2023年02月26日

「私は、自分が〇歳だと考えています」 私が見た平和の母・文鮮明師夫人の一日 《李成萬先生》



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李成萬(イ ソンマン)花鳥苑苑長の寄稿文、
「世の中で最も美しい言葉 オモニ」から
『私が見た真のお母様の一日』のその2を紹介します。



アメリカの感謝祭の日に当たる
2014年11月30日、天正宮博物館の訓読室で
忠孝家集会が開催されました。

そのとき、真のお母様が
「私は何歳に見えますか」と質問されました。
そして自ら、「46歳だと考えています」とおっしゃいました。

当時、満71歳であられましたが、
なぜそのようにおっしゃったのでしょうか。

世界平和青年連合の会員の年齢が48歳までです。
ですから、言い換えれば、
真のお母様は今、青年のように毎日旺盛に
活動していらっしゃるという意味です。

そして、今後なさることが
それだけ多いということであり、
その摂理を成し遂げるためには、
いつまでも若者のように
健康でなければならないというお話です。


真のお母様が侍墓(シミョ)三年精誠を
ささげられていたある日のことです。

真夜中に私のスマートフォンの
カカオトークの通知音が鳴りました。

その音で目が覚め、確認してみると、
懇意にしている天正宮博物館の職員が
写真を一枚撮ってリアルタイムで送ってきたのです。

時間は午前1時か1時半です。
満月でとても明るい夜でしたが、
真のお母様が天正宮博物館の一松亭(イルソンヂョン)の下で
黙想される場面でした。

私はその写真を見た瞬間、
ぱっと飛び起きて、ひざまずかざるをえませんでした。
目からは、すぐに熱い涙が流れ落ちました。

真の父母の子女であるはずの私が、
足を伸ばしてぐっすりと眠っているのに、
真のお母様は真夜中でも
安息することがおできにならないのです。

何か、おありなのだろうか。
何を心配していらっしゃるのだろうか。
どんな説教よりも強いメッセージでした。

ほかの言葉は必要ありませんでした。
真のお母様のご心情と
ご事情を少しでも知っているのか?

写真一枚が私の胸を熱くし、
私の魂を掘り起こしました。
お母様には夜も昼もない毎日だったのです。


今年(2018年)の2月11日は小正月、
すなわち天暦1月15日でした。
月が一年のうちで最も明るく、大きな日でもあります。

真のご家庭と指導者たちが真のお母様をお迎えして、
清平にあるヘブンGバーガーの屋上で
夜遅くまで月見をしました。
寒い夜だったので、より一層記憶が明確です。

翌朝7時、天正宮博物館の朝礼に参加しました。
真のお母様は、「昨夜、衣装だんすを
整理しながら徹夜をした」とおっしゃいました。

そして、聖衣30点余りを入れたかばんを
出してくださいました。
日本の忠孝家と、苦労する食口たちを
心配されながら、夜を明かされたのです。

「私は24時間休む暇なく考え、動いています。
全祝福家庭と74億人類のためにです」とおっしゃいます。

天の父母様と真のお父様の理想実現のために、
一瞬一瞬、切迫した生活をしておられます。

寝ても覚めても、座っても立っても、
ただ天の父母様の夢、み旨成就のために
完全投入の日々を過ごしていらっしゃいます。

文字どおり、一日を千年のごとく、
千年を一日のごとく暮らしていらっしゃるのです。

李成萬
「世の中で最も美しい言葉 オモニ」


真夜中の一松亭で、
深い瞑想をしておられたという真のお母様。。。
きっとその時だけでなく、
頻繁にある光景なのかもしれません。

神様だけにしかわからない、深い心情をもって、
神様と対しておられるお母様だと感じます。

朝も昼もなく、一日千秋の思いで
投入を続けてくださる
真のお母様と、一つとなっていきたいと思うのです。





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2023年02月24日

お父様を太平洋とすれば、私は30pの物差し 《人間・文鮮明師 朴普熙先生》



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朴普熙(パク ポーヒ)先生が生前、
真のお父様の証しをされています。

「真のお父様の身近に侍って
 人間・文鮮明先生」です。
何度かに分けて紹介します。



この原稿は、真のお父様の迎暦を記念して、朴普熙先生が以前書かれたものです。日本では、まだ掲載されたことがありませんでしたので、創立40周年を記念して翻訳し掲載することになりました。
長年、真のお父様の身近で侍られた朴普熙先生を通して、お父様の片隣を伺い知ることができる貴重な内容です。
(文責・編集部)
( ファミリー1994年 5月号)


「人間・文鮮明先生」という題目でこの原稿を
書こうとした時、どうして私がこの題目に
恐れをなしたのかといえば、
私の考えでは扱うことのできない
途方もない題目であったからです。

英語に"Scratch the surface"という言葉があります。
この言葉は「深い内容を知ることはおろか、
やっと手を触れただけ」という意味です。

長い間、真のお父様に侍り、従いながら、
今やっと私はお父様の人格に"Scratch the surface"
したかのように、その表面に
(手を)触れてみたようなものだといえます。

山がとても高かったり、とても近くにあると、
その山の高さを測定することは難しいものです。

また測定する場合、物差しがなければなりません。
その物差しは、測る物に相当した
大きさでなければなりません。

例を挙げれば、太平洋の海の深さを測るのに、
30センチの物差しをもってしては、
何の役にも立たないという意味です。

お父様を太平洋の海に例えるなら、
私は30センチの物差しに過ぎないのです。

不可能な業です。

私はお父様に侍りながらいつも、
歴史にこのようなおかたが、またとあるだろうか
と感嘆することを禁じ得ない時が、
一度や二度ではありませんでした。

今日、イエス・キリストがこの地上に来られてから
2000年近くになりますが、いまだにそのかたの
人格をすべて知ったという者がいないように思います。

世界の数多くの学者たちが、このかたを研究して
博士学位の論文を書きますが、
誰もその人格をすべて説き明かした人はいません。

釈迦牟尼、孔子、孟子、さらにはマホメットも、
同じ隊列に属することでしょう。

今日、お父様について論じなさいというならば、
私はこの基準で比較してみようと思います。

お父様は、韓国人として檀君父祖以来初めて、
世界の歴史に衝撃を与え、将来、百年、
数千年の歴史が流れていくにつれ、
歴史に残す衝撃が、より大きくなることは明白なことです。

このかたの思想と哲学と人生観は、
既に我々世界に生きる五色人種の、
その言語と文化の背景を問わず、
数百万の人々に変化をもたらしたのです。

このような人格的変化は、将来、
お父様がこの地上に御存命の間に、
数千、数億の人類に影響と衝撃を与えるであろう
という事実を、私は堂々と予言することができます。

このようなお父様に対して、その生活を通して、
見て、感じた人格的なお姿を
書きなさいというのですから、
私にとって成し遂げることが
容易ではないことに間違いありません。

真のお父様の身近に侍って 人間・文鮮明先生
朴普熙


真のお父様の特別補佐官であられた朴普熙先生は、
「メシヤの口」とまで言われました。

アメリカでの1970年代における様々な大会では、
必ず通訳を担当されました。

さらには、1991年、電撃的な北朝鮮訪問にも
同行されています。

あまりにもお父様の身近で侍られた
朴先生でした。

そんな朴普熙先生が
「私は30センチの物差しに過ぎない」
とおっしゃられるなら、
私たちは、どうなってしまうのでしょうか。。。

逆に表現すれば、
お父様に近づけば近づくほど、
お父様の偉大さを感じるのだ、と思います。

朴先生を通して、生身のお父様の
お姿に触れることができることを
心から感謝いたします。

不定期に紹介しますので、お楽しみに。




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2023年02月17日

1分1秒が神と人類のため 私が見た平和の母・文鮮明師夫人の一日 《李成萬先生》



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李成萬(イ ソンマン)前副会長の寄稿文
「世の中で最も美しい言葉・オモニ」より
『私が見た真のお母様の一日』を紹介します。


真のお父様のご在世時、1997年から15年間、
毎朝5時に訓読会が開かれました。
1時間以内に終了したことはほとんどありません。

2、3時間は短いほうで、
正午や、時には午後まで続く日が多くありました。
あるときは夕方になって終了したり、
次の日まで継続されたりしたこともあります。

真のお父様は、訓読会場に入場され、
「私は起床して、先にこのみ言を
2、3時間訓読してから出てきた」
とおっしゃる日も少なくありませんでした。

だとすれば、お父様は何時に起床されたのでしょうか?
間違いなく5時よりははるかに早い時間です。
少なく見積もって、1、2時間前だとしても、
午前3時か4時には起床されたということです。


では、真のお母様は何時に起床されたのでしょうか?
時々、このようなことを考え、気がかりでした。

お母様は訓読室に入室されるとき、
いつも美しく化粧をして登場されます。

したがって真のお母様は真のお父様と
同じ時間に起床されるか、
むしろ先に起床されているだろうということは、
容易に知ることができます。

お父様が聖和された後にも、
お母様はお変わりになることがありません。
お近くで侍る誰よりも早く起床されて、
祈祷、精誠をささげられます。


真のお母様にお仕えして、
外国を巡回した時のことです。

ある日、お母様のお近くで補佐をする姉妹に、
今日お母様は何時に起床されたのかと尋ねたことがあります。

彼女は、「明らかに2時頃に起床されました。
その後、再びお休みになったかどうかは分かりませんが、
私が再び4時に目が覚めたときには、
すでに起きていらっしゃいました」
というのです。


真のお母様の朝食時間は、午前6時30分です。
いつも化粧を完璧に終えられ、
そのまま外出もできる身なりで
食卓に向かわれます。

午前7時から朝礼を主管されます。
いつも、文善進世界会長ご夫妻、
文妍娥様、文薫淑様ほか、
3人の責任者が参加します。

案件によっては、韓国家庭連合の会長や
摂理機関長など、関連の責任者が同席します。
私も清平で行事や会議が開かれるときは、
この朝礼に参加させていただくこともあります。

最初に前日までの世界情勢、
国内外のトップニュースと
イッシュー*に関する報告をします。
 *(課題・問題、検証すべき本質的な目的・論ずるべきテーマ)

次に、各大陸と宣教国の主な統一運動の関連報告が続きます。
真のお母様は傾聴され、指針や指示を下達(かたつ)されます。
摂理的意味を説明し、み言で指導されたりします。
意見や代案を示してくださいます。


真のお母様の昼食時間は、ほぼ毎日、正確に12時です。
特別な日程があり、11時30分に召し上がる日もあります。

午前、午後の執務は、案件に関する責任者を呼ばれて、
特別報告を受けられたり、指導されたり、
会議を主管されたりします。

夕食の時間は午後6時です。
その後にも、全世界から上がってくる
大小の報告書およびメールに接されます。

また、東奔西走の日程の中でも、
散歩、黙想、音楽鑑賞など、健康維持と
体力鍛錬のために必ず時間を割かれます。

李成萬・花鳥苑建立推進委員長(世界本部)
「世の中で最も美しい言葉・オモニ」より


文妍娥様の証しも最近紹介しましたが、
真のお母様のお傍で侍っておられる方の証しは、
実際、お母様がどんな生活をしておられるのか、
ダイレクトに伝わってきます。。。

時間もきっちり主管されるお母様。
世界のニュースも把握され、
何かがあれば心を痛め、
関わる全ての人を愛していかれるお母様。

全人類の真の父母として、
全てに責任を持たれているゆえに
一日の時間に無駄がないのでしょうが、
お母様の生活基準を少しでも
見習わないといけないと思うのです。





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