2020年11月19日

お父様が北韓訪問に携帯した聖書?! ダンベリーで通読、33日3時間33分…の奇跡



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真の父母様による電撃的な北朝鮮訪問から
もうすぐ29年がたちます。

金日成主席との会談を終え、
中国経由で帰国されたご父母様の御一行。
そのあとのエピソードを紹介します。


  元香港、ソウル世界日報特派員だった竹谷文夫さんから、
  ダンベリーで聖書を読まれた文先生のレポートが届き、
  その内容に驚きと刺激を受けています。

  以下、文先生が金日成に会うため
  北朝鮮を中国経由で行かれたその時の内容です。



北京の後、私以外の日本人食口は
全員帰国したのですが、
私は御父母様とともに中国に残り、
広東省恵州のPanda自動車社に移動し、
香港に抜けました。

途中、恵州で置き忘れられていた
アボニムのアタッシュケースを、
一行とは別に3時間遅れで私一人で運ぶことになりました。

そのアボニムのアタッシュケースの中には、
アボニムがダンベリー刑務所の中で読まれた
韓国語の聖書が入っていました。

その聖書には創世記から黙示録まで
全ての行が赤鉛筆で線が引かれていました。

裏表紙には韓国語で
「開始1984年12月11日午前0時、
 読了1985年1月13日3時33分34秒」

「読むのに要した期間、33日3時間33分34秒」
さらに「神の御旨をすべて明らかにした」
と書き込まれていました。

アボニムがこの聖書を読み通された期間は、
アボニムが御一人でダンベリーに残っていられた期間でした。

そして、私がこのアボニムの聖書を
恵州から香港に一人で運んだ日、
即ちアボニムがダンベリーで
聖書を読了された事実を知った日は、
アボニムがダンベリーでこの聖書を読み始められた時点から
丁度7年が満了するまさにその日、
1991年12月10日のことでした。

ポーランド国家メシヤ
吉田宏先生が
LINEグループに
紹介したものです
ホームページはこちら ↓  
「令和リバイバル」
(素晴らしい記事がたくさんありますので、
皆様も良かったら、読んでみてください。)


聖書の通読をダンベリーでしておられたお父様。。。
真理を解明され、原理を発表されたにも関わらず、
なお、聖書を読まれていたのです。

読了を3数で終わられたわけですが、
最後、1秒くらいずらして、33秒にしてもいいのに、
あえて、34秒にされています。

3数を越えるとか、何か意味があったのか、
あるいは、時間を意識せずに読まれて、
たまたま34秒になったのか。。。
ちょっと興味深いですね。

ちなみに、聖書の通読は、
休みなしで約100時間だそうです。

お父様は33日で通読されたので、
「一日3時間」と決められて、読まれていたのでしょうね。

お父様の精誠に対して、
改めて感服しました。

さらに、そのダンベリーでの精誠がつまった
聖書をもって、北朝鮮に命懸けで行かれました。

もしも荷物を置き忘れることがなければ
わからなかったことですね。

それからちょうど7年目の日だったというのも、
感慨深いものですし、
数理性の神様を味方につけておられる
お父様の生活、生涯であったと
改めて知ることができました。

素晴らしい証し、
ありがとうございました。





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posted by ten1ko2 at 07:24 | Comment(0) | お父様・お母様の路程 証し | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年11月05日

「蕩減よ、ありがとう」?! 新幹線で山頂へ行ける特権を得るには 



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秋の行楽シーズンを迎え、
山登りを楽しむ機会もあることでしょう。

人生は登山に例えられますが、
真の父母様は、人類歴史を背負っていかれました。

史吉子先生の「原理に関するみ言の証」と、
真の父母様のみ言を紹介します。


ある日、私たち食口がお父様にお供して、
白雲台に登りました。

その時、お父様が杖を持って、
お父様が立っておられた所を中心に、
一回りぐるっと回りながら
円を描かれました。
そうしながら、

「先生もこの蕩減という枠の中から、
一歩も抜け出すことができない」


と言われました。

史吉子先生「原理に関するみ言の証」より

真のお父様のみ言

「きょうあなた方は、
『蕩減』という言葉に対して、
お詫びをしなくてはなりません。

『蕩減さん、私はいつもあなたを軽蔑してきました。
私はあなたを嫌ってきました。
しかし、あなたは私の最良の友です』

と、あなた方は蕩減と仲直りしなくてはなりません」


(1980年7月1日)

真のお母様のみ言

神様の摂理歴史は、蕩減を経ずしては
発展がありません。
それは皆様が『原理』のみ言を
きいた人ならよく分かるでしょう。

蕩減は悪いことばかりではありません。
未来を約束してくれるものでもあります。

蕩減復帰摂理は、簡単に来るものではありません。
大きく段階的に蕩減を払っていかなければ、
発展していくことができないのです。


「蕩減」と題して語られたみ言
2012年11月24日

*み言を紹介したブログ記事 ↓ 
蕩減とは未来を約束するもの 〜真のお母様のみ言〜


今日から教区のスタッフ研修があり、
明日には、登山も予定されています。
歩いて登る人、そしてケーブルカーで行く人もいます。

以前、みた夢を思い出しました。

修行している人たちが、白装束を着て、
勤行(ごんぎょう)を唱えながら、山を登っています。

そこをなぜだか、私は、新幹線に乗って、
山を登っているのです。
このような、ちょっと、不思議な夢です。

今、私たちは、真の父母様が、
荒れ地を開拓し、整理してくださったので、
困難な道も簡単に通ることができる。。。
また、かつては登っても登っても、見えなかった
山頂を見ることができる。。。

そのような時代に入っているということを
改めて、真の父母様に感謝していきたいと思うのです。 





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2020年10月04日

今日は何の日?! 10月が「解放と祝福の月」になった所以(ゆえん)



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風雨に曝(さら)され、火に焼かれても、
絶対に燃えて死ぬ木に
なるわけにはいきませんでした




10月は、解放と祝福の月であると言われます。
今日、10月4日は、第45回天勝日であり、
かつ以南出監65周年の歴史的な一日です。

天勝日は、ワシントン大会勝利の後
宣布されたものですが、
その20年前の以南出監というものがあったからこそ
成された宣布であったでしょう。

「以南出監」は、梨花女子大事件後の醜聞の中、
お父様が兵役忌避で収監された西大門刑務所から、
3ヵ月ぶりに無罪釈放になった日。
以北の興南に対して、以南と呼ばれています。

真のお父様の所内での様子や、釈放前後のことを、
『受難の源流』より、ピックアップして紹介します。


文鮮明師が西大門刑務所に入ったとき、
刑務課長は文師を見てあざ笑った。
「統一教会が何だかんだ言っても、結局はこのありさまだ」

このとき文師は、次のように決意している。

「わたしがここにいる間に、必ず彼らを屈伏させる」

「屈伏させる」という意味は、人格的行動を通して
自然に尊敬の念を持たせることを示している。

収容所の中では、文師のうわさが広がっていた。
同師は人々から何と呼ばれても、何も答えず静かに座っていた。

約二週間が過ぎると、文師に対する態度が少しずつ変わり始めた。
それは、囚人たちが朝早く起きてトイレに行こうとすると、
文師はいつも祈祷していたからだ。

刑務所の中にはさまざまな人々がいた。
ある牧師は文師を見るとひどい剣幕で、
「おまえの教えとは、一体全体何だ?」と食ってかかってきた。
このような牧師も、やがては文師の人格に触れ親しくなった。

囚人の中には、皆から厄介者扱いされていた人がいた。
「こんなやつは死んだほうがいい」と、人々から思われていた囚人である。
だれからも嫌われていたその男に、文師は接触しながら彼をたしなめた。

「文さんが来てから、あの男が変わった」
「彼は文さんの言うことなら従う」
このようなうわさが、刑務所内に立ち始めた。

人々はこのような文師の姿と、収監されている信徒たちと同師との触れ合い、
さらには先に述べた面会に来る信徒たちとのようすを見て、
「世間では、あのように統一教会の悪口を言って
反対しているが、文氏はできた人物だ」と、
文師に対する見方が変わっていったのである。

文師は、囚人たちに対して常に父母の心情を持って接した結果、
彼らから尊敬を勝ち取ったのだった。


刑務所内では、不思議なこともあった。

文師の知らない所で、自分だけで餅を食べた囚人がいた。
ところが、どうしたことかその餅が
喉に引っかかって飲み込めなくなったのだ。

その後、男はこの話を文師にしようとしてやってきたが、
その男がその話を言う前に、同師はそのことを知っていた。
文師はその人になぜ朝、食べた餅が喉に引っかかったかを説明した。

さらに、ある囚人に天使が現れて、
「おまえは何番のあのかたの所に行ってあいさつをせよ。
そして、差し入れがあれば全部ささげなさい」と叱りつけた。


文師の無罪判決の記事は、どの新聞も人々が見過ごしてしまうような
小さなものでしかなかった。
文師の逮捕やスキャンダルを大きく扱ったときと比べると、
あまりにも落差があった。

信徒たちは、マスコミを通して文師と統一教会の悪い印象が
払拭されることを願ったが、その期待は完全に裏切られた。

そのため、文師が無罪であったことを知らない人も多かった。
大勢の人々の心に残ったものは、「統一教会」が、
いかがわしい教団であり、
「文鮮明」教祖は淫らな人物というイメージである。


十月四日、午後九時四十分、文師は釈放された。

三か月ぶりに教会に戻った文師は、出迎えた信徒一人ひとりと握手をして
彼らにねぎらいの言葉を述べた。
それを聞いて教会員たちは涙を流した。

文師は切ったリンゴを彼らに一つひとつ渡したあと、
夜が明けるまで語り続けた。

梁允永女史は、そのとき文師が語られた言葉の一部を、
次のように記憶している。

「わたしが韓国だけで
 裁判を受けると思っているのか! 
 これから世界的な裁判の場がわたしの前に迫ってくる。

 しかし、わたしは神様の御旨を成し遂げる時まで
 少しも屈することなく、
 ひるまず、この道を行く」


文師は、言葉で表すことのできない苦難の道を歩んだ信徒たちを愛し慰め、
これから行く道を示されたのである。


十月九日(日)聖日礼拝が行われた。
文師の説教の題目は「真理はすべてのものを捨てることから出発」であった。

十月十日(月)「文鮮明先生出獄歓迎会」が、
ソウル・青坡洞本部教会の二階で開催された。
その日文師は、教会員にポップコーンとリンゴを親しく分配された。

『受難の源流』より


刑務所に入った時には、あざ笑われたお父様でしたが、
お父様の自叙伝にも、人々がお父様の姿に屈服し、
面会に押し寄せる食口の様子を見て感嘆したと書かれています。

釈放の日には刑務所長と課長らが
丁重に見送り、彼らも3ヵ月後には
教会の信者になっていたということです。

ダンベリーの時もそうですが、
西大門刑務所に入られる時も、お父様は
すでに予想しておられたのでしょう。。。

しかし、『わたしは神様の御旨を成し遂げる時までこの道を行く』
その決意は凄まじいものでありました。
さらには、「わたしがここにいる間に、必ず彼らを屈伏させる」
この決意も揺るがないものでした。

真の愛によって、囚人たちを自然屈服させていく精神、
これは今の私たちにおいても相続すべきものだと思います。

以南出監記念日を期して、改めて私たち祝福家庭が
決意していく内容ではないか、そのように感じます。





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自叙伝のみ言

デマによって後ろ指をさされ、
(もてあそ)ばれた痛みを忘れることはできません。

大勢の人が私を激しく責め立てて、
三千里半島に私の体が立つ場がなくなっても、
一切を耐え忍んで乗り越えてきましたが、
その悲しみは今も心の片隅に物寂しく残っています。

風雨に曝(さら)され、火に焼かれても、
絶対に燃えて死ぬ木になるわけにはいきませんでした。

焦げた木の枝にも春が訪れるように、
新芽は必ず生えてきます。

強い信念を心に抱き、堂々と歩いて行けば、
世の中も正しく私を理解してくれるでしょう。


「平和を愛する世界人として」
第三章より



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posted by ten1ko2 at 08:08 | Comment(0) | お父様・お母様の路程 証し | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする