2020年12月24日

☆クリスマスイヴに、イエス様とご父母様を愛した牧師の証し★ 《中村信一牧師》



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今日は、クリスマスイヴ。

私が学生部にいたころ、
学生部のクリスマス会に
中村信一先生(牧師)をお迎えしたことを思い出します。

先日も証しを紹介しましたが、
今日は、中村先生が家庭連合と出会った
経緯についての、興味深い内容です。



統一教会の青年たちとの出会い

超教派運動の実践として、わたしは朝食祈祷会(朝祷会)を始めました。
早朝、六時半から七時半まで、東京の青山会館で開いたのです。
その朝祷会は成功し、多いときは百人、
少ないときでも六十人は参加するまでに発展していきました。

ある日、その朝祷会に、不思議な団体の青年たちが参加するようになりました。
それが、統一教会の青年たちでした。

その青年たちは、一般のクリスチャンとはちょっと違った雰囲気を持っていましたが、
朝祷会の会長であったわたしは、参加したその青年たちを歓迎したのです。
それ以降、その青年たちの仲間が大勢、この会に参加するようになりました。

その後、小山田秀生先生や、松本道子婦人が参加し始めたとき、
参加者の中から「彼らは、物議を醸した統一教会のメンバーだ。
彼らには近づかないほうがいい」と言い出す人が現れました。

わたしはそのとき、参加者に次のように話したのです。
「何を言うか。キリスト教徒はそのような偏見を持って見てはいけない。
まじめな青年であれば、百人が参加しても歓迎しようではないか。
皆さん、彼らに拍手を送りましょう」

朝祷会に集まっていた人々は、統一教会の青年たちに拍手を送りました。
それから、さらに多くの統一教会の青年たちが、
朝祷会に出席するようになったのです。


統一教会の人たちの祈祷は、一種独特なものがありました。

熱心な祈り、時には壮絶とも言える祈りをささげるのです。
そこで、参加者の中からも、しだいに統一教会のメンバーが、
朝祷会に出てくることを敬遠する人が多くなっていきました。

「中村牧師、これはちょっと無理ではないか」。
「あまり統一教会の若者を歓迎しないでほしい」

このような声が、あるキリスト教の人たちを中心に上がるようになったのです。
そのときもわたしは、「超教派の精神に反する」と言って、
統一教会の青年たちの参加を認めました。

しかし、反対の声がさらに高まってきたため、
統一教会の青年たちとともに
別の朝祷会を開くようにしたのです。



「統一原理」に触れて


以後、統一教会員との交わりが深くなり、
わたしも教理に触れてみたいという思いになってきました。
統一教会でも、良き友を得たいという思いもあったことでしょう。

その両者の思いが重なり合ったとき、
渋谷の統一教会本部の二階で「統一原理」を聞くこととなったのです。

わたしは、二週間ほど本部に通って、勉強しました。

しかし講義を聞いても、キリスト教神学に慣れてきた者にとって
「統一原理」は、なかなか理解しにくいものでした。

ところで、これは後で聞いた話ですが、
講義をしてくださった方は、
スタッフとの雑談のなかで、
わたしのことを以下のように話しておられたそうです。

「この牧師は、無感動であって、
『キリスト教と違う』と言って怒るわけでもなく、
感心しているのか、反対しているのか分からない」


講師が、このような心情を抱いているなどとはつゆ知らず、
わたしは講義を聞いていました。

ところが、講義のなかの「終末論」のところで、
なぜか非常に感動したのです。

キリスト教の終末は、一般的に天変地異が起こることを意味しています。
ところが、「統一原理」での終末は、
“すべてのものが破壊されるのではなく、
新しい秩序がそのときから始まる”という内容でした。
それを聞いて、わたしは非常に感動したのです。

その後、家内もわたしもそれぞれ、場所と月日は異なりましたが、
統一教会の修練会に参加して「統一原理」を学びました。

わたしが参加した十四日間の修練会の講師は、
滝川さん(故、奈田壽美子夫人)でした。

この修練会を通して、統一教会に対してある程度、
理解することができるようになったのです。

「建者は破者を凌駕する」
中村信一牧師


そのクリスマス会の時、
中村先生を送迎させていただきました。

緊張していたし、昔のことなので、
どんな話をしたか覚えていないのですが、
ご自宅に送った時に、
おうちにあげてくださったのをよく覚えています。

お茶菓子を御馳走していただいた後、
色紙をプレゼントしていただきました。
今も大事に保管してありますが、
とても内外の器の大きい先生だと実感しました。

先生はみ言を聞いて、教会を受け入れてくださったのです。
そして、そのあと、お父様との出会いがありました。
また紹介いたします。





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 中村信一牧師略歴

1910年1月27日、新潟県北蒲原郡水原町に誕生。
1935年、同志社大学文学部神学科卒業。
その後、日本基督教団沼津教会、京都鴨東教会、弓町本郷教会で牧会。
終戦後、独立して超教派世田谷聖書教会を設立
(その後、日本基督和協教会に改称)
同教会主管牧師、日本超教派基督教協会会長、
彩墨創画会会長、文学博士、神学博士。
1997年11月4日、87歳で昇華(聖和)。

 

※ このブログは、
あくまでも個人の意志に基づいて、書いているものであり、
教会本部の意向とは直接関係がありません。
過去においても、今後においても
全ての責任は私自身に帰属するものであります。

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2020年12月23日

平和の母の愛・・・頂いた服には、お母様の香りがした 《横井婦人の証し》



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光言社の書籍「真のお母様、感謝します」より
横井婦人の証し
『頂いたブレザーはお母様の香りがした』です。


1969年に祝福を受けてから十余年後、
真のお母様が来日され、
お母様に侍る機会がありました。

喫茶店に入ったときのことです。
私はお母様の真向かいに座りました。
すると、お母様が私の顔を見ながら、
「あなたの顔は男顔ね」とおっしゃるのです。

そして、「髪の両サイドとトップを
平べったくしないで、膨らませたほうがよい。
髪は短くしないで、耳の下に来るようにしなさい」
とアドバイスしてくださったのです。

30年以上、自分の顔とつき合ってきてようやく、
お母様がおっしゃるような結論を
自分なりに下したところでした。

私が30年以上かけてやっと出した内容を、
お母様は一瞬にして見抜かれたのです。
お母様の感覚の鋭さには脱帽するばかりです。


その後、真の父母様から、
日本の12人の地区婦人代表が
アメリカに招待されたことがありました。

そのとき私は、真のお父様のおそばにいながらも、
その場から消えてしまいたいというような、
惨めな心情になったのです。

それは、既成家庭の方たちがたどってこられた、
苦しい心情世界を体験したのだと思います。

そのような心情的な限界に陥ったとき、
お母様が突然、私を呼んでくださったのです。

イーストガーデン(ニューヨーク)のお母様のお部屋の前で、
「あなたは確か13号だから、きっと合うはずよ」と言われ、
冬物のブレザーを下さったのです。

お母様はそのブレザーを私に着せてくださいました。
お母様の香りがしました。

お母様は、霊的に明るく、すべてのことを
察知される方であることを実感しました。


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真のお母様、感謝します
心を打つ50の証し
「頂いたブレザーはお母様の香りがした」
横井捷子(12双(43双))


お母様の霊的な鋭さには脱帽ですね。。。
親の愛で見つめてくださるので、
心情をよく察知されるのでしょう。

先日、本部教会に所属している友人が
横井婦人について、こう証していました。

「日曜礼拝の時、誰よりも早く教会に来て、
祈りを捧げている。
やっぱり先輩家庭は違うな」

お母様が霊的に明るいとわかる、ということは、
横井婦人ご自身もそうなのでしょうが、
普段からの信仰の姿勢に表れていると思います。

神様、父母様を愛し慕うところから、
霊的にも明るくなっていくのかもしれません。

真の父母様に似る者になるべく、
霊的な感性をもっと磨き、
真のお母様の服のように
真の愛の香りがするような私たちに
なっていきたいと思うのです。






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2020年12月20日

(証し)私が文先生をメシアだと確信した理由(わけ)?! 《中村信一牧師》



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もうすぐクリスマス。。。

キリスト教の牧師でありながら、
早くから文鮮明先生を
真の父として受け入れられた
故中村信一牧師の証しを紹介します。

真のお父様を、再臨主として
どのように確信されたのでしょうか。


わたしは文先生をメシヤであると確信してから、
今まで一瞬たりとも疑ったことはありません。
そのことをどうして確信するに至ったかをお話しします。

わたしは五十年間、いかなる迫害があっても聖書を捨てず、
牧師として過ごしてきました。
今日も統一教会は、迫害を受けていますが、
初期はもっと激しい迫害の中にあったのです。

そのようなとき、ある週刊誌を手にしたのです。
そこには、統一教会のスキャンダルを暴露するために、
統一教会の会員が寝泊まりしているホームに、
新参者を装って進入した人の証言が掲載されていました。

その記事を見て、驚きました。
男女問題のスキャンダルを暴こうと入ったその人物は、
男女問題を一つも発見することができなかったというのです。

人間が堕落するときは、やはり男女問題です。
この男女問題を勝利したか、あるいは皆無でないにしても、
男女が同じ屋根の下に生活していながらも、
清い関係を保っていけるというこの団体に、
大変素晴らしいものを感じたのでした。


ところで、わたしは牧師ですから、
文先生が究極の救い主であるかどうかは、
聖書にその根拠を求めざるを得ません。

その秘密を聖書から見つけることができたとき、
それはどれほどの喜びであったでしょうか。

旧約聖書の「詩篇」第六八篇四節には、
次のように記されている箇所があります。

「神のみまへにうたへ その名をほめたゝへよ
乗て野をすぐる者のために大道をきづけ 
かれの名をヤハとよぶ その前によろこびをどれ」

上記の文は、文語体ですが、口語体のある聖書の訳は、
次のようになっています。

「神にむかって歌え、そのみ名をほめうたえ。
雲に乗られる者にむかって歌声をあげよ。
その名は主、そのみ前に喜び踊れ」

同じ箇所でも、このように訳が違うのです。
わたしは学生時代、ヘブライ語を学んでいたため、
なぜこのように訳が異なるのかが、よく理解できるのです。

前述した文語体の「野をすぐる者」とは、
「荒野(路程)を勝利した者」という意味ですが、
ヘブライ語では、「雲に乗ってくる者」と同じ言葉なのです。

ですから、来臨のメシヤは、「荒野路程を勝利されるかた」
でもあられるという解釈ができるのです。


人間は、自分を愛するという
自己保存の本能的なものを持っています。

ですから、文先生が自ら進んで
荒野四十年路程を乗り越えられたということに、
わたしは本当に感動したのです。

韓国でのキリスト教の摂理が失敗したとき、
なぜ、命を懸けて北朝鮮に行かれて、
今一度、伝道活動をしなければならなかったのでしょうか。

興南硫安工場で、死の峠を幾度も越えるような道を、
なにゆえ行かなければならなかったのでしょうか。
人間はだれでも、自ら選んで荒野路程を行く人はいません。

これらのことを研究してみるときに、
「荒野路程を勝利された文先生は、来臨のメシヤである」
ということが、はっきりと見えてきたのです。



ある日、中村牧師が、早朝祈祷会を行っている最中、
『不思議な団体の青年たちが参加してきた』そうです。
それが統一教会との最初の出会いでした。

多くのクリスチャンたちが、『この団体とは関わらないほうがいい』
そのように言われていましたが、何か興味を持ったそうです。
最初の出会いは、松本ママ。

そして、講義の終末論に感動しました。

「キリスト教の終末は、一般的に
 天変地異が起こることを意味しています。

 ところが、「統一原理」での終末は、
 “すべてのものが破壊されるのではなく、
 新しい秩序がそのときから始まる”
 という内容でした。

 それを聞いて、わたしは非常に感動したのです」


イエス様を信じるクリスチャン、
しかも牧師ともあろう方が、
真のお父様を受け入れるのは、簡単ではなかったでしょう。
お父様もこのような方が来られたことが、
どれほどうれしかったことでしょうか。。。

中村牧師の証しは、また、
不定期に紹介させていただきます。


お父様のみ言

荒野路程で押し寄せる風を
避けようとして逃げれば、
荒い鳥のえさとなってしまう。




イエス様がサタンを屈服させる方法として
「柔和謙遜になれ!
従順屈服せよ!
犠牲的奉仕をせよ!」
と教えてくれたのである。


「御旨の道」より




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 中村信一牧師略歴

1910年1月27日、新潟県北蒲原郡水原町に誕生。
1935年、同志社大学文学部神学科卒業。
その後、日本基督教団沼津教会、京都鴨東教会、弓町本郷教会で牧会。
終戦後、独立して超教派世田谷聖書教会を設立
(その後、日本基督和協教会に改称)
同教会主管牧師、日本超教派基督教協会会長、
彩墨創画会会長、文学博士、神学博士。
1997年11月4日、87歳で昇華(聖和)。



※ このブログは、
あくまでも個人の意志に基づいて、書いているものであり、
教会本部の意向とは直接関係がありません。
過去においても、今後においても
全ての責任は私自身に帰属するものであります。

さらに、当ブログの記事に対して
曲解や悪用ととれる引用、
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