2021年02月05日

「教育」教えるのは学校、育つのが家庭、愛情と環境づくりを 《家庭力up↑講座》



190611.jpg


多田先生の「家庭力アップ講座」
今回は、『子供の心が「育つ」教育』です。


学校では、算数や国語、理科などを「教える」ことが中心であり、
家庭では、子供が「育つ」環境を
どうやってつくるかということが中心になります。

明確に分けることは出来ませんが、「教える」責任は学校にあり、
子供が「育つ」責任は家庭にあるわけです。

親は子供に比べて、経験や知識、失敗談、成功例を
たくさんもっているので、どうしても
「教えなければいけない」と思いがちです。

子供の「育つ」環境づくりは後回しになり、
子供に「教える」ことが中心になってしまうのです。
今までは、教える教育になる、傾向性があったようです。

すると、子供は「何でも教えてもらおうとする」
癖がつきやすくなるようです。
そして、依頼心が出てきてしまうのです。
教えることで、考える力がつきにくくなるわけです。

ですから、家庭の責任は、
「子供が正しく育つ環境をつくるところにある」ことになります。


親が子供に「教える」という観点に立った場合、
中心は親になります。
教えている側の親の心が満たされることが多いものです。

しかし、子供に教えようとするので、
子供がそのことが理解できないでいると、
いらいらして「分かったの? 聞いているの!」
と怒ってしまうことも多いでしょう。

それに対して、子供が「育つ」という観点に立てば
中心は子供になります。
家庭での親の生き方が子供の育つ環境を作ることになります。

子供は、親の後ろ姿を見て育つとよく言います。
実際、農家や商家などのように、
家庭で親の働く姿を見て育った子供のほうが、
そうでない子供より、よく育つ場合が多いのです。


IMG_3321.jpg


子供がよく「育つ」には、子供の心が
愛情で満たされなければなりません。

ひたむきに生きる親の姿を通して、
子供は親の愛を感じ取っていくのです。
子供の心が育つのは、家庭を理想家庭にするために
親が一生懸命努力することではないでしょうか。

そのためには「愛情の伝え方」を学ぶ必要があります。

ですから、「教える」ことももちろん必要ですが、
ややもすると、相手の行動だけを変えようとしてしまいます。

学校や塾に行かない子供を無理に行かそうとしたり、
勉強するようにさせようとしたり、
相手の行動を変えさせようとすることが多くなります。

しかしそのように、行動を変えさせようとすると、
相手はなかなか思うように行動してくれないのです。
そんな時、子供に対して悪い印象が親の中に植え付けられてしまいます。

 
父と子の例を一つ紹介します。

「息子が中学生のときでした。たびたび勉強せずに遊んでいたので、
『テレビやゲームばかりやっていて勉強しないと、
駄目な人間になるぞ。
親の気持ちが分からないのか』と怒ったのです。

すると息子が、『お父さんは自己満足で、
怒っているだろう』と言い返しました。

『親を馬鹿にしているのか』と声を荒げると、
息子は『お父さんは怒ったから気が済んだだろう。
怒られた僕の気持ちはどうなるの』と言うのです。

そのときはすぐには、子供が言ったことが理解出来ませんでした。
あとでじっくり考えたとき、息子の言うとおり
「自己満足」だったと悟りました。

子供は、親の動機をよく感じているのだと分かりました」。


親は自分の気持ちをぶつけただけであって、
子供に何のよい影響も与えなかったのです。
「教える」ことは、意外にも自己満足に陥りやすいのです。

子供は、親の動機を見抜く天才です。
どんな素晴らしいことを親が話したとしても
本当に子供を信頼していなければ、すぐに見抜いてしまうのです。

私たち親は、よく「お前のことが心配だから怒っているのだ」
とか子供に強く言いますが、親から「心配だ」と言われると
子供の多くは「自分のことを信じていない」という
親からのメッセージとしてとらえてしまいます。

親の心を鋭く子供は、見抜いてしまうことが多いのです。

家庭力アップ講座 3
第1章 序論(2)

(APTF『真の家庭』203号[9月]より)
家庭教育アドバイザー
多田 聡夫
(抜粋編集 文責:ten1ko2)


私も子供の行動を変えさせようとして
失敗ばかりしてきました。

「子供はこうであるべき」という枠にはめて見つめると、
枠にはまらないことが多くて、
その思いが要求となり、
言葉や態度にでてしまう・・・

親の動機が重要だとのこと。
こういうときほど、
心を無心にして、
良心の声に耳を傾けて
動機を正していく必要を感じます。

証しのお父さんのように、
「自己満足で、怒る」
これは、本当にいけないな、と思います。

「教える」のではなく、子供が「育つ」環境をつくること。
何よりも愛する心情を土台として、
子供たちを見つめていきたいと思うのです。





にほんブロ本当にグ村 哲学・思想ブログへ
にほんブログ村
良い記事だと思った方は、
応援のクリックをお願いします!

(なお、記事冒頭の哲学・思想ブログのバナーも
ブログ村のバナーとなっています
どちらからでも応援して頂けます)



※ このブログは、
あくまでも個人の意志に基づいて、書いているものであり、
教会本部の意向とは直接関係がありません。
過去においても、今後においても
全ての責任は私自身に帰属するものであります。

さらに、当ブログの記事に対して
曲解や悪用ととれる引用、
無断転載はお断りいたします。
(善なる目的で使用することに関しては
その限りではありません)

2021年01月29日

反抗期は親がつくっている?! 子供に愛が届いていなかった 《家庭力up↑講座》



210129.jpg


子育て、というのは、
子どもが大きくなってからも、
いや、大きくなったからこそ、
親としての在り方が問われている、と感じます。

以前、多田先生の「家庭力アップ講座」を紹介しましたが、
もう一度見直して、勉強しようと思うので、
再度、紹介させていただこうと思います。


教育は、育つ環境を作ることが大切になります。
一つの例を紹介します。
私の子供が、保育園に通っている時に、
ある先生を保育園に招いて、
父母の為の勉強会が開かれました。

昔の話になってしまいますが、
その時のお話がとても印象的でしたので紹介します。

「中学2年の男の子の家が『下駄屋』でした。
夕食にお母さんが、川魚の煮物を出してくれました。

男の子は、魚が嫌いで『魚は嫌いだ。
他のおかずがほしい』とわがままを言うのです。
母親は、『はいはい』と言って、立ちあがろうとすると、
父親は『魚を食べなさい』と強く息子に言いました。

息子は、ふてくされて夕食を食べずに自分の部屋に行ってしまいました。
息子の心が収まらず『くそう、親父め』と心がイライラしたまま、
ごろんと横になって天井を見上げていました。

すると父親が、朝の4時半から起きて、
一生懸命下駄を作る様子が浮かんできたのです。
左右の下駄が、しっかりと対になるように、
履きやすいようにと一生懸命に働く父親の後ろ姿が、
息子の心に浮かんできました。
いつも見ていた父親の後ろ姿を思い出したのです。

その時、息子は、夕食の時の『わがまま』を言ったことが
申し訳なかったと、心が痛みました。
そして、息子は台所に行き、嫌いだった川魚を思い切って食べたのです」


(1)子供の反抗期は親がつくる

子供の成長過程には、反抗期というものがあります。

「うちは反抗期のまっただ中です。反抗して大変なんです」
と思春期を迎えた親からよく聞きます。
また反対に「反抗期はありませんでした」などというケースもありますが、
子供は反抗したくて反抗しているわけではありません。

むしろ、親が反抗期をつくりだしている場合もあるのです。

人間は自由意思と自由行動によって責任分担を果たすようになっています。
小学生、中学生、高校生と、成長とともに
自由意思と自由行動の世界が拡大していくのです。

幼児のころは全面的に親に頼っていた子供も、
成長するに伴い、自立心が芽生えてきます。
自分でやってみたい、自分で考えてみたいという心が
芽生えているのに、小さいころと同じように扱うと、
子供の自立心を妨げてしまいます。

その結果、それをはねのけようとして子供が親に反発することを、
反抗期というのです。
ですから、反抗期と言うよりは、
「自立期」と言う方がいいのではないかと思います。

子供から大人へと心が成長していく大切な時です。
心が不安定になり、敏感になっていく時期です。
ですから、自分でも自分の心をコントロールできず、
ついカッとしたり、反発して親の心を傷つけたりする言葉を
吐いてしまうことになります。

親が子供の心の動きにアンテナを張っていれば、
子供の心の変化はいくらでも感じ取ることができるのに、
それをしないまま、今までと同じように子供と対応して、
それに対して子供が口答えをすると、
親は「親の言うことが聞けないのか」と決めつけ、
高圧的に怒ってしまうわけです。

また、「うちの子は全く反抗しません。問題ありません」
という家庭はもっと深刻です。

なぜなら、反抗すらもできない子供に育ったということは、
自立期を通過しているかをよく見てあげなければなりません。
いろいろと我慢して自分の心の中にため込んでいる可能性があります。

そのような子は、下手をすると主体性がなくなり、
自信を持てなくなる可能性すらあるのです。

私達は生涯、子供の「人生の応援団長」でありたいものです。
いいことがあれば一緒に喜んであげたいし、
悲しいことがあれば一緒に悲しみを分かちあってあげたいと願います。

しかし、子供が大きくなるにしたがって
だんだんと子供の心が理解できなくなってしまいます。
そんな時、子供の行動が、次第に受け入れられなくなってしまい、
子供の気持ちに共感できなくなっている自分を
発見することが多くなります。

そして、ついイライラして子供の行動だけを変えたいと思ってしまいます。


(2)親の愛、子供に届くには

両親は、「やる気」と「思いやりの心」「感謝の心」が育つ、
真の愛情に包まれた教育環境を整えることが大切です。

「やる気」のある子供は自分で考え、行動しようとするので、
頼もしいのですが、その「やる気」には
「正常な心」が働いていなければなりません。

「正常な心」とは、うれしいときにはうれしいと表現できる心、
親の愛情を素直に受け止め、家庭の大切さを理解し、
家庭のために貢献できる素直な心のことです。

親の喜びや悲しみ、うれしい思いを
素直に感じ取れる心をもっている人は、
自然に「やる気」が育ってくるのです。

真に「やる気」のある子になるためには、
親の「真の愛」が必要です。

ここで言う「真の愛」とは、
子供に正しく届いている愛のことをいいます。
相手を「愛する」ことは重要ですが、その愛が、
きちんと「相手に届いて」いなければならないというのです。

子供を愛していない親はいませんが、
長男や次男、長女といった個々の子供が、
親の言うことを聞かなかったり、反抗したりしたとき、
私達は「本当に自分はこの子を愛しているんだろうか」
と自問することもあるでしょう。

あまりよい思い出がない場合、例えば、
子供から暴力を振るわれたりしていたら、
親は子供に拒否反応を覚えることも、なくはありません。

それでも親は子供を愛しているわけですが、そのような時は、
親の愛情が子供に届いていない場合があるのです。

親が子供を愛することと、愛する気持ちを子供に伝えることは別なのです。
日本人はどちらかというと、親として
子供に対する愛情表現が下手な人が多いようです。

どうしたら親の愛情が子供に届くのかということについて確認し、
勉強しなければいけません。

私たちは、そのように「相手に届く」ように愛することを
訓練しながら生活化していくわけです。

家庭力アップ講座 2
第1章 序論(1)

(APTF『真の家庭』201号[7月]より)
家庭教育アドバイザー
多田 聡夫


子供を育てながら、
「親というのは、無力だな・・」
つくづく思わされます。

干渉しすぎても、良くないし、
放っておいても、ダメなんですよね。。

先日、娘の三者面談がありました。
翌日、担任の先生から、
「お父さん、優しそうだね」と言われ、
「まぁ、でも、気まぐれです」
そんな風に答えたらしいです(笑)

ちゃんと見ているんだな、と思わされたし、
素直に話してくれたことだけでも、
信頼されているんだな、とも思いました。

本当に、毎日が修錬です。
愛をしっかり届けないと、ですね。




にほんブロ本当にグ村 哲学・思想ブログへ
にほんブログ村
良い記事だと思った方は、
応援のクリックをお願いします!

(なお、記事冒頭の哲学・思想ブログのバナーも
ブログ村のバナーとなっています
どちらからでも応援して頂けます)



※ このブログは、
あくまでも個人の意志に基づいて、書いているものであり、
教会本部の意向とは直接関係がありません。
過去においても、今後においても
全ての責任は私自身に帰属するものであります。

さらに、当ブログの記事に対して
曲解や悪用ととれる引用、
無断転載はお断りいたします。
(善なる目的で使用することに関しては
その限りではありません)


2021年01月07日

《感動!2世の証し》 「この道、感謝しかない」に衝撃、1世(親)に尊敬の念が



210107-jtgc2018.jpg


「祝福家庭」に掲載されている
祝福2世の証し、『二世と一世の思いを代弁』

Blessed lifeで、圧縮して
読みどころを紹介してくれています。


今回紹介する祝福二世・Mさんの人生の分岐点は、
ある一冊の本だといいます。
 
その本は、『原理講論』でも、真のお父様の自叙伝
『平和を愛する世界人として』でもなく、
『お金でなく、人のご縁ででっかく生きろ』(中村文昭 著)
という本だったと言います。

その本に倣い生きようとしたところが、
一転してSTFに行くことになりました。

成和学生部で活動をしたことも、
Jr.STFに挑戦したことすらもなかった状態で、
突然STFの訓練を受けることになったMさんは、
たくさんの苦労をしますが、
多くの人と出会い、いろいろな経験をします。

そして、一世青年の兄弟と共に歩むことで、
両親の歩んできた姿を見ました。

「この道、感謝しかない」

あるとき、み言を聞くほどに“義務感”を感じ、
苦しみを覚える中、思わず口にした
「この道、苦労しかないですよね」という言葉に、
いつも男らしくたくましい一世の兄(先輩)は
目にいっぱいの涙を浮かべて
「この道、感謝しかないよ……」と答えたといいます。

その兄(先輩)は、親から信仰を持つことを理解されず、
拉致監禁を恐れて、自由に帰省することもできませんでした。
腹巻きに非常用の携帯電話を忍ばせて帰ったこともあります。

祝福が難しくなったときは、7日断食を行う姿を見てきました。
そのように苦労してきた兄の「この道、感謝しかない」
という言葉に頭を殴られたような衝撃が走り、
一世、そして両親に対して尊敬の念が湧いてきました。

「蕩減時代、もし、当代に実ることがなかったとしても、
その誉れが後孫に実ればいい」という言葉を胸に歩んできた
両親に対しても、頭が上がらなくなり、
“二世”の立場を少し理解できたそうです。

その後、良好とは言えなかった親子関係を改善するために、
あえて「父母マッチング」を希望したMさんは、
さまざまな課題を乗り越え、
きょうも「真の家庭を取り戻し、築く」ことを目標に歩んでいます。

何度読んでも感動し、涙あふれるこの証しは、
「二世の思いを代弁」すると同時に、
「一世の歩みを代弁」しているように思います。

ぜひ、『祝福家庭』99号の「二世の証し」をご一読ください。

『祝福家庭』99号読みどころ1
二世の証し
「二世と一世の思いを代弁」
Blessed lifeより


「この道、感謝しかない」
これは私たちがもつべき信仰の本質ですね。

実際、この一世の告白に
二世の兄弟が覚醒されました。

私たちが感謝して歩んでいる姿は、
二世、つまりは、子供たちに多大なる、
影響を与えていくのだと思います。

子どもは、親の背中を見て育ちます。
感謝の芽が、子供たちに実を実らせていけるよう、
心から感謝して歩んでいきたいと思うのです。




にほんブログ村 哲学・思想ブログへ
にほんブログ村
良い記事だと思った方は、
応援のクリックをお願いします!

(なお、記事冒頭の哲学・思想ブログのバナーも
ブログ村のバナーとなっています
どちらからでも応援して頂けます)



※ このブログは、
あくまでも個人の意志に基づいて、書いているものであり、
教会本部の意向とは直接関係がありません。
過去においても、今後においても
全ての責任は私自身に帰属するものであります。

さらに、当ブログの記事に対して
曲解や悪用ととれる引用、
無断転載はお断りいたします。
(善なる目的で使用することに関しては
その限りではありません)