2017年07月07日

THE 興南! お父様の生きざまと霊肉合同作戦、夢で伝道?!  《金元弼先生の証言》



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金元弼先生の証し。
皆様もよくご存じの興南収容所での証です。


その後1ヵ月ぐらい経って、
(既決囚の部屋で伝道した金氏と先生は)
2人とも興南に移監するようになりました。

興南収容所では食事がとても少なく、
3ヵ月足らずで健康を害して多くの人々が死んでしまうのです。
そのぐらい食糧が少ないのに重労働をさせられるので、
なおさら衰弱してしまうのです。

先生がこの人は7ヵ月くらいしかもたないだろうと思われると、
本当にその人は7ヵ月足らずで死んでしまうというのです。

ところが先生は、この与えられた食事で
5年間を支えなければならなかったのです。


ご飯を大きなスプーンで食べれば数回で終わってしまうので、
ご飯一粒、一粒を数えながら食べることによって、
たくさん食べたという心理的な助けを求めた人もいたそうです。

それでも労働はきつく、お腹のすく生活が続くと体が弱って、
ある人は食べている途中で倒れてしまうのです。
そうするとそこにいる人たちの中で、
一番初めに発見した人が食べ残しを持って行くのです。

はなはだしいのは食べている際、石が混じっていて口から取り出すと、
それを持って行って食べるほどでしたから、
どれほどおなかがすいていたかを知ることができるのです。


それで先生はいかにして少量の食事で5年間を持たせるかを考え、
その食事の半分を分けて他の人に与え、
残りの半分だけを召し上がったのです。

先生はその半分を持って
「これが私が5年間食べるものである」と考え、
3ヵ月過ぎた後からは、その食事を全部食べるようにしたそうです。

それは「これが私の分で、
この半分は神が私に余分にくださるのである」と思い、
2人分を食べていると思うことによって、
お腹いっぱいになったと感じることができたそうです。


先生は獄中ではほとんど話をされなかったのですが、
労働をしていて昼間の時間に話をしてあけた人がいます。

その人は朴という人で、刑務所に収容された2千名の罪人の総監督でした。
その人の権限は大きかったのです。

先生はその人に、洗礼ヨハネが使命を
果たすことができなかったことについて、話をしてあげたそうです。
その人は若いとき信仰生活をして、
教会の助士(伝道師)まで務めた人でしたが、
その後教会を離れてしまったそうです。

ですから彼が先生のお話を聞くと大変反発し、
その日には先生の身辺にも大きな危険が訪れるようになったのです。
先生はたった一言「そうしてはいけないだろうに……」と言われ、
彼から離れたのです。


その夜彼は、苦痛を受けて眠れずにいると、白い姿の老人が現れ、
「あなたは596番が一体誰か知ってて反対するのですか」と叱るのです。

あまりにも苦しいので「すみません」
と言って謝ると、体が楽になったのです。

翌日先生は、同じような時間にまたその人に会って、
さらに信じがたい話をされたので、彼は怒りが込み上げて来たのです。

するとまたその夜も苦痛が始まり、白い姿の老人が現れて
「君はどうして分からないのか」と叱ったのです。
三回もそのような経験をしたため、
彼は先生の二番目の弟子となったのです。


彼は先生を知らなかったときには関心がなかったのですが、
先生を知ってからは少しでも簡単な仕事を
見つけてあげなければと思い、先生にそのことを話したのです。

ところが先生はそれを拒み、
反対に難しい仕事を自ら進んでされたのです。




お父様は、完全蕩減の道を歩まなければなりません。
そのような道を歩まれたお父様は、
私たちのお父様、私のお父様である。。。
そのことがどれほど誇りであるかしれません。

そして、そのようなお父様に
侍ることができることを心から感謝してやみません。

さらには、お父様を誇るだけで、
私は何もしていない人になるのではなく、
お父様の歩まれた道を相続する者に
ならないといけないことを改めて決意するのです。。。

続きます。






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2017年06月26日

お父様は興南で、このように12弟子を伝道された!!  《金元弼先生の証言》



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昨日は、67年前、6.25韓国動乱が起こった日でした。
興南におられたお父様を解放するため、
神様が国連軍を送ったと言われています。

地獄のような興南刑務所の中で、
お父様は12名の弟子の基台を作られ、
それが解放のための条件となったといいます。

さて、み言も語ることのできない環境で
どのように伝道されたのでしょうか。
金元弼先生の証し、続編です。


刑務所では名前を呼ばないで番号で呼ぶのですが、
そのときの先生の番号が596番でした。

その番号は「オグルハダ(無念だ)」
という言葉のように聞こえたりしました。


先生は既決囚の部屋に入るようになったのですが、
その部屋には一人の死刑囚がいました。
その人は人民軍の高級将校で、
日帝時代に日本の歩兵学校と士官学校を出た軍人で、
解放後、人民軍司令官の部下となった人でした。

彼はそのような立場にいながら、
北韓の軍の機密を南韓に流したという罪名で、
死刑宣告を受けて独房で死刑の日を待っていたのです。

ある日夢か幻のように、自分の名前を呼ぶ声が聞こえて来たそうです。

「不思議だ」と思っていると、また名前を呼ぶ声が聞こえて来たのですが、
返事をしないでいると、三回目にまた名前を呼ぶので「はい」と答えると、
白い姿の老人が現れて、「あなたは絶対に死なない。
その代わりにあなたは南から来られた若い先生を迎える準備をしなさい」
というのでした。

それは夢か幻のうちに起きた出来事でした。

そのうちにある日、自分の名前が呼ばれ、
もう死刑が執行されるのかと思って出てみると、
以外にも死刑執行から三年刑に減刑されていたのです。

彼の上官が外国の軍事会議に行っている間に起きたことで、
上官が「自分が全体的な責任を持つから、
彼を生かしてくれ」と言ったので、減刑されたのでした。
そこで彼は嬉しさのあまり白い姿の老人の話を忘れてしまいました。

ところが夢にまた白い老人が現れて、非常に怒った声で
「君は私の話を忘れたのか。
『若い先生を迎える準備をしなさい』と言ったのに、
どうしてそれを忘れたのか」
と叱り、老人は消えてしまいました。

その次には彼の父親が現れて、
「私がその若い先生のおられる所に案内してあげる」
と言って、彼を連れて行ったのです。

そこで彼の父の後について大きな階段を上ると、
大きな宮殿がありました。
その中に大王様が座る椅子があり、
父に「今私がその若い先生を見せてあげるから三拝をしなさい」
と言われ、父について三拝すると、
父は「では頭を上げてみなさい」と言ったのです。

そこで頭を上げてみると、まぶしくて何も見えなかったので、
また頭を下げていると、父が「では行こう」と言って、
彼を連れて階段を下りて行くうちに消えてしまったのです。

そこで彼は意識が戻り、夢か幻のうちに起きた
出来事のようだったと言いました。
その方が金氏なのです。


そして金氏のいる部屋にちょうど先生が入るようになったのです。
先生は学生時代から数回刑務所や警察に出入りされたので、
そこの規則をよく知っておられました。

そのために部屋に入るやいなや挨拶をし、
便器のそばに行って座られました。

ところが金氏は死刑囚として長くそこにいたため
監房長を務めていたのですが、先生を見ると心がひかれ、
自分のそばに呼んで何か聞いてみたくなったのです。

そして先生にお話をしてくださいと言ったのですが、
先生はなかなかお話をされませんでした。

なぜならば多くの自由主義者の同志たちが、
拷問をしても吐かない場合、共産党員を偽装させ監獄に入れて、
同志であると思わせて、詳しい事情をともに語り合うようにさせ、
秘密を摘発されて大変な目にあった例を先生は知っておられたからです。

しかし先生は金氏の志を知って、「ロレンス」という人の名前を使って、
先生が闘って来られた路程を金氏に語ったのです。
それで金氏は白い姿の老人の言う通りに先生の弟子になりました。



神様が「牢獄に準備している人がいる」
そのように語られて最初に弟子になったのが、
この証しにもある、金氏でした。

霊界の協助というのは、こういう風に起こるのだと思いました。
何よりもお父様の精誠があってなされると思うし、
牢獄での生活はとても大変な環境での生活だと思います。
しかし、お父様はこういう出会いを大切にしながら、
困難を乗り越えていかれたのだと思います。

マイナス的な状況であったとしても、
小さな喜びを貴く思いながら、歩むことが重要だと思います。

最近、やることも多く、また上手くいかないときには、
心情の起伏も激しいのですが、
お父様のこのような歩みに触れると、
「私の悩みなんて次元が低いな・・・」
そう思わされて、いつの間にか吹き飛んでしまいました〜。

次回は、二番目の弟子との出会いです。
お楽しみに。




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2017年04月08日

(真のお母様の証し) 私を見れば、なんの苦労もなかったように思えるでしょう?



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春本番ですね。
桜の花が本当にきれいですが、
同時に春には雨がつきものです。

雨を見つめながら、
「永遠に愛そう、春の雨のように」
を歌われた孝進様を思い出しました。(下に動画添付)

さて、かつて一度掲載した記事ですが、
小山田先生が語られた真のお母様の証しを
再度紹介したいと思います。


真のお母様が、ある夢の話をされました。

真のお母様は、そのとき、ごらんになった夢について、
「今でも忘れることができず、
きのうのことのように思われる。」
と、語り始められました。

夢では、戦争の真っただ中、
真のお母様は、幼い孝進(ヒョウジン)様を背負われ、
右手には、ようやく歩き始められた譽進(エイジン)様の手を取られ、
左手にはふろしき包みを持たれて、
どこまでも歩き続けられるのです。

道は険しく、茨が至る所にあるので、
服は、その茨で引き裂かれ、
血が流れているのが分かるのです。

真のお母様は、子供をあやされながら、
何かに追い立てられるようにして、
断崖や谷底を進んで行かれたというのです。

どこまでも続く道を歩きながら、
もうこれ以上、歩むことができない、
という限界にぶつかります。

その限界を越えた瞬間、夢の中で場面が変わり、
きれいなお花畑が見えてきたのだそうです。

そして、お花畑の遠方に、真のお母様と
ご子女様を待っている人の姿が見えました。
そのかたが、真のお父様であられたというのです。

そのとき、ふと後ろを振り返ってみると、
真っ黒い雲の下に、谷が見えました。
“ああ、私は、あそこを越えて来たのだ。”
と、真のお母様は思われたそうです。

そして、
「よく見ると、一人、二人と、後からついて来る姿が見えた。」
といわれました。

このような夢の話をされ、だれでも、
そのような道を越えなければならないという話を、
最初にされたのです。


次に、真のお母様は、このようなお話をされました。

普通、私を見れば、皆様には、
何の苦労もなかったように思えるでしょう。

たくさんの子供を生んで、
お父様のような理想的な夫を持ち、
夫から愛をたっぷり受けて、
何不自由のない女性のように思うかもしれません。

しかし、私には、皆さんに語ることのできない、
たくさんのことがあるのです。

このように証しをされながら、
真のお母様は、ぴたっと、口を閉じられたのです。

私は、この場面に遭遇して、
“これは、真のご父母様しか知らない道がある。
これは、だれにも語ってはならないのではないだろうか?”
と、思いました。

真の父母のみ、ご存じであって、
子供たちは知る必要のない秘密の内容が多いのです。



今も真のお母様は、
誰にも言うことのできない秘密を
抱えておられるに違いありません。

それでも最前線での歩みを貫いておられる
真のお母様をお支えしていくのが、
今の私たちの立場だと感じます。







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