2021年05月30日

「真の父母様の誕生」前後に吉兆があらわれた?! 〜小学生と共に主の生涯を学ぼう〜



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真のお父様が生まれる前後には、
多くの吉兆が現れました。
金鶏が庭のねずの木に留まり、
鳴いて飛び去ることがよくありました。



小学生向けの
ムーンワールドに連載されている
「真の父母様の歩まれた道 汗と涙の歴史

イラスト入りでとても分かりやすいので、
皆様と共に父母様の幼少期からの路程を
振り返ってみたいと思います。


  13人兄弟の次男で5番目にお生まれになる

真のお父様は、1920年天暦1月6日(陽暦2月25日)に、
現在の北朝鮮にある、平安北道
定州郡徳彦面上思里2221番地で生まれました。

お父様の父親の名前は文慶裕、
母親の名前は金慶継といいました。

6人の男の子と7人の女の子がいる13人兄弟で、
真のお父様は次男でした。
上には3人のお姉さんもいましたから、
5番目に生まれた子供ということになります。


アダムとエバが神様との約束を守り、神様の願いどおりに
大人になっていれば、人類の真の父母となって、
そのとき天国ができていたはずでした。

しかし、アダムとエバは、約束を守ることができなかったので、
神様は4000年たってから、アダムと同じ役目を持った
イエス様をイスラエルの地に送ってくださいました。

ところが、イエス様も真の父母になることができなかったので、
神様は、それからさらに約2000年後の
1920年に真のお父様を地上に送ってくださったのです。


真のお父様が生まれた当時の韓国は、日本に支配されていました。

ですから、韓国の人々は、もともと自分たちが話していた
韓国語ではなく、日本語を使うようにさせられたり、
韓国の名前を日本の名前に変えさせられたりするなど、
自分の国がなかったため、とても悲しい思いをしていました。

また、世界を見ると、1914年7月から1918年11月にかけて
繰り広げられた第一次世界大戦という戦争で、
ヨーロッパの国々を中心に1600万人以上の人が死に、
とても広い土地が焼け野原になるなど、世の中が大きく乱れていました。

どこを見ても、未来に対する希望がなく、暗い世の中でした。

真のお父様は、そのように自分の国も世界も、
最も大変なときにお生まれになったのです。

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出産の日が近づいたある日、暴風が吹き、
村全体が雲に覆われました。
そこに一筋の光がさすと、帝釈山の頂上に黄金の龍が現れ、
山腹を回りながら登っていきました。



真の父母様がこの地に誕生されたということは、
神様がどれだけ喜び、人類にとっても
どれだけの慶事であるでしょうか。

その喜びがあふれにあふれ、吉兆という形で
表れたのかもしれません。

真の父母様がおられるこの時に、
私たちもともにいるということ、
さらには、ともにみ旨を歩めるということに
改めて感謝を捧げていきたいと思います。

真の父母様の路程を知ることは、
私たちにとってとても大切なことですし、
喜びでもあります。
続きをお楽しみに。





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posted by ten1ko2 at 10:00 | Comment(0) | お父様・お母様の路程 証し | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2021年04月02日

昨日は日臨節 「そこにある角道、電信柱に先生の涙がある」 *日本留学80周年 

80年前の今日、東京に
降り立った文鮮明先生は──



210402-1941waseda.jpg


お父様のご入国80周年を記念する
「日臨節80周年記念大会」の速報です。


3月28日、文鮮明総裁が
日本に初めて山口県下関からご入国された
1941年4月1日を記念する「日臨節80周年記念大会」が
山口県の会場で開催されました。

大会当日、方相逸・神日本大陸会長夫妻らが
文総裁が初来日された旧下関港付近が眺望できる
日和山公園にある崑崙丸沈没犠牲者の慰霊碑に立ち寄られ、
犠牲になられたかたがたに慰霊の祈りをささげました。

記念大会は新型コロナウイルス感染症対策のために
参加人数が制限された中で行われましたが、
駆け付けた有識者らが祝辞を述べ、
参加者と共に文総裁の日臨節80周年を祝賀しました。

方相逸大陸会長は講演で、自身の韓日祝福結婚の
体験を交えながら、力強く文総裁の業績を証ししました。

方会長は最後に
「山口の下関は聖地と同等の場所です」
と祝祷をささげ、参加者にとって
感慨深い日臨節80周年記念大会となりました。



日臨節の命名について

1941年04月01日(火)が
文青年の日本への初来日となり、
【降日節】と言われています

≪降日節≫
1941年04月01日(火)
文青年が日本留学の為に初めて来日され、
早稲田大学附属早稲田高等工学校に
入学されたことを祝う記念日です

2006年04年01日(土)
文先生が自らこの日を【降日節】から
【日臨節】として定められました


毎年、正月に聖地巡礼を企画されている井口先生が
お父様のみ言と合わせ、早稲田時代の
お父様の足跡を語られています。


1941 年 4 月 1 日に文鮮明先生は、
「早稲田大学附属早稲田高等工学校」
留学のために来日されました。

2021 年はご来日 80 周年を迎えます。
1941 年4月から 43 年 10 月までの2年半を
文鮮明先生は早稲田・高田馬場の地を中心に過ごされました。

1965 年 10 月 8 日に、文鮮明先生は再来日された際、
高田馬場から歩いてほしい旨を次のように語られました.

「早稲田の高田馬場の道を、
 先生は一日に2回ずつ歩いたよ、
 よく歩いた・・・早稲田の戸塚町を
 高田馬場から歩いてほしい。

 そこにある角道、そこにある電信柱、
 そういう君達の記憶馴れている所には、
 先生の涙があることを思っても、
 それは間違いないでしょう。

 だから日本を早稲田から救おうか? ん?
 だから日本を早稲田から救おうか?」


(1965 年 10 月 8 日 早稲田原研寮)


真のお父様は 1941年4月1日に
早稲田留学のために日本に来られ、
早稲田・高田馬場の地を中心に約3年を過ごされましたが、
この期間はサタンとの壮絶な戦いを勝利して越えられ、
戦後再臨主として公的人生を出発される
重要な準備期間となりました。

自叙伝88頁にあるように卒業直後の1943年10月頃

「・・・宇宙のあらゆる秘密が解かれました。
 ・・・イエス様に出会って9年目にして、
 ようやく父の真の愛に目覚めた」


とあります。

特筆すべきは、再臨主として公的人生を歩み出す
基台を得たともいうべき、このあらゆる秘密を解いた1943年は
奇しくも真のお母様の御聖誕と同じ年に当たります。




関釜連絡船で下関に降り立ったお父様は、
下関から急行列車に乗り、
22時間かけて東京に向かわれました。

ですから、80年前の今日、
高田馬場、早稲田の地に降り立ったのでした。

そして、内的には真理解明のため、
精誠の限りを尽くされたのです。

わずかな期間でありながら、
日本留学時代に重要な歩みをされたお父様。。。
心から感謝していきたいと思います。




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2020年11月19日

お父様が北韓訪問に携帯した聖書?! ダンベリーで通読、33日3時間33分…の奇跡



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真の父母様による電撃的な北朝鮮訪問から
もうすぐ29年がたちます。

金日成主席との会談を終え、
中国経由で帰国されたご父母様の御一行。
そのあとのエピソードを紹介します。


  元香港、ソウル世界日報特派員だった竹谷文夫さんから、
  ダンベリーで聖書を読まれた文先生のレポートが届き、
  その内容に驚きと刺激を受けています。

  以下、文先生が金日成に会うため
  北朝鮮を中国経由で行かれたその時の内容です。



北京の後、私以外の日本人食口は
全員帰国したのですが、
私は御父母様とともに中国に残り、
広東省恵州のPanda自動車社に移動し、
香港に抜けました。

途中、恵州で置き忘れられていた
アボニムのアタッシュケースを、
一行とは別に3時間遅れで私一人で運ぶことになりました。

そのアボニムのアタッシュケースの中には、
アボニムがダンベリー刑務所の中で読まれた
韓国語の聖書が入っていました。

その聖書には創世記から黙示録まで
全ての行が赤鉛筆で線が引かれていました。

裏表紙には韓国語で
「開始1984年12月11日午前0時、
 読了1985年1月13日3時33分34秒」

「読むのに要した期間、33日3時間33分34秒」
さらに「神の御旨をすべて明らかにした」
と書き込まれていました。

アボニムがこの聖書を読み通された期間は、
アボニムが御一人でダンベリーに残っていられた期間でした。

そして、私がこのアボニムの聖書を
恵州から香港に一人で運んだ日、
即ちアボニムがダンベリーで
聖書を読了された事実を知った日は、
アボニムがダンベリーでこの聖書を読み始められた時点から
丁度7年が満了するまさにその日、
1991年12月10日のことでした。

ポーランド国家メシヤ
吉田宏先生が
LINEグループに
紹介したものです
ホームページはこちら ↓  
「令和リバイバル」
(素晴らしい記事がたくさんありますので、
皆様も良かったら、読んでみてください。)


聖書の通読をダンベリーでしておられたお父様。。。
真理を解明され、原理を発表されたにも関わらず、
なお、聖書を読まれていたのです。

読了を3数で終わられたわけですが、
最後、1秒くらいずらして、33秒にしてもいいのに、
あえて、34秒にされています。

3数を越えるとか、何か意味があったのか、
あるいは、時間を意識せずに読まれて、
たまたま34秒になったのか。。。
ちょっと興味深いですね。

ちなみに、聖書の通読は、
休みなしで約100時間だそうです。

お父様は33日で通読されたので、
「一日3時間」と決められて、読まれていたのでしょうね。

お父様の精誠に対して、
改めて感服しました。

さらに、そのダンベリーでの精誠がつまった
聖書をもって、北朝鮮に命懸けで行かれました。

もしも荷物を置き忘れることがなければ
わからなかったことですね。

それからちょうど7年目の日だったというのも、
感慨深いものですし、
数理性の神様を味方につけておられる
お父様の生活、生涯であったと
改めて知ることができました。

素晴らしい証し、
ありがとうございました。





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