2020年06月02日

(証し)日本の歴史を変えた40修! *久保木会長の感想文掲載* 



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40日修練会後の野外祈祷会で
1963.1
☆ブログ11年目に突入しました☆

統一教会(現:家庭連合)
初代会長の久保木先生が
教会に入教された時の証しです。

日本統一運動史 49
日本に真の御父母様を迎える準備時代㉟
久保木修己氏、入教(1962.8)

1962年8月に、立正佼成会の会長秘書である
久保木修己氏が初めて馬橋の教会の聖日礼拝に参加しました。

「一人の先生が入ってこられ、説教が始まりました。
六人しかいないのに何万人にも向かって語るように、
ありったけの声を出して話すのです。
そして、重要なところになると、ドンドンと机をたたくのです。

これほどまでに真剣に訴えるとは、一体何があるんだ、
どこからその力強さが出てくるんだ?

こう考えたときに、そのときの説教の内容は
あまり分かりませんでしたが、その人の信念に強く心打たれたのです。

そして、私の心を占めていったのは、
いつかこの青年たちの所に来なければならないという思いでした。」
(1973. 4. 7)



そして崔奉春宣教師と庭野日敬立正佼成会会長が
会談を持ったのは、1962年9月7日でした。

「その後、私は何度か統一原理を聞くことになりました。
その内容を私は逐一庭野会長に…ご報告すると、
…そのすばらしさを認めて頷いて下さいました。

…私が統一教会の青年たちに接してみて、驚いたのは、
彼らは目先のことに関心がありませんでした。
食べること、着ること、住むことに無関心です。

かといって、従来の宗教のように現世利益を否定して、
ひたすら来世での幸福を求めて、
修道の生活に甘んじているわけでもありません。

彼らは数こそ少ないのですが、
若くて、健康で、かつ情熱的でした。

彼らの目は輝き、口から出る言葉は、日本とか世界のことばかりです。
目先の利益と
日本や世界あるいは将来の利益を求める違いをまざまざと感じました。

佼成会に集っていた病気で苦しむ青年の多くと比べて、
私は佼成会の御利益宗教的な現実を認めないわけにはいかなくなりました。



会長への報告を通して、私は庭野会長の偉大さを改めて知らされました。
…こだわりがありませんでした。
いいものはいい。
純真で思いが一途なのです。

…佼成会のほかにいいものがあれば、
それから学ぼうという姿勢が自然に取れるような方だったのです。
私はそんな会長をかねがね大変尊敬していました。…



統一教会に通い始めて少したったころ、
…西川先生を庭野会長に紹介した後、
…西川先生は、

『…薮から棒で恐縮ですが、
…将来性のある若者を40日間、私に預けてください。
私のところで修行を積ませ、40日後に立派な青年にして、
会長先生の所にお返しいたします』。

…西川先生の申し出にも仰天しましたが、
庭野会長の答えはそれ以上に私を驚かせました。
会長は、しばらく考えていました。…

『それは面白い話だ。
では、早速人選をして、あなたの希望通り、
あなたに預けますから、よろしく』。

この一瞬は歴史的な瞬間でした。
日本における統一教会の基礎が、
この時点で形成されることになったと言っても
決して言い過ぎではありません。」


(久保木修己著『愛天 愛国 愛人』より)


その後、1962年12月10日から1963年1月20日まで
40日修練会が開かれました。

最後には1月21日から22日まで、
神奈川県の七沢に行き、祈祷会を持ちました。


◇久保木修己氏の40日修練会の感想

「…それからの四十日間は、またたく間、
西川先生の愛と真に満ちたご薫陶と、
兄弟姉妹たちの素晴らしい兄弟愛に育まれて、
罪悪に満ちた私が、かつて味わったことのない
法悦感に浸りながら人格完成への道を
ただまっしぐらに進んでいったのでした。

驚くべき原理講義、正しく驚くべき原理講義でした。
時間のたつのも忘れて聞き入った数日間、
終わったとき本当に身の震えが止まらないほどの感激でした。

かつて考えたこともない天の父の真情、
罪悪の根源、終末の原理、そして創造原理の素晴らしさ、
その一つ一つが心の琴線に強く強く響きわたり
不思議なほどの力が湧いて来ることをどうしようもありませんでした。

しかしそれにも優るとも劣らないほどの驚きは、
西川先生をはじめとする兄弟たちの祈りに明け、
祈りに暮れる、その日々の行動でした。

常に愛なる父の真情を己の心として、
そこからすべての言動が表れる、
すなわち自己中心ではなく本当に神を中心とした身の律し方、
その生活態度について心から感服させられました。

これこそ己の心の底で求めていた生活であると確信し、
人類全体もまたそれぞれ心の底で待ち望んでいるのは、
実はこのことなんだと思わずにはいられない気持ちだったのです。

嬉しかった! 本当に嬉しかった。

創造本然の位置と状態がはっきりと分かり、
また現在の自己を深く認識することができ、
さらに未来のビジョンがはっきりと明示されたとき、
長い間待ち望んでいた命の泉にめぐり合い、
乾ける喉を一息に潤すように飲み尽くして私は復活したのです。

多くの人に先駆けて二百万の信者に先駆けて与えられた喜び、
筆舌につくしがたいこの思いは、すなわち
天の父の喜びであり兄弟姉妹たちの喜びであることを考えると、
あらゆるものに感謝の念が、あらゆるものに慈しみの情が
心の底から湧いてくるのをとどめようがありませんでした。

素晴らしかった四十日、一生に記念されるべき四十日。」

(『成約新聞』第33号、1963.3.15付より)

歴史編纂委員会・編著
(光言社・刊『日本統一運動史〜
文鮮明先生御夫妻と日本の統一教会および統一運動の歩み』)
第三章 日本に真の御父母様を迎える準備時代㉟
三、草創期を築いた人々の歩み
(3)最初の主要都市開拓伝道以後の歩みと入教者の証し(1961.6〜)
19. 久保木修己氏、入教(1962.8)

Blessed Lifeより


少し別の話になりますが、
立正佼成会の信仰をもった若き青年たちが、
数多く入教しましたが、
本来ならばさらに一つになる道もあった、
そのように聞いたことがあります。

韓国の梨花女子大事件においても、
お父様は「教会に来ないで学校にいるように」
学生たちを留めておくように言われました。

しかし、教会に行きたくてたまらない女学生たちは、
学校そっちのけで、教会に行くようになり、
それが一つのきっかけともなり、
学校側が異端視するようになったのでした。

久保木会長が当時の統一教会(現:家庭連合)に入教されたことは、
日本家庭連合の発展にとって、
とても大きな出来事の一つでした。

写真は、神奈川県の大山において、
40日修錬会の講師であった周藤先生と
野外祈祷会をされた時のものです。
この時、霊的にモーセが現れて
天からの啓示を受けた、というのは、
有名なエピソードになっています。

霊界においても、お父様の側近として、
最前線で歩まれているに違いない、と思うのです。





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 『日本統一運動史〜文鮮明先生御夫妻と
  日本の統一教会および統一運動の歩み』


  創立40周の際に発刊されたこの書籍は、
  日本における文鮮明・韓鶴子総裁夫妻の貴重な歴史的足跡と、
  多岐にわたる統一運動の歴史をまとめた一冊です。

  今、改めて読んでおきたい、日本の統一運動の歴史を振り返る連載です。

Blessed Lifeより


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2020年02月20日

草創期の教会がなぜ反対され、またなぜ発展したのか (お弁当のみ言)



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先日の日曜礼拝で、
教会長が選んでくださった
真の父母経のみ言に、
とても胸を打たれました。

み言を紹介させていただくとともに、
教会長が語られた内容を参考にして、
み言の感想を書かせていただきます。


韓国で開拓地に行って伝道した当時は、
一日働いた稼ぎで一日暮らすのが大変でした。
一日働いた稼ぎで、一食食べて暮らすのが
大変な時だったのです。
若い人たちが道を歩きながら、
足がもつれることがいくらでもありました。

伝道師たちがある町に開拓に行ったのですが、
食べる物がないとき、その町で働こうとすれば、
町にうわさが立って迫害がひどくなりかねないので
仕方なく十里以上離れた所に行って
働いた人たちがたくさんいます。

伝道師たちが本部からお金を持っていって
伝道したのではなく、そのような事情の中で
開拓伝道をしたのです。

それでも、絶対に食口たちに
自分の事情を話しませんでした。
ですから、食口たちは分かりません。
六ケ月たち、一年たってからそれを知っては、
痛哭するのです。

そうして、指導者に弁当を持ってきて
食べさせてあげる運動が起きました。
ですから、その御飯を食べなければならない
指導者の心はどれほど悲惨でしょうか。
また、弁当をくれたその学生が、学校に行って
昼食を抜くことを考えざるを得ないのです。

このような中で、互いにそれを克服しながら、
「私たちは死んでもみ旨を成し遂げよう」と言って、
心情的な連帯感に浸っていたのです。


統一教会に入る前までは、誰よりも良い弁当を持って
通っていた学生が、統一教会に入ってからは、
弁当を持たずに来て、昼食の時間は一人で校庭に
こっそり隠れていて、また教室に戻ってくるのです。
それが友達に見つかりもしました。
自分の親に知られたら大変なことになるのです。

一度や二度ではなく、ずっとそのようなことを
しているので、友達が彼の母親のところに行って、
「息子さんは、
以前は弁当をきちんと持ってきていたのに、
最近、統一教会に入ってからは持ってきません。
なぜ、お母さんなのに、
昼食も用意してあげないのですか」
と話す出来事が起きたのです。

それで、その母親が息子に、
「お前、学校で弁当を食べていないそうじゃないか。
どうなっているんだい」と問い詰めれば、
事実を話さざるを得ません。

親たちがこの事実を知るようになると、
ますます強く反対します。
そのようなことが全国的に頻発しました。

その上、全国のキリスト教徒たちは、
「神様の羊を奪っていくおおかみの群れが入ってくる」
と言いながら反対しました。
そのような環境で、彼らを指導していたお父様の心は、
いかばかりだったでしょうか。



改めて訓読しても胸が詰まります。。。
お弁当をもらって食べた宣教師の心は、
どれだけ感謝でならなかったでしょうか。。。

また、申し訳ない思いをもちながらも、
食べなければ、み旨を歩むことができないので、
勝利することを決意したでしょう。

そして、学生たちは、喜んでお弁当を捧げたに違いありません。
しかし、傍から見れば、弁当を取り上げる統一教会は、
異様な集団だ、と思われたわけです。

真の父母様を中心とした摂理は、
本来は国家的な立場でするような内容です。
今でさえ、ワールドサミットなど、
本当に大きな大会をすることができるようになりましたが、
草創期には、このような状態で
活動するしかなかったのです。

お父様はどれほど無念だったか・・・
しかし、それを忍耐してこられたからこそ、
今の勝利圏につながっているのだと思います。
そして、背後で見ておられる神様がおられ
その神様が、統一教会を守ってくださったということを
忘れてはならないと思うのです。





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2019年09月03日

人に会うことは、神様に会うこと! お父様作詞「統一勇士の歌」、誕生秘話



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♪心情のゆかりで 世界は生き
一つに結ばる 本然(もと)の縁



先日、礼拝で讃美した、
聖歌7番、「統一勇士の歌」
歌いながら、過去のことを思い出しました。

この曲は、私の好きな聖歌の一つですので、
天野照枝先生著「聖歌のゆかり」を参考にして、
歌のエピソードを記したいと思います。


「統一勇士の歌」は、一九六二年、文鮮明先生が作詞されました。

曲は韓国の大邱(テグ)という町の市民歌曲からとったそうです。
この歌のいきさつを、朴正敏(パクチョンミン)さんという
婦人伝道師は次のように語っています。

「伝道報告会で集まったとき、文先生が
『釜山(プサン)のうぐいす!』とお呼びになり、
何かうたうように言われました。
私は、昔開拓した大邱の市民歌曲が大好きだったので、
それをうたいました。

大邱は教育が盛んで、熱心なクリスチャンが多い町です。
その歌は市街を囲む自然の美しさと、
心の誇りをうたった愛郷歌で、苦しいとき、
いつもそれをうたっては勇気を出して開拓伝道をしたものです。

先生は大層気に入られ、幾度も私にうたわせられました。

数か月後、そのメロディーに、
先生は希望と激励に満ちた詩をつけられ、
皆に教えてくださったのです」


朴正敏さんを訪ねた時
「おお、何と大切な人でしょう!」
とまるで母が幼子に会ったように、
温かい力で私を抱きしめてくださいました。

「日本の兄弟姉妹は天の宝です。
神様がどんなにか、胸あふれるほど
愛していらっしゃることでしょう。
そのことを思うといつも泣かずにはいられません」
と、それは心の深いところから
溢れてくるような声でした。

たった一人に会ったときでも、
日本の兄弟すべてに会ったような、
神様の親の心情を持って迎えてくださる・・・
その姿に私は神様に会ったような
感覚を覚えました。

同行してくださった李ヨハネ先生が、
「人に会うのは神に会うのですね」
としみじみおっしゃった言葉も忘れられません。

信仰が実らせる見事な情感。
人と人との間に常に神様がおられる。
その霊的雰囲気がさりげなく、
呼吸する大気のように満ちていた清冽(せいれつ)な印象を、
この歌を歌うたびに思い起こします。



真のお父様は1962年、42歳(数え)のときに
聖歌7番「統一勇士の歌」を作られました。

私が学生部に入教していた頃、
当時の学生隊長がこの歌が大好きで
伝道出発式のとき、歌詞の意味を解説されながら、
何度も何度も歌ったことが思い起こされます。

真のお父様が1965年ご来日のときに、
本部教会で、解説されたみ言がありました。



『統一勇士の歌』の一節は心情と、二節は人格と、
三節は真理と、四節はその理想となっておりますね。
心情、それから人格、それから真理、
それから我々の理想。

だからその理想世界に入るには
心情を持たなければならない。
そして人格を完成しなきゃならない。
そうして真理ですよ。
そういうことになる。

この統一勇士の歌は
先生が三年前(1962年)に作った歌ですね。


1965年1月30日 本部教会(東京都渋谷区南平台)でのみ言より



真のお父様が作詞された歌詞の、日本語訳を紹介して終わります。
(日本語の聖歌の歌詞とは違います)

一、心情の因縁で世界は生き
  一つに結んでくださった本性の因縁
  永遠に与え受ける私たちの本郷
  幸福の礎の上にとこしえに生きよう
  私たちは誇らしい統一の勇士
  力強く情を合わせて勇進しよう

二、無限の人格で光を放つ
  造られた万物の栄光の燈台
  生命がほとばしる本然の姿
  所望の価値として花咲かそう
  私たちは誇らしい統一の勇士
  力強くみ旨を立てて勇進しよう

三、秩序の基の上に真を立て
  永遠を約束する不変の価値
  高らかに立てられる真理の標柱
  希望に満ちた善なる日を飾ろう
  私たちは誇らしい統一の勇士
  力強く叫びながら勇進しよう

四、東方に明けて来る輝かしい文化
  全世界がその光の中で兄弟となり
  願われた善の父母をとこしえに慕い求め
  必ずや成し遂げよう一つの世界
  私たちは誇らしい統一の勇士
  力強くその世界に勇進しよう






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