2020年11月29日

初めて会った文先生のオーラは、金色で破格級だった?! 《梶栗会長の証し》



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梶栗会長の証しを毎週発信して、
皆様から好評をいただいています。

今回は、初めてお会いした時の
お父様にまつわるエピソードなど
盛りだくさんの証しを紹介します。

(一部最近紹介した証しと重なる内容が
ありますが、ご了承ください)



1965年、真のご父母様ご一行が来日されました。
当時、私は本部の総務部にいました。

真のお父様は、到着されるや否や壇上に立たれ、祈祷されました。
嗚咽しながら、祈祷されたのです。

待ちに待ったお方にお会いすることができたのです。
私は2年間待ちましたが、
クリスチャンは実に二千年間待ち続けたのです。

お父様は説教される中で、
「イエス様」と言われるたびに、涙を流されました。
「このお方は、イエス様と同じご心情のお方だ」
ということが分かりました。


自分の出身がそうだから仕方がないかもしれませんが、
お父様に対する印象は、正直に言って、
「土木工事の親分」というものでした。

ものすごく苦労されたお方で、
人の苦労をよく知っておられるお方だと思いました。

おそらく、やくざだったらやくざの大親分に見えるでしょうし、
クリスチャンにとっては、当然「再臨主」なのです。


当時、私は霊視することができ、
人々の背中にオーラが見えました。

そのオーラの大きさ、深さ、輝きで、
私なりにその人物を評価していました。
西川先生のオーラはすごかったです。

ご父母様のオーラは、破格であり、
金色に輝いていました。

その金色の霊の波が、会場全体を包み込み、
そこにいた兄弟姉妹は感動に打ち震えて、みな泣いていました。


ある人が何か質問しようとして、「はい!」と手を挙げた時、
お父様は「その質問は後にしなさい」と言われました。

まだ何も発言していないのに、お父様は、
あらかじめどういう質問をするのか知っておられたのです。
それには驚いてしまいました。


まだあります。

私は夜寝る前に、お父様のお部屋のそばの
廊下でお祈りをしました。

すると、翌日の朝食の時に、
「きのう、廊下で祈った者がいるだろう」
と言われて、またびっくりしました。

壁の向こう側で祈っているのを知っておられたのです。


ある日、お父様が庭を一人で散歩されていた時、
ばったり顔を合わせてしまいました。
周囲には、だれもいませんでした。

お父様は満面に笑みを浮かべて、私をご覧になりました。
それはもう、一生涯、忘れることができない出会いでした。

そして、「先生をどう思う?」とお聞きになったので、
私は「再臨主です!」とお答えしました。

「再臨主か…」と言われながら、遠くを見つめ、
何か考え事をされているごようすでした。

そのころは、日本ではまだ「大先生」と呼んでいました。


「武士は己を知る者のために死す」と言います。

自分の過去、現在、未来を知っておられるこのお方こそ、
武士が侍るべきお方であると確信しました。

学生時代に「武道とは真理を体得することである」
と教えられましたが、
このお方は「真理とは何か」を解明され、
それを体得する方法まで教えてくださるお方でした。

お父様が教えてくださった真理の核心は、
「敵討ち」ではなく、
「怨讐を愛せよ」という教えでした。

お父様ご自身が、怨讐である日本人を、
赦し、愛されたのです。

お父様は日本を救うために、43日間の断食をされながら、
西川先生を宣教師として日本に派遣されたのです。

日本人に対し、満面の笑みをもって対される、
お父様の真の愛に触れ、
一瞬にして、反朝鮮の思想は吹き飛び、
「このお方について行こう!」と決心しました。

こうして、私も再臨のメシヤに従う
一人の弟子として加わることになりました。


1970年代のある時から、日本政府は
真のお父様の日本入国を拒否し続けました。

日本政府の入国拒否は、1984年のダンベリー刑務所の服役で、
さらに決定的となりました。
政治犯以外の刑事事件の犯罪で一年以上服役した者は、
日本に受け入れないという日本の方針に抵触するというものです。

しかし、ご父母様は入国されなくても、
その精神は日本に伝わっています。
そして、日本統一教会の基盤は
揺るぎないものとして発展しているのです。

ご父母様は、日本を守り、日本を生かすために、
全力を尽くしてこられたお方です。

私はそのようなご父母様のお姿を
直接、見てきた一人です。
今も日本を生かすために、
祈り、尽くしてくださっているのです。


日本は、その恩に対して、仇で返してしまいました。

このように、神様に反対する国が栄えるはずがなく、
その後、バブルは崩壊し、人心は乱れ、
国は滅亡の淵に向かって突き進んでいるのです。

正しいものを打てば、弁償しなければなりません。
これが天地の法則です。

もし、日本に統一教会の群れがいなかったならば、
日本はとっくに滅びていたことでしょう。
真のご父母様の愛に報いる日本にならなければなりません。

(TPマガジンより)


いろんな観点から語られていました。
どれも珠玉の証しです。
梶栗会長、ありがとうございました。

お父様の霊的な感性の鋭さは、
改めて素晴らしいと感じました。。。

また、お父様のオーラは素晴らしいのですね。
お母様のオーラはどうなのでしょうか。
お父様と全く同じなのか、
それとも、相対の立場なので・・・
ちょっと興味がつきないですね。

梶栗会長は、今も霊界において
真のお父様のお側で侍りながら、
真の父母様に侍る日本となるべく、
全力投入しておられることでしょう。

地上の私たちを導いておられることを信じて、
私たちもみ旨にまい進していきたい。。。
そのように感じました。





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2020年11月27日

真のお母様にまつわる2つの証し ご子女様と私たちへの愛の違い 《中村惣一郎先生》



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「真の愛」と口ではいいますが、
具体的にどのような愛なのでしょうか。

中村惣一郎先生(777双)が
真のお母様の愛に触れた証しです。


真のお父様は、1965年1月28日、
第一次世界巡回路程の最初の訪問国として、
日本を訪ねてくださいました。

西川勝(崔奉春)先生(36双)から
お父様のお話を伺っていましたが、
当時はお父様とはお呼びせず、
「大先生」とお呼びしていました。

まだ一度もお会いしたことはなく、
お写真でもお顔を拝見することが
あまり多くはありませんでした。

イエス様の果たせなかった使命を成就されるために、
再臨主としておいでになったお方を
どのような心情でお迎えしたらよいのか、
戸惑っていたことを思い出します。

長年、真の父母様に侍り、子女様を
見守ってこられた申美植(シンミシク)先生(西川先生夫人)が、
深い心情でお父様をお迎えすることができるように、
私たちの心を整えてくださっていました。

このとき、真のお母様は韓国におられ、
お父様に同行された崔元福先生が
お母様からのメッセージを私たちに伝えてくださいました。

「愛という言葉の持つ
 限りない意味を込めて、
 あなた方を愛します」


というものでした。

まだ教会の基盤のない草創期、
お母様とお会いしたこともない、
お写真を拝見したこともない時代でした。
このみ言を通して心にしみるお母様の愛を感じました。

全国の食口たちも本当に慰めを受け、
勇気を与えられたと思います。


それから20年近く経った1983年夏、
お父様のお供をして、アメリカ・マサチューセッツ州の
プロビンスタウンでマグロ釣りをしたときのことです。

ある日、嵐が来るから早めにマリーナ(ボートの停泊所)に
戻るようにという連絡が入り、
私たちは午後5時位に着きました。

近くの出店を見ながら777双の兄弟と二人で
迎えの車を待っていました。

そこに普段着姿のお母様が来られました。
私たちがご挨拶すると、お母様は、
「お父様はまだですか?」と日本語でお尋ねになりました。

私たちは、「もうすぐ、
お帰りになると思います」とお答えしました。

お母様は、手に持っておられたドーナツを
ポッと割って、私たちに下さったのです。
それはあまりにも自然な行為でした。

とても不思議な感じがしました。
“これは何なのだろう?”と、
お母様を通して体験した感覚の世界を、
自分なりに尋ね求めてみました。

「このドーナツを食べなさい」と言われれば、
それに対して「ありがとうございます」
というような会話が普通であろうと思うのです。

しかし、そのときのお母様の印象は、
もっともっと近い感じだったのです。

私は、”そうだ!ご自身の子女である
興進様と私たちを同じように扱ってくださっている。
ご自分の子女様と他人の子女との差がないのだ”
ということに気づいたのです。

よく、「カインの子女を愛して、
それから、アペルの子女を愛する」と聞いていましたが、
お母様におかれては、その差がないのです。

書籍『心を打つ50の証し
真のお母様、感謝します』より
「私の心に響いた真の愛」
中村惣一郎(777双)


日本語を語られるお母様に
愛を感じます。

また、お母様がドーナツを渡されたお姿。。。
中村惣一郎先生は、「不思議な感じがしました」
そのように表現されています。

私たちがお母様に侍る心情と
お母様が私たちを愛する心情に
隔たりがあるのでしょう。

おそらく、中村先生は
そのとき初めて挨拶されたのですから
深い心情の因縁はなかったかもしれませんが、
お母様は子女様と全く同じように
接していかれました。

「真の愛は直短距離を通る」
そのように言われますが、
真の親の愛が、子女に向かう心情が
ドーナツを渡される姿になって
表れているのだと思います。

私がその場にいたとしても、もしかして
全く同じように対してくださるのではないか。
そのような真のお母様のご心情を
求めていきたいと思うのです。







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2020年11月24日

(証し)お父様に「歌いなさい」と言われたら?!/夜中にトイレの前で出会ってしまったら… 《森山先生》 



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お父様が一言、言われました。
「今まで大変だったね。
これからは大丈夫だよ」

皆さん、今日まで、
大丈夫だったじゃないですか。
そして、これからも大丈夫なんです。


森山操先生


昨日、ふと、すでに聖和されている
森山先生のことを思い出しました。

以前、聖和される前に講演に
来てくださったことがありました。

皆様もご存じの、あの有名な証しなど、
真のお父様との出会いについて、
さまざまお話ししてくださいました。

お父様が地上におられない今となっては、
さらに貴重に感じられます。


お父様に呼ばれて、
アラスカに行ったことがありました。

アラスカのコディアックというところで、
魚釣りをみんなでするんです。

白夜なので、夜遅くなっても、夜が更けないんですね。
夜中の12時まで、お父様と釣りをしました。

宿舎に戻ってきましたが、
帰ってすぐに寝るんじゃあないんですよ(笑)。

お父様のみ言があるんです。
気持ちは聞きたいんですけど、
体がついていかない。
眠くて眠くて、どうしようもありませんでした。

そして、お父様は
「この中で一番歌の上手な人が歌を歌いなさい」
と言われました。

私は歌が上手いわけではないのに、
参加した皆さんが
「先生、歌ってください、歌ってください」
と推薦するもんだから、
お父様も、「あんた、歌って」
と呼ばれてしまいました(笑)。

それで、ふるさとを歌ったんです。
歌い終わって、お父様が
なんて言ったと思いますか。
「今度は、もっと若い者が出るように」(爆笑)

ただ、お父様は
もう一言、言われたんですね。

そこには、花が飾ってありました。
お父様はその花を見ながら、
「あなたが歌ったら、この花も一緒に歌ったよ」
そのように言われました。

お父様って、普通の人と観点が違うな、
見えないものが見える方なんだ、
そのとき、そう思いました。


昔はお父様のことを真のお父様ではなく、
大先生と呼んでいました。

お父様は、日本に来られたとき、
「よく来たね」
と言われました。

来たのは、私たちじゃなくて、
お父様のはずなのに、
「よく来たね」なんて、おかしいですよね(笑)。

でもそれは、
「君たち、いろんな困難があったと思うけど、
よくこの道に来たね」
そういう意味が含まれていると思いました。


あるとき、韓国の修練会がありました。

そのとき、お父様は「膀胱」について話をされました。
何で、天宙のメシヤたるお方がそんな話をするんだろう、
そう思って、なんだかその日は眠れませんでした。

それで、夜中にトイレに行きました。
廊下を歩いていたら、
突然、向こうからお父様がやってきたんです。

私は、パジャマ姿ですし、
「何で、こんな時に」
そう思って、とても緊張して、
お辞儀どころじゃなかったんです。

それで、とうとう、お父様と
目と目があってしまいました。

それで、一言、こう言われました。
「今まで大変だったね。
これからは大丈夫だよ」

(講演で自分の身の上を何度も話しましたから)
私の素性は皆さんご存知だと思いますが、
実は、夫と祝福を受けるまで、
そういう過去のことを、食口の方に
話したことは一度もなかったんです。

だから、お父様にも当然わからないはずなんです。
なのに、「今まで大変だったね」と言われた。

今までのことを、言わなくてもわかるとするなら、
親ならわかるはずだ、
だから、お父様は魂の親だと
本当に思いました。


そして、「これからは大丈夫だよ」
これは、私だけでない、
みなさんたちにも言えるんです。

皆さん、今日まで、大丈夫だったじゃないですか。
そして、これからも大丈夫なんです。

お父様は私だけじゃなく、
皆さん一人ひとりに、「大丈夫」
と声をかけてあげたい思いをもっておられるんです。



森山先生がアラスカに行かれたのは、
1990年代初めだったと思います。
森山先生の歌声は、魂の歌、というか、
とても気持ちが入っている歌声でした。

「よく来たね」と語られたお父様。。。
いろんな思いが込められていると思うと、
なんだかしんみりとしてきますね。

「これからは大丈夫だよ」
魂の親であるお父様は、
今の私にも語ってくださっている。。。
そう感じました。




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