2020年05月18日

日本は世界に奉仕する運命?! 「お父様は日本を信じる、なぜか?」 《小山田先生》



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1973.7.5

STAY HOME!☆☆☆
新型コロナウィルスの
終息を心からお祈りします☆


小山田秀生先生の自叙伝
「真の父母様の御跡を慕って」より、
1973年のご来日のみ言を中心とするお話です。


1973年、真の父母様は3回、日本を訪ねてくださり、
たくさんのみ言を語られました。

私の印象に残っているのは、7月8日に
「復帰路程における日本の使命と理想世界」との題目で語られたみ言です。


「日本の使命は、エバ国の使命です。
 自分が飢えても、アジア民族に経済援助、
 心情的援助をすることのできる国にならなければ、
 日本の将来はありません。
 それは当然の話です。

 『統一思想』を受け入れれば、
 日本民族は世界的な民族になることができます。
 日本は世界の先頭に立つ民族になるでしょう。

 新婦がお嫁に行ってよく尽くす場合、
 家の全ての支持が集中する主人になるのと同じです」



このようにお父様は、「日本の行くべき道」として、
「日本の使命はエバ国の使命である」と強調されました。
日本には、善なる実績をもって世界に奉仕していく使命があるというのです。


第二次世界大戦をはさんで、日本を取り巻く周辺国家、
特にソ連や中国、北朝鮮といった共産主義の国々は、
何とか日本を乗っ取ろうと狙ってきました。
それは今も変わりません。

かつて日本がアジアに対して侵略行為をしたことは事実です。
その不名誉な立場を脱しなければなりません。

内外に援助して貢献し、アジアの発展のために
尽くさなければ、日本の将来はないのです。
そのためにも、国民を「統一思想」で啓蒙し、
世界的な民族となることが求められています。
 
お父様は、日本を「20世紀のイギリス」と見ておられます。


1973年から「国際指導者セミナー」が開催され、
日本とイギリス、アメリカの優秀な大学生や大学院生たちがたくさん参加しました。
 

「先生はアメリカに行って韓国と日本、アメリカの
 3ヵ国を一体化させるのです。
 日本は過去を悔い改めて、
 アジアと世界のために生きなさい。
 そのためには統一教会を中心とするしか
 道がありません」



というわけです。

1972年から74年まで世界的な3年路程です。
そのためにお父様は、“アメリカで天の作戦を組む”というのです。


「日本の使命と理想世界は何でしょうか。
 神の愛によって超民族的な国家編成をし、
 母の慈愛で進めていくことが、
 何よりも日本にとって重要なことです。
 だから歴史にない苦労をしましょう。
 アメリカ人に尊敬されるように奉仕しなさい」


「お父様は日本を信じます。
 なぜでしょうか。
 日本人は去っていきません。
 任せたら責任を果たすのが日本です。
 だから感謝していきましょう」



これらが、日本に対するメッセージのポイントです。

『祝福家庭』91号(2018年 冬季号)
小山田秀生先生の自叙伝
「真の父母様の御跡を慕って」
日本の行くべき道とは
〜日本にはエバ国の使命がある〜


第2次世界大戦において敗戦しながらも、
これほどまでに、経済大国として発展してきた日本。
人間の力だけでは理解できない
「天運」というものがありました。

ですから、真のお父様も
「アジアと世界のために生きなさい」
と語られているのだと思います。

過去に語られたみ言だとしても、
現在に通じるものだと思います。

世界のために生きることを通して、
世界から歓迎され、祝福される日本になるのです。
「使命がある」というのは、
ありがたいことだと思います。

「任せたら責任を果たすのが日本です」
お父様は日本の勤勉さ、責任感、真面目さ、
そういったものをご存じだと思います。

今回のコロナ禍においても、
緊急事態宣言による自粛は、
義務、強制ではなく、
一人一人に任せられた内容でした。

今、感染者が縮小されつつある状況も
日本の国民性に由来するものがあると思います。

責任を果たす私たちでありたいと思います。

1973年7月8日
「復帰路程における日本の使命と理想世界」
のみ言の一部を下に添付しました






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御言『復帰路程における日本の使命と理想世界』(7. 8)
「今から50年後には日本はどこへ行く? 
…国策において移民政策 をするには、日本民族を歓迎するような、おとなしい国はない。日本は、善なる実績を世界に積んで奉仕していないよ。これは遠からずアジアにおいて、50年以後において必ず侵略国家の体制を整えざるを得 ないというのが政治をやっている者の一般的判断だ。こうみれば、日本人かわいそうだ。 日本は加工産業国家だろう。日本民族の運命はアジアにおきましては、大陸を慕っている。そのはしごであり、橋頭堡は韓半島しかない。ここにおいて、ソビエトが待っている。中共が待っている。…金日成も毛沢東も、コスイギンもブレジネフも日本を自分の懐に入れた 場合にはアジアがやられる番だ。
… 日本の使命はエバ国の使命である。…自分が飢えてもアジア民族に 経済援助、心情的援助を成し得る国にならなければ日本の将来はな い。それは当然の話だよ。そのことを統一思想によってかなえる。もしもこの思想を受け入れた場合には、日本民族は世界的な民族になるんだね。日本は先頭に立つ民族になる。お嫁に行ってよく仕えた場合 には、その家のすべての世論を集中する主人になるだろう。だから日本は、先生と天において忠誠を尽くせ。それしかない。尽くした場合には日本は滅びません。もしもそれが74年まで果たすべき基準を乗り越 えなかった場合には、カナダが先生の行く時に援助した条件があって、日本のエバ国家の運命をイギリスが再び迎える時が来る。」(抜粋)



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posted by ten1ko2 at 09:07 | Comment(2) | お父様・お母様の路程 証し | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年04月29日

(証し)礼拝で見掛けていたあの女子高生が、天の花嫁に! 



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お母様が絶対服従したので、
短期間内で、
すべて越えてきました。


真のお父様



60年前、真のお母様は、17歳でご聖婚されました。
それから、家庭的基台を立てるまでの期間は、
特に忍耐と苦労と犠牲の路程をいかれたとのこと。

36家庭・鄭大和(チョン テファ)先生の証し
『いつもたくましく雄々しくあられた』です。


ご聖婚前、真のお母様は、
前本部教会の礼拝に来られていました。

当時は高校生でお下げ髪に
短いチマチョゴリを召していらっしゃいました。
口数も少なくていらっしゃったので、
私はその方がどなたであるかも知らないまま、
一緒に礼拝を受けていました。

そのうちに、そのお方が
「真のお母様」として認定されたのです。

お母様はその後、
目立って成長していかれました。
背も高くなられ、胸も大きくなられ、
脚も長くなられました。


1960年のご聖婚式では、
真のお父様が非常に喜ばれて、
踊りを踊られたことを覚えています。

その日は、40種類くらいの祝典の供え物が、
高さ70センチくらいに盛大に調えられました。

そのときお母様は17歳で、
そこに侍る女性の誰よりも、
若くていらっしゃいましたが、
なぜか私の目には、そのお姿が大きく見え、
一切’幼い‘とは感じられませんでした。

この「子羊の婚宴」で、
私が最初に真の父母様に食膳をお捧げしたのですが、
それを今でも誇らしく思っています。


ご聖婚後まもなく、お母様は身ごもられました。
父母様の最初のお子様は
男のお子様であると思い込んでいました。

ですからお産が始まると
「王子様が来られる」と書いたケーキを準備して
祈りながら待ったのです。

ところがお生まれになったのは、
女のお子様でした。

けれどもお父様は、最初からお母様に
「12人の子女を生まなければならない」
とおっしゃっていましたから、
お母様が早く妊娠されたこと、
そして王子様であれ、王女様であれ、
健康なお子様をお生みになったのは、
本当に喜ばしいことだったのです。

それでもお母様は後に、
当時の困難な環境での出産を回想されながら、
「非常につらかった」
とおっしゃったことがあります。

当時のお母様のお部屋は、
すきま風の入る寒い部屋で、
暖房といっても練炭ストーブだけでした。

生活環境が良くない中、無理をされたために、
出産後、お母様が健康を回復なさるまでには、
長い時間がかかりました。


ご聖婚前も、そしてご聖婚式をおえられてからも、
女性食口の中に、
夫や子供がいる身にもかかわらず、
「自分がお父様の相対であるという啓示を受けた」
という人たちがいました。

甚だしきは、
お母様がいらっしゃるお部屋まで、
押しかけてくる女性もいたのです。
お母様におかれては、心労が絶えず、
人知れず多くの涙を流されたことと思います。

しかしながら、お母様はいつも
たくましく雄々しくあられました。

非常に忍耐心が強く、
感情的な表現をなさいませんでした。

そうして黙々と歩まれ、
お母様に対する批判を消化していかれました。

そして、「真のお母様」としての、
位置と威信を見事にお立てになったのです。

光言社発行
「真のお母様、感謝します」
『心を打つ50の証し』より


お母様のご聖婚当時の証し。
とても貴重な証しです。

お母様の自叙伝にも書かれていますね。

お母様の試練は、
特にご聖婚されてからの方が
たくさんあることがわかります。

子女様を身ごもり、育てながら、
心身ともに試練を乗り越えていかれました。

鄭大和先生は、当時のお母様を
「たくましく雄々しく」
そのように表現しておられます。
この言葉は、
どちらかというと男性的な表現です。

つまり、華奢でか弱そうに見えるお母様は、
内的にはとても強いお方である、
そのように言えると思います。

自叙伝にはお母様がご聖婚される動機は、
「私の代でみ旨を終わらせる」
と書かれています。

この思いがあったから、どんな試練があっても、
微塵ともされなかったのではないでしょうか。






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2020年04月23日

「子羊の婚宴」から60年! お母様が自叙伝で証された当日の様子、主の花嫁の決意 



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真の父母様の御聖婚 1960年4月11日〈天暦3/16〉☆


今年は歴史的な年であり、真のお父様の聖誕100周年と共に、
御聖婚60周年を迎えました(4/8)。
60年前の「子羊の婚宴」の様子が、
真のお母様の自叙伝にも書かれています。

教理研究院の「今日の摂理」 より紹介します。


  真の父母時代の幕開け

イエス様は人類の真の父母となるために誕生されましたが、
その使命を果たすことができず、十字架の道を行かれました。

イエス様の路程を蕩減するため、
血と汗と涙の道を歩んでこられた真のお父様は、
1960年3月27日に韓国の旧本部教会で、
再臨主を迎えるために精誠を尽くしてきた
洪順愛ハルモニ(大母様)の一人娘である、
真のお母様と約婚式を行われました。

4日後の3月31日、真の父母様の聖婚式と
3弟子の祝福式について決定がなされ、
4月11日(天暦3/16)午前10時、
旧本部教会に韓国全土から食口たちが参席する中、
真の父母様の聖婚式が挙行されました。

「小羊の婚宴」(ヨハネ黙示録19章)は、
真の父母様の聖婚式によって実現されました。
アダムとエバが堕落することで失った
人類の「真の父母」が、こうして誕生されたのです。

真の父母様の聖婚式は、蕩減復帰歴史において
長成期完成級の蕩減の峠を越える歴史的瞬間となりました。

長い復帰摂理史の基盤の上に、
完成したアダムとして来られた真のお父様は、
地上での摂理基盤を築いたのち、真のお母様を迎えられました。

天の代身であるお父様と、地の代身であるお母様が一つになり、
分かれていた天と地が初めて連結されるようになったのです。

アダムとエバが堕落して互いに怨讐となった結果、
神様との間にも障壁が生まれました。
その障壁が6000年ぶりに崩れるという、
救援摂理史の歴史的転換点を迎えたのです。


  家庭理想実現に向かう救援摂理の出発

真の父母様が、神様を中心とした
家庭的四位基台を完成なさることで、
地上天国創建のための出発の基台を立てられました。

真の父母様による祝福結婚を通して、
人類を本然の血統に転換し、
本来の家庭理想実現に向かうという、
救援摂理の出発となったのです。


  独り子と独り娘が聖婚する「小羊の婚宴」


真のお母様のみ言
〈韓鶴子総裁自叙伝『人類の涙をぬぐう平和の母』より抜粋〉

 私と文(鮮明)総裁の佳約式(約婚式)には、深い意味があります。聖書で言う人間の6000年の歴史は、真の父母を迎えるための悲痛なる路程でした。

 真の父母と出会えなかったことが、それまで全人類にとっての悲しみでしたが、この佳約式によって、その悲しみが終わったのです。まさに、祝福の日でした。

 聖婚式は、佳約式から半月後の4月11日、陰暦3月16日の午前10時から行われました。全国の教会から選ばれた約700人の信徒が青坡洞教会(旧本部教会)に集まる中、意義深い聖婚式が盛大に挙行されたのです。佳約式の時よりもさらに大勢の信徒が集まったため、教会は足の踏み場もないほどでした。周りの路地も、教会内に入れない人々で埋め尽くされました。

 式場は、教会の礼拝堂をきれいに飾りつけて準備されました。壁と床を白い布で覆い、玄関から入って左手に壇を作りました。白いチマチョゴリを着て長いベールをかぶった私は、新郎である文総裁と腕を組み、聖歌「宴のとき」に合わせて二階から下りていきました。こうして、歴史に永遠に残る聖婚式が、祝賀客の熱い歓迎の中、挙行されたのです。

 …聖婚式は、私が宇宙の母、平和の母として人類の前に新たに登極する日でした。神様の願ってこられた、独り子と独り娘が聖婚する「小羊の婚宴」は、アダムとエバが成し遂げられなかった宇宙的な真の夫婦、真の父母の理想を実現する場でした。

 式が終わり、私と文総裁は晴れて夫婦となって、初めて一つの食膳で食事をしました。普通の夫婦であれば当然のように楽しむ新婚旅行はもちろん、新婚生活における甘い夢すら、思い描くことはできませんでした。ただ、神様と教会のことだけを思ったのです。

 韓服に着替えた私たち夫婦は、信徒と共に歌を歌い、踊りを踊って、神様に栄光をお返しする喜びの時間を過ごしました。歌を歌ってほしい、という信徒たちのリクエストを受け、私は「春が来れば」を歌いました。

 「春が来れば、山に野原にツツジが咲くよ。ツツジの咲くところ、私の心も花咲いて……」

 春は新しい出発を意味します。私は、希望の季節である春が好きです。寒い冬を抜け出し、眠りから覚めた生命が躍動して、夢を描いていくことを願うからです。私は、統一家の歴史もいよいよ春を迎え、新たに出発しなければならないと考えました。

 その日、地上に真の父母の家庭が現れることで、神様の摂理は新たな扉を大きく開きました。薄氷を踏むような日々を越えて行われた聖婚式。その日は、神様が最も喜ぶ一日となりました。

 ヨハネの黙示録に、終わりの日に主が再び来られたら、「小羊の婚宴」をなさるという一節があります。その宴こそまさに、失われた独り子、独り娘を新郎新婦として結び、真の父母として立ててくださる神聖な祝福儀式です。

 私は文総裁と夫婦の契りを結びながら、神様の前に固く決意しました。

 「神様が苦労して歩んでこられた蕩減復帰摂理の歴史を、私の代で清算します。何より、神様の名のもとに起こっている宗教的な分裂は、神様が最も胸を痛められることです。それを必ずや、解決してみせます」

(117-120頁)

Blessed Lifeより


お母様の自叙伝を読むとお母様が誕生され、
ご聖婚まで成長される背景には、
大母様とハルモニ、すなわちお母様の
おかあさんとおばあさん、この二人の存在、
お二人の信仰と精誠があったことがわかります。

もっと言うならば、お二人がいなければ、
お母様は存在しなかった、独り娘として、
勝利しておられなかったのではないか、
そのようにも思います。

真の父母様の聖婚式は、
奇跡と奇跡の出会いである、
そのように言うことができるでしょう。

さらに言うならば、
お母様の御聖婚の動機が凄まじいです。

「神様が苦労して歩んでこられた
蕩減復帰摂理の歴史を、私の代で清算します」

普通の人は自分の幸せのために結婚しますが、
お母様はそうではなかったのです。
その決意が今もなお、変わらないお母様が
本当に素晴らしいし、ありがたいと思うのです。





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