2020年12月12日

(証し)父母に最も信頼された原理講師、周藤先生?! 愛される世界的講師となるまで



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「世界の教会員を教育した世界的講師」として
blessed lifeに寄せられていた
周藤先生の証しより抜粋して紹介します。


  「神様を見せてくれたら教会に行こう」

大学生の時、クリスチャンの友人が
一生懸命に教会へ来るよう誘ってきた。

「いいよ。でもその前に神様を見せてくれよ。
そうすれば一緒に行くよ」と周藤氏が言うと、
彼は無言になってしまった。

それから1カ月もたたないうちに周藤氏は
慢性腎炎を患い、大学を休学して
一年以上も床に就かざるを得なくなった。


  「ざんげ」に導かれ頬を伝う悔いの涙

そんなある日、神の癒やしについて書かれた本と出合った。

そこには末期がんから救われたとか、結核が治ったとか、
深刻な家庭問題が信仰によってきれいに解決したとか、
そのような奇跡の証しが載っていた。

最初は「こんなことがあってたまるものか」と
考えもしたが、繰り返し読んでいくうちに、
あることが分かった。

奇跡、神癒(しんゆ)の前には「ざんげ」があったのだ。

そして自分の中に悪と不純なものがあまりにも多くあり、
今まで真の意味において誰も愛してこなかったことに気が付いた。

悔いの涙が頬を伝い、枕に落ちていった。


  初めての祈りに応えられた神様

7日7晩、周藤氏の寝床と枕は涙でぐしょぐしょにぬれていたが、
自分の中の不正なものや不純なものが
悔い改めの涙によって洗い流されていくのを感じた。

7日目の晩、一冊の本を読みながら、
手を合わせて生まれて初めて神に祈った。

次の瞬間、冷水を浴びせられたような、
滝つぼにでも入ったような感覚になった。
そして右斜め上から白金色の光が差し込み、
全てを包み込むやいなや真っ赤な炎が脳天を貫いた。

何が起こったか分からず、周藤氏は
しばらくの間、呆然(ぼうぜん)としていた。

背中の所が何かおかしいので手を当ててみると、
腎臓の部分が振動していて、「癒やされた」と実感した。
そして次の日には病気がすっかり治っていたのだ。


洗礼を受けてクリスチャンに

復学後、下宿部屋に聞こえてくる美しい讃美歌の響きに引かれ、
それを聞きに教会に通うようになり、
その後、洗礼を受けてクリスチャンになった。


  イエス様との出会いと、食い違う教え

あるイースターの日の朝、
半分起きて半分寝ているような状態の中で
不思議な体験をした。

朝日が差し込む杉の森で周藤氏が
一人祈っていると、声が聞こえてきた。

「目覚めよ、われ復活せり」

誰だ? きょうはイースターだ。
イエス様ではないか。

それからイエス様との交流が始まったのである。

イエス様からのメッセージは、
直接イエス様から来る場合と霊媒を通じての場合があり、
その記録はノート3冊分にもなった。

そこで問題が生じるようになる。
イエス様が語る内容と牧師の説教の内容が合わなくなったのだ。

悩んだ周藤氏は断崖絶壁や滝に打たれて大きな声で祈ったり、
ある時は生駒山(奈良県と大阪府との県境にある山)の中腹に登って
一晩夜を徹して祈ってみたりもしたが、答えは見つからなかった。


  1962年の夏、統一教会と出合う

答えの見つからない日々を過ごしていたある日、
大阪駅の出口の所を歩いていると、向かい側にいる女性が
のぼりを立てて「六千年の悪の世界が消えて
新しい神の光が差す時が来た!」と叫んでいるのを見た。

1962年の夏のことであった。

このようにして周藤氏は統一教会と出合ったのである。

後にこの証しを聞かれた真のお父様は、
「最初の神体験は君の旧約だ。
クリスチャンとなって新約を経た。
そして成約の統一教会に来たんだね」とおっしゃった。


  初めての街頭演説

周藤氏が初めて原理講義を聞いた翌日、
ある先輩に「一緒に出掛けよう」と誘われた。

どこに行くのか分からないまま30、40分ほどバスに乗ると、
人通りが多くて有名な新宿駅に着いた。
「食事かな? それとも映画かな?」と思ったが、
そのどちらでもなかった。

その先輩は最も人通りの多い交差点へ行って
街頭演説用の看板を取り出すと、
身震いするほどの大声を出して、
腕を振り上げながら演説を始めた。

そんな先輩の姿を、「街頭演説の仕方を
見せようとしているのだ」と気楽に見ていた。

しかし演説をやめ汗びっしょりになりながら、
「さあ、今度は君がやりなさい」と言ってきた。

周藤氏は驚きのあまり「このまま走って逃げてしまいたい」
「こんなことをするくらいなら教会を辞めたい」と思った。
完全に窮地に立たされたのだ。

死んだも同然の思いで恐る恐るその場所に立ち、
その先輩が演説したのと同じように叫んだ。

「親愛なる新宿の兄弟姉妹の皆さま!」

驚いたことに、考えてもいなかった言葉が
口からすらすらと流れ出てきた。

自分でも何を言っているのか分からなかったが、
「これはすごいことだ」と自分が感じているということは分かった。

とても幸せを感じて、その日以来
ほとんど毎日、街頭演説をするようになったのだ。


  立正佼成会会長秘書の原理講義を担当する

1962年8月、当時立正佼成会で会長秘書をしていた
久保木修己氏(日本統一教会初代会長)が初めて教会を訪れた。

久保木氏への原理講義の担当に周藤氏が選ばれたが、
周藤氏は当時、二人の婦人と女子学生に講義をした以外には
誰にも講義をしたことがなかった。

そのような中で行った原理講義だったが、
久保木氏は驚くほどの純粋な心で、
幼子のようにほとんど全てを受け入れた。

講義をしていると、久保木氏の心は
まるで白い紙のようで、そこに周藤氏が
原理を書いているかのように感じた。
その目はキラキラと輝いていた。


  決死の覚悟で挑戦した英語による講義

1974年、教会を強化して第3次7年路程(1975〜1981)を
勝利するため、アメリカの全食口を
再教育することを目的とした修練会が行われた。

アメリカ全土からリーダーと食口(統一教会員)を集め、
全面的に教育をした。

周藤先生は真のお父様の指示により、
その修練会の講師を担当するようになる。

言葉の問題がある中で、
「とにかく始めなければ始まらない。
良い悪いは第二、第三。
やることが第一だ」と決意を固め、
断崖絶壁から飛び降りるような思いで
英語による講義に挑戦した。


  死ぬつもりで飛び込んでみると…

アメリカでの初めての講義。
アメリカの食口たちは、どんな人が来るのかと
怪訝(けげん)そうな顔で見ていた。

そんな食口たちとの霊的な壁を
何とかして破らなければと考えた周藤先生は、
あるあいさつを始めた。

「Can you hear me?(私の声は聞こえますか?)」
と尋ねて食口たちが答えた後にもう一つ付け加えて、
背の低い周藤先生は
「Can you see me?(私が見えますか?)」と言ったのだ。

そうすると大笑いが起き、
互いの間にあった霊的な壁がぶち破れた。
急に殻が破れて、心配していたことが
ボロボロと消えていく雰囲気を感じたのだ。

「大変だと思い死ぬつもりで飛び込んだが、
飛び込んでみれば案外楽だった」と、
後に周藤先生は語っている。


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(参考:中和新聞、
U-ONE TV「周藤健先生自叙伝 真の父母と共に歩んだ人生」)

日本統一運動史〜人物伝 4
「世界の教会員を教育した世界的講師」
(blessed lifeより抜粋)
経歴、講義した主な修練会一覧は下記


旧約、新約、成約の道を歩まれた周藤先生。。。

下記参照の通り、講義を通じて、日本だけでなく、
海外においても多くの人を生かしてこられました。

ウェスタンのメンバーに講義をしている写真、
よく見ると、演台の後ろに段を二つ置いていますね(笑)。

私も1990年代、済州島修錬会で
2週間、講義を受ける恩恵に預かりました。

そこで受けた珠玉のみ言は、
今も自分自身の講義に活かされています。

しかし、そこでの感動、魂の波動は、
どれだけ相続できているか、と考えると
足りないばかりです。

お父様が「周藤!」と呼ばれると、
「はい!」と対される周藤先生のお姿は、
まるで本当の息子のようでしたね。

U-ONE TVに先生の証しが網羅されています。
文字起こしは大変ではありますが、
機会を見て、紹介させていただきます。





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周藤健(すどう・けん)先生は、2001年から2013年まで日本の世界基督教統一神霊協会(現・世界平和統一家庭連合/以下日本統一教会)副会長を務められました。
 1960年代は日本国内で行われる修練会で講師を務められ、1973年に日本宣教師の一人として渡米して以降は、世界の教会員の教育に責任を持たれました。
 ニクソン政権時代、カーター政権時代、レーガン政権時代のアメリカで真の父母様と共に歩まれ、1974年〜1976年には十字軍の責任者を歴任されました。
 アメリカで歩んだ時代においては講義やみ言の教育に没頭し、メンバーからは「寝ない人」というあだ名を付けられたほどでした。
 2020年に天寶入籍勝利家庭となられました。

以下は、周藤先生が講師を務めた主な修練会の名称である。

・1962年12月10日〜1963年1月20日、40日修練会
・1963年3月1日〜4月10日、第1期特別修練会(30期まで運営と講師を担当)
・1975年、日本で行われた宣教師の修練会
・1990年ごろ〜、世界の約40カ国で原理講義
・1992年4月21日〜1993年12月1日、日本統一教会氏族的メシヤ修練会(韓国・中央修錬院)
・1992年6月18日〜、日本教会員修練会(韓国・済州国際研修院)
・1993年6月7日〜、アラスカ女性修練会
・1993年10月6日〜12月22日、5万名日本女性幹部特別修練会(韓国・済州国際研修院)
・1994年3月10日〜11月20日、日本女性幹部特別修練会(韓国・中央修錬院)
・4200名北・中・南米ボランティア派遣の日本女性に対する特別修練会(韓国・済州国際研修院)



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2020年12月10日

差別されたとしても一体化していきます! 《神明先生のUTS時代の神体験》



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神明(しんみょう)先生の信仰エッセー、
「悩める黒人学生を和動してあげたとき、
聖霊の働きがありました」を紹介します。


私のUTSの教授時代は、悩みある多くの学生たちの
カウンセリングをしましたが、あるとき、黒人学生を面倒見ました。

彼の悩みは、統一運動がいくら真の愛を説き、
人間は皆、貴重で平等だと教えても、
実際は人種差別があるようなので、
自分がいくら頑張っても統一運動の中ではうだつが上がらず、
出世することもできない、というものでした。

彼は一見、温和そうで、人格のある人のように見えたのですが、
そのような悩みを内側に秘めていたのです。

それで私は、たとえ黒人であるがゆえに差別されて、
理解されず、出世できなかったとしても、
神様は全てをごぞんじなのだから、目立たない所ででも、
黒人でない人たちが頑張るより以上に誠を尽くして、
一体化して頑張ることはできるのだ、と言ってあげました。

そして、そこにこそ神様の愛が最も顕現して、
そこから教会の心情革命が始まるかもしれないので、
その黒人食口こそ誰よりも尊い食口になれる道があるのだ、
と励ましてあげました。

それを聞いた彼は、目に涙を浮かべた後、その目を閉じながら、
静かに首を縦に振ってうなずいてくれました。
すでにその場には神様の愛が聖霊と共に訪れてきたように、
彼と私は感じました。


それに付け加えて、北アフリカのクレネ出身のシモンという黒人が
イエス様の代わりに重い十字架を背負ってあげたという福音書の話(マタイ27・32、マルコ15・21、ルカ23・26)
真のお父様がとても評価しておられることを話してあげました。

さらには、異邦人カナンの女が「子犬」のように侮蔑的に扱われても
失望せず、「パンくず」でも頂きたいと言って、
真実にイエス様を信じたがゆえに、
娘の悪霊の問題が解決できる恵みを受けたのみならず、
その信仰がイエス様からも褒められたという
福音書のもう一つの話(マタイ15・21-28)をしてあげました。

それを聞いて、その黒人学生が
元気を取り戻したことは言うまでもありません。


実は私も、黒人ではなくとも、日本人であるがゆえに、
いくら頑張っても選民の国の韓国人の前ではだめなのだと
強く感じたことが、少なくとも一度ありました。

それは、1981年の夏、UTS卒業生の中から
博士課程に進むように選ばれた
30名ほどのグループのために開かれた修練会中、
36家庭のある先生が講話の中で次のように話されたときでした。

「真のご子女様も祝福適齢期に入られたが、
ご子女様と祝福を受ける資格のある者は原則として
36家庭と72家庭の子女だけであり、
それ以外は排除され、特に非韓国人の家庭の子女は排除される」

これは確かに、真のお父様が当時、おっしゃったことに違いないであろうし、
また私たち非韓国人は韓国人と比べたら
血統的にも心情的にも劣っているであろうことは知っていたのですが、
その36家庭の先生の言い方に
私たち修練生は心の中で葛藤していたようでした。

私も例外ではなく、自分の中に、いわゆるカインのように、
「愛の減少感」 からの堕落性が出てきているのが分かりました。
それで、その講話を聞き、もがきながら、
必死になって次のように祈ったのです。

「神様、たとえこのようにカインとして
差別されたとしても、やはり一体化していきますから」と。


そしたら、しばらくして突然、全霊界が渦巻きのように
動いているのが見えたかと思うと、
聖霊がものすごい力で私の中に入ってきて、
私の体を激しく振動させ、その愛の力で慰めてくださったのです。

涙が滝のように目から流れました。

それが神様からの応えであったと確信し、
感謝の思いで頭を下げると、聖霊の力はさらにもっと強くなりました。

そして、「そのような覚悟ならば、
必ず最終的にはアベルに与えられる恵みと
同じ恵みを与えるから安心するように」
という啓示を受けました。


理想的には、アベルとカインがお互いを気遣い、
愛し合うところに本当の聖霊降臨があるのでしょうが、
たとえアベルがその大変な摂理的責任の重さゆえに
カインを愛してくれる余裕がなかったとしても、
カインが率先して、神様のみ旨を愛するがゆえに
最大限にアベルを愛していけば、
聖霊降臨の体験が可能であることを知ったような気がしました。

私が黒人学生に言いたかったのは、
愛なる神様はどんな所でも訪ねてくださるので、
今の自分の与えられた立場がたとえ悲惨でも、
それを感謝して受け入れて頑張れば、
他の人たち以上に頑張れるし、神様の愛を感じれるし、
そこから皆に対する希望が始まるかもしれないので、
心配は要らないということでした。

そのように励ましたかったのです。


今、アメリカでは、黒人のストーリングス大司教をはじめ
多数の黒人の牧師たちが真の父母様のために立ち上がって頑張っています。

これも、今まで多くの黒人の食口たちが
目立たない所で忍耐して頑張ってきた結果なのかもしれません。

また、今では真の父母様のお孫様方の相対者として、
日本人の父親や母親を持つ祝福子女が選ばれるようになりましたが、
これも、今まで、多くの日本食口たちが
陰で名状し難い苦労の精誠を尽くしてきた結果なのだと思います。

ここに神様の大いなる愛が現れているような気がします。


ドクター神明の信仰エッセー:UTS時代の神体験
神明忠昭
(*ただいま「世界家庭」に連載中です)


人種差別の問題、というのは、
人類の和合、世界平和、という観点からすると、
決して避けて通ることができない問題です。

黒人も迫害の歴史をたどってきました。
しかし、神明先生の言われる通り、
ダンベリー以降、お父様に侍ってきた
キリスト教の牧師たちは、黒人が多かったと思います。

さらに、ここ最近でも、皆様ご存じのように、
アフリカの国々で、国家単位における
祝福式が行われていく奇跡が起こりました。

まさに「後の者が先になり、
先の者が後になる」時代を迎えています。

私たちにおいても、
愛の減少感に陥るようなことがあると思います。

神明先生が乗り越えられたように、
「差別されたとしても、一体化していきます」
と感謝して祈りを捧げながら、
聖霊体験をしていく歩みを成していきたいと思うのです。



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2020年12月06日

(証し)あの時高熱を癒してくださったのは、真の母の温かい手だった 



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本日行われた希望前進大会☆


光言社の本、「真のお母様感謝します」より
777双のお姉さんの証し
『聖霊の役事で癒やしてくださる方』を紹介します。


祝福前のことですが、風邪で高熱がある中を街頭伝道に立ち、
目標を達成するまで、あと一人、あと一人と
声を掛けていったことがありました。

教会に戻っても、食囗たちを心配させるのが心苦しくて、
熱があることを隠して休みました。

高熱でうつらうつらしていると、
誰かが私の手を握っているのを感じました。
柔らかく、温かい手でした。

朦朧(もうろう)とする頭で、
「誰かしら」と思いながら、
すうっと眠りに入っていきました。

翌朝、目が覚めると、不思議なことにすっかり快復しており、
それだけでなく爽快にすらなっていたのです。
教会の姉妹たちに、「夕べ、私の手を握ってくれた?」
と聞いても、誰も知らないとのことでした。 

その後、777双の祝福(1970年10月)で訪韓したとき、
水澤里(ステンニ)(当時)の中央修練院で
真のお母様とすれ違いました。

私は思わず、「お母様」と心の中で叫びながら、
その御手を握っていたのです。
その瞬間、「あっ」と驚きました。

病気のときに私の手を握ってくれた、
あの手の感触と全く同じだったのです。

あのときは「高熱」という、いわば小さな試練でしたが、
その小さな試練であっても、
越えようと必死になっている幼い者を覚えて、
恩恵を与えてくださる神様であることを実感しました。

そして、お母様は、聖霊の役事で
癒やしてくださるお方であると知ったのです。

「お母様感謝します」より
『聖霊の役事で癒やしてくださる方』
松舟光子(777双)


霊的でとても深い証しですね。
病気になった時、
母親が痛いところをさすってくれて
子どもの病気が治ってしまう。。
それは、お母様の自叙伝にも掲載されています。
(平和の母、245、246ページ参照)

まさに松舟婦人の体験は、
お母様の「母親の温かい手」によって、
癒された証しでありました。

真のお母様は、実際
聖霊の役事をおこされています。

これまでもそうでしたし、
コロナ禍にあって、
離れて会えない状況でも、
温かい手を私たちに差し伸べてくださっているのだと
信じることのできる証しでした。
ありがとうございます。

今日行われているWCLC
「世界基督教聖職者希望前進大会」。

そこにおいても、
政治的に分断され、争っているアメリカを
母の温かい手によって、一つにするために、
切なる祈りを捧げておられる
真のお母様の姿があることに感謝しつつ、
大会の成功をお祈りいたします。






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