2020年08月31日

妻の証しに爆笑されたお父様・・1973年、熱い夏の思い出 《小山田先生の自叙伝》



19730809.jpg
祝福家庭の証し会で小山田儀子夫人の
証しを聞かれる真のお父様
(1973年8月9日、東京・代々木公園)


小山田先生の自叙伝より、
1973年の証しです。

7月、8月、11月、3度のご来日があった
忘れられない年の記録です。

 
1973年7月18日午前10時、旧松濤本部で真の父母様が主礼となり、
文聖進(ムンソンヂン)様・金東淑(キㇺトンスㇰ)様の
御聖婚式が挙行されました。

そのあと、近くの代々木公園(渋谷区)で祝賀会が開かれました。

同年、代々木公園では、そのほかにも
真の父母様をお迎えして、集会が2回行われたのです。
7月21日には1500人の食口たちが参加しました。

 
この年2回目のご来日の際、8月9日に
代々木公園で祝福家庭の証し会が開かれました。

お父様は「儀子、証ししなさい」とおっしゃり、
妻が証しに立ったのですが、その中身は私に対する“悪口”でした。
お父様は爆笑なさりながら、それを聞かれたのです。

  
同年11月17日、この年3回目の来日をされた
真の父母様は一週間滞在し、
「完全投入」と題して、み言を語られました。

「日本人が世界のために生きようとすれば、
 過ぎ去った歴史を蕩減し、
 新しい伝統をつくらなければなりません。

 …日本がために生き、血と汗と涙を流しながら、
 真の基準に符合する実績をもつことが重要です。
 完全投入しなければなりません」


 
さらに第2回「科学の統一に関する国際会議」
(ICUS。1973年11月18〜21日、東京・帝国ホテル)が開催されました。

世界の学者約60人が参加し、
「現代科学と人間的価値」をテーマに
研究発表や討論が行われました。

その閉講式でお父様は、
「科学の目的は愛の実現」と題して、
科学の目的と道徳的価値について、み言を語られました。

「歴史の背後には絶対者の存在があります。
 もし人類がこの絶対者を認識するなら、
 科学の目的である、愛を中心とした
 幸福な道徳的世界が実現するでしょう」


科学技術を正しく主管するための
人間の主体性が失われている今日、
お父様がICUSを立てられた中心ポイントは、
神様を中心とする正しい価値観を科学的に確立するためです。

 
同年11月23日に帝国ホテルで
「日本統一教会壮婦の集い」が開催され、
約1000人の壮年婦人に対してみ言を語られました。

同日、真の父母様は旧松濤本部で
初めて岸信介元首相と会見し、
長時間にわたって意見交換をされています。

また12月19日には、
『統一思想要綱』の日本語版が出版されています。

『祝福家庭』91号(2018年 冬季号)
小山田秀生先生の自叙伝
「真の父母様の御跡を慕って」
日本の行くべき道とは
〜代々木公園での集会〜


儀子夫人の小山田先生に対する「悪口」。
ここでは触れていなくて、先生には申し訳ないのですが、
ちょっと残念な気がします。

「小山田先生が奥様の誕生日に、
プレゼントを渡したのですが、
気に入らなかったので、
その場で投げ捨ててしまった。。」
などという、有名な『逸話』もあります。

そのことかもしれませんし、
2年前の世界家庭に掲載されたものなので、機会があれば、
確認してお知らせしたいと思います。

最新のU-ONE NEWSでも
日本語でみ言を語られる
お父様の姿が映りました。
本当に懐かしいし、
生前のお父様の様子が思い起こされます。

お父様が三度も日本に来られた1973年。
後半、岸首相との会談の様子が紹介されていますが、
今回辞任されることとなった安倍首相は
孫に当たるということを考えると、
真のお父様聖和から7年間の期間が
意味があったと思わされます。

日本に限りない愛を投入されたお父様。
その愛により、私たちは生かされているし、
その心情はお母様にも受け継がれていることが
心から感謝でなりません。







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posted by ten1ko2 at 08:14 | Comment(0) | 草創期の証し(韓国・日本) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年06月02日

(証し)日本の歴史を変えた40修! *久保木会長の感想文掲載* 



200602-196301.jpg
40日修練会後の野外祈祷会で
1963.1
☆ブログ11年目に突入しました☆

統一教会(現:家庭連合)
初代会長の久保木先生が
教会に入教された時の証しです。

日本統一運動史 49
日本に真の御父母様を迎える準備時代㉟
久保木修己氏、入教(1962.8)

1962年8月に、立正佼成会の会長秘書である
久保木修己氏が初めて馬橋の教会の聖日礼拝に参加しました。

「一人の先生が入ってこられ、説教が始まりました。
六人しかいないのに何万人にも向かって語るように、
ありったけの声を出して話すのです。
そして、重要なところになると、ドンドンと机をたたくのです。

これほどまでに真剣に訴えるとは、一体何があるんだ、
どこからその力強さが出てくるんだ?

こう考えたときに、そのときの説教の内容は
あまり分かりませんでしたが、その人の信念に強く心打たれたのです。

そして、私の心を占めていったのは、
いつかこの青年たちの所に来なければならないという思いでした。」
(1973. 4. 7)



そして崔奉春宣教師と庭野日敬立正佼成会会長が
会談を持ったのは、1962年9月7日でした。

「その後、私は何度か統一原理を聞くことになりました。
その内容を私は逐一庭野会長に…ご報告すると、
…そのすばらしさを認めて頷いて下さいました。

…私が統一教会の青年たちに接してみて、驚いたのは、
彼らは目先のことに関心がありませんでした。
食べること、着ること、住むことに無関心です。

かといって、従来の宗教のように現世利益を否定して、
ひたすら来世での幸福を求めて、
修道の生活に甘んじているわけでもありません。

彼らは数こそ少ないのですが、
若くて、健康で、かつ情熱的でした。

彼らの目は輝き、口から出る言葉は、日本とか世界のことばかりです。
目先の利益と
日本や世界あるいは将来の利益を求める違いをまざまざと感じました。

佼成会に集っていた病気で苦しむ青年の多くと比べて、
私は佼成会の御利益宗教的な現実を認めないわけにはいかなくなりました。



会長への報告を通して、私は庭野会長の偉大さを改めて知らされました。
…こだわりがありませんでした。
いいものはいい。
純真で思いが一途なのです。

…佼成会のほかにいいものがあれば、
それから学ぼうという姿勢が自然に取れるような方だったのです。
私はそんな会長をかねがね大変尊敬していました。…



統一教会に通い始めて少したったころ、
…西川先生を庭野会長に紹介した後、
…西川先生は、

『…薮から棒で恐縮ですが、
…将来性のある若者を40日間、私に預けてください。
私のところで修行を積ませ、40日後に立派な青年にして、
会長先生の所にお返しいたします』。

…西川先生の申し出にも仰天しましたが、
庭野会長の答えはそれ以上に私を驚かせました。
会長は、しばらく考えていました。…

『それは面白い話だ。
では、早速人選をして、あなたの希望通り、
あなたに預けますから、よろしく』。

この一瞬は歴史的な瞬間でした。
日本における統一教会の基礎が、
この時点で形成されることになったと言っても
決して言い過ぎではありません。」


(久保木修己著『愛天 愛国 愛人』より)


その後、1962年12月10日から1963年1月20日まで
40日修練会が開かれました。

最後には1月21日から22日まで、
神奈川県の七沢に行き、祈祷会を持ちました。


◇久保木修己氏の40日修練会の感想

「…それからの四十日間は、またたく間、
西川先生の愛と真に満ちたご薫陶と、
兄弟姉妹たちの素晴らしい兄弟愛に育まれて、
罪悪に満ちた私が、かつて味わったことのない
法悦感に浸りながら人格完成への道を
ただまっしぐらに進んでいったのでした。

驚くべき原理講義、正しく驚くべき原理講義でした。
時間のたつのも忘れて聞き入った数日間、
終わったとき本当に身の震えが止まらないほどの感激でした。

かつて考えたこともない天の父の真情、
罪悪の根源、終末の原理、そして創造原理の素晴らしさ、
その一つ一つが心の琴線に強く強く響きわたり
不思議なほどの力が湧いて来ることをどうしようもありませんでした。

しかしそれにも優るとも劣らないほどの驚きは、
西川先生をはじめとする兄弟たちの祈りに明け、
祈りに暮れる、その日々の行動でした。

常に愛なる父の真情を己の心として、
そこからすべての言動が表れる、
すなわち自己中心ではなく本当に神を中心とした身の律し方、
その生活態度について心から感服させられました。

これこそ己の心の底で求めていた生活であると確信し、
人類全体もまたそれぞれ心の底で待ち望んでいるのは、
実はこのことなんだと思わずにはいられない気持ちだったのです。

嬉しかった! 本当に嬉しかった。

創造本然の位置と状態がはっきりと分かり、
また現在の自己を深く認識することができ、
さらに未来のビジョンがはっきりと明示されたとき、
長い間待ち望んでいた命の泉にめぐり合い、
乾ける喉を一息に潤すように飲み尽くして私は復活したのです。

多くの人に先駆けて二百万の信者に先駆けて与えられた喜び、
筆舌につくしがたいこの思いは、すなわち
天の父の喜びであり兄弟姉妹たちの喜びであることを考えると、
あらゆるものに感謝の念が、あらゆるものに慈しみの情が
心の底から湧いてくるのをとどめようがありませんでした。

素晴らしかった四十日、一生に記念されるべき四十日。」

(『成約新聞』第33号、1963.3.15付より)

歴史編纂委員会・編著
(光言社・刊『日本統一運動史〜
文鮮明先生御夫妻と日本の統一教会および統一運動の歩み』)
第三章 日本に真の御父母様を迎える準備時代㉟
三、草創期を築いた人々の歩み
(3)最初の主要都市開拓伝道以後の歩みと入教者の証し(1961.6〜)
19. 久保木修己氏、入教(1962.8)

Blessed Lifeより


少し別の話になりますが、
立正佼成会の信仰をもった若き青年たちが、
数多く入教しましたが、
本来ならばさらに一つになる道もあった、
そのように聞いたことがあります。

韓国の梨花女子大事件においても、
お父様は「教会に来ないで学校にいるように」
学生たちを留めておくように言われました。

しかし、教会に行きたくてたまらない女学生たちは、
学校そっちのけで、教会に行くようになり、
それが一つのきっかけともなり、
学校側が異端視するようになったのでした。

久保木会長が当時の統一教会(現:家庭連合)に入教されたことは、
日本家庭連合の発展にとって、
とても大きな出来事の一つでした。

写真は、神奈川県の大山において、
40日修錬会の講師であった周藤先生と
野外祈祷会をされた時のものです。
この時、霊的にモーセが現れて
天からの啓示を受けた、というのは、
有名なエピソードになっています。

霊界においても、お父様の側近として、
最前線で歩まれているに違いない、と思うのです。





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 『日本統一運動史〜文鮮明先生御夫妻と
  日本の統一教会および統一運動の歩み』


  創立40周の際に発刊されたこの書籍は、
  日本における文鮮明・韓鶴子総裁夫妻の貴重な歴史的足跡と、
  多岐にわたる統一運動の歴史をまとめた一冊です。

  今、改めて読んでおきたい、日本の統一運動の歴史を振り返る連載です。

Blessed Lifeより


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2020年02月20日

草創期の教会がなぜ反対され、またなぜ発展したのか (お弁当のみ言)



200220-1950nendai-tongdemun.jpg


先日の日曜礼拝で、
教会長が選んでくださった
真の父母経のみ言に、
とても胸を打たれました。

み言を紹介させていただくとともに、
教会長が語られた内容を参考にして、
み言の感想を書かせていただきます。


韓国で開拓地に行って伝道した当時は、
一日働いた稼ぎで一日暮らすのが大変でした。
一日働いた稼ぎで、一食食べて暮らすのが
大変な時だったのです。
若い人たちが道を歩きながら、
足がもつれることがいくらでもありました。

伝道師たちがある町に開拓に行ったのですが、
食べる物がないとき、その町で働こうとすれば、
町にうわさが立って迫害がひどくなりかねないので
仕方なく十里以上離れた所に行って
働いた人たちがたくさんいます。

伝道師たちが本部からお金を持っていって
伝道したのではなく、そのような事情の中で
開拓伝道をしたのです。

それでも、絶対に食口たちに
自分の事情を話しませんでした。
ですから、食口たちは分かりません。
六ケ月たち、一年たってからそれを知っては、
痛哭するのです。

そうして、指導者に弁当を持ってきて
食べさせてあげる運動が起きました。
ですから、その御飯を食べなければならない
指導者の心はどれほど悲惨でしょうか。
また、弁当をくれたその学生が、学校に行って
昼食を抜くことを考えざるを得ないのです。

このような中で、互いにそれを克服しながら、
「私たちは死んでもみ旨を成し遂げよう」と言って、
心情的な連帯感に浸っていたのです。


統一教会に入る前までは、誰よりも良い弁当を持って
通っていた学生が、統一教会に入ってからは、
弁当を持たずに来て、昼食の時間は一人で校庭に
こっそり隠れていて、また教室に戻ってくるのです。
それが友達に見つかりもしました。
自分の親に知られたら大変なことになるのです。

一度や二度ではなく、ずっとそのようなことを
しているので、友達が彼の母親のところに行って、
「息子さんは、
以前は弁当をきちんと持ってきていたのに、
最近、統一教会に入ってからは持ってきません。
なぜ、お母さんなのに、
昼食も用意してあげないのですか」
と話す出来事が起きたのです。

それで、その母親が息子に、
「お前、学校で弁当を食べていないそうじゃないか。
どうなっているんだい」と問い詰めれば、
事実を話さざるを得ません。

親たちがこの事実を知るようになると、
ますます強く反対します。
そのようなことが全国的に頻発しました。

その上、全国のキリスト教徒たちは、
「神様の羊を奪っていくおおかみの群れが入ってくる」
と言いながら反対しました。
そのような環境で、彼らを指導していたお父様の心は、
いかばかりだったでしょうか。



改めて訓読しても胸が詰まります。。。
お弁当をもらって食べた宣教師の心は、
どれだけ感謝でならなかったでしょうか。。。

また、申し訳ない思いをもちながらも、
食べなければ、み旨を歩むことができないので、
勝利することを決意したでしょう。

そして、学生たちは、喜んでお弁当を捧げたに違いありません。
しかし、傍から見れば、弁当を取り上げる統一教会は、
異様な集団だ、と思われたわけです。

真の父母様を中心とした摂理は、
本来は国家的な立場でするような内容です。
今でさえ、ワールドサミットなど、
本当に大きな大会をすることができるようになりましたが、
草創期には、このような状態で
活動するしかなかったのです。

お父様はどれほど無念だったか・・・
しかし、それを忍耐してこられたからこそ、
今の勝利圏につながっているのだと思います。
そして、背後で見ておられる神様がおられ
その神様が、統一教会を守ってくださったということを
忘れてはならないと思うのです。





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