2022年05月30日

(証し)真の母以前 初めてお会いした頃は、お下げ髪の高校生だった 《鄭中和先生1》



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今回は、「真のお母様にお仕えして」と題した
金榮輝(キム ヨンヒ)先生の奥様、
鄭中和*(チョン ヂュンファ)先生(三家庭)による、
お若き頃からのお母様の証しをシリーズで紹介します。

今回は、御聖婚以前、まだ初々しい
女子学生だった頃のお話です。

ご聖婚前の真のお母様

1990年代以降の真のお母様について
知っている人はたくさんいますが、
60年代の真のお母様について知っている人は、
多くないでしょう。

きょうは、その当時のことについて、お話ししたいと思います。

私が梨大(梨花女子大学)の家政学科に通っている時、
1955年5月11日に、いわゆる梨大での退学事件が起こりました。
それで、私は淑大(淑明女子大学)に移ったのです。

そのとき、真のお父様は、
「どのようなことをしてでも編入して、卒業証書を取りなさい。
勉強をしなさい」と、おっしゃいました。
それで、私は淑大に行き、家政科に通って、栄養学を専攻したのです。


やがて、お父様は、
「米国に行く」ということを言われるようになりました。

そのころは、まだ私たちの信仰が幼いころでしたので、
私たちは、『お父様が、いつまでも韓国で、
私たちと一緒に、このように暮らされるのだろう』
とばかり思っていたのです。

ところが、米国に行かれるというので、私は、
『ああ、私は、だれのために、このように
家政学科で栄養学を学んだのか?』と考え、
何も分からず、経験もありませんでしたが、
お父様が米国に行かれる前に、お父様にお仕えしたいと思い、
その旨をお父様に申し上げました。

そして、卒業した後、私は自発的に、
真のお父様にお仕えするために、
台所に入って、侍りました。

それは、1959年ころでしたので、
まだ、真のお母様はいらっしゃらず、
真のお父様がお独りでいらっしゃった時でした。

お父様は、大変に喜ばれました。
それで私は、真のお母様が来られる前から、
真のお父様に侍るようになったのです。

侍る分野は、本当にたくさんありましたが、
主に食事を担当させていただきました。


そのような中、真のお母様にお目にかかったのです。

私が、初めて真のお母様にお目にかかったのは、
お母様は、今は覚えていらっしゃらないかもしれませんが、
お母様が女学生でいらっしゃったときでした。

その当時は、真のお母様のお母様でいらっしゃる
大母様のことを「洪順愛勧士」と、
そのようにお呼びしていましたが、そのおかたも、
前本部教会のあった青坡洞で奉仕していらっしゃいました。

ところで、そのころ、真のお母様が、
前本部教会での礼拝を受けに来られていました。


その当時は、教会の礼拝堂が狭かったので、
礼拝を受ける時には、居間も畳の部屋も、
すべて襖を取り払わなければなりませんでした。

前本部教会には、正式な門とは別に、
台所に入って行く門があるのですが、
台所を通り、居間を通って、
礼拝堂に至るまで、すべて襖を取り払うのです。

お父様のお部屋は2階にあったのですが、
お父様は、主にその居間で過ごされました。
畳8畳ほどの広さの部屋です。

そこは、お父様が、お食事をされたり、
食口たちに対されたりする場所でした。

ですから、礼拝の時には、お父様のお食事を準備する、
その台所を通って礼拝堂まで行くというような、
そのような時代でした。


その当時、真のお母様は、高等学校に
通っていらっしゃり、お下げ髪をされていました。

口数も少なくていらっしゃったので、
私は、全く気づきませんでした。
短いチマチョゴリを召されて、
礼拝に参加していらっしゃいました。

私は、そのおかたが、どなたでいらっしゃるかも分からないまま、
洪順愛勧士と一緒に礼拝を受けていました。

そうしているうちに、後に、そのおかたが、
真のお母様として選定されたではありませんか。

選定された後、内々に約婚式がありました。
その後、目立って成長していらっしゃいました。

背も高くなられ、胸も大きくなられ、脚も長くなられ、
なぜか、私の目に、そのお姿が大きく見えるのです。

そのようにして、お母様に初めてお目にかかったというわけです。


前本部教会では、真のご父母様のご聖婚式が行われました。

式は最初、西洋式で行われ、それから韓国服を召されて、
伝統的な式で行われました。
1960年、陰暦の3月16日のことです。



1955年の暮れに大母様が正式に入教され、
翌1956年、中学生の時に、
真のお母様は真のお父様と初めてお会いしています。

1959年は、看護学生になられていて、
修練会などにも参加されたと、
自叙伝には書かれています。

真のお母様が、今のようにご自身で、
「宇宙の母、人類の母」
そのように証すことなどできなかった時です。

お母様は、まったく目立たない存在だった。。。
今では考えることが出来ないような、貴重な証です。
写真を見ても、そんなお母様だったんだな、と思わされます。

また、初期の教会の様子もうかがい知ることができますね。
本当に、一つの教会の教会長さんのような姿のお父様。。。
その当時にいた人たちがうらやましいような気もします。

しかし、真のお母様が永遠に唯一の独り娘であるという
真実の姿を堂々と証された
今、この時こそが、どれだけ貴い立場なのか、
ということも思わされます。

続きます。



*鄭中和先生は、
お父様からお名前を頂き
大和から中和と改名されています。


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2022年05月24日

神様が嬉しくて踊りを踊った?! 真の父のみ言の結実 《書籍「天の父母様聖会」より》



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天の父母様というときは、
「天の父」だけいらっしゃるのではなく、
「天の母」もいらっしゃいます。

この名称は、「天の母が中心となって
世界人類を抱いて生んでくれる」
という意味があります。
そのような大きな傘です。

皆さんは立ち上がり、
興奮して踊らなければなりません。


(2020.5.8)
「天の父母様聖会の出発」


真のお父様が生前に語られたみ言を
振り返ってみると、
「天の父母様聖会」が
その、み言の結実であったとわかります。

尹煐鎬(ユン ヨンホ)世界本部長が語られた
「天の父母様聖会と摂理的ビジョン」のみ言より、
抜粋して紹介します。

神様の願いは天の父母様

このような内容が「原理原本」に記載されています。

「私たちは天の父母と一つになっ てこそ、
 創造理想である善が始まるのである。

 神様と一つになるためには、天の父母の懐の中で
 合意を交わさなければならない。

 私たち人間には肉身があるが、
 一番上にいらっしゃる天の父母、
 そのお方の影像(似姿)である肉身の父母も必要である。

 このような天の父母に
 完全に侍り仕える私たちとならなければならない」


(第三巻 再臨主は理想論完成の基本存在)。


次のようなみ言もあります。

「このために堕落以前の基本となる人間
 (人間始祖となる人たち)が地上から出発し、
 天の父と母を合わせ、
 永遠なる生"を完成しなければならない。

 今までは神様が父格としてのみ
 存在され役事してこられた。

 しかし、天の父の目的は、人々が
 この地上において神様を父、母として侍り、
 天宙における万事を完成することである」


(第五巻 神様に父としてのみ侍る霊人は未完全な生)。


「地上に父母が生まれるとすれば、
 天にも父母が存在しなければならないのではないか。
 
 天は神様の本体であり、
 地上はそのお方の第二対象である」


(第五巻 分立と合体は基本原理完成のために始まる)。


さらに
「神様を父としてだけ侍っている
 未完全な生涯の存在たち(人々)が願い、
 成し遂げなければならない課業」

(第五巻 神様に父としてのみ侍る霊人は未完全な生)


であると言い、

「父と母、その理想を通して、
 天の父母にならなければならない」


(同)というみ言を、 今なお語られています。

また
「天の父母に侍る地上天国が始まれば、
 地上に生まれた人々は、
 天の父母に侍りながら天のみ旨を完成する、
 永遠の夫婦として完成しなけれ ばならない」

(第五巻 分立と合体は基本原理完成のために始まる)

と述べられています。

「原理原本」には「基本の父母」を真の父母という言葉で書かれており、
「根本の父母」 を天の父母と書かれています。

天一国経典『天聖経』には、無形の神様であるので、

「男性の体だけでもなく、女性の体だけでもない、
 アダムとエバ、二人の体をもって、
 実体世界と自由自在に往来し、作用するため」
(七一七ページ)


に一男一女として創造されたというみ言もあります。

真のお父様の最後の大会となった「アベル女性UN創設大会」
(二〇一二年七月十六日) で、 このようなみ言を下さいました。

「今に至るまで、数多くの宗教がありますが、
 父なる神様を信じる宗教にはなりましたが、
 父に(対して)母のいない宗教を信じてきた
 という恥ずべき、恥ずかしさを
 この時間に爆発させ、その歴史的な、
 あってはならないその悲運の痕跡を取り消すために、
 ......私の歩む道は、平和な道ではありませんでした。

 父なる神様は知っていますが、
 母のいない父を自分の神様であると言って争い、
 奪い合う闘いをする、これら諸教団の
 愚かさと国の権威の喪失を、
 誰が是正してあげるのでしょうか」。



天一国経典『天聖経』には、

「霊界に行けば、天のお父様だけが
 いるのではなく、 天のお母様がいるのです。

 父と母がいなくて生命体が出てくることができますか。

 そのような父母のように、アダムとエバの背後には、
 分かれて出ていた神様が一つになっています。

 ですから、母を通してもそうであり、
 父を通しても天の国に行ける道が
 生じるという話になります」

(七三七ページ)

というみ言があります。

神様の願いは天の父母様です。
父なる神様だけでなく、母なる神様だけでもない、
天の父母様を完成することなのです。

尹煐鎬世界本部長
「天の父母様聖会と摂理的ビジョン」
2020.5.8(天一国8年天歴4月16日)
天地人真の父母様天宙聖婚60周年記念特別集会
(HJ天宙天寳修練苑)

『天の父母様聖会』〜天苑社〜
第二章 宣布の背景とビジョンに関する特別報告
第一部 「天の父母様聖会」宣布とその背景
神様の願いは天の父母様


お父様は原理原本ですでに、
神様を「天の父母様」と解かれていました。

しかし、神様は、「親である」とは教えていただきましたが、
「父母である」と聞いたことがありませんでした。

エバが最初に堕落したのであり、
その清算のために、女性が苦労する歴史だったので、
神様は父母であると証しされるのが遅かったのかもしれません。

それよりも、天の独り娘である、真の母が勝利されて、
お母様から直接、「天の父母様」であることを
証しされる時を待たなければならなかったのかもしれません。

お母様は、この日(2020.5.8)
天の父母様聖会を宣布され、
「興奮して、踊らなければなりません」
と語られています。

私たちは、そんなすべてが明らかにされる、
とてつもない時代に生まれ合わせているのに、
その素晴らしさもわからない、
本当に霊的、心情的に、鈍い者たちです。

真のお父様が語りたかったみ言が、
今、結実される時が来たのだ。。。
そのことに心からの感謝をお捧げ致します。


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2022年05月07日

同じ人間なのに、お父様と私たちは何が違う?! 文鮮明師vs金日成主席 《史吉子先生》



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1991.12.6 文鮮明夫妻、金日成との対談☆


史吉子(サ キルジャ)先生
「原理によるみ言の証」より、
『試練を通過した後に体血した、神様の愛』続編になります。


お父様も私たちと同じ人間なのに、
お父様は私たちと何が違うのですか?

お父様は霊界をご存知で、
サタンと闘って勝利することのできる
心情的な内容をもっておられると言うのが、
私たちと違うのです。


皆さんもよくご存知でしょうが、
金日成はどれほど悪い人だったでしょうか?
金日成はたくさんの人を殺しました。

ところが、お父様は金日成に会いに行かれる時、
その憎む心を克服するためにアメリカのハワイに行かれて、
最後の祈祷を捧げられました。

「天下の全ての人が金日成を殺人魔と憎んでも、
私は金日成を憎むことができない。
私までが憎んだら、彼を生かすことができない。

だとしたら、私はどんな心で金日成に会いに行くべきか?
そうだ、私は金日成を生んだ父親の立場で会いに行こう。

全ての人が金日成を見て、
『あいつを殺せ。死刑場に送って殺せ。
銃殺しろ』と言っても、もし その場に彼の父親がいたら、
『私の息子は悪い奴だけれど、
私の前で死ぬのだけは見たくない』
と言うのが父親の心情だ。

金日成の父親は息子を生かすことさえできるなら、
どのようにしてでも生かしたい気持ちではないか?
その心を持って行こう!」

お父様はこのように心情の基準を立てて行かれたので、
金日成に会った時、何の憚りも無くすっと抱擁することができ、
金日成はお父様の深い愛がわかったのです。

朴普熙氏が平壌から帰ってきて言った言葉が、おもしろいです。

自分もお父様の後ろに立っていたら、
いつの間にか金日成を抱擁したそうです。

ところが、「殺しても足りない悪い奴! 殺人魔!」
と言う悪態が心の中から飛び出してきたと言うのです。

表面的にはお父様と同じ行動で抱擁したけれど、
心はそうではなかったそうです。

その時、「父母と兄弟は、厳然と違うみたいだ。」
と感じたそうです。

お父様の人格と愛は、神様がこのように変化させ、
また常にお父様には神様が共におられるために、
私たちのような普通の人間が真似することのできない、
高い次元の人格と愛だと言うことを知らなくてはな りません。

私は、それをしばしば感じながら生きてきました。

お父様が原理の一つ一つを探される時、
サタンと血みどろの闘いを繰り広げて探されたのに、
このように生命を賭けて探した原理を、
何の準備もせず、何の功労も無い人々に与えるのが
時には悔しく、勿体無いそうです。

それでも人類を生かさなければならないので、
ただであげるのだとおっしゃいます。

私は、そのようにお父様の悲憤慷慨される
お気持ちを十分に説明できません。
しかし、このような内容も場合によっては参考になるでしょう。

史吉子/ 著「原理によるみ言の証」
第1章総序論



お父様が金日成に対する心情と
朴先生が金日成に対する思いの違い、
なんだか、私の心を見透かされているようです。

行動は同じでも、どのような思いを持つか、
それが本当に重要であると思います。

自分の感情のまま、堕落性で行動するのではなく、
心を天に向けて、自分の本心のままに行動する、
まさに自己牧会プログラムの実践ですね。


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