2019年04月17日

「気がついたら、人類が皆、私の家族に!」 神の愛の海を航海する大きな船=家庭



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カリフォルニア州 ガーデナ City of Refuge教会 4.6☆


堀正一副会長が九州の青年大会で、
講演をされました。
その時のみ言(要旨)を紹介します。


この会場に来る前に「宗像(むなかた)大社」を参拝させていただきました。
宗像大社は「海の神様」として、1300年以上もの間、
人々の信仰を集めてきたといいます。

きょうは多様なプログラムを通して、
「家族の力」について改めて振り返っています。
その家族は、大海原を航海する船のような存在です。
船は、皆が心を一つにして航海の無事を祈りつつ舵を切る中で、
目的地に安全にたどり着くことができます。

千数百年間、心を合わせ航海の無事を祈ってきた
宗像大社の信仰の在り方は、
私たちが立ち返るべき心の姿勢を示しているように思います。

家庭連合の創始者である文鮮明総裁は、
私たちに「愛天・愛人・愛国」という教えを下さいました。
家庭連合では、この精神をもって天を敬い、家族を愛し、
そこで培われた家族愛を世界まで広げようとしています。

家族の中でも、愛が成熟されていないがゆえに、
時には児童虐待や非行などの問題が生じますが、
それでも、私たちは家族であることをやめません。

相手の痛みや苦しみを自らのものとして受け入れ、
本当の家族≠ノなるための努力をします。
それが家族の力です。

人は、たとえ国が違っても、地球上で生きていることに変わりはありません。
文化が異なっても、夫婦が家庭を築いて子供を生み、
大切なものを家族に託して自らの人生を終えることは同じです。
このように共通することのほうが多いのです。

国と国とでは、プライドがぶつかって関係が難しくなることがあります。
しかし私たちが、あらゆる国の人々を「私の家族」として見詰め、
共通点を認め合うようになれば、その問題が解決され、
世界に平和をもたらすことができます。

ところで、船が海上を進むことができるのは膨大な海水があるからです。
同様に家族が暮らしていくためには、
人間の愛よりも大きくて深い愛が必要です。
それは神様の愛、自然の愛、さらにご先祖様の愛とも言えるでしょう。

私たちを生かしているそのような愛に気づき、
その愛に感謝しながら家庭生活を営むことが大切です。

そして気がついたら、「人類が皆、私の家族になっている」。
そのような大きな家族となることが、
家族の力の究極の到達点ではないかと思います。
若い青年・学生の皆様が、そこに向かって
チャレンジしてくれることを心から願います。

第5地区(九州)青年3000名大会「ファミリーパワーフェスティバル」
(主催・世界平和統一家庭連合第5地区、後援・世界平和青年学生連合)
天一国7年天暦3月3日(2019年陽暦4/7)午後1時
福岡県宗像(むなかた)市
(家庭連合Online より)



真の父母様のみ言は素晴らしいし、
そして、歩まれた道程もどれだけ素晴らしいでしょうか。

問題は、私たちです。
天聖経にこのようなみ言があります。

   統一教会の教団は氏族です。
  「私」の血が共に動くのです。
  私が涙すれば、氏族が涙しなければならず、
  私が喜べば、氏族が喜ばなければなりません。
  それは血族です。
  五色人種を越え、文化背景の異なる
  すべての国家基準を越え、
  壁を取り払って一つのまとまった、
  新しい天の国創建のための民族です。

(天聖経 968ページ)

すなわち、祝福家庭は、
同じ天の血統で結ばれた
『氏族』なのだ、というのです。

これを私たちが意識して生活したならば、
自然と人が集まってくるだろうし、
また、証しを立てることができると思います。

今、真の家庭づくり運動をしていますが、
「人類が家族になっている」
そのことをまずは、私たち祝福家庭が
先頭を切って実践すること、
これが一番の天の願いではないかと思うのです。





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2019年04月13日

神様のいる教育と、いない教育?! その場しのぎにならないために 《蝶野講師》



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子供たちのための月刊誌『ムーンワールド』において、
本部の家庭教育部長になられた
蝶野講師による新シリーズ、
「孝情を育む」がスタートしました。



神様から教育を出発できる

愛の主人は神様であり、
親子の関係を構想し、創造されたのも神様です。
当然、「教育」という概念も神様から始まったものです。

ですから、私たち父母が自分の思いで子女の教育を考えるのではなく、
愛を発明された、親子の関係を考えられた、
その神様から「教育」を考えるべきです。
 
実体で子女の成長に責任を持っているのは私たち父母です。
見える神様の役割を果たしてゆく立場ですから、
私たちには神様が絶対に必要です。

神様から受けた愛の実感の中でこそ、
子女を本当に愛し、教育を出発することができるのです。

子女が本来受けるべき愛の基準を考えたとき、
私たち父母は、常に神様に対しても子女に対しても、
愛の責任を負った立場です。

どんなに子女に尽くしているつもりでも、犠牲や苦労を重ねたとしても、
どのように美が返ってきたようであっても、
父母は常に愛の負債を負っています。

それは父母である私の愛が足りないという意味以上に、
神様の愛が圧倒的であるからです。
その神様の愛を背景に子女を愛さなければならないのです。



一般の子女教育には神様がない

愛は、限りなく投入しても不足だと感じる性質を持っています。
世俗的な親の愛でさえそうであるのに、
まして神様の子女を育てようというときに、
どれほど深刻な立場に自分を立てたかということをいつも考えます。

子女を見つめる時、接する時、私自身がそれを神様と向かいあう時間として、
どれほど長く感じられるかということです。
子女に対しながらも実際は神様と向き合っているわけです。

子育ては子女だけを扱うということは絶対にありえないことです。
それがこの世の子育てとまったく異なるところです。



子女教育と私の創造

子女に関わるには中心が必要です。
関わり方や方法論に中心がなければ
その場凌ぎの対応に終始することになります。

多くの父母は、起こった問題に対して方法論だけを探し続けます。
方法論から中心を探し出すようにすればいいのですが、
対処の仕方だけを集めてみても、横に並べただけで中心がありません。

出来事や環境に主管されている状態は、
私自身が創造されることとは関係がありません。
父母の成長がない過程で、子女は愛を受けることはできません。
私自身の成長や再創造と関係のない子女教育はありえないということになります。

ですが、そういう中でも神様は常にいらっしゃいますので、
多くの失敗を通して、父母を教育してくださることも多いのです。
過りがあっても、ある結果や現象を見せて、痛感させ育ててくださるのです。

そのような「教育の神様」にいつも感謝するのです。


『ムーンワールド』2019年4月号
【新連載】孝情を育む@
家庭教育部長 蝶野知徳
(読みどころ紹介A)


子供というのは、
本当に親の思い通りに育たないな。
そのことを痛感する日々です。

それでも、必ずわかってくれるだろう、
そのような思いを持ちつつ、
愛を投入するしかない、と感じています。
それは、神様の心情でしょう。

神様を知っている私たちなので、
全ての事象を神様を中心に、
受け止めていく者になっていきたいです。





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2019年04月10日

〜子供をただ叱る前に〜 子の問題は、私の問題、天からの宿題?! 《座間先生》



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Blessing America 4.6
City of Refuge Church, Gardena, CA


教育カウンセラーの座間保裕先生が、
「父母の教育力」と題してコラムを書かれています。



親子問題の対応について

親子関係で何か問題が起こる場合があります。

それは普段のコミュニケーション不足から起こることが多いので、
まず親が子供に向き合ってコミュニケーションを図る必要があります。

親子問題は善悪の問題ではなく、心情関係の問題であることがほとんどです。

例えば、第三者が入って子供の間違いを指摘したとしても、
子供がそれで納得して、問題が解決されるというケースは多くないでしょう。

そして、親子の関係性の改善を図ろうとすべきなのに、
縁を切る、暴力を振るうなどの行動を取ってしまっては問題の解決にならず、
かえって問題が複雑になりこじれてしまいます。

子供との会話をしっかりと積み重ねて
親子の信頼関係を構築することが大切です。

また、より根本的には親子問題の前に、
夫婦(父母)の不和が原因となっていることも多いので、
夫婦の関係性を改善することが重要なカギとなります。



子供が不登校になったとき

子供が不登校になってしまった場合も、いろいろな要因があり、
その状態に合わせた対応が必要になります。

子供が登校せず、引きこもっている時期はとにかく休ませ、
回復するのを待ってあげる必要があります。

不登校の子供に甘えさせることも必要ですが、
わがままをそのまま聞いてあげる必要はありません。

子供が学校に行き渋り始めた時期は、ストレスが溜まって
溢れるかどうかのスレスレの状況にあると言えます。
そういう時は学校に行かせることよりも、
気持ちを聞いてあげることを優先させる必要があります。

無理に学校に行かせると、その時は頑張っても、
後で限界状況になりやすく、無理をした分、
回復が遅くなる可能性があります。

不登校になった子供には十分に甘えさせてあげ、
スキンシップをしたり、
ゆっくり話を聞いてあげたりしたらよいでしょう。
ただし、甘えとわがままはきちんと区別する必要があります。



子供が問題を起こしたとき

また、子供が何か問題を起こした場合、
その子供だけが悪いのではなく、一番の責任は親にあります。

親が、ただ子供を責めたり、学校や社会などに
問題の責任を転嫁したりする姿勢を持っているとすれば、
改めるべきではないでしょうか。

むしろ家庭全体の問題が
子供に表れたのだと捉える必要があります。

子供の問題は神様からその家庭に与えられた宿題のようなものであり、
そこに取り組みながら理想家庭に向かっていくのだと捉え、
起こった問題への直接的な対応だけでなく、
家庭そのものの立て直しを図る機会だと考えましょう。

子供の問題は親の問題でもあるからです。

子育て道しるべ 23
父母の教育力(上)座間 保裕
(APTF『真の家庭』169号[11月]より)



「子供の問題は親の問題」
これを言われると何ともいたたまれないというか、
本当に心苦しいものがありますね。。。

「モンスターペアレント」という言葉があります。
これは一般社会でのことかと思いましたが、
教会内でもあるらしく。。。
詳細は省略しますが、ある教会で
子供たちの礼拝を担当している婦人の話です。

子供の姿を通して、
自分自身が、親なる神様、
また、真の父母様に対する信仰がどうなのか、
そのことを質されることも多くありますね。

子供たちには、自分の感情で対することなく、
天の目で見つめていきたい、
そう思わされます。




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