2017年06月21日

興南収監、それは魔術を使ったから?! 連行、公判そして実刑! 《金元弼先生の証言》



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70年前の平壌(ピョンヤン)で、
熱い信仰の集団を率いたお父様。
金元弼(ウォンピル)先生の証し、今日は
興南に送られるようになった経緯です。


(先生は「魔術をする人だ」という噂が流れ)
そのような投書が、共産党局までどんどん入るようになったのです。
約80通も入ったのです。

そのため先生は1年10ヵ月の平壌での牧会生活を終えて、
1948年2月22日、共産党に連行され、
刑務所に入るようになったのです。


先生が連行されると、担当刑事たちは、
先生が魔法を使うと思っているので、
調査をする途中にも先生がトイレに行かれれば、
魔法を使っていなくなるかと思い、
常に2人の刑事がトイレまでついて行ったのです。

また1人でおけば、いついなくなるか知れないので、
先生を7日間眠らせないで、
彼らは交替で眠りながら監視したのです。

ところが先生は目を開けて眠ることができるのですが、
彼らはそれを知らなかったのです。
彼らがどれほど偽りのうわさを信じて
先生に対したことでしょうか……。


先生は「社会の秩序を乱した」という罪名で
5年の実刑の言い渡しを受けました。

そのとき、判事が判決文を読んだのですが、
その内容の中には先生は『非常に無知な人たちに、
虚偽捏造して財産を奪った』とされていたのです。

その判事が判決文を全部読んでから、
「ここに改める言葉がないか」と先生に聞きました。

共産党統治下なので他の人たちは、
何としてでも気分を害することなく、
同情を求め刑が軽くなることを願って、
自分に過ぎた表現をしても黙っているか
「ありがとうございます」とか、「よろしくお願いします」
というのが通例ですが、先生は絶対にそのようにはされず、
「虚偽という言葉を除きなさい」と言われたのです。


彼らは先生に、電気はいかに作るのかという質問を始めました。
先生は電気発生の原理を説明されました。

彼らがその質問をしたのは、『見えない電気も人が作り出したのに、
なぜ存在しない神を存在するというのか』というやり方で、
自分たちの幹部に教育されていたからです。

先生が多くの教会指導者たちと共産党員たちが大勢傍聴する中で、
最初に公判の席に出られ大きく背伸びをし、
余裕をもって堂々と裁判を受けておられる姿に、
平壌教会で私の見ることのできなかった面を見て、
深く考えさせる所がありました。


先生が実刑の判決を受けたので刑務所に移ることになって、
法廷から出るときに先生は、片手に手錠が
はめられていましたので片手をあげて、
私たちに「私は今は行くが、再び帰って来るときまで
元気で頑張っていなさい」という希望の暗示を与え、
笑みを浮かべ頭を刈った姿で去って行かれるのを見送りました。

先生はそのような中においても、
真に希望に満ちておられたのです。

後で先生が話してくださったのですが、
刑務所に入られる前に「刑務所で待っている青年がいる」
という啓示を受けたというのです。


先生は5年の刑の言い渡しを受け、
既決囚たちの待合室で待っていたのですが、
そこで先生に判決を下した判事に会いました。

その人が知らん顔をして通り過ぎようとすると先生は、
「私を知らないのですか」と声をかけると、
「ああそうだったんですね」と言ったそうです。

彼が言うには、「過去のことに対しては人間的に皆許してください。
上の指令によって、そうするしかなかったので理解してください」
ということでした。

そして彼は食べ物を差し入れて立って行ったそうです。
そういうことを見ても先生は、
罪無き罪人となったことを知ることができます。



心ない噂から
無実の罪で、実刑の判決を受け
ひどい扱いを受けられたお父様。

証しを読みながら、改めて、
お父様が興南に入られたのは、
条件がなかったからだと感じます。

人間の責任分担を果たせなかったのに、
全てを受け止めて甘受していかれた真のお父様。。

本郷苑で眠っているお父様は、
そのような思いをもって、私達を見つめておられます。
少しでも責任を果たす者になっていきたいです。

続きます。




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2017年06月20日

平壌の熱い日々! 「淫乱の教会」と誤解された理由(ワケ) 《金元弼先生の証言》



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金元弼先生の証し、続編です。

70年前、平壌で「泣く教会」と言われた時代。
熱い信仰がみなぎっていました。
26歳の情熱あふれるお父様。

そんなお父様が興南に行かざるをえなかった
その前触れのようなものがすでに始まっていました。


先生に従う人たちは、大部分が熱心に信仰生活をしていた霊的な人たちや、
以前既成教会の財政を支えていた人たちでしたので、
既成教会の牧師たちが迫害をして来たのです。

牧師たちは「青年が来て神学をするというので、
彼がどれくらい知っているのか」
と信者たちを連れて先生を訪ねて来ました。

その頃の平壌には、立派に神学を勉強した牧師たちが大勢いました。
先生はそのような牧師たちが訪ねて来れば、
彼らが何を質問しようとしているのかを知っているばかりか、
彼自身のことについてとか、またその牧師のみが知っている
事実についても既に知っておられました。

彼らが知りたかったことを先に語ってあげると
「ありがとうこざいます」と言って帰って行ったのです。


その頃、不思議なことには、教会に来るようになってからは、
とても仲のよかった夫婦が、夜近づくのがいやになってきたというのです。
それは若い人ばかりではなく、年輩の人たちも同じであったというのです。

二人が一緒に教会に出れば、自然に相談して
静かになることができるのですが、
どちらか一方だけが教会に出るので問題となったのです。

教会に出る前よりも教会に出てからの方が、
より精誠を尽くしてくれるのですが、
夜は聖別生活を願ったので問題となったのです。

以前は遅く帰って来ても特別なことはなかったのですが、
私たちの教会に出るようになってからは、
遅く帰って来ると疑いをもって問題視するようになったのです。


私は叔母に伝道されました。
叔父と叔母は夫婦伸が非常に良かったのですが、
叔母が教会に入ってからは夫婦生活を拒むので、
教会に入っていなかった叔父は、
「先生が美男子だから自分から心が離れてしまった」
と思い、叔母を疑ったのでした。

60歳の老人たちでさえもそのように思ったというのです。
それで私たちの教会は『淫乱の集団である』
という話が出るようになったのです。

また先生は「魔術をする人だ」という噂が出たのです。
一般の教会で一生懸命やっていた信者が、
先生の話を聞いてからは牧師の言うことを聞かなくなって、
教会を切ってしまい、すぐ私たちの教会に来るようになったからです。



夫婦が一つになって教会に来れば何の問題もないのに、
そうではない場合、表面的に見れば、
誤解が生じてしまうのは、わからないわけではありません。

私自身もそうですが、親に何度も、
「自分の目で確かめたらいい」と言っても、
反対牧師の言いなりになって、
一度も教会に来ることはありませんでした。

今もそうです。
前線をしていても、「名前が変わっただけだろう」
「狂った集団だ」
と言い放っていく人もいます。
うわさだけ聞いて、自分の目で確かめもせず、
残念極まりないですね。。。

「淫乱の集団」というレッテルを張られても
お父様は変わらずに突き進みました。

今も、お母様に批判する人は多いですが、
それでもお母様は突き進んでおられます。




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2017年06月17日

70年前の出会い!! お父様のみ言に火を受けました! 《金元弼先生の証言》



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李ヨハネ先生よりも早く、
北朝鮮からお父様に従った方がいます。
それが金元弼先生です。

金元弼先生の証しは、
何度も紹介していますが、
「私の証言」と題した証しを紹介します。

金元弼先生のお父様の初期の証しは、
ご存知の方も多いと思いますし、
ブログでも重複しているところがあると思いますが、
改めて読み直して、お父様の歩みを知ることが
今の私たちの歩むべき道に通じると思いましたので、
ここに掲載させていただきます。


私が平壌で、初めて先生にお会いしたのは1946年7月です。
先生はそのとき27歳でした。

聖進様が生まれて2ヵ月が過ぎ、
先生は食物を得るために田舎に行かれたのですが、
その途中で「北韓に行ってみ言を伝えなさい」という神の指示を受け、
すぐその場からそれに従って困難に耐えながら38度線を越えて、
1946年6月6日に平壌に来られたのです。

そして1ヵ月後、先生は平壌にある
聖山という山に登られた後に、私と会ったのです。
聖山は平壌の多くの心霊的な人たちが登り、祈りを捧げる山なのです。


そのとき先生が集会を開いた所は、2組の夫婦が住んでいる家でした。
その方たちは、以前から霊的恵みの多い生活をしながら
信仰の道を求めて来た人たちでした。
先生はそういう家を探していたのです。

そのとき、韓国は第二次世界大戦を中心として、
日本人がキリスト教信者たちに東方要拝を強制したので、
大部分の人たちは戦争が終わるまで教会を離れて、
家庭で祈りの生活をしていました。

先生も聖書をどれくらい読まれたことでしょうか。
旧約の創世記から新約の黙示録に至るまで、
線が引かれていないところがないくらい、黒く書かれてありました。


多くの人たちは山や家庭で長い年月をかけて繰り返し祈っているうちに、
霊界から多くの啓示を受けました。
その啓示の内容は、今まで彼らが
教会の牧師から教えられた内容とは全く異なるものでした。

今までのイエス様の十字架は、人間を救援するための十字架で、
イエス様は十字架で亡くなるために来られたと、
牧師たちに教えられたのですが、啓示では
イエス様が十字架で亡くなるために来られたのではない、と教わったのです。

また、人間の罪悪の根本に対することもみな異なっていました。
そしてその人たちは、私たちの原理の内容を部分的に啓示で教わったのです。


神様が直接教えてくださるのであればすっきりするのですが、
啓示と牧師の内容とでは丸っきり反対なので、
どうしてよいか分からなくなってしまったのです。

牧師にもう一度尋ねてみても、牧師たちはひたすら
「それは誤ったことです。それは神様が教えてくださったのではなく、
雑霊が教えてくれたのですから注意しなさい」と言うのでした。

それで家に帰って再び神様の前に祈ると、
神様は「牧師たちが誤っている」というのです。


彼らは一人では聖書の解釈ができないために、
新しい指導者を捜し求めるようになったのです。
そのようなときに先生が北韓に来られたのです。

「真理と心霊で礼拝する南韓から来られた若い先生がいる」
という噂は、たちまちのうちに広がりました。
そして多くの人たちが先生のところに集まるようになりました。

特に多くの霊的体験と啓示を受けて来た方たちは、
封建社会の厳しい環境の中で育った夫人たちでしたし、
生命をかけて真理を追究するために、
家庭からの迫害などは既に卒業した人たちでした。ヽ


私が先生に初めてお会いしたとき、
先生は新約聖書のロマ書を2週間教えてくださいました。

そのときは7月で暑い夏でしたが、
狭い教会に多くの人たちがいっぱい集まって、み言を聞いていました。

先生の若いときの情熱はすこぶるばかりで、
講義が終わった後などは、韓国服は汗で絞るほど水が出たりしました。
夏だからというわけではなく、冬でも綿入りの韓国服から汗が絞るほど出ました。


先生はみ言を語り始めると、食口か用事があって立ち上がらない限り、
いつまでも語り続けられるのです。

また、先生がお話しされるときには、入神する人、
予言する人、異言をする人、その異言を通訳する人もいました。

そしてときには、スパイに来た人が異なる心をもって座ると、
霊通した人が目を閉じたまま、だれにも気づかれないように、
人の間を通って行ってその人の背中を打つのです。
そうするとその人は悔い改めながら慟哭するのです。

そのような雰囲気の中で、食口の大部分は火を受けるようになり、
ある人は肩から火が入って来るのを感じ、
また胸から火が入って来るのを感じたりして、
熱いながらも平和を感じたりしたのです。



真理と心霊(神霊)で礼拝をされたお父様。
私たちも足りないながらに、真理と心霊に触れて、
この道に来た者たちです。

これからも神様に導かれる歩みをしていくべく、
謙虚な心情をもって、
本心に働く神様の声を尋ね求めて、
歩んでいきたいと思います。

続きます。




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