2020年10月04日

今日は何の日?! 10月が「解放と祝福の月」になった所以(ゆえん)



1451411_10201653021980209_666993844_n.jpg


風雨に曝(さら)され、火に焼かれても、
絶対に燃えて死ぬ木に
なるわけにはいきませんでした




10月は、解放と祝福の月であると言われます。
今日、10月4日は、第45回天勝日であり、
かつ以南出監65周年の歴史的な一日です。

天勝日は、ワシントン大会勝利の後
宣布されたものですが、
その20年前の以南出監というものがあったからこそ
成された宣布であったでしょう。

「以南出監」は、梨花女子大事件後の醜聞の中、
お父様が兵役忌避で収監された西大門刑務所から、
3ヵ月ぶりに無罪釈放になった日。
以北の興南に対して、以南と呼ばれています。

真のお父様の所内での様子や、釈放前後のことを、
『受難の源流』より、ピックアップして紹介します。


文鮮明師が西大門刑務所に入ったとき、
刑務課長は文師を見てあざ笑った。
「統一教会が何だかんだ言っても、結局はこのありさまだ」

このとき文師は、次のように決意している。

「わたしがここにいる間に、必ず彼らを屈伏させる」

「屈伏させる」という意味は、人格的行動を通して
自然に尊敬の念を持たせることを示している。

収容所の中では、文師のうわさが広がっていた。
同師は人々から何と呼ばれても、何も答えず静かに座っていた。

約二週間が過ぎると、文師に対する態度が少しずつ変わり始めた。
それは、囚人たちが朝早く起きてトイレに行こうとすると、
文師はいつも祈祷していたからだ。

刑務所の中にはさまざまな人々がいた。
ある牧師は文師を見るとひどい剣幕で、
「おまえの教えとは、一体全体何だ?」と食ってかかってきた。
このような牧師も、やがては文師の人格に触れ親しくなった。

囚人の中には、皆から厄介者扱いされていた人がいた。
「こんなやつは死んだほうがいい」と、人々から思われていた囚人である。
だれからも嫌われていたその男に、文師は接触しながら彼をたしなめた。

「文さんが来てから、あの男が変わった」
「彼は文さんの言うことなら従う」
このようなうわさが、刑務所内に立ち始めた。

人々はこのような文師の姿と、収監されている信徒たちと同師との触れ合い、
さらには先に述べた面会に来る信徒たちとのようすを見て、
「世間では、あのように統一教会の悪口を言って
反対しているが、文氏はできた人物だ」と、
文師に対する見方が変わっていったのである。

文師は、囚人たちに対して常に父母の心情を持って接した結果、
彼らから尊敬を勝ち取ったのだった。


刑務所内では、不思議なこともあった。

文師の知らない所で、自分だけで餅を食べた囚人がいた。
ところが、どうしたことかその餅が
喉に引っかかって飲み込めなくなったのだ。

その後、男はこの話を文師にしようとしてやってきたが、
その男がその話を言う前に、同師はそのことを知っていた。
文師はその人になぜ朝、食べた餅が喉に引っかかったかを説明した。

さらに、ある囚人に天使が現れて、
「おまえは何番のあのかたの所に行ってあいさつをせよ。
そして、差し入れがあれば全部ささげなさい」と叱りつけた。


文師の無罪判決の記事は、どの新聞も人々が見過ごしてしまうような
小さなものでしかなかった。
文師の逮捕やスキャンダルを大きく扱ったときと比べると、
あまりにも落差があった。

信徒たちは、マスコミを通して文師と統一教会の悪い印象が
払拭されることを願ったが、その期待は完全に裏切られた。

そのため、文師が無罪であったことを知らない人も多かった。
大勢の人々の心に残ったものは、「統一教会」が、
いかがわしい教団であり、
「文鮮明」教祖は淫らな人物というイメージである。


十月四日、午後九時四十分、文師は釈放された。

三か月ぶりに教会に戻った文師は、出迎えた信徒一人ひとりと握手をして
彼らにねぎらいの言葉を述べた。
それを聞いて教会員たちは涙を流した。

文師は切ったリンゴを彼らに一つひとつ渡したあと、
夜が明けるまで語り続けた。

梁允永女史は、そのとき文師が語られた言葉の一部を、
次のように記憶している。

「わたしが韓国だけで
 裁判を受けると思っているのか! 
 これから世界的な裁判の場がわたしの前に迫ってくる。

 しかし、わたしは神様の御旨を成し遂げる時まで
 少しも屈することなく、
 ひるまず、この道を行く」


文師は、言葉で表すことのできない苦難の道を歩んだ信徒たちを愛し慰め、
これから行く道を示されたのである。


十月九日(日)聖日礼拝が行われた。
文師の説教の題目は「真理はすべてのものを捨てることから出発」であった。

十月十日(月)「文鮮明先生出獄歓迎会」が、
ソウル・青坡洞本部教会の二階で開催された。
その日文師は、教会員にポップコーンとリンゴを親しく分配された。

『受難の源流』より


刑務所に入った時には、あざ笑われたお父様でしたが、
お父様の自叙伝にも、人々がお父様の姿に屈服し、
面会に押し寄せる食口の様子を見て感嘆したと書かれています。

釈放の日には刑務所長と課長らが
丁重に見送り、彼らも3ヵ月後には
教会の信者になっていたということです。

ダンベリーの時もそうですが、
西大門刑務所に入られる時も、お父様は
すでに予想しておられたのでしょう。。。

しかし、『わたしは神様の御旨を成し遂げる時までこの道を行く』
その決意は凄まじいものでありました。
さらには、「わたしがここにいる間に、必ず彼らを屈伏させる」
この決意も揺るがないものでした。

真の愛によって、囚人たちを自然屈服させていく精神、
これは今の私たちにおいても相続すべきものだと思います。

以南出監記念日を期して、改めて私たち祝福家庭が
決意していく内容ではないか、そのように感じます。





にほんブログ村
良い記事だと思った方は、
応援のクリックをお願いします!

(なお、記事冒頭の家庭連合のバナーも
ブログ村のバナーとなっています
どちらからでも応援して頂けます)




自叙伝のみ言

デマによって後ろ指をさされ、
(もてあそ)ばれた痛みを忘れることはできません。

大勢の人が私を激しく責め立てて、
三千里半島に私の体が立つ場がなくなっても、
一切を耐え忍んで乗り越えてきましたが、
その悲しみは今も心の片隅に物寂しく残っています。

風雨に曝(さら)され、火に焼かれても、
絶対に燃えて死ぬ木になるわけにはいきませんでした。

焦げた木の枝にも春が訪れるように、
新芽は必ず生えてきます。

強い信念を心に抱き、堂々と歩いて行けば、
世の中も正しく私を理解してくれるでしょう。


「平和を愛する世界人として」
第三章より



※ このブログは、
あくまでも個人の意志に基づいて、書いているものであり、
教会本部の意向とは直接関係がありません。
過去においても、今後においても
全ての責任は私自身に帰属するものであります。

さらに、当ブログの記事に対して
曲解や悪用ととれる引用、
無断転載はお断りいたします。
(善なる目的で使用することに関しては
その限りではありません)


posted by ten1ko2 at 08:08 | Comment(0) | お父様・お母様の路程 証し | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年08月17日

(証し)徹夜でみ言を語られ、お父様のお体は… 6500双裏話 《史吉子先生》後半



200817-6500.jpg
6500双のカップルにみ言を語られる文鮮明師☆


史吉子(サ キルジャ)先生「原理に関するみ言の証」より
『殉教を覚悟して語られるお父様』後半です。

「み言を語っている途中、倒れて殉教すること」
これが真のお父様の願いの一つだということですが──
壮絶な証しです。


私は一度、心の中で慟哭したことがあります。

1988年に龍仁にある一和のメッコールエ場で挙行された、
6500双の祝福式の時でした。

私が前にも言いましたが、日本の食囗たちの中でも
既成家庭の方たちが精誠をたくさん尽くします。
この既成家庭の約250双が祝福を受けに来る日でした。
女性たちは反対する夫を説得するか、半強制で連れて来る途中でした。

この方たちが、夕方7時頃に到着すると連絡が来ました。
ですから、お父様はこの方たちが到着した後に食べると言われながら、
夕食を召し上がりませんでした。
既に約婚した韓国の祝福対象者たちにずっとみ言を語られながら、
食事をされませんでした。
ところが夕方7時が過ぎても、彼らは来ませんでした。

その既成家庭が翌日の早朝5時頃に到着するまで、
お父様は彼らを待つために、み言を継続して語られながら夜を明かされました。
お父様は寝ないようにと、み言を継続して語られたのです。

遂に日本の既成祝福予備家庭の人たちが到着すると、
彼らを講堂に集めておいて、
二家庭ずつを壇上に上がらせ、代表祝祷をなさった後、
協会長に代わりに祝福式を主導するように指示されました。


その当時、私はお父様の指圧を担当していて、
どこであっても少し眠っておかなければならなかったので、
講堂の一隅でうずくまって寝ていたようです。

急にお母様が、「吉子(キルジャ)!早くこちらに来なさい!」と
大声で呼ばれて、急いで駆けつけました。

お部屋に行ってみると、お父様はみ言を語られるために、
ずっと立っておられたので、足がどれだけ固くなっていたのか、
座ろうとしても曲がりませんでした。

お父様はあまりにも血が足に集まって自然に座ることができずに
まるで枯れ木が倒れるようにその大きな体が
「どん」と音をたてながら、横に倒れました。

本来(の担当として)、尹(ユン)と言う、
お父様に指圧をして差し上げる人がいました。
彼は先ず上半身部分を指圧して、私は足を揉んで差し上げました。

ところで足を指で押すのですが、どれだけ固くなっていたのか、
押すことができませんでした。
その時は本当に慟哭しそうになりましたが、
必死にその思いを押さえました。

お父様の足は角材のように固くなって、
指では指圧ができませんでした。
仕方無く、痛いでしょうが、肘でして差し上げました。
それでもよく押せませんでした。

本当に息も止まりそうな瞬間でした。
お母様もどうして良いのかわからない様子でした。
お父様の全身が固くなっていたからです。

私は大きな危機意識を感じました。
なぜならば、既にアメリカで一度、経験していたからです。


(米国で)その日も、お父様は12時間も立ってお話されました。
お父様は毎日、強行軍をされて足が麻痺状態になっているのに、
ものともされませんでした。

その日の夜、お母様と一緒に寝室で休まれました。
お父様は眠っている途中、トイレに行くために起きられました。 
トイレはどこかと言うと、寝室を過ぎると
お父様の書斎があり、トイレはその隣です。

お父様は辛うじて寝室を通って書斎に行かれましたが、
足が固くなってそのまま倒れたそうです。
完全に感覚が無かったそうです。
お父様は、「私はこのまま霊界に行くかもしれない。」と思われそうです。

暫くの間、気を失って倒れておられてから、
「だめだ。逝ってはいけない。」と思いながら気を取り戻されたそうです。

お父様が、足が固くなって倒れるくらいになっているのなら、
手足に麻痺状態が来ていると言うことではないでしょうか?

この時、お父様が足に、「足よ!もう一度立ち上がって欲しい。
お前がもう一度立ち上がって私の体を支えてくれるなら、
私か天国へ行く時、おまえもついて行けるじゃないか?」
と説教なさったそうです。

その程度なら、足だけが固いのではなくて、全身が固くなっているのです。
お父様は普段、鍛錬された体力と意志力を総動員して揉まれたので、
暫くしたら血が巡って来たそうです。
ですから、どれだけ深刻な状況だったでしょうか?


この話を、お父様から直接お聞きしました。
私がこのような話をお父様から聞いていた上、
直接、その光景を目撃したのですから、どれだけ驚いたと思いますか? 

しかし、私が驚いたことはそうだとしても、
お母様は更にどれだけ驚かれたでしょうか?
皆さんも一度、想像してみてください。

私はどれだけ怖かったかわかりません。
お父様の心臓が止まったのではないかと思うくらいでしたが、
到底申し訳無くて、胸に当てて確認してみることができず、
本当にもどかしかったです。

尹と私は、角材のように固くなったお父様の足を指圧しながら、
思う存分泣きたかったのですが、泣くこともできませんでした。
お父様とお母様が横にいらっしゃるのに泣くこともできず、
張り裂けそうな胸を辛うじて押え付けていました。


いつか、お父様がみ言を語られている途中に急にばたんと倒れて
逝ってしまうと言われたのですが、こんなことが何度か更に有れば、
本当にそうなるのではないかという心配をしたりしました。

このようにお父様の体が、言葉では言い表せないくらいに、大変です。
私たちが思う時、お父様はメシヤであられるから、
特別な体質を生まれつきに持っておられるから健康だろうと
思いやすいのですが、そうではありません。

お父様は、今も死力を尽くしてみ言を語っておられると言うことを
知らなければなりません。

お父様は、今から寝ようと思って緊張を緩めたら、
恐らく10年は寝ても眠りが足りないだろうとおっしゃいました。

一部割愛、編集 文責:ten1ko2

史吉子先生「原理に関するみ言の証」
第7章、復帰原理 緒論
『殉教を覚悟して語られるお父様』


肉体の限界の限界を超えて歩まれたお父様。。。
6500双の既成祝福は、
「神様から、するように言われていません」でした。
本来、行う予定ではなかったそうです。

しかし、急遽行うことになり、
日本の食口たちも突然行くことになって、
それで、到着するのが、遅くなりました。

お父様はずっと待っておられて、
朝方まで、み言を語られたのでした。

当時、その場におられた倉本先生の証しを
いつか書こうと思うのですが、
徹夜してみ言を語られたのは、
「蕩減条件を立てられた」ということです。

しかし、その背後に、
このように壮絶なエピソードがあったとは。。。

み言をまさに実践されたお父様でした。
肉体の限界を超えられたので、
「霊的には」殉教の道を行かれたのと
同じような条件を立てられたのではないでしょうか。

真のお母様も、また同じように
肉体の限界の限界を超えられながら
歩んでくださっています。

私たちのために、
このような道を歩んでくださる父母様、
本当に感謝しかありません。





にほんブログ村
良い記事だと思った方は、
応援のクリックをお願いします!

(なお、記事冒頭の家庭連合のバナーも
ブログ村のバナーとなっています
どちらからでも応援して頂けます)


※ このブログは、
あくまでも個人の意志に基づいて、書いているものであり、
教会本部の意向とは直接関係がありません。
過去においても、今後においても
全ての責任は私自身に帰属するものであります。

さらに、当ブログの記事に対して
曲解や悪用ととれる引用、
無断転載はお断りいたします。
(善なる目的で使用することに関しては
その限りではありません)




posted by ten1ko2 at 07:49 | Comment(0) | お父様・お母様の路程 証し | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年08月16日

「み言を語りながら、倒れて死にたい!」 真の父の願い 《史吉子先生》前半



200816-20000211.png


史吉子(サ キルジャ)先生の「原理に関するみ言の証」より
『殉教を覚悟して語られるお父様』前半を紹介します。


皆さんは、「御言葉選集」をたくさん読まなければなりません。

皆さんが信仰生活をするに当たって、
牧会する利点が何なのかご存知ですか?

聖日ごとに説教をしなければならないし、
教会へ来る人々に原理講義をしてあげなければならないので、
いずれにしても、み言の勉強をせざるを得ないのです。
これは知ってみると、大きな祝福です。

皆さんが世に出て博士課程まで勉強をしても、
それは霊界ではあまり役に立たないのです。
その反面、牧会をすれば、自分なりに最善を尽くして
食囗たちに充分に恩恵を与えようとするので、
自然とみ言を探すようになります。

ですから、み言集をくださったお父様がどれだけありかたいでしょうか?
私たちに400冊を超えるみ言集をくださったので、
これからは私たちがみ言を掘り下げて行かなければなりません。

み言を一生懸命読むと言うことは、
私と他人が同時に生きるようになることです。
そして、牧会者の道で得ることができる一番貴い利点が何なのか?
それは、まさにみ言をたくさん読まなければならないこと、
み言をたくさん語らなければならないと言う点です。

お父様を考えてみてください。
お父様が地上へ来られた目的は何ですか?
お父様は、堕落で失ったみ言を人類にくださるために来られました。

お父様のように、神様の心情をこんなに正確で、
次元高く語られた方がいたでしょうか?
有史以来、誰もいませんでした。

堕落した人間の先祖がみ言を失ってしまったので、
お父様はまさに供え物の立場からみ言を探して、
段階別に上がって行かれました。

お父様は最高の位置から、心情世界のみ言を
私たちにくださっています。
そして、お父様のみ言は再創造のみ言です。

お父様は地上の人間として誕生され、
神様と完全に心情を一つに一致させたので、
お父様が語られたみ言と理想に勝る人は現れ得ないのです。

それでお父様は、これから時が来たら、
全世界の人々が書店にある本は必要ないと言いながら、
全て燃やしてしまうと言われました。


私はお父様のみ言に接した以後には、何十年の間、
他の本は読みませんでした。
そのような本は読んでみても、
とても味わいが無く、時間だけが勿体無かったです。

皆さんの何人かの先輩牧師たちが、まだ足りないと思って説教する時、
既成教会の牧師たちの説教集を見るのですが、
それらを見てはいけません。
お父様は、これをとても嫌われます。

そして、皆さんは絶対に説教巣を出さないようにお願いします。
お父様は誰かが説教集を出したと言えば、とても怒られます。
「あなたたちが説教集を出せる内容があるのか?」と言われます。
せいぜいお父様のみ言を一言二言入れておいて、
自分の話ばかりをするからです。

しかし、食囗たちの証集は、聖書の使徒行伝のようなものなので、
構わないそうです。


私たちにお父様が願われることは、絶えずお父様のみ言を読み、
そのみ言を食囗たちに話してあげながら、
み言の中で生きて行くことです。

お父様が(ご自身に)色々と願われることがありますが、
その中の一つが、み言を私たちに絶えず語っている途中、
足がこれ以上耐えるに耐えかねて、倒れて殉教することだそうです。

普通の人のように、呑気に病気になって寝込んでから死ぬのは、
時間が勿体無くて駄目だと言われます。

編集・文責:ten1ko2

史吉子先生「原理に関するみ言の証」
第7章、復帰原理 緒論
『殉教を覚悟して語られるお父様』


韓国の牧会者(教会長)に語られたものかと思いますが
とはいえ、私たちにも通じる内容です。

お父様のみ言はどれほど、貴いものでしょうか。
血と汗と涙を流されながら、骨身を削られて
解き明かされたみ言です。

「既成教会の牧師たちの説教集」とありますけれど、
読んで理解しやすいものに目移りしてしまいがちですね。

しかし、お父様のみ言は、根っこの中の根っこ、
骨の中の骨です。
もっとも中心的な部分です。

「豚に真珠」とならぬよう、
貴いものを貴いと思える私になれるよう、
み言を求めていく私になれるよう、
精誠を捧げて歩んでいきたいと思うのです。

(後半の内容は、お父様の生々しい証しです。
 明日に続きます。)






にほんブログ村
良い記事だと思った方は、
応援のクリックをお願いします!

(なお、記事冒頭の家庭連合のバナーも
ブログ村のバナーとなっています
どちらからでも応援して頂けます)


※ このブログは、
あくまでも個人の意志に基づいて、書いているものであり、
教会本部の意向とは直接関係がありません。
過去においても、今後においても
全ての責任は私自身に帰属するものであります。

さらに、当ブログの記事に対して
曲解や悪用ととれる引用、
無断転載はお断りいたします。
(善なる目的で使用することに関しては
その限りではありません)

posted by ten1ko2 at 09:29 | Comment(0) | お父様・お母様の路程 証し | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする