2022年05月02日

ニクソン大統領との会談は、神からの指示だった?! 文鮮明師の試練の克服法 《史吉子先生》



220502-1974.0201.jpg
1974.2.1


史吉子(サ キルジャ)先生の「原理によるみ言の証」
『第1章総序論』の続編になります。

自己否定の訓練を神様から受けられた真のお父様。
その一つの例を挙げておられます。


それから、例を挙げられました。
1971年にお父様がアメリカに入国されたのですが、
その時はとても苦労して行かれました。

アメリカに直接行くことができず、
カナダを回って行かれました。

お父様はじっと息を潜めていても、
既成教会の信者たちが統一教会の文教祖が来たと知ると、
アメリカには入国もできないようにして、
無条件追い出そう とする勢いでした。

自国でも歓迎されない宗教指導者がアメリカに来て
何かを始めようとしたのですから、
どれほど目を光らせて監視をしたでしょうか?

韓国の既成教会とアメリカの宣教師たちが通じていて、
息を潜めていてもどうなるかわからない運命なのに、
神様はアメリカのニクソン大統領に会え
と言う命令をくだされたそうです。

結局、お父様はニクソン大統領に会われました。


最初に神様からニクソン大統領に会えと言う啓示が
下りて来た時、お父様はあまりにも驚かれただけでなく、
途方に暮れたそうです。

しかし、これが神様のみ意だと言うことがわかると、
涙を流されながら祈られたそうです。

お父様が祈られる時は涙を流されますが、
お母様や子女様たちの前では泣くことができず、
特に私たちの前では涙を見せられなかったのです。

なぜなら、私たちにとってお父様は
希望の中の希望ではありませんか?
ですから、お父様が心配したり自信が無くて
涙を見せたら、私たちがどうして
信じてついて来るのだろうか?
と考えられたそうです。

それで、お母様と子女様と私たちには
自信があると語られ、
後ろを向かれては涙を流されたそうです。
実にすさまじいことです。


当時は お父様がニクソン大統領に会うと言われると、
周りでお仕えしている人たちが
会わないでくださいと反対するのです。

それこそ、拠り所の無い孤独な立場で、
そのように涙を流されながら、ある期間の条件を立てられ、
遂にニクソン大統領にお会いになりました。

このようにお父様がなされることは、
容易いことではありません。
到底、口では言い尽くせないほどの
多くの精誠を尽くされながら、
普通の人たちにはできないことをやり遂げられるのです。

お父様も私たちと同じ人間なのに、
お父様は私たちと何が違うのですか?

お父様は霊界をご存知で、
サタンと闘って勝利することのできる
心情的な内容をもっておられると言うのが、
私たちと違うのです。

史吉子/ 著「原理によるみ言の証」
第1章総序論


ニクソン大統領に出会われた真のお父様。。。
神様からの命令を受けていたのですね。

しかし、大きな試練の中での出会いだったことは、
微塵にも感じさせないようなお父様の笑顔です。

もちろん絶対的な命令でありますが、
なんの基盤もなく、むしろ迫害を受けている立場ですから、
どれほど困難であったかしれません。

その苦悩を誰にも打ち明けることなく、
孤独な立場で、精誠を積まれた真のお父様でした。

公的な人、というのは、個人の感情を
打ち明けることのできない期間があるのだ、
そのことを感じさせていただきました。



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2022年04月07日

父が体験した十字架以上の苦痛とは? 神も善霊もすべてに否定されて 《史吉子先生》



190713.jpg


史吉子先生の「原理によるみ言の証」
続編になります。


それで、(真のお父様が)やっとのことで明らかにした答えを
神様の所に持っていって捧げると、
神様も違うとおっしゃると言うのです。

なぜなら、息子であるアダムが
父である神様を否定したのを蕩減するために、
父が息子を否定せざるを得ないからです。

このように神様が否定されると、
イエス様と高級霊界の霊人たちも皆、
お父様を否定して受け入れなかったそうです。

そしてサタンが執拗にお父様に襲い掛かる時、
神様は離れると言うのです。
ところが、それがとても苦しかったそうです。


イエス様が十字架を背負われた時、誰を頼りとされましたか?
神様しか頼れる所がありませんでした。
しかし、神様は去られました。

それでイエス様は、
「父よ! どうして、私をお見捨てになったのですか?」
とおっしゃったのです。

そのような摂理の奥妙さをお父様が語られながら、
イエス様は十字架の痛みが終わる時、
肉体の苦痛が共に終わったと言われました。

ところが、お父様は心情の十字架を負われ、
この峠を越える時に感じられた苦痛は、
イエス様が受けられた肉体の苦痛とは
比べることができないと言われました。


そう言われながら、
「私がこのように言ったとしても、
あなたたちにどうしてわかることができようか?」
とおっしゃいました。

サタンが襲い掛かり、神様が去られた場所が
どのような場所かと言えば、
完全な暗黒の中に一人投げ込まれた場所だそうです。
ご自身がどこにいるのかさえ、意識できなかったそうです。


私たちが今、バランスを保ったまま立っていて、
陽の光を受けて生きているのは、
天が保護してくださっているからです。

ところが神様も手を引かれ、陽の光さえも無く、
万物も全て去った暗黒の中、
お父様の霊・肉体がどこにあるのかもわからない、
真っ暗な所に押し込められた立場で、
「イエス様が、まさにこのような状態に
いらしたんだなあ。」と思われたそうです。


この時、サタンが現れて、
「おまえも私に屈服しないか?」と
言いながら襲い掛かったそうです。

その時のお父様は、神様が自分に固く約束をされたから、
少しもったり恨んだりはされなかったそうです。

お父様がそのように困難に遭われながらも、
不平不満を言われないので、
結局、サタンが降参したそうです。

それでサタンが、
「このような立場では神様を呪い恨むべきなのに、
おまえのような奴は初めて見た。」
と言いながら、引き下がって行ったそうです。


すると神様が、天地が震動するように
痛哭されながら、訪ねて来ら れたそうです。

神様が、「やっと私の息子を見つけた。」
と言われながら胸に抱いてくださるのですが、
その時の神様の愛がどれほど大きかったのか、
その愛がお父様の骨の髄にまで染み込んで来たそうです。

そして、お父様を否定して迫害した
イエス様と全ての高級霊たちも、
再び戻って来たのです。


その時に感じた神様の愛とは何か?
神様の愛には、憎しみや怨讐と言った概念さえもありません。

私たち人間の愛には、少しでも気に入らないと憎み、
心寂しく思い、そして怨讐と言う概念が残っているのに、
神様の愛に接してみると、
その時まで自分が考えていた次元の愛とは、
完全に違っていたそうです。

史吉子/ 著「原理によるみ言の証」
第1章総序論


神様と出会い、神様を慕っていかれたお父様。

その神様からも見捨てられ、どん底の立場を通過され、
それでもなお、感謝し、忍耐されながら、
乗り越えてこられたお父様でした。

結局はサタンが離れざるを得なくなり、
神様が真のお父様をかき抱かれたのです。

『心情の十字架』と書かれておりますが、
言葉では言い表せない境地を、
お父様は越えてこられたのでした。

真の神様に出会われ、
その神様を証ししてくださったお父様に
心から感謝いたします。

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posted by ten1ko2 at 09:52 | Comment(0) | お父様・お母様の路程 証し | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2022年02月22日

真の父がメシヤの使命を受け入れたのは・・・ イエスと神が説得 《史吉子先生》



190713.jpg


史吉子(サ キルジャ)先生のみ言。
「総序論」の続きです。


お父様が16歳の時、イエス様に会われたのですが、
本来は儒教の家庭でした。

ところが、愛国者であった文潤国牧師の導きで、
文氏一家が全てキリスト教に改宗しました。

それでお父様も神様を知るようになり、
イエス様も知るようになり、熱心に祈祷をされるようになりました。

お父様がどんな祈祷をされたのか?

「神様、本当にいらっしゃいますか?
神様が本当にいらっしゃるのでしたら、
どうして私たちの国がこんなにひどい苦痛を
受けなければならないのですか?

私たちの国の人たちがさまざまな苦しい目に遭っているのに、
どのようにして根本的に解決しなければなりませんか?」
といった祈祷をされたそうです。

この問題をもってしつこい程、
とても深刻で切実に祈られたそうです。


そうするとイエス様が現れて、
「そうだ。あなたが願い、あなたが成したいと
願っている全てのことを私が成そうと来たのだが、
そのみ旨を全て成すことができなかった。

だから、これからは私と共に、
あなたがその仕事をしなければならない。」
と語られたそうです。

「私と一緒にやろう」と言う切実なイエス様のみ言を聞かれた時、
お父様はあまりにも驚かれたからか、
すぐには「はい!」と返事ができなかったそうです。

お父様に現れた、可哀想な主の姿を霊的に見た時、
大変驚かれたのです。

お父様がイエス様から受けた頼みは、
まるで空中にぶら下がって揺れている針に、
糸を通せと言うのと同じだったそうです。


ところで、16歳の少年が、どうして
針と糸のことを思ったのでしょうか?

私がお父様に直接質問したわけではありませんが、
見当がつく点があります。

お父様の家には、女の兄弟がたくさんいました。
昔は、 女性たちが昼間は畑に出て行って農作業をし、
夜は針仕事をしなければなりませんでした。

針仕事をするには、まず針に糸を通さなければなりません。
それでお父様は、お姉さんたちが小さな灯りの下で
針に糸を通そうと苦労するのをご覧になったのだと思われます。
皆さんも想像がつくでしょう。

あの頃は化学繊維も無く、電気も通っていなかった時ですから、
大家族の家では木綿で作った服やポソン (韓国固有の足袋)など、
夜遅くまで継ぎを当てなけらばならないものが
どれだけ多かったでしょうか?

その時のお姉さんたちが針に糸を通す姿をご覧になり、
その作業が難しいと思われたのでしょう。

明るいところで針を掴んでも糸が針の穴に
うまく入らないものなのに、針が空中にぶら下がって、
揺れているのですから、どうやって糸が針の穴に入るでしょうか?

それで、そのみ旨に従うのが、揺れている針に糸を通すように
難しいからできないと思われたのでしょう。


何はともあれ、イエス様の切実な頼みを受けられたお父様は、
「私はできません。」とお断りした後、
「私の思いどおりに暮しながら人生を生きて行けたら、
誰よりもいい暮らしができるだろう。」と思われたそうです。

ところが、その時にふと、
「人生の果てには究極的に何があるのだろうか?」
「何が残るだろうか?」と言う疑問と共に、
何も残るものが無いだろうと言う思いになったそうです。

「だとしたら私が、イエス様が願われた
この道を行かなければならないのではないか?」
と思われたそうです。

ところが、「ああ、私が恐れ多くも...。
どうしようか?」と思いになり、
急にお父様の目の前に畳々と重なる山々、高い山々が
列を成して現れ、 切り立った高い山々に
登っては下らなければならない、とてつもない
苦痛を受けることになるだろうと感じられたそうです。

お父様の故郷である平安北道定州に行ってみると、
家の前からちょっと離れた所に山と丘があります。
お父様は当時、ご自身の心にある霊感が浮かぶと、
手前の山 (猫頭山)に登られて熱心に祈祷されたそうです。


その時、神様が現れたそうです。

神様はあまりにも可哀想なお姿で現れて、
私の愛する子が地上にはおまえしかいないと言われながら、
イエスが成し得なかったことをあなたが引き受けて
やってくれなければ誰が引き受けるのかと、
切実に説得をされたそうです。

そのような神様のみ声を聞かれると、
神様の悲しい心情と事情が骨の髄まで染みて
押し寄せて来たそうです。

お父様は、「ああ、私がキリスト教を通して
信じていた神様は栄光の神様、聖なる神様、
審判の神様としてしか知らなかったのに、
神様にこうして近くで接してみると、
神様はあまりにも可哀想で、あまりにも
苦しみを受けられる方なのだ。」と感じられたそうです。

そして道を行かれても、可哀想な乞食のおじいさんに会うと、
この方の姿がまさに可哀想な神様の姿なのだ
と感じられては、涙を多く流されたそうです。

それで、「神様、本当にいらっしゃいますか?
神様が本当にいらっしゃるのでしたら、
私は神様の懐の深い所まで
行くことができなければ何もできません。

本当に神様がいらっしゃるのでしたら、
私と一緒に寝転んで、私がいつでも実感できるように、
ただ私のそばに生きておられる神様として
いらしてくださらなければなりません。」と祈られたそうです。


そして、「神様、天の法度は何ですか?」
とお伺いしてみたそうです。
お父様が神様に伺った初めての質問が、「天理法道」でした。

それは何かと言うと、
「宇宙の根本は果たして何であり、
神様と人間の本然の関係は何ですか?」と言う質問なのです。

それで神様の答えが、
「神なる私は人間の父母であり、おまえたち人間は私の子である。
私とおまえたちの関係は父母と子の関係である。」
とおっしゃったそうです。

そして、「全ての関係の中で、
父子の関係ほど根本的な関係は無い。
この父子の関係を通して、全ての関係が成されるのである。

しかし、悲しいのは、私が一度もおまえたち人間の前で
親らしいことができなかったことだ。

私の子を、怨讐が全て奪って行った。
私は今も私の愛する子を探して、泣きながら、
さ迷っている。」とおっしゃったそうです。


お父様は、神様が最高に苦痛の場所、最高に寂しい場所に
いらっしゃると言うことを切々と実感され、
「父母であられる神様の苦痛と根を先ず解いて差し上げなければ、
人間の苦痛と恨は終わることが無いんだ。」と悟られてからは、
遂に「そうですか? それでは私がやってみます!」
と申し上げられたそうです。

神様は、「そうか、おまえがやってくれなければ。
おまえは朝鮮人の苦痛を悲しんでいるが、
この世界には苦しみを受けている民族がいくらでもいる。

おまえがこの世界の全ての民族を救い、
私に返してくれるよう願っている。」と頼まれたそうです。
お父様が神様とイエス様の頼みを受け入れられたのです。


お父様は今まで、いかにして
ひどい苦痛を耐え忍んで来られたのか?
血を吐くような、再び立ち上がることのできないような所でも、
すっと立ち上がられ、み旨の道を行くことができたのか?

お父様は、「人類は今まで、神様が
語ることのできないほどの苦痛を経験しておられる、
可哀想な神様であることを知らずにいる。

私は先ず、神様の苦痛と恨を解いて差し上げなければならない。
私が神様の苦痛と恨を解いて差し上げなければ、
誰が解いて差し上げるのか?

神様の苦痛 と恨を解いて差し上げなければ、
人類の苦痛と恨を解くことはできない。」
と言う事実がわかったからだとおっしゃいました。

人類は今まで、「栄光の神様」としてのみ理解していたのに、
歴史上、初めてお父様が、「可哀想な神様」で
あられることを明らかにされたのです。

史吉子/ 著「原理によるみ言の証」
第1章総序論


真のお父様とイエス様との出会い、
そして、神様との出会い、
私たち、統一食口においては、誰もが知っております。

お父様の原点、というか、この道を歩むにあたって、 
重要な出発点であると思います。

史吉子先生においては、針と糸の話から、
困難な道を出発された真のお父様の
決意と心情を感じさせていただきました。

お父様がこの出発の動機を変えずに、
生涯をかけてみ旨の道を歩まれたように、
私たちも、信仰の出発を不変なものとしながら、
天を証ししていく歩みを成していきたいと思います。



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posted by ten1ko2 at 09:25 | Comment(0) | お父様・お母様の路程 証し | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする