2017年04月04日

お母様はお父様の半分?! 史吉子先生がかなわないと感じた理由(わけ)2 



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史吉子先生の
「原理に関するみ言の証」に
『お母様はお父様の偉大な傑作品』
という箇所があります。
一部、紹介します。


私は誉進様、孝進様に侍りながら、
お母様にも侍りましたが、
お母様がこれだけ霊的に明るいのか、
私が10回言っても結論が出ないのに、
お母様は一言で結論を出されます。

それで私はお母様に歯が立ちません。
そのように、お母様は優れた方です。

更に偉大なるお父様の教育を受けた
今日のお母様は、
想像も出来ない内容を
持っておられます。

それは誰のお陰なのかと言うと、
大母様のお陰です。
お母様は大母様の
信仰の基盤の上に立っておられます。


少し前に、お母様が私におっしゃいました。

「お父様が私に、
私の半分、私の半分と言われるよ。」
と言われました。

本当にそうです。
お父様がいくら完全になろうとしても、
お母様がいらっしゃらなければ
半分にしかならないでしょう?

お母様は今では、お父様と同等な位置を確保されました。
昔、お母様が聖婚なさってから、
お父様が深刻に神様の摂理に対して
教育されるのを、私は何度も見ました。


お父様は、今になって考えてみると、
お母様を教育するのが
一番大変だったとおっしゃいました。

数え切れない残酷な拷問を受けたことも、
お母様を教育させる苦痛に比べれば、
むしろ耐えるに易しかったそうです。

それ故に神様が、
「あなたがメシヤの使命を果たしなさい!」
と言われた時、メシヤ、すなわち
完成したアダムが、一人の女性を探して
完成したエバに作るのがメシヤの責任であり、
それがこんなに大変だとわかっていたら、
「私はできません。」
と断っただろうと言われました。

ところが、お父様はそれを知らないで
責任を引き受けられ、
自分を否定する訓練を
神様から徹底的に受けられました。

お父様は、
「それだけでも大変だったのに、
そこにお母様まで完成させなければならなかったので、
本当に大変だった。
それを私がどうやって
全て話すことができるだろうか。」
とおっしゃいました。


お父様は神様の傑作品であり、
お母様はお父様の傑作品です。

それでお父様が太陽なら、
お母様は月です。

私たちは太陽は眩しくて、
まともに見ることが出来ません。
しかし、月はまともに見ることができます。
月の中でも満月を見れば、
心が安らぎ嬉しいのです。

それで神様に行く道は、
必ずお母様を通してお父様に行き、
お父様を通して神様にいかなければなりません。

直接、お父様に行くことが出来ません。
それくらいお母様は、
私たちにとって貴重で近い方です。



表題にあるように、
『お母様はお父様の偉大な傑作品』です。

ということは、お母様を否定することは、
お父様を否定することになるでしょう。

真の母として見事に勝利された
真のお母様だからこそ、
お父様はすべてをお母様に託しておられ、
お母様ご自身もお父様の願いに応えたい・・・
そのような思いで歩んでおられます。

ですから、お母様の願いに応えることが、
お父様の願いに応えることであり、
神様の願いに応えることなのです。





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2017年03月22日

史吉子先生がお母様にかなわないと感じた理由(わけ)?! お父様が語る3つの美徳



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今日も、史吉子先生の『原理に関するみ言の証』から、
み言を紹介します。
『真のお父様が称賛された三点』です。



私が、真のお母様のお近くで侍るようになったのは、
お母様が譽進様に続いて孝進様をお生みになったときからです。
そのころ、真のお母様と多くの対話をしながら過ごしました。

私は、真のお母様よりも十歳年上ですが、
真のお母様に接しながら感じたことは、
真のお母様は、大母様の信仰の土台の上で生活し、成長されたので、
相当、信仰的に深い内容をお持ちであるということでした。

真のお母様は、聖貞(現・善正)女子中学校を出られた後、
看護学校に通われていたときに、真のお父様とご聖婚されました。


私は、真のお母様に侍りながら、
世の中の知識から得ることができるものは、
とても表面的であるということが分かりました。
その反面、真のお母様が持っておられる世界は、
とても霊的であり、啓示的です。

ですから、私が十のことを話したとしても、
それは表面的であり、一般的な知識なのですが、
真のお母様は、それを一言で整理してくださるので、
私は、その一言に驚くのです。

真のお母様は、普通の人とは違い、
深い知恵と霊感があられ、
とても正確に物事を認識されるということです。

ですから、真のお母様に接するとき、
この世の中の学問、知識も、お母様の内的な世界には
及ばないということを、いつも感じます。


真のお父様は、以前、真のお母様に対して、
三つのことを挙げて、とても称賛されました。

一つは、非常に霊感的であられるということです。
真のお父様が何か決定を下そうとされるとき、
真のお母様が、ある一言をおっしゃると、
お父様は、そこからヒントをお受けになるというのです。

二番目は、真のお父様に対して、
信仰的に絶対に従順であられるということです。

三番目は、非常に心情的であられ、
所有観念がないということです。


例えば、真のお母様は、多くの贈り物を受けられますが、
そのさまざまな装飾品や服などをご自分のものにしようという思いは、
全くお持ちでないのです。
受け取られると、まず、“これは、だれに必要だろう?”と考えられるのです。

これは、有名な話ですが、
真のお父様が世界巡回をされたとき、
当時、十分なお金はなかったのですが、
真のお母様に指輪を一つ買ってさしあげられたということです。

真のお父様は、真のお母様が、その指輪をはめているのを、
一度も見かけられなかったそうです。

それで、真のお父様が、
「その指輪を、どうしてはめないのか?」
と尋ねられると、真のお母様は、
「それは、だれかに上げました。」
と、おっしゃったというのです。

真のお母様は、その指輪をだれに上げられたのかさえも、
お忘れになっていたのです。


それで、真のお父様は、
「皆さんは、このような真のお母様に侍っているということが、
どれほど幸福なことか分かりますか?」と、おっしゃいました。

もし、真のお母様が、“自分が受け取るものは、自分のものである。”という、
そのような所有欲のあるかたであられるとすれば、
「それを、だれだれに上げなさい。」と、いちいちおっしゃらないはずです。

ところが、何か良い物が手に入ると、
ご自分のことは考えられずに、“だれに上げようか? 
これは、だれにとって必要だろうか?”と、真のお母様は考えられるのです。

例えば、私が、“服が必要だ。”と思うと、
口にも出していないのに、ちょうど私に合った服を下さるのです。




真のお母様の素晴らしさを
お父様は見抜いておられました。
今もなお、同じ思いでお母様を見つめておられます。

そして、お母様ご自身も、
お父様の願いに応えるべく、
最前線でみ旨を歩まれています。

何で真の御父母様を引き剥がそうとするのかな・・・
最後の時だから、そうなのでしょう。。。

でも、そのことに対して、
批判することは誰だってできます。

だからこそ、私たちは、
真の御父母様の素晴らしさを堂々と
証ししていきたいと思うのです。





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2017年03月16日

かわいそうなお母様?! 祈ってもあげられなかったお父様!  《史吉子先生》



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史吉子先生の書籍
「原理に関するみ言の証」
『お母様のために、祈祷もしてあげることのできないお父様』
から抜粋してお伝えします。


お父様は京畿道・龍仁にあるメッコール工場で、
このようなみ言を語られました。


「私が多くの人を、一言の祈祷で生かしてあげた。
ところが、お母様のためには祈祷をしてあげられない。

なぜならば、お母様はこの世の女性の代表だ。
どんな理由であろうとも、
涙を流す女性がこの世にいたなら、
彼女たちの苦難の路程が全て終わるまでは、
お母様のために祈ってあげることができない。

お母様の娘の立場である義なる女性たちが、
この世の暗い片隅で
解放されないまま生を維持しているので、
お母様はその娘たちのために、
共に苦しむ一部分でも無ければならないのだ。
それで、お母様は苦労しなければならない。

このような理由のため、
私がお母様のために深刻な祈祷を一度すれば、
お母様の体が綺麗に治るのをはっきり知っていながらも、
祈祷をしてあげられない」



私は最高の理想的な夫婦の愛、真の夫婦の愛は、
かくも徹底した法度に従って行かなければならないのだと思うと、
申し訳なくて、身の置き場もありませんでした。

長い間を生きてきながら、暇さえあればこんなことについて
考えるようになるのですが、
お母様が可哀想で、どれだけ涙を流したかわかりません。



お母様が「真の母」として勝利するための道において、
お父様は助言することができませんでした。

助言するどころか、
「お母様のために祈ってあげることができない」
というのですから、お父様はどれほど、もどかしい思いだったでしょうか。。。

そして、お母様が勝利されたことを
お父様はどれほど喜ばれたか知れません。

そんなお母様を霊界において協助しているお父様に違いないし、
そして、霊界におられる真のお父様を
心から愛し、そして、地上で果たせなかった無念の思いを
必ず実現する、という思いで歩まれている
真のお母様であることをハッキリと知らなければならないと思います。。。




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