2018年07月20日

女性の生涯一番の苦痛、最愛の息子を失って。。。 《お母様と興進様@:池生蓮先生》3



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池生蓮(チ センニョン 지생련)先生の
お母様の証しの続き、
今日からは、興進様のエピソードになります。



興進様の昇華を前後して

1984年1月2日、ご父母様の家庭の次男である
興進様が昇華(聖和)なさった事件は、
お母様にとって一生で最も大きな苦痛だったと思います。

お母様は、女性が生まれて経験しうる最大の苦痛の時間を、
み旨に対する絶対的信仰とご自身の忍耐と沈黙で忍ばれました。

興進様の昇華(聖和)を通じて
霊的な勝利の基台を争奪していくお父様の道に、
少しも乱れることなく同参なさいました。


ご父母様の家庭のご子女様たちは皆、
ずば抜けた容貌と素晴らしい資質を備えておられます。
その中でも、お母様は興進様を格別に愛されていました。

ある時、お母様と興進様が、
数人の周囲の食口たちと外出されようと準備しておられました。

興進様は涼しげに白い半袖ワイシャツを着ていらっしゃいましたが、
幼かったそのかたが、16歳となり高等学校に通っていて
とてもすらりとしてずっしりしておられたので、広く張った肩の線が、
決して小さいとは言えないお母様の背丈を越えていらっしゃいました。

興進様がお母様と腕を組んで
子供らしく親しげに横にくっ付かれます。
今やとても大きくなった息子が少し気恥ずかしく感じるのか、
お母様は、そっと微笑みを浮かべながら
興進様をちらりと見上げられます。

私はそのときにお母様の顔に現れた満足と幸福の表情を
いまだに鮮やかに覚えております。
どれほど微笑ましく誇らしげに見つめられたことか…。

立派に成長する息子を見つめるお母様の微笑ましい表情が、
私の目にもとても幸福そうに見えました。


興進様は、ご自身の秀麗で輝く外貌だけでなく、
人並み外れた活気と愛情のこもった言行で
数多くの食口たちの記憶の中に永遠に生きておられます。

アメリカの食口と祝福された後、
アメリカに来てあまりたたない一人の韓国の女性食口がいました。
初めは英語も話せなくてアメリカの社会も充分に分からず、
家にばかり引きこもっていました。

そうこうするうちに、なんとかご父母様の家庭で
奉仕したいという意向が教会から承認され、
イーストガーデンで衣類の洗濯及び手繕いを担当する
奉仕生活を始めることになりました。

この女性は、すべてのことが不慣れで、
真のご父母様の邸宅の雰囲気が注意深いので、
毎日地下の洗濯室で仕事ばかりしていました。


これを興進様が少し痛ましく思われたようでした。

ある日、興進様がこの食口が働いている
地下の洗濯室の階段を急いで降りてこられて
何か大声で言われました。

英語がほとんど分からないこの女性は、
何のことか分からず急いで興進様の方に顔を向けると、
興進様が左腕を右手で白い布切れで覆うようにしておられましたが、
布切れには血の跡のようなものがじっとりとにじんでいました。

間違いなく左腕に大きな傷を負われたようでした。

この女性はそれまで興進様と一度も話すこともできないで
注意深い限りだったのですが、
突然の救急事態が起こったので、我知らず飛び出して
興進様の腕をつかみました。

「興進様、大変なけがをされたのですか?」と、
この女性は目を大きく開けてとても驚き、
興進様が覆っていた白い布切れを注意深く開いて傷口を見てみると、
血の色が少しおかしいのです。

当時12歳の中学生だった興進様は
ハハハと大きくお笑いになりました。
真っ赤な絵の具を白い布切れににじませて、
少し意地の悪いいたずらをなさったのでした。

ところが、女性はとても驚いてから安心したので、
妙にこれまで凝り固まっていた心が一度に溶けたそうです。
明るくハハハと笑われる興進様につられて一緒に笑いました。


そのように一緒にひとしきり笑ったら、
興進様が近しく感じられるのは当然です。

興進様のほうから
まず自分と親しくなりうるきっかけをつくってくださったのが、
イーストガーデンの生活を始めたばかりのこの女性にとっては、
とてもありがたい関心と心配りでした。

翌日、興進様が学校から帰ってこられる頃、
果物一皿を準備してお部屋に入れておきました。

これを知られたのか、興進様は時々、
彼女が仕事する地下の洗濯室に降りてこられました。

とくに多くの話はされませんでしたが、
地下の洗濯室がとても安らかな休息の場であるかのように、
そこにあるソファーでしばらく休まれたり、
時折、居眠りして行かれたりしました。

興進様にいかなる警戒や、感情の壁も
感じなかったといいます。


女性が最近、この話を聞かせてくれて、私は涙が出ました。

興進様が周りの食口たちと親しく過ごされるのは
大体このような具合であり、
そのかたを心よりお世話して侍った食口たちの純粋な心は
おおむねこのようなものでした。

(2003年4月発行の証し集「真の愛の勝利者」より
『真のお母様の愛の世界』)

日本語として自然になるように
一部編集しました。
文責:ten1ko2


この後、孝進様、そしてお父様の聖和を
見送られたお母様でありますが、
この興進様を亡くされたことは、
女性として生涯で最大の苦痛だったに違いありません。
何度そのような境地を越えていかれたのでしょうか。

お母様と興進様のお姿。。。
お母様から信頼されていた興進様、
お母様を愛しておられた興進様。

興進様が今、地上におられたなら、
どれだけお母様を支え、
お母様のために歩んでおられただろう、
そんな思いをもつのは私だけではないと思います。

しかし、霊界におられて、活躍しておられる興進様であり、
お父様の代身として、先駆けて霊界解放の道を
歩まれた興進様であることを思うと、
そのことを誇りに思われるお母様であるに違いないと思うのです。

お母様と興進様の証しはもう少し続きます。





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<池生蓮(チ センニョン)지생련先生プロフィール>
1931年9月25日(陰)慶尚南道金海出生、
2018年4月15日(天暦2月30日)、アメリカで聖和(ソンファ)。享年88歳。
真の父母様より「祝・祖国光復必勝奉身代表」の揮毫を受ける。

1955年1月10日、入教。同年11月、
梨花女子大学法学政治学科4年在学中、統一教会の信仰か学校かを選択せよ
との学校側の不当な措置に、信仰を選択し退学。
1961年、李起錫氏と36家庭として祝福を受け、
1977年、アメリカ・サンフランシスコに渡る。
全国特別巡回師として活動し、アメリカで進児韓国学校、
理事長兼校長としてアメリカの子供たちに韓国語と文化を教育。



※ このブログは、
あくまでも個人の意志に基づいて、書いているものであり、
教会本部の意向とは直接関係がありません。
過去においても、今後においても
全ての責任は私自身に帰属するものであります。

さらに、当ブログの記事に対して
曲解や悪用ととれる引用、
無断転載はお断りいたします。
(善なる目的で使用することに関しては
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2018年07月14日

お母様の美しさとオーラ  《御聖婚初期のお母様:池生蓮先生》2



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池生蓮(チ センニョン 지생련)先生
「真の愛の勝利者」よりお母様の証し、続編です。



真のお母様の学生時代とご聖婚初期を前後して

この証を書きながら
当時のお母様のお姿が写っている写真を再び注意深く見ました。

いつも感じることなのですが、
お母様はずば抜けた美人の容貌をおもちになっています。
韓国人は概して顔が丸かったり、角ばった四角型ですが、
お母様の顔はあごのほうに下がるほど顔の線が
柔らかく内側に集まる、いわゆる卵型です。

それとともに、顔の左右のバランスが完璧に取れており、
容貌の一つ一が繊細にして全体的な調和を成しておられます。

お母様が人々の間におられたら、まずこのようにずば抜けた美しさのために、
あたかも鶏群の一鶴のような光を発せられるのではないかと思います。
お母様の名前の鶴子は、
当時の容貌と感じをとてもよく表現していると思います。


私が神様に祈祷を捧げながら夢うつつの中に想像していた真のお母様の姿よりも、
はるかに幼いかたが、いざお父様のお相手に選ばれたことで、
私は初めは腑に落ちずに心配にもなりました。

「あのように幼いかたが、かくも困難なメシヤのみ旨の道を
お父様と共に歩むことができるのだろうか」。

佳約式(夫婦になる口固め)に出てこられたお母様は、
きわめて慎重で注意深かったです。

天の摂理の道の第一歩を踏み出されるお母様の姿には、
天が六千年の復帰摂理を通じて準備しておかれた
宇宙の母としての品位が滲みでていました。

私はそのようなお母様の姿を見ながら、
神様が私の祈祷を聞き入れてくださったようで、
とてもほほえましく感じました。


お母様はこの日、
「春が来ると山野につつじの花が咲く。
つつじの花が咲く所に私の心も咲く…」
と歌われましたが、声が玉のように澄んで清らかでした。

お父様は今でもお母様にこの歌を時々歌うようにおっしゃいますが、
たぶん私のように
そのときの清らかな美しさを覚えておられるからなのでしょう。


お母様はご聖婚初期にはほとんど話をされることなく、
いつも静かで落ち着いた態度で私たちの前に姿を見せられました。

各種の教会行事や食口たちの集いで、
お父様の傍らや後ろに従順に座っておられ、
沈黙を平安に守られるのはもちろん、
喜怒哀楽の感情の変化を少しも表にお出しになりませんでした。

終始一貫という言葉で表現することのできるある落ち着きと沈黙の印象が、
当時のお母様の周りを常に包んでいました。
周囲に起こる変化をすべてご自身の心の中で深く観察されて、
経験と直観を心の内にのみ積まれていかれるようなお母様の内性的な姿勢は、
むやみに干渉することのできないある種の威厳に感じられたりもしました。

このようなお母様の一様な威厳は、
四十年過ぎた今日にいたるまでそのままであり、
慈しみ深い品性を知りながらも人々は、
お母様に対して控え目になるし近づきがたく感じるのです。

時間が流れるにつれて、私はお母様のこのような一様な威厳と言行が、
どれほど大きい力で
教会とお父様の仕事を助けてきたかを悟るようになりました。



真のお母様はお父様がおられる時には、
お父様の完全相対に立たれて、
お父様をお支えする立場で歩まれました。

しかし、お父様は未来のことを予測されて、
お母様を最前線に立たされました。
お母様への訓練、教育だったと思います。

そして、今は、お父様の代身として、
お父様の願いに応えるように、
必死なる歩みをしておられます。

お父様とともに歩まれたことを思い出すように、
お二人で行かれた場所を優先されて、
お父様を常に意識しておられる、
真のお母様であることを知らなければならないと思います。

さらには、表に立たれなかった時にも、
お母様でなければ乗り越えることのできなかった、
女性としてのすべての蕩減を清算する道を歩まれた、
真のお母様であったことも知らなければならないと思うのです。






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<池生蓮(チ センリョン)지생련先生プロフィール>
池生蓮巡回師は1931年9月25日(陰)慶尚南道金海出生、
2018年4月15日(天暦2月30日)、享年88歳で、アメリカで聖和(ソンファ)。

1955年1月10日、入教した。同年11月、
梨花女子大学法学政治学科4年在学中に、統一教会の信仰をすることを理由に、
信仰か学校かを選択せよとの学校側の不当な措置に、勉強を放棄して信仰を選択した。
1961年、李起錫氏と36家庭として祝福を受けて、文鮮明先生のみ言により、
1977年、アメリカ・サンフランシスコに渡る。

全国特別巡回師として活動した池女史は、アメリカで進児韓国学校、
理事長兼校長として20年間アメリカの子供たちを対象に韓国語と文化を教育。
1990年代後半以降も、先生の公館であるイーストガーデンで
祝福家庭の信仰指導と韓国語教育、そして聖地祈祷をされる。

真の父母様は、み旨に捧げた崇高な生涯を称え、
「祝・祖国光復必勝奉身代表」の揮毫を授けられた。
(4月25日原殿式、聖和式)



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2018年07月13日

お母様のすごさは?! 真実を宣布だけでなく、実行 《世界で最も美しい言葉オモニ》5



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李成萬(イ ソンマン)副会長の寄稿文、
「世の中で最も美しい言葉 オモニ」の続き
『天の父母様と真のお父様が役事される天運の中心』です。


昨年(2016年)、アメリカワシントンの上院議員会館に
国会議員たちをはじめ、60余か国から400人余りの
国会議員と各界指導者が集まりました。

その場で真のお母様は、自らメシヤ、真の父母であることを
堂々と宣布されました。

そして、アメリカが行くべき道は、
まさに真の父母と一つになって世界のために生きることであり、
それが天の御意であると強調されました。

政治の力、経済力、軍事力、またほかのいかなる力でもなく、
ただ真の父母様だけが世界の難問題を
解決することができると力説されました。

お母様は平素、いつも真実を明らかにしなければならない、
真実には怖いものがないとおっしゃいます。
そのみ言を実行されたのです。


私もその時間、その場に同席しました。
心の中で、真のお母様に大きな拍手を送り、
応援をしました。

お母様のパワーと偉大さを今一度実感するとともに喜びも感じました。
しかし一方で、申し訳ないという思いを禁じえませんでした。
その場に参加していた教会指導者や食口も同様だったことでしょう。

お母様が宣布される前に、祝福家庭である私たちが、
真の父母様の代弁者、証し人に
なってさしあげなければならなかったのに、
そうできなかったという事実のゆえです。

真のお母様は政治家、事業家、芸術家など、
分野を問わず、機会があれば
直接み言をお伝えになり、伝道されます。
ほとんどが初めてお会いになる人々です。

私は、真の父母様の偉大さの一つは、
み言を語られるだけでなく、
自らそのみ言を実行されることだと思います。


真のお母様は昨年(2016年)11月末から12月初めにかけて、
ワシントンとニューヨークで
さまざまな行事と集会を主管されたあと、
ラスベガスに移動されました。

そして、到着された翌日、
国際平和教育センターでの朝食会に
韓国の芸術監督を一人招請されたのです。

み言をお伝えになり、真のお父様の
聖和5周年記念ミュージカルについて研究をさせるためです。
彼はカトリック信者でした。

真のお母様は食卓で、そのおひとりのために
アダムエバの堕落からイスラエル民族を中心とした復帰摂理、
イエス路程、真の父母様の生涯まで、1時間にわたり
滝のような勢いで、み言をお伝えになりました。

「カトリックは、責任を果たせなかったマリヤを
実母としてあがめ、イエス様は今も十字架に架けられています。
そのようにイエス様を信じて、
天国に行くと言っていますが、行けると思いますか?」

その方は、私のすぐ横の席に座っていましたが、
食事をまともにできませんでした。
私は内心、心配し、一方では痛快でもありました。

ところで、その後、その方は、ほぼ食口になりました。
真の父母様を心から尊敬し、
真のお母様が願われることならば、
昼夜を問わず最善を尽くしています。



改めてお母様って本当に素晴らしいですね。。。
み言を具体的に実行、実践しておられます。

クリスチャンに対しても堂々と語られるお母様。
私だったら、そこまで伝えられるかな、と。

万民にあまねくみ言を伝えていかれるお母様。
子女として孝情の心情をもって、
相続して歩んでいきたいと心から思うのです。





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