2021年10月10日

原理との出会い、そして、突然霊眼が開けました 《神明先生手記 後》



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神明先生の手記のクライマックス、
大学時代、教会に出会った頃の証しとなります。


そのような中で、「原理」に触れたのが
東大在学中の一九六六年七月でした。

夏休みが始まる前の最後の授業が終わり、
門を出ようとしたときに、「幸福とは何か」
と書かれた原理研究会の看板を目にしたのです。

その看板を見て、
「まあ、どうせ、俺だって求めたんだから……。
いろいろな人が求めてきたけど、人生の意味も目的も分からないんだ。
それが分かって達成すれば幸福になるだろうけど、
目的が分からない限り誰も幸福にはなれない。
だから、こんなの求めても無駄さ」と思いながら通り過ぎました。

しかし、二、三十メートル過ぎてから、
「だが待てよ。ひょっとしたら、何かがあるかもしれない。
一応参考のために聴いてみよう」と看板の所に戻ったのです。

そして看板の指示どおりに、「原理」の展示説明会の
会場になっている教室に足を運びました。


そのとき私に声をかけてくれたのが、
当時青山学院大の学生だった福井智也子さん(七七七家庭)でした。

私は簡単な説明を聞いて、すぐに
一週間のセミナーに参加することにしました。
「原理」という言葉に引かれたからです。

霊の親の福井さんに感謝すべきことがあります。
私は、セミナーに参加することを約束はしたものの、
自宅に帰った後、夏休みのアルバイトなどを
すぐに始めなければならない現実に気がつきました。

それで、福井さんが一日か二日後に確認の電話を
下さったときに、今回は参加できない旨を伝えたのですが、
こういうときに何を優先すべきかを彼女から聴かされ、
やはりセミナーに参加することを再度決めたのです。
この後押しがなかったら、どうなっていたことでしょうか。


いよいよセミナーに参加しました。
でも、大学のサークルの合宿だと思って参加したのですが、
とても宗教色が強かったのです。

初日から、私を除いた百人余りの全ての参加者が、
「お父様!」と叫んで祈祷しているのです。
彼らは、それぞれの地区で二日間か三日間の
修練会を通過してきた人たちばかりだったのです。

それで、私は途中で帰ることにしました。
すると、女性の班長さんたち数人が私を取り囲んで、
「講義を最後まで聴いてください」と懇願するのです。

しかたなく復帰原理まで聴きました。
ところが、そこで奇跡が起きたのです。

つらく悲しい神様がいらっしゃったことを知り、
「悲しみ、苦しんでこられたのは、自分じゃなくて神様だったんだ」
と思い、涙が止まらなくなってしまいました。

それからは修練会が終わるまで、講義を聴くと、
ハンカチもノートも涙でぐしゃぐしゃになるほど泣きました。

そのときに、「そのように悲しみ、苦しんでこられた神様を
幸福な神様にしてさしあげるためなら、
この私は不幸になってもいいというほど働きますから」
と祈りました。

そして、一か月後に行われる十四日間の
第三十四期特別修練会に参加して
献身的に歩むことになったのです。


この原研の七日セミナーが終わって下宿に戻ると、
父から、「原理研究会なるものに行ったんだって?
おまえは何をやってるんだ!」と叱られました。

当時、中国では文化大革命が起こり、紅衛兵が激しく活動していました。
それで父は、「原理研究会の青年たちは紅衛兵と同じだ。
そんなところに入るんじゃない」と言っていました。

私が東大合格を果たしたときに一筋の涙を流して喜んでくれた
父にとっては、私が変なところに行くことなく
無事に大学を卒業することが願いであったに違いありません。

そのとき私は、父にこのように言いました。
「お父さん、この僕の歩みを知っているでしょう。
創価学会にも行きました。
それは創価学会のメンバーになるためではなく、
何か真理があるかもしれないと思ったからです。

民青(日本民主青年同盟)の共産主義の大会や
サークルに行ったのも、共産党員になるためではなく、
そこに何か役に立つものがあるかもしれないと思って行ったんです。

(統一原理を学ぶ)原理研究会も同じです。
そこのメンバーになろうと思って行ったのではなく、
人生の目的を知ろうと思つて行ったのです。
分かるでしょう?」

すると父は、「何を。こいつ、生意気言うな」と言って、
私の頭をゴツンと殴りました。
ものすごく痛かったです。


そして、その痛みが、どのように振動したかというと、
なんと私の霊眼が開けたのです。

自分の目の前に霊的に現れてきたのは、
旧約時代の預言者たちが石を投げられ、村から追い出される場面でした。
「出ていけ!」と言われる預言者の姿がぼうっと実際に見えるのです。
私はものすごく悲しくなり、泣きました。

次に、真理を語られるイエス様が十字架にはりつけにされる場面が見えました。
悲しみながら殺されていくのです。
私はそれを見て、激しく泣きました。

預言者やイエス様という義人たちが迫害される切ない姿は、
あまりにも悲しいものでした。


私があまりにも泣くので、父は、
「おまえは、やっぱり精神異常者になった。
早く寝ろ。明日、必ず精神病院に連れていく。
手錠をはめるぞ」と言ったのです。

私は、しかたなく寝たのですが、横になっても涙が止まりません。
さっき見た光景が目に浮かんで、悲しくなるのです。
その背後にいらっしゃる神様があまりにもかわいそうで、
涙を止めようと思っても止まらず、枕はぐしょぐしょにぬれました。

しかし、朝まで下宿にいたら、精神病院に連れていかれるので、
午前二時半頃、静かにかばんに下着や衣類、歯ブラシなどを入れて、
父に気づかれないように部屋から出て、アパートの階段を下りて、
南平台(東京・渋谷)の原研本部に逃げ込んだのです。

父と私が住んでいたアパートは(京王井の頭線)駒場東大前駅(東京・目黒)から
五分くらいの場所だったのですが、そこから夜道を一目散に駆けていきました。

すると翌日の午前九時頃、父はかんかんに怒って、
すごい形相で原研本部に私を連れ戻しに来たのです。
すぐさま、論戦が始まりました。

原研側は、リーダーだった星野一夫さん(七七七家庭)が立ちました。
その他にも二人くらいいましたが、二時間ほどやり合って、平行線でした。
父も、東北大の大学院まで出た学のある人だったので、簡単には負けません。

私は座って両者を見詰めていました。
そして最後に父は、「らちが明かない。しかたがない。
とんでもない」と言って、私に向かって、
「おまえも、青ざめた、やつれた顔をしている。
前の健康な顔は全然ないよ。
こんなところにいやがって。このばかやろうが!」
という感じで、私を放っておいて帰ったのです。


私はこの後、あまりに悲しくなって、
「天のお父様。天の神様。
自分の父親も説得できないこのような悲しい状況です。
どうしたらいいんでしょうか?」と、
南平台の聖地でこうべを垂れ、独り祈りました。

すると、もう考えることもできない、
とてつもなく不思議な聖霊現象が起きました。
上から直径一メートルもありそうな黄金の火の玉が、
垂直に下りてきて私の体の中に入ってきたのです。

私の体は震え、涙がとめどなく流れました。
自分の父親を説得できなかった申し訳なさで顔を上げられない私に対して、
「おまえ、よくやった。よく頑張った」
と慰められているような感じでした。

そして、私は悔い改め、「これから、もっと頑張ります」
というような新しい決意をさせられる不思議な響きでした。

上から火の玉が下りてきて、このような足りない者を
引き上げてくださる天の愛を感じ、深く感動しました。
私は、この出会いがあったので、
一度もこの道から外れずに歩んでくることができました。


1994年にUTSの総長に就任してから二年後、
私は初めて、入教したときのこの証しを、
真の父母様の前で長々とさせていただきました。

そのとき、真のお父様はじっくりと聞いてくださり、
「霊界が導いた。霊界が本当に働いたんだね」と語って喜んでくださいました。

その後、事あるごとに、真のお父様は、
皆の前で私の入教時の証しをするようにと命じられました。

多分、その理由の一つとして、私が自分の父親を捨ててまでも
真の父を選んだということが、とてもうれしかったからではないかと思います。

お父様はあるとき、こうおっしゃいました。
「神明のお父さんは今頃、霊界ではびっくりしているね。
先生の前でこのような証しをしているんだから」と。

この南平台の聖地での出来事と同じような現象は、
これまでの五十年を超える信仰生活の中で何度かありました。
大変なときに祈ると、ばあっと来るのです。
今でも来ます。

特に、危機にひんして、本当に張り詰めた思いになって
天に祈ると、ばあっと下りてきます。

また、別の形で、温かい波動が下りてきたり、
温かい雰囲気に包まれたりして、
困っている私たち人間を癒やしてくださるときもあります。

このようなことを通して、神様が弱い自分をいつも助けてくださるのです。

そして、幻で真の父母様を見たり、
真のお父様を慕っていると目の前に現れたりします。

真の父母様が語られた内容を人が報告していても、
もはやその人が語っているのではなく、
お父様が語っておられるように見えて、
愛の波動を受けてぶるぶると震えることもありました。

そのような、ここには書ききれない
多くの導きの中でここまで歩ませていただきました。
天の父母様(神様)と真の父母様の
一方的な導きに心から感謝申し上げます。

信仰手記 霊界に導かれて
(「世界家庭」2017.7/P.86〜93)
 米国・ベルベディア教会 神明忠昭(七七七家庭)


お父さんに殴られて霊眼が開けたなんて、
何とも凄いことですね。。。

お父さんに反対されても教会を辞めなかった、
そのことによって、真のお父様の前で
証しする機会を与えられた、という風にも言えますね。

私がマイナス的な環境にあっても
感謝、甘受することにより、
天の祝福が与えられるし、
与えた人にも条件が立つ、
ということになるんだと思います。

神明先生の証しはこれで最後になります。
珠玉のエッセイも含めて、
心に残るみ言をありがとうございました。




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2021年10月05日

54年前、日本語版原理講論ができるまで 《小山田先生》



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文鮮明師(真のお父様)より
日本語版原理講論の編集に責任を持つように
指示を受けた小山田先生。

わずか数ヵ月で発刊するまで
相当のご苦労があったと思うのですが──

第二章 真の父母様の御来日と『原理講論』

「真のお父様との出会い方にもいろいろあると思う。
能力や霊力、総合的能力など。
しかし、 お父様を見詰めるための焦点が合わないと、
お父様は見ても見えない。
君は、原理のみ言を 焦点にして、お父様を見なさい」

その後、お父様は、「劉孝元と小山田が
連絡の核となり、『原理講論』の構成や翻訳などに
関わるように」とおっしゃいました。

そして私は、『原理講論』の言葉の翻訳や名称の記述を整えるために、
ずっと劉孝元先生と共に携わってきたのです。
その工程の中で感じたことを紹介したいと思います。


日本語への翻訳の難しさ

まず、同(1967)年六月十二日に真の父母様が来日された際、
韓国で発刊された『原理講論』を日本語に直訳した
分厚い資料を持ってこられました。

日本留学の経験があるなど、日本語が達者な
韓国の先生方が翻訳を担当されたものでした。

その内容について、劉孝元先生を中心として
一つ一つチェックしていきました。
韓国語から日本語への直訳だと繰り返しが多く、長くなります。
それを日本語に訳していくと、今度は
韓国語の元々の意味が失われることがあります。

すると、「それは日本語では通じません」ということになり、
侃々諤々(かんかんがくがく)の話し合いが続きました。
私は、「翻訳とは、こんなにも難しいものか」と感じました。

「原著者がいても、これほどかかるのだから、
普通の翻訳なら数割しか正確に伝わらない」
ということを強く感じたのです。


例を挙げると、「創造原理」の「神の二性性相」の中の
「神の本性相と本形状は、各々本陽性と本陰性の
相対的関係をもって現象化する」との言葉は、元々ありませんでした。

この文を入れることを劉孝元先生が、お父様に進言し、
「それでよい」と許可を頂いたのです。

また、「キリスト論」には、「重生論」とありますが、
日本には「重生」という言葉がありません。

そのため、「最初の段階では『新生』としてよろしい。
しかし、版を重ねる際には『重生』にしなさい」となったわけです。

もう一つ重要な部分として、「再臨論」では、
メシヤが来られる国、韓国について、いろいろと条件が記されていますが、
初版は簡潔にまとめられていました。

これについても、お父様から「再版のときは
詳しく載せるように」とのご指示を頂きました。

天来のみ言ですから、聖書のごとく
「一言一句加えてはならない、削ってもならない」というのが
原則ですが、お父様はこのみ言を受け入れやすいよう、
それぞれの国の事情を考慮してくださったのです。

日本語版の「原理講論』は、一九六七年十月二日に発刊されました。



重生論は、私が導かれたころの原理講論には、
「新生論」と書かれていたことを覚えています。

それ以外にも多くの部分で、
韓国語の原文とは違っていたのですね。

そういう意味でも、み言を韓国語で受けることは、
どれほど重要なことかしれません。

言葉の背後には、心情があります。
正しい心情を受けるには、
正しい言語を理解する必要があると思います。

ですから、翻訳に携われた劉孝元先生、小山田先生はじめ、
多くのスタッフの方々がどれほどのご苦労をされたのか、
そのことを感じるのです。




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2021年10月01日

証しをする私と一緒に、真のお父様が「おーい!」と叫んだ場面とは 《神明先生信仰手記 中》



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真のお父様は、神明先生の証しを好まれて、
何度も公的な場で話させました。

ある場面では、「おーい!」と共に叫んで
参加されたといいます。

今回は、上京した高校・大学時代の証しになります。


いよいよ東京に出て、高校時代は東京の下宿先で
毎日自炊しながら、父と二人で生活していたのですが、
それまで苦労してきた父は私の優秀な成績を示す
通信簿をいつも見ながら、にこにこしていました。

息子が良い成績を取って、良い大学に進んで、
良い仕事を見つけて、良い給料を得て、良い家に住んで、
良い奥さんをもらって、安楽な生活ができるように、
と父は考えながら私に大きな期待をかけました。

しかし私は、そのような父は利己主義的な人間にすぎないと思い、
父がとても嫌になってきたのです。
そして学校で勉強することにも疑問を抱き始めました。

私は高校二年くらいから問題意識を持ち始め、
勉強は何のためにするのか、人生の目的は何なのかを考えました。

全ての人間が結局は利己主義で動いているのではないかと思い、
しかも自分の行動を見ても、しかり、そのとおりではないかと思いました。
自分に邪心があるとすでに感じていたからです。

もしそうだとすれば、自分は人間として生きるのは嫌だとも思いました。
そして、万が一、利己主義のレベルを超えた、
何かある崇高な目的があるのならば、それをぜひ知りたいと
願ったのですが、それが分かるわけがないので悩みました。

しかし、悩んでばかりでは勉強に手がつかなくなるので、
とにかく自分を押し殺して勉強に集中し、
東京大学の理科一類に合格しました。


理系に入ったのですが、私は人生に関する小説や
人生論に関する書籍をたくさん読みました。

真理を求めて、カントの分厚い『純粋理性批判』なども買いました。
これはドイツ語から日本語に訳されたものでしたが、
読んでもチンプンカンプンなので、本の表紙をめくった次のページに
「不可解なり」と大きい字で書いて、
悔しい思いを持って本を床に強くたたきつけました。

(これは後のことですが、アメリカに来て神学を学ぶうちに、
カントと再び出会って勉強をして、カントの真意を理解したときは、
最終的に神様がこのような自分を導いてくださったのだと思い、感謝しました)

そのときから、教授をはじめいろいろな人に質問しました。

父親に、人生の目的についてしつこく質問すると、
「ばかやろう、そんな疑問は持つんじゃないよ」などと言われました。
兄に聞くと、「そんな疑問を持つなんて、生意気だ」と言われました。

大学の先生に聞いても、物理学などでは、
「いかに」この宇宙が動いているかということを探究するのであって、
「なぜか」はこの分野では問わないんだと言われました。


入教前のキリスト教との出合いは個人的なものでした。
工業高校一年のときから新約聖書を読み始めて、
イエス・キリストの偉大さを感じていました。

他人に見えるようにして断食する偽善者を叱責したり、
水上を最後まで歩く自信のない信仰の薄いペテロを叱責したり、
怨讐を愛することの必要性を説いたりするイエス様からは、
内的権威を強く感じて、私の師匠だと思うようになりました。

しかし、二千年のキリスト教歴史があるのに、この世の中は
少しも良くならず、どんどん悪くなっているように思えました。
宗教戦争もあり、クリスチャン同士でも争っているのです。
私はそれを見ながら、キリスト教会という組織に行こうとは思いませんでした。

でも、キリスト教思想にはますます引かれていきました。
大学一年のときに取ったドイツ語のクラスで使われた教本が
シュバイツアー博士の書いたもので、それを読みながら、
彼がキリスト教的な博愛主義からアフリカで医療活動をしたことを知り、
感動のあまり、そのことについて連日のように真剣に考えました。

それから、トルストイの小説『復活』の主人公ネフリュードフが、
腐敗した社会を変革するために、イエス様の教えを基にして
立ち上がろうと決意するという、その小説の最後の場面にも
熱烈に感動して、自分もそうしようかと考えたりもしました。

小説の最後の部分には、新約聖書のマ夕イ伝からの
山上の垂訓が引用されていますが、それには特別なものを感じました。


もう一つ悩んだのが男女の愛の問題でした。
男女は愛し合うというけれども、その愛は相手の良いところに引かれて、
それを自分のものとして独占しようとするので、
結局は醜い利己主義ではないかと思ったのです。

私も大学生として若者ですから、ある女性Aに心が向いたことがありました。
しかし、あるとき、別の女性Bが現れて強烈に私に思いを寄せてきました。
私はBの私に対する思いを良くは思わず、
それは利己主義ではないかと感じました。

でも、それが利己主義ならば、結局は、
私のAに対する思いも同じように利己主義であるに違いない
と気がつき、ショックを受けました。

そのような利己主義的な愛はシュバイツアーの博愛主義の愛と
どういう関係があるのだろうかと真剣に悩みました。

そして、結論として、愛の本当の意味を知るまでは、
決して女性を愛すまいと決意しました。

それゆえ、道を歩いているときなど、美人が向こうから歩いてくると、
私は、「バカらしい」という言葉を吐き捨てながら、
目を避けて通るほどでした。


その頃から私は、いろいろな疑問の答えを宙に向かって、
「おーい、教えてくれえ。人生の目的って何なのか?
愛って何なのか?」と叫び求めていました。

夏休みなどで田舎に帰ったときも、空や山に向かって、
「おーい。教えてくれえ」と叫んでいました。

真のお父様の前で、証しをしているとき、
この場面になると、お父様も声を上げて、
「おーい」とおっしゃいました。(笑い)


大学生のあるとき、冬の夜、父はまだ仕事から戻らず、
私は独りで、こたつに当たっていました。

あまりにも悲しくて、天井に向かって、
「おーい。人生の目的は何か教えてくれ。
本当の真理とは何か、そういうものがあるのなら、
どうか目の前に現れてくれ。
それを知ることができれば、本当にうれしい。
それ以外には関心がない」と叫びました。

でも、どこからも返事があるわけではありません。
それで失望落胆して、悲しみのあまり、
こたつにうつぶせになって慟哭しました。

この日、あまりに求めすぎると、霊現象が起こるということも知りました。
しばらくして慟哭が収まり、静かにしていると、
直径五十センチくらいの火の玉が天井から下りてきて、
私の一メートルくらい上で、ぱっと止まったのです。

それが、私にはゆらゆらと見えるのです。
「おーい。どうした。何で止まるんだ。俺のところに来い」
と言うのですが、そこにピ夕ッと止まったままでした。

もし、はたで誰かが見ていたら、完全に
気がおかしい人に見えたことでしょう。
そのようなことがあったのです。

そのような中で、「原理」に触れたのが
東大在学中の一九六六年七月でした。

信仰手記 霊界に導かれて
(「世界家庭」2017.7/P.86〜93)
 米国・ベルベディア教会 神明忠昭(七七七家庭)
一部割愛しています
文責:ten1ko2


お父様とともに「おーい!」と叫ぶ場面、
これは、その場では、ちょっとした笑いに
包まれるような雰囲気だったのかもしれません。

しかし、お父様が面白がってやられたのではなく、
神明先生がどれだけ切実だったか、
神様に真剣に尋ね求めていかれたか、
その思いを感じ取られたので、ともに叫ばれた、
そんな気がしてなりません。。。

何度も引き伸ばしますが、次回がいよいよ
教会に出会う証しとなります。
お楽しみに。




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