長の家の経典)が届いたので、
それをずっと読み続けました。
今度は一つひとつの言葉が身にしみてくるようになったのです。


それは蒸し暑い日のお盆の頃でした。

私は生も死も超えて何か高い者の前に
自分を委ねようという気持ちがふつふつと湧いてきたのです。
私は生まれて初めて手を合わせました。

すると次の瞬間、パウロのような体験をしました。
右斜め上からはっきり光で打たれたのです。
次に、脳天から通じる真っ赤な炎が飛び込んできました。

私はびっくりし、何か起こったかわからず
しばらく身も心も麻痺したようでした。

十分くらいしてから、背中の方がおかしいことに気がつき
手を当ててみたら、今まで悪かった腎臓が震動していたのです。
『治った!』と私は思いました。

まるで夢か幻のようでした。
自分をつねってみました。

本当に神様を見たようでした。
今までは神様を見せてくれと言っていた自分でした。
しかし実際に体験することによって人生が180度転回しました。

神様が存在するという生きた体験は、
自分にとって大きなものでした。

私は、人生における大飛躍を通じて、
『百万人が反対しても自分は神様は存在すると言い張ることができる。
百万人を相手にしてみせる』という気持ちになりました。



周藤先生はクリスチャンだったという
認識があるかと思いますが、
それは、生まれながらではなく
お父さんの影響で、長く無神論者だったようですね。

家庭連合(当時は統一教会)に導かれることになるのは、
この後のお話になります。

さて、奇跡が起こった背景には、
7日間もの間、涙で悔い改めていかれた
20歳の周藤先生の姿がありました。

まさに信仰基台と実体基台、
信じて、実践したことにより、
神様が働いたのだと思います。

無神論だった周藤先生が、
神様を受け入れていったように、
もともと神様を信じていなくても、
素直な人であるならば、
神様と出会えることを確信します。







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