2017年10月10日

韓国を死守した3年開拓伝道、婦人たちはどうして出発できたのか?! 《金元弼先生》



20160425_wh_img_01 (2).jpg


今回は、金元弼(ウォンピル)先生のみ言、
『目に見えないものを大切にする心』を紹介します。
今日は1回目、奥様である鄭達玉(テイ タルオク)先生の証しです。


本来、私の家内も一緒にここへ来る予定でしたが、
長い間眠らずに赴任のための準備をしていて、相当体をこわしたので、
同席できなかったことをお許しください。
家内は体が弱いのです。



3年間の開拓伝道

1970年、3年間の開拓があり、777家庭以上、
36家庭に至るまでの祝福家庭が参加しました。

そのころの36家庭、72家庭、124家庭では子供も生まれ、
その数が4、5人と増えていましたし、
777家庭は祝福されて間もない時でした。

そういう中で奥さんたちが全部動員されますから、
ご主人は子供たちの面倒を見ると同時に、
公的な仕事もしなければならない状況でした。
さらに、自分の奥さんが開拓で必要な食事代を月々、
送ってあげなければならないという事情でした。

ですから自分の親戚に子供を預けるか、
それができない人は孤児院に子供を預けなければならなかったのです。


文先生はこのようにいろいろな事情のある人を
全部動員するにはどうしたら良いかと、非常に考えられたようです。

そこで先生は、私の家内のことを考えられました。
当時家内は、体が弱いので病院に行ったり横になったりしていたのです。
ですから韓国の人たちは、家内は病気で寝ているから
どんなことがあっても出られないだろうと思っていました。

しかし先生は、36家庭の一番初めの者である家内に、
開拓に行くようお命じになりました。

先生は、家内に「開拓に出て死んだ場合はあなたの棺を造ってあげる」
とおっしゃり、開拓の先頭に立てられたのです。

先生がこういう覚悟で家内を出したので、
だれも「私は無理だ」と言う者がなく、
全体動員することができました。

家内は先生の願いにそって3年間、一日も休むことなくその位置を守り、
12名の霊の子女を立てて、勝利して帰ってきました。


このたびは寝られなかったので、きょうは食事もできずに寝ています。
家内が来られないので、私が代わって弁明の辞を述べた訳です。
これからはいつもお目にかかれることですからご了承ください。

1986年5月15日 ドイツ・フランクフルト本部教会
『目に見えないものを大切にする心』



祝福婦人の3年間開拓伝道、この精誠がなければ今日の私たちはない、
それほどに大切なものでした。

その当時、軍備を強めていた北朝鮮が韓国にいつ攻めてきてもおかしくない、
そんな危機的な状況だったといいます。
それが一番危惧されるのは、冬季に漢江が凍結した場合です。

開拓伝道に出た祝福婦人たちの精誠によって、
3年間、漢江が凍結することがなく、北朝鮮が攻めてこられなかった・・・
そのように聞いています。

その先頭を切ったのが、
金元弼先生の奥様だったということは、
今回、初めて知りました。

やはり、キリの先が重要なのだ、
一人の決意によって、
全てが動いていくのだな、
そのことを改めて感じました。

真の父母様が言われることは、
深い意味があるのだ、と今ならよくわかります。
いざという時は、私たちも信仰をもつ者として、
摂理に貢献していきたいと思いますし、
今与えられた使命・目標に対して死守していきたいと思うのです。

この講話の続きは、
明日以降にお伝えします。





にほんブログ村

良い記事だと思った方は、
応援のクリックをお願いします!
(なお、記事の冒頭の家庭連合のバナーもブログ村のものです
どちらからでも応援して頂けます)


※ このブログは、
あくまでも個人において、書いているものであり、
教会本部とは一切関係がありません。
過去においても、今後においても
全ての責任は私自身に帰属するものであります。

さらに、ブログの記事においては
曲解や悪用ととれる引用、
無断転載はお断りいたします。
(善なる目的で使用することに関しては
その限りではありません)

posted by ten1ko2 at 11:43 | Comment(0) | 草創期の証し(韓国・日本) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年10月03日

「今日、私はメシヤに会った!」 牧師の証言 「神が準備された教会」 《増田先生》3



19740507kibounohibansankai.jpg
希望の日晩餐会☆


昨日は、日本家庭連合の創立記念日でした。
証しを紹介している増田勝先生は、聖地「早稲田」を訪ねられたそうです。

3日目の今日は、
ある牧師についての証しを紹介します。


統一教会に対する牧師の一言

さて、私が統一教会に入教することを決めた、もう一つの重要な経緯がある。
当時通っていた教会の牧師に、統一教会に
本格的に籍を置くことを報告し、相談したのである。

そのとき、私から次のようなことを牧師に提案した。

「あなたは牧師として、私の永遠の生命に責任をお持ちです。
これから行く統一教会は、天国に行く道を示しているのかどうかを、
牧師として私のために確認していただけないてしょうか。
ついては、「原理解説」の勉強会(修練会)
が聞かれているので参加していただきたい」

この私の願いに対して、月曜日から土曜日までの6日間、
牧師は泊まり込みで「原理」を学んでくれた。
四十数年前の出来事であることを念頭において、理解していただきたい。


その時の修練会に参加した牧師の感想は、次のような言葉となって表現された。

「今日では、キリスト教という大木はすでに腐っている。
いつ切り倒されても仕方のない姿になっている。
もはや、切り倒されているのかもしれない。

だが、根は神ご自身である。
たとえ、立ち木は切り倒されても、その切り株に
ひこばえとして新しい芽を生えさせるために、
神は周到に準備をされたに違いない。

準備された教会が、統一教会ではないかと思う。
私の教会の皆が、時代の変化を理解しているとは限らない。
増田君、君は理解したのだから、信じる道を行きなさい。

君の教会はキリスト教の未来の教会に違いない。
私は信者に、具体的な責任があるので行くことはできない。
行けば教会員は散らされて、信仰を失うことになるだろう。
この者たちも、神の集めた羊である。この羊たちを牧会する」


その後、牧師はリタイアした。
後日、真のお父様をお迎えして帝国ホテルで聞かれた
「希望の日」晩餐会(1974年5月7日)に、その元牧師をお誘いした。
晩餐会に参加した帰り際、以下の感想を述べている。

「増田君。今日、私はメシヤに出会った」

率直で感動的であり、福音的な結語であった。




お父様の「希望の日晩餐会」で、
ある牧師が「メシヤに会った」という証しをしたことを
以前、聴いたことがありましたが、
増田先生が通っていたキリスト教会の
牧師様であったと初めて知りました。

実は昨日、ある方から、電話をいただきました。
なんと、この証しをされた当人、
増田先生からでした。

私が先生の証しを書いていることを
知人から伝え聞かれたそうで、
私と話したかったのことでした。

私自身も感銘をうけましたが、
先生は、この日(10/2)
お父様の早稲田の下宿先を訪ねることにしておられ、
「あなたも一緒に行きませんか?」
そんな嬉しい言葉もいただきました。


過去の慣習にとらわれず、
祈りを通じて、本心の声に耳を傾ける、
この方のように、
天が準備した方がおられるのだと思います。

「キリスト教という古木の切り株に
神が準備したひこばえ」
ひこばえ(蘖)というのは、
「樹木の切り株や根元から生えてくる若芽」
のことだそうです。
私たち家庭連合の真の価値を考えさせられます。




にほんブログ村

良い記事だと思った方は、
応援のクリックをお願いします!
(なお、記事の冒頭の家庭連合のバナーもブログ村のバナーとなっています
どちらからでも応援して頂けます)


※ このブログは、
あくまでも個人において、書いているものであり、
教会本部とは一切関係がありません。
過去においても、今後においても
全ての責任は私自身に帰属するものであります。

さらに、ブログの記事においては
曲解や悪用ととれる引用、
無断転載はお断りいたします。
(善なる目的で使用することに関しては
その限りではありません)




posted by ten1ko2 at 08:59 | Comment(0) | 草創期の証し(韓国・日本) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年10月02日

最初の礼拝は、なぜ金曜日だったのか?! 今日、創立記念日 《増田先生》2



19620531 shinookubo.jpg


日本家庭連合創立58周年、おめでとうございます。

さて、初めて日本で礼拝が行われたという
1959年10月2日は、実は金曜日だったといいます。
なぜ、日曜日ではなかったのか、増田先生が語られています。



創立記念日について

真のお父様が、1941年4月1日に日本留学のために来日され、帰国された
1913年10月以来、日本に神のみ旨を果たすことのできる拠点が無かった。

2000年のある日、40数年ぶりに
日本統一教会で最初の礼拝をささげられた「雄鶏舎」を再訪した。

その場所は、真のお父様が日本留学時代に下宿された三橋家から、
驚くことに徒歩5分の距離にあった。

西川勝先生は、真のお父様の下宿時代の事情を全く
何も知らずに最初の教会を定めた。

「雄鶏舎」の跡地の前通りは、真のお父様が日本留学時代に毎日のように
通われたであろうことは、容易に推察できる場所である。
その「雄鶏舎」のあった場所は、留学時代に
真のお父様の祈祷の中に記憶されていた空間でもあったことが分かる。

このように考えると、時も場所も、み旨が成就されるのは、
真の祈りの土台の上であることが理解できる。


日本統一教会の創立記念礼拝が行われたのは、1959年10月2日である。
創立記念日を調べると、10月2日は金曜日であり、
午後7時15分から30分間、わずか4人だけでの礼拝であった。

ここで疑問が残る。
後々のことも考えたであろう創立記念礼拝を、
なぜ2日後の10月4日の日曜日にしなかったのか。
また、記憶しやすいと思われる10月1日ではなかったのかということである。

2003年10月下旬のある日、西川先生と二十数年ぶりに日本で再会した。
その時、「雄鶏舎」で挙行された「最初の礼拝」(日本統一教会の創立記念礼拝)
について尋ねる機会に恵まれた。

そのとき、西川先生は多くは語ってくださらなかったが、私の心を刺した言葉がある。

それは、「10月2日(金)に創立したのは、
月も日も時刻も、自分の自由にはならなかったからである」
と語られたことである。

礼拝に参加した数人のかたたちの事情に合わせるより、ほかに方法がなかったという。
西川先生の気質を誰よりもよく知っている私には、
涙なくしては聞くことのできない言葉であった。



上の写真は、最初の礼拝のものではありません。
場所も「雄鶏舎」ではなく、新大久保です。

その時の写真は、残っていませんし、
食口の事情に合わせて、金曜日になったとのことですが、
それでも、日本統一教会史上、最初の礼拝が行われたということは、
天の父母様の記憶に残るものであるはずです。

どれほど神と父母が喜ばれたことだろうかと思います。
もしかして、それは西川先生の思いを越えた
天の計らいがあったりするかもしれません。

さらに、礼拝を捧げられた場所が、
早稲田の地、お父様が下宿しておられた地、
そのことを西川先生はご存知なかったというのですから、
天の摂理は奧妙であると言わざるを得ません。

この10月2日という日は、日本の家庭連合史においては、
とても貴重な日となりました。

今日は、松濤本部で、記念式典が開催され
功労者の表彰などがされているとのことです。
改めて、心からお祝い申し上げます。




にほんブログ村

良い記事だと思った方は、
応援のクリックをお願いします!
(なお、記事の冒頭の家庭連合のバナーもブログ村のバナーとなっています
どちらからでも応援して頂けます)


※ このブログは、
あくまでも個人において、書いているものであり、
教会本部とは一切関係がありません。
過去においても、今後においても
全ての責任は私自身に帰属するものであります。

さらに、ブログの記事においては
曲解や悪用ととれる引用、
無断転載はお断りいたします。
(善なる目的で使用することに関しては
その限りではありません)

posted by ten1ko2 at 10:33 | Comment(0) | 草創期の証し(韓国・日本) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする