2017年04月08日

(真のお母様の証し) 私を見れば、なんの苦労もなかったように思えるでしょう?



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春本番ですね。
桜の花が本当にきれいですが、
同時に春には雨がつきものです。

雨を見つめながら、
「永遠に愛そう、春の雨のように」
を歌われた孝進様を思い出しました。(下に動画添付)

さて、かつて一度掲載した記事ですが、
小山田先生が語られた真のお母様の証しを
再度紹介したいと思います。


真のお母様が、ある夢の話をされました。

真のお母様は、そのとき、ごらんになった夢について、
「今でも忘れることができず、
きのうのことのように思われる。」
と、語り始められました。

夢では、戦争の真っただ中、
真のお母様は、幼い孝進(ヒョウジン)様を背負われ、
右手には、ようやく歩き始められた譽進(エイジン)様の手を取られ、
左手にはふろしき包みを持たれて、
どこまでも歩き続けられるのです。

道は険しく、茨が至る所にあるので、
服は、その茨で引き裂かれ、
血が流れているのが分かるのです。

真のお母様は、子供をあやされながら、
何かに追い立てられるようにして、
断崖や谷底を進んで行かれたというのです。

どこまでも続く道を歩きながら、
もうこれ以上、歩むことができない、
という限界にぶつかります。

その限界を越えた瞬間、夢の中で場面が変わり、
きれいなお花畑が見えてきたのだそうです。

そして、お花畑の遠方に、真のお母様と
ご子女様を待っている人の姿が見えました。
そのかたが、真のお父様であられたというのです。

そのとき、ふと後ろを振り返ってみると、
真っ黒い雲の下に、谷が見えました。
“ああ、私は、あそこを越えて来たのだ。”
と、真のお母様は思われたそうです。

そして、
「よく見ると、一人、二人と、後からついて来る姿が見えた。」
といわれました。

このような夢の話をされ、だれでも、
そのような道を越えなければならないという話を、
最初にされたのです。


次に、真のお母様は、このようなお話をされました。

普通、私を見れば、皆様には、
何の苦労もなかったように思えるでしょう。

たくさんの子供を生んで、
お父様のような理想的な夫を持ち、
夫から愛をたっぷり受けて、
何不自由のない女性のように思うかもしれません。

しかし、私には、皆さんに語ることのできない、
たくさんのことがあるのです。

このように証しをされながら、
真のお母様は、ぴたっと、口を閉じられたのです。

私は、この場面に遭遇して、
“これは、真のご父母様しか知らない道がある。
これは、だれにも語ってはならないのではないだろうか?”
と、思いました。

真の父母のみ、ご存じであって、
子供たちは知る必要のない秘密の内容が多いのです。



今も真のお母様は、
誰にも言うことのできない秘密を
抱えておられるに違いありません。

それでも最前線での歩みを貫いておられる
真のお母様をお支えしていくのが、
今の私たちの立場だと感じます。







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2017年04月04日

お母様はお父様の半分?! 史吉子先生がかなわないと感じた理由(わけ)2 



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史吉子先生の
「原理に関するみ言の証」に
『お母様はお父様の偉大な傑作品』
という箇所があります。
一部、紹介します。


私は誉進様、孝進様に侍りながら、
お母様にも侍りましたが、
お母様がこれだけ霊的に明るいのか、
私が10回言っても結論が出ないのに、
お母様は一言で結論を出されます。

それで私はお母様に歯が立ちません。
そのように、お母様は優れた方です。

更に偉大なるお父様の教育を受けた
今日のお母様は、
想像も出来ない内容を
持っておられます。

それは誰のお陰なのかと言うと、
大母様のお陰です。
お母様は大母様の
信仰の基盤の上に立っておられます。


少し前に、お母様が私におっしゃいました。

「お父様が私に、
私の半分、私の半分と言われるよ。」
と言われました。

本当にそうです。
お父様がいくら完全になろうとしても、
お母様がいらっしゃらなければ
半分にしかならないでしょう?

お母様は今では、お父様と同等な位置を確保されました。
昔、お母様が聖婚なさってから、
お父様が深刻に神様の摂理に対して
教育されるのを、私は何度も見ました。


お父様は、今になって考えてみると、
お母様を教育するのが
一番大変だったとおっしゃいました。

数え切れない残酷な拷問を受けたことも、
お母様を教育させる苦痛に比べれば、
むしろ耐えるに易しかったそうです。

それ故に神様が、
「あなたがメシヤの使命を果たしなさい!」
と言われた時、メシヤ、すなわち
完成したアダムが、一人の女性を探して
完成したエバに作るのがメシヤの責任であり、
それがこんなに大変だとわかっていたら、
「私はできません。」
と断っただろうと言われました。

ところが、お父様はそれを知らないで
責任を引き受けられ、
自分を否定する訓練を
神様から徹底的に受けられました。

お父様は、
「それだけでも大変だったのに、
そこにお母様まで完成させなければならなかったので、
本当に大変だった。
それを私がどうやって
全て話すことができるだろうか。」
とおっしゃいました。


お父様は神様の傑作品であり、
お母様はお父様の傑作品です。

それでお父様が太陽なら、
お母様は月です。

私たちは太陽は眩しくて、
まともに見ることが出来ません。
しかし、月はまともに見ることができます。
月の中でも満月を見れば、
心が安らぎ嬉しいのです。

それで神様に行く道は、
必ずお母様を通してお父様に行き、
お父様を通して神様にいかなければなりません。

直接、お父様に行くことが出来ません。
それくらいお母様は、
私たちにとって貴重で近い方です。



表題にあるように、
『お母様はお父様の偉大な傑作品』です。

ということは、お母様を否定することは、
お父様を否定することになるでしょう。

真の母として見事に勝利された
真のお母様だからこそ、
お父様はすべてをお母様に託しておられ、
お母様ご自身もお父様の願いに応えたい・・・
そのような思いで歩んでおられます。

ですから、お母様の願いに応えることが、
お父様の願いに応えることであり、
神様の願いに応えることなのです。





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2017年03月22日

史吉子先生がお母様にかなわないと感じた理由(わけ)?! お父様が語る3つの美徳



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今日も、史吉子先生の『原理に関するみ言の証』から、
み言を紹介します。
『真のお父様が称賛された三点』です。



私が、真のお母様のお近くで侍るようになったのは、
お母様が譽進様に続いて孝進様をお生みになったときからです。
そのころ、真のお母様と多くの対話をしながら過ごしました。

私は、真のお母様よりも十歳年上ですが、
真のお母様に接しながら感じたことは、
真のお母様は、大母様の信仰の土台の上で生活し、成長されたので、
相当、信仰的に深い内容をお持ちであるということでした。

真のお母様は、聖貞(現・善正)女子中学校を出られた後、
看護学校に通われていたときに、真のお父様とご聖婚されました。


私は、真のお母様に侍りながら、
世の中の知識から得ることができるものは、
とても表面的であるということが分かりました。
その反面、真のお母様が持っておられる世界は、
とても霊的であり、啓示的です。

ですから、私が十のことを話したとしても、
それは表面的であり、一般的な知識なのですが、
真のお母様は、それを一言で整理してくださるので、
私は、その一言に驚くのです。

真のお母様は、普通の人とは違い、
深い知恵と霊感があられ、
とても正確に物事を認識されるということです。

ですから、真のお母様に接するとき、
この世の中の学問、知識も、お母様の内的な世界には
及ばないということを、いつも感じます。


真のお父様は、以前、真のお母様に対して、
三つのことを挙げて、とても称賛されました。

一つは、非常に霊感的であられるということです。
真のお父様が何か決定を下そうとされるとき、
真のお母様が、ある一言をおっしゃると、
お父様は、そこからヒントをお受けになるというのです。

二番目は、真のお父様に対して、
信仰的に絶対に従順であられるということです。

三番目は、非常に心情的であられ、
所有観念がないということです。


例えば、真のお母様は、多くの贈り物を受けられますが、
そのさまざまな装飾品や服などをご自分のものにしようという思いは、
全くお持ちでないのです。
受け取られると、まず、“これは、だれに必要だろう?”と考えられるのです。

これは、有名な話ですが、
真のお父様が世界巡回をされたとき、
当時、十分なお金はなかったのですが、
真のお母様に指輪を一つ買ってさしあげられたということです。

真のお父様は、真のお母様が、その指輪をはめているのを、
一度も見かけられなかったそうです。

それで、真のお父様が、
「その指輪を、どうしてはめないのか?」
と尋ねられると、真のお母様は、
「それは、だれかに上げました。」
と、おっしゃったというのです。

真のお母様は、その指輪をだれに上げられたのかさえも、
お忘れになっていたのです。


それで、真のお父様は、
「皆さんは、このような真のお母様に侍っているということが、
どれほど幸福なことか分かりますか?」と、おっしゃいました。

もし、真のお母様が、“自分が受け取るものは、自分のものである。”という、
そのような所有欲のあるかたであられるとすれば、
「それを、だれだれに上げなさい。」と、いちいちおっしゃらないはずです。

ところが、何か良い物が手に入ると、
ご自分のことは考えられずに、“だれに上げようか? 
これは、だれにとって必要だろうか?”と、真のお母様は考えられるのです。

例えば、私が、“服が必要だ。”と思うと、
口にも出していないのに、ちょうど私に合った服を下さるのです。




真のお母様の素晴らしさを
お父様は見抜いておられました。
今もなお、同じ思いでお母様を見つめておられます。

そして、お母様ご自身も、
お父様の願いに応えるべく、
最前線でみ旨を歩まれています。

何で真の御父母様を引き剥がそうとするのかな・・・
最後の時だから、そうなのでしょう。。。

でも、そのことに対して、
批判することは誰だってできます。

だからこそ、私たちは、
真の御父母様の素晴らしさを堂々と
証ししていきたいと思うのです。





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