2020年10月27日

1973年の日本へのみ言とお手紙 「軍隊」・10日に一度は〇〇をしなさい 《小山田先生》



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小山田秀生先生の自叙伝より、
『日本の行くべき道とは、〜10日に一度ずつ、
親、兄弟に手紙を出しなさい〜』の一部抜粋です。


(1973年)7月8日、旧松濤本部でお父様は
「一心不乱 一生懸命」と題してみ言を語られています。

日本は国難を乗り越えるために岐路に立たされていると指摘されながら、
5万人の核心要員と50万人の賛同会員の、
数的な伝道基盤の必要性を強調なさいました。

お父様はそのみ言の中で、日露戦争で活躍した
乃木希典・旧陸軍大将の話をよくされました。

乃木大将は、ロシアとの激しい戦闘の中で
2人の息子を失いながらも、後退することなく、
数多くの日本の青年たちに攻撃命令を下し、
国のために死を覚悟して突き進んでいった愛国者です。


お父様は、日本が直面する危機に言及されながら、
次のように語られました。


「世界的に恐ろしい軍隊があるとしたら、
恐ろしいほど訓練された軍隊です。
素晴らしい軍隊があるとしたら、
素晴らしいほど訓練された軍隊です。
それ以外にありません。

…訓練が必要です。
でたらめな訓練ではありません。
計画的であり、科学的であり、理論的であり、
実践的な計画の訓練が必要です」



そして、

「10日に一度ずつ自分の親、兄弟に手紙を出しなさい。
 君たちが社会に向けて活動する3分の1の
 努力があったら、氏族復帰は可能です。

 天国づくりは氏族基台を中心として、
 それから社会につながる12弟子と72門徒です。
 それがなければ、社会を率いることはできません」


と、氏族伝道について強調されています。


1973年3月13日、お父様はアメリカから
日本の食口たちに励ましの手紙を下さいました。


「皆様! 強く正しく、また、雄々しく励んでください。
 …数千年間に無き一時たる今の二年は、
 我らはもちろん、人類の運命が掛かっています。
 各自が責任分担を果たすように願います…」



このように日本における伝道の推進を期待し、
励ましてくださいました。

小山田先生の自叙伝
真の父母様の御跡を慕って 7

乃木大将についてのみ言
「日本の行くべき道とは、〜10日に一度ずつ、
親、兄弟に手紙を出しなさい〜」


私は献身する前、勤労青年として、
証券会社の営業マンをした時期がありますが、
ちょうど支店の目の前に乃木邸がありました。

乃木神社や、乃木邸を独りで巡り、
よくお祈りしていました。

この邸宅で明治天皇が崩御された時、
ご夫婦で自害されたのでした。

「お国のため、天皇陛下のため」
そんな崇高な精神を持っていた乃木大将。
私たちも学ぶべきところが多いでしょう。

また、お父様の「軍隊」に関するみ言、
10日に一度、親に手紙を書くように語られたみ言、
どちらも胸に刻むべきみ言ですね。




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2020年10月03日

日本語版の原理講論ができた日! 恩讐・日本を愛するため、原理を忘れた劉孝元先生?!



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この原理講論は、早く出して、
みんな一生懸命勉強するように
しなくちゃなりません。

劉孝元先生



昨日、10月2日は、日本家庭連合(旧統一教会)の
61周年となる創立記念日でした。

また、8年後の同じ日が、日本語の「原理講論」が
発刊された記念日だといいます。

それにまつわる2つの証しです。


『原理講論』を日本語に翻訳する経緯については、
野村健二先生は次のように記しています。

「劉孝元先生じきじきの指導のもと、
原理講論の翻訳が開始されたのが、
1967年7月2日。

奇しくも3ヵ月目の10月2日、統一教会創立記念日に、
紙の香りも真新しい600余頁(ページ)の汗の結晶が、
父のみもとにささげられる運びとなった。

われわれは、たかだか汗を流しただけであったが、これが著されるまで、
どれだけ多くの血と涙が費やされたかということを考えると、
ただ感無量である。

最初の3週間ばかりは、李貞玉先生と張泳暢先生の
大変な努力によって下訳された原稿に、めいめいが手分けして手を入れ、
それを劉先生と他のメンバーの前で読み上げ、誤り、
もしくは稚拙と思われる個所を指摘していただき、
さらに書き改めるという方法で原稿を整え、
最後に野村がそれらすべてに目を通して
加筆添削するというやり方で仕事を進めた。


その間、劉先生の真理に対する厳しさと、子供のような純真さ。
半身がほとんど動かないという肉体的な悪条件を、
ものともせずに闘ってこられたこの偉大な、
しかし、極めて親しみやすい人格と日夜触れえたことは、
本当にうれしいことであった。

『ここの個所が分かるまでにわたしは2年かかりました。
ここは半年かかりました』
と淡々として語られるのだが、それを聞いていると、
実にさりげなく書き下ろされているように見える。

しかし、ほんの五、六行の章句の陰に、どれだけ多くの血をしぼるような
苦しい思索があったかということが、しみじみと思わされるのである。

『この原理講論は、くれぐれも早く出して、
みんな一生懸命勉強するようにしなくちゃなりません。』
劉先生のあの懐かしいなまりが、今日も耳に響いてくるような気がする。」


201002ryu.jpg<


「成約週報」第141号
「原理講論事始め」
野村健二



小山田秀生先生は、1967年の「原理大修練会」について、
次のように語っています。

「1967年6月12日に、真の父母様と三人の子女様と
韓国の先生がた(10人)が来日されました。

『原理大修練会』では、真のお父様は劉孝元先生が講義する横におられて、
ポイントごとに解説されました。

真の父母様ご一行が、羽田空港に到着され、
タラップから降りられたときのことを今もよく覚えています。

真のお父様は孝進様を抱かれて、虎のように堂々としたお姿で
タラップを降りて来られました」


「続いて、杖をついて深刻な顔をして降りて来たのが、劉孝元先生でした。

ところで劉孝元先生は、総序から再臨論まで
『原理講論』を全部暗記して来られたのです。

劉孝元先生が日本に来るに当たっていちばん心配だったことは、
怨讐の中の怨讐である日本人に会ったときに、
日本人を赦す気持ちになれるかということでした。

劉孝元先生は、食口を見た瞬間、日本人が敵であることを忘れただけでなく、
暗記してきた『原理講論』も全部忘れてしまったと言われました。

そのため、『原理大修練会』では、『原理講論』を読みながら講義されたのです。
いわゆる訓読式原理講義でした」

(小山田秀生)

日本版原理講論発刊40周年


日本に初めて来られた時、
深刻な顔をして降りてこられた劉孝元先生。

日本語が流暢だったということは、
日本に対して、いろんな思いがあったことでしょう。

しかし、食口たちを見た瞬間、
日本人を敵だと思ったことを忘れてしまった、と言います。
とても感銘を受ける一文ですね。

日本に対する思いが転換された土台で
日本語の翻訳作業にも携われたことと思います。

お父様が、血と汗と涙を流して勝ち取られた真理のみ言、
その宝石のようなみ言をひとつひとつ集められ、
ネックレスのように、見事に束ねられた劉孝元先生。

「原理講論」として、体系化された背景に
このようなことがあったのだ、ということを
一日遅れではありますが、
創立記念日の出来事として、
心に刻み付けていきたいと思います。








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2020年08月31日

妻の証しに爆笑されたお父様・・1973年、熱い夏の思い出 《小山田先生の自叙伝》



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祝福家庭の証し会で小山田儀子夫人の
証しを聞かれる真のお父様
(1973年8月9日、東京・代々木公園)


小山田先生の自叙伝より、
1973年の証しです。

7月、8月、11月、3度のご来日があった
忘れられない年の記録です。

 
1973年7月18日午前10時、旧松濤本部で真の父母様が主礼となり、
文聖進(ムンソンヂン)様・金東淑(キㇺトンスㇰ)様の
御聖婚式が挙行されました。

そのあと、近くの代々木公園(渋谷区)で祝賀会が開かれました。

同年、代々木公園では、そのほかにも
真の父母様をお迎えして、集会が2回行われたのです。
7月21日には1500人の食口たちが参加しました。

 
この年2回目のご来日の際、8月9日に
代々木公園で祝福家庭の証し会が開かれました。

お父様は「儀子、証ししなさい」とおっしゃり、
妻が証しに立ったのですが、その中身は私に対する“悪口”でした。
お父様は爆笑なさりながら、それを聞かれたのです。

  
同年11月17日、この年3回目の来日をされた
真の父母様は一週間滞在し、
「完全投入」と題して、み言を語られました。

「日本人が世界のために生きようとすれば、
 過ぎ去った歴史を蕩減し、
 新しい伝統をつくらなければなりません。

 …日本がために生き、血と汗と涙を流しながら、
 真の基準に符合する実績をもつことが重要です。
 完全投入しなければなりません」


 
さらに第2回「科学の統一に関する国際会議」
(ICUS。1973年11月18〜21日、東京・帝国ホテル)が開催されました。

世界の学者約60人が参加し、
「現代科学と人間的価値」をテーマに
研究発表や討論が行われました。

その閉講式でお父様は、
「科学の目的は愛の実現」と題して、
科学の目的と道徳的価値について、み言を語られました。

「歴史の背後には絶対者の存在があります。
 もし人類がこの絶対者を認識するなら、
 科学の目的である、愛を中心とした
 幸福な道徳的世界が実現するでしょう」


科学技術を正しく主管するための
人間の主体性が失われている今日、
お父様がICUSを立てられた中心ポイントは、
神様を中心とする正しい価値観を科学的に確立するためです。

 
同年11月23日に帝国ホテルで
「日本統一教会壮婦の集い」が開催され、
約1000人の壮年婦人に対してみ言を語られました。

同日、真の父母様は旧松濤本部で
初めて岸信介元首相と会見し、
長時間にわたって意見交換をされています。

また12月19日には、
『統一思想要綱』の日本語版が出版されています。

『祝福家庭』91号(2018年 冬季号)
小山田秀生先生の自叙伝
「真の父母様の御跡を慕って」
日本の行くべき道とは
〜代々木公園での集会〜


儀子夫人の小山田先生に対する「悪口」。
ここでは触れていなくて、先生には申し訳ないのですが、
ちょっと残念な気がします。

「小山田先生が奥様の誕生日に、
プレゼントを渡したのですが、
気に入らなかったので、
その場で投げ捨ててしまった。。」
などという、有名な『逸話』もあります。

そのことかもしれませんし、
2年前の世界家庭に掲載されたものなので、機会があれば、
確認してお知らせしたいと思います。

最新のU-ONE NEWSでも
日本語でみ言を語られる
お父様の姿が映りました。
本当に懐かしいし、
生前のお父様の様子が思い起こされます。

お父様が三度も日本に来られた1973年。
後半、岸首相との会談の様子が紹介されていますが、
今回辞任されることとなった安倍首相は
孫に当たるということを考えると、
真のお父様聖和から7年間の期間が
意味があったと思わされます。

日本に限りない愛を投入されたお父様。
その愛により、私たちは生かされているし、
その心情はお母様にも受け継がれていることが
心から感謝でなりません。







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