2020年07月04日

(証し)人類の真の母の、肝の据わったエピソード 1992、最初の世界巡回路程で



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見かけはおとなしく見えますが、
度胸があるのです。

真のお父様



777双の杉山もと子さんのお母様の証し
「人類の行く末をもっとも案じておられる女性」です。


1992年、真のお母様が
統一運動の世界平和女性連合の大会で、
世界を巡回講演されたとき、
同連合の日本会長として、
ご一緒させていただきました。

以前、真のお父様が、
「今日の私たちの教会があるのは、
お母様の絶対服従の道があったからだ」
とおしゃったことがあります。

そのような
お母様の勝利圏を相続させていただきたい、
という思いで、随行させていただきました。


お母様はとても肝の据わった大胆な世界をお持ちで、
あまり物事に動じないお方です。

フィリピン大会(1992年12月8日)でのことです。
フィリピンは講演の予定に入っていなかったのですが、
あるVIPクラスの婦人が来るということで、
急に行かれることになったのです。

実際は、直前になってもその婦人は来なかったのですが、
お母様は、「ああ、そうですか」という感じでした。

またお母様の荷物が届かず、当日ステージに立つために
必要なものがないなど、
いろいろなハプニングもありました。

そういうマイナスの状況の中でも、
お母様は少しも慌てることなく、
むしろ非常に冷静な指示を下さいました。

そして、大会では
満身の力を込めて語られたのです。


またお母様は、お父様と同じように
人の心情の世界をとても敏感に、
また細やかに感じ取られます。

お母様はまさに、愛と真理に立って
分別されるお方だ、ということを感じます。


1992年の初めころ、
お母様から、私にはとても買えないような、
高級なバッグとコートをいただいたことがあるのですが、
お母様はおそらくその頃から、
私が近い将来、対外的な場に出ていく
ということを感じておられたのだと思います。

それから1年ほど後に、
お母様にお目にかかったとき、
「本当に役立たせていただいています」
とお礼を申し上げたところ
「ん?何のこと?」というお顔をなさいました。
お母様は覚えておられなかったのです。

このようにお母様は、
誰かに物を上げたことを
すべて忘れてしまうお方です。

また、物を上げるときも、
その個人に対してではなく、
その人が持っている使命や、
先々こうなるだろうということを考えて
くださっているのです。


お母様による世界巡回講演は、
112回に上りました。

真のお父様から
「112回、回った感想を言いなさい」
と言われたお母様は、
「子供を生むときは命懸けですが、
それと同じような苦痛を味わいました」
と報告されたそうです。

正に命を削る大会だったのです。

お母様とご一緒に世界を回らせていただいてみて、
私は
「人類の行く末を最も案じておられる女性は、
このお方である」と確信しました。

書籍『真のお母様、感謝します 心を打つ50の証し』より
「人類の行く末をもっとも案じておられる女性」
杉山もと子(777双)


お母様が大胆な世界を持たれているのは、
お父様が聖和されて、お父さまがともにおられるので、
そうなられたのだ、と思っていましたが、
どうやらそうではなさそうです。
もともと備えておられるお母様なのですね。

そして、与えて忘れられる姿は、
本当に素晴らしいです。

自叙伝には、お父さまからいただいた
結婚指輪を誰にあげたか覚えていないという、
そのようなお母様の記述がありますが、
並みのおかたではない、と感じます。

大胆かつ繊細な心情をお持ちのお母様。
真のお母様、すべてに感謝いたします。
本当にありがとうございます。








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2020年06月23日

北からの生還と韓国動乱、独生女5歳と7歳の奇跡 《浅川先生・10大奇跡》2



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漢江大橋爆破(1950年6月28日2時30分)


浅川 勇男先生の
「『平和の母』に見る10大奇跡」より、
今日は、
「第2奇跡〜北朝鮮脱出と朝鮮戦争危機回避」です。

奇跡の連続の、北からの脱出劇、
さらに2年後、韓国動乱が勃発し、
ソウルからも逃れなければなりませんでした。

 
サタンは、(数え)6歳まで
神の独り娘(韓鶴子総裁)を殺害できませんでしたが、
北朝鮮に拘束さえしていれば、
いつでも殺害蹂躙(じゅうりん)することができました。

この期間は、独り娘の命を巡る神とサタンの
壮絶で激しい戦いの分水嶺であり、
一瞬一瞬が生死の岐路を分かつ奇跡の連続でした。

祖母(趙元模)は南に行くことを決断します。
祖母の息子(韓鶴子総裁にとっては叔父)が南の軍隊にいたからです。

「天は叔父に対する祖母の切実な思いを通して、
 私たちが出発できるように役事(やくじ)されたのです」

(韓鶴子総裁自叙伝『人類の涙をぬぐう平和の母』77ページ)


(1948年秋、)祖母、母(洪順愛)、娘の三人は、
200キロメートルを超える道のりを、
千辛万苦して38度線にたどり着きます。

しかし、北朝鮮軍に拘束されました。
万事休す。
サタンにとって、最後の北朝鮮内での拘束のチャンスです。
救われる可能性は皆無。
しかし奇跡が起こりました。

寒さと空腹で苦しむ歩哨に、
6歳(満5歳)の女の子が食物を分け与えたのです。
生死を分かつ死線の中で、怨讐への愛が道を開きました。

「故郷に帰れと言って、人民軍が
 私たち三人を解放してくれました」

(同、78ページ)


38度線を超えましたが、新たなる死の危険が迫っていました。
もしそこで、北朝鮮の歌を歌ったら、
瞬時に南の軍隊に銃撃されていたでしょう。
しかしこの時、「南の歌」を歌ったのです。

「もし、私が歌を歌っていなければ、北の人民軍と誤解され、
 その場で銃弾を浴びて命を落としていたでしょう」

(同、79ページ)

その後、ソウルで奇跡的に叔父と出会えました。


1950年6月25日、サタンは、あたかも独り娘の殺害のために
一挙に南に進攻しました。
またもや、危険にさらされたのです。

(6月27日夜)
住居から避難しますが、そのまま漢江大橋を渡っていたら、
命を失っていたでしょう。
 
その時です。

「私はふと何かを感じるものがあり、
 祖母の服の裾を引っ張りました。
 祖母は足を止めたのを見て、母がいぶかしげに尋ねました」

(同、82ページ)

祖母は来た道を振り返り、息子(叔父)が
「来るかもしれない」と言い、戻ることにしたのです。

叔父は家に迎えにきました。
軍隊の通行証をもっていたので、早く橋を渡れたのです。
その直後、橋は爆破されました。

「わずか数メートルの差で、
 生と死が分かたれた瞬間でした」

(同、84ページ)

サタンは、独り娘の命をわずかの差で逸したのです。
祖母のひらめきが奇跡的に道を開いたのです。

 
「私は幼い年でしたが、戦争の残酷さを直接目撃し、
 悲惨な避難民の生活を経験しました。
 純朴な人々がまるで虫けらのように死んでいき、
 親を失った子供たちが泣き叫びながら街頭をさまよっていました。

 私は数えで八歳にして、戦争は地上から
 永遠に消えさらなければならないという思いを強く持ちました」

(同、85ページ)

編集・文責:ten1ko2
(年月日、年齢について括弧書きで加えました)


『平和の母』に見る10大奇跡 2
第2奇跡〜北朝鮮脱出と朝鮮戦争危機回避
浅川 勇男


まさに「奇跡の生還」ですね。

感想文にも書いたのですが、
韓国動乱(朝鮮戦争)において、お父様は興南監獄から
奇跡的に解放され、生還することができましたが、
真のお母様も北朝鮮から韓国に、
奇跡的に逃れることができたのですね。

お父様の場合は、
興南監獄で12名の基台を立てた、
その土台で霊的に守られましたが、
お母様の場合は、
母と祖母、お母様ご自身、
三代にわたっての信仰によって
守られたのだと思います。

そういう意味で、
韓国動乱は、真の父母のための
聖戦であったといえるのではないか、と思います。

お母様の自叙伝にも、
参戦した国々の兵士たちを集めて、
リトルエンジェルスの公演をして、
慰労した記述がありますが、
受けた恩を忘れない、御父母様なのだと思うのです。





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posted by ten1ko2 at 07:49 | Comment(0) | お父様・お母様の路程 証し | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年06月19日

僭越ながら私の感想文を紹介します! 「お母様の自叙伝には恨みの言葉がない」



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大母様と叔父の洪順貞(ハン スンジョン)氏と共に☆


真のお母様の自叙伝
「人類の涙をぬぐう平和の母」
感想文コンクール。

大変僭越ではありますが、
私自身が応募した感想文を紹介させていただきます。


「お母様への書信
〜共に天一国の旗を掲げ、万歳を叫ぶ日まで〜」


真のお母様。

あなたの書かれた自叙伝(人類の涙をぬぐう平和の母)を手に取ったのは、
3月半ばのこと。新型コロナウィルスにより、
日本でも感染者が増えてきたころのことでした。

中国に端を発したコロナ禍に対して、憤りを感じつつ、
お母様の自叙伝を、訓読し祈りを捧げると、その憤りは消え去り、
お母様がどのような思いをもって、
今の事態を見つめておられるのだろうか、そう思うようになりました。

ちょうど、徳野会長より、お母様が、
世界各国の感染状況を食い入るように見つめ、
切に祈っておられるという報告がありました。

『平和の母』として、全人類を見つめておられるお母様は、
子供たちが苦しんでいる状況を見て、発生源がどこなのか、
誰の責任なのかということよりも、
ただただ事態の終息を願っておられるに違いありません。


昨年末、天寶苑を見学した際、
お母様のお写真に心が強く惹きつけられました。

自叙伝にも一部、掲載されていますが、
お母様の学生時代と看護学校時代の姿は、
何か達観され、別の世界におられるような、
そんな印象を受けました。

すでにご自身の使命を感じておられたのではと感じたのですが、
自叙伝を読み、確信しました。

お母様は、趙元模ハルモニから、
「神様が、お前の父親だよ」と言われ、
洪順愛大母様からは、主の娘として、育てられました。

幼い頃からいつも神様を意識して生活され、
使命の自覚をしておられた、
だからお写真から特別なオーラを感じたのでしょう。

200619-1956-1959.jpg


また、この母と祖母の信仰と精誠が、
今のお母様を作りあげられたと思います。

幼い大母様、お母様を背負い
「大韓独立万歳」を叫ばれた趙元模ハルモニ。
お母様の誕生時の霊的な試練、北韓からの南下、
漢江の爆破前に渡ることができた奇跡には、
二人の守りがあったのです。
 

お母様が素晴らしいと思うのは、
決意が最後まで変わらないことです。
私たちはちょっとしたことで一喜一憂し、
「あの時、こうすれば良かった」と過去を振り返り、後悔します。

お母様は17歳で聖婚された時、
「私の代でみ旨を終わらせる」と決意されました。

その後、行かれる道は思うようにはいかなかったでしょう。
お父様が聖和されたことも、子女様の様々な問題も
予想だにしなかったでしょう。

それでも、お母様の決意は変わりませんでした。
その決意が道を開いていったのですね。


正直に告白をすると、私自身が試練を受けた時、
お父様の歩まれた道や、困難を克服された心情路程と
心を合わせることはありましたが、
お母様に対してはありませんでした。
それは、お母様のことをよく知らなかったからです。

人間は母の胎中から生まれ、母乳を飲んで育ちます。
ですから、先に父の愛ではなく、
母の愛を受けて成長できればよかったと思うのです。

自叙伝を通して、そのことにも理由があることを悟りました。
序文に、「神様の男性格である『天の父』の立場を中心とした、
男性中心の歴史が展開された」とあります。

神様の本当の姿は、証されることなく、歴史は流れてきました。
真の父母様を中心とした摂理においても、
真のお父様が前面に出られ、お母様は陰に隠れるような立場でした。

しかし、お母様が歴史の表舞台に立ち、
独り娘であることを堂々と宣布され、
神様が「天の父母様」として、正式に顕現される時を迎えました。

神様の呼称にも理由があったと思います。
「すべてが私の責任」そのように受け止めておられるお母様が、
最近『天の父母様聖会』*という名称を発表されたのも、
神様を知らないことが問題の核心であると知っておられるからだと思います。


今、妻と毎日、自叙伝の訓読をしています。
二人で聖歌を賛美し、訓読し、祈祷を捧げ、ハグをして終わる、
この時間がなんとも幸せなひとときです。

期間中、テレワークのミスで、30分くらいの仕事が無駄になったり、
子供のことでちょっとした事件があったり、
夫婦間でも些細ないざこざがあったり。。。

ところが、夫婦で訓読して祈祷すると、複雑な思いが消えるのです。
自叙伝には、恨みの言葉がひとつもありません。
すべてに感謝している真のお母様です。

いつの間にか訓読を通して、勝利されたお母様の真の愛に
触れることができるのだ、と感じました。


実は、この自叙伝を、一つの期待をもって読んでいました。
ありました!

私は二度、拉致監禁に遭っているのですが、
336ページに、「拉致監禁」の文字を見つけ、
お母様が覚えてくださっていることに、
ちょっとした心情の結びつきを感じました。
 
お母様。
この自叙伝を、これからも訓読し続けます。
お母様の心情にもっと近づきたいと思うからです。
心から「私のお母さん」と実感できるようになるためです。

どんな時、何を感じられたのか。
すべてを克服し、勝利された真のお母様を相続していきたいです。

そして、天一国実現の時、お母様とともに喜びの旗をあげて、
「万歳」と叫びたいと思うのです。
平和の母、真のお母様、心から感謝します。

*応募後に更にお母様が
発表されたので変更しました


昨日紹介した最優秀作品に比較すると、
自分のお母様に対する心情の乏しさに、
恥ずかしいばかりです。

今回は日の目を見なかったのですが、
何人かの方から、感想文を掲載してほしい、
そんな要望もあり、
(私なりにですが)内外ともに
本当に投入したものだったし。。。
あえて紹介の機会を作らせていただきました。

読んでくださり、ありがとうございました。




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