2021年09月20日

since1965「新しい国連が必要なんだね」  天高く高松の鶴 《日本を愛した文先生の足跡 高松篇》



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▲集まった教会員たちと共に。後列左から3人目が文鮮明先生
(以下、写真はいずれも1965年2月4日)


日本を愛した文先生の足跡
今回は、高松特集です。

「新しい国連が必要なんだね」

1965年2月3日午後10時、文鮮明(ムン・ソンミョン)先生ご一行、
西川勝先生、久保木修己会長は高松教会に到着されました。

当時、教会は古びた一戸建ての家でしたが、
四国全体から集まってきた教会員が、隅々まで清掃し、待っていました。

文先生は到着後すぐに、これからの世界的な摂理について語られました。


「過去の人のできなかった、
 より以上の蕩減を克服してこそ
 勝利することができるのである」。


「何か質問は?」
すると長野昭秀さん(777組)が
「国連は使命を果たすことができるのですか?」と尋ねました。

文先生は
「新しい国連が必要なんだね」
と答えられました。

 
文先生が高松の教会に来られたとき、ある壮年のかたが
教会を訪ねてきました。

そのかたは統一教会の青年たちを評して
「美人で田に舞い降りた鶴のようだ」と言うのでした。

文先生ご一行は、深夜12時を回り、
午前1時に「月光」という旅館に向かわれました。

4日、朝食を取りながら、文先生を囲んでの
和動会、質問会が始まりました。
質問は具体的な問題にまで発展し、
文先生はその一つ一つに丁寧に答えられました。

その後、
「天恵仰慕する高松の鶴
 勇飛天高統一勇士に似る」

と揮毫(きごう)してくださいました。


命懸けで聖地を決定

それから屋島山に向かい、瀬戸内海を一望できる
屋島山頂の雑木林の一角に聖地を定められました。
文先生の背広には木の葉がたくさんついていました。

聖地を決定する際、西川先生は文先生を
景色のよい所に案内されようとしましたが、
文先生は非常に怒られたのです。

「先生は景色を見に来たと思うのか」。

その言葉を聞いて、文先生は
命懸けで聖地を決定するために来られたことが分かりました。

東西南北の4か所に人が立ち、
聖別と祈祷によって聖地が決定されました。

続いて文先生ご一行は香川県庁に向かわれ、
その後、3時半発のフェリーで広島に向かわれました。


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▲揮毫される文先生
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▲文先生が下さった揮毫  ▲聖地決定の時に使われた聖塩と聖塩入れ(石井トミ子さん提供)


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▲屋島山頂の雑木林の一角に聖地を決定される文先生


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▲高松教会から出てこられる文先生


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▲車に乗り込まれる文先生

(参考/「成約新聞」1965年3月5日特集号、
「ファミリー」 1986年4月号、「ファミリー」 1997年10月号)

(光言社『グラフ新天地』395号[2001年6月号]「日本を愛される文先生の足跡」より)
日本を愛した文先生の足跡(11)高松
https://www.kogensha.jp/news_app/detail.php?id=12352
blessed life


個人的には、四国に一度も行ったことがないので、
いつかは訪れたいところです。

お父様は「新しい国連が必要なんだ」
と当時から国連について語られていたことを初めて知りました。

世界をひとつにするために、
お父様の頭の中では、さまざまな摂理が
進められていたのだと思いました。

また聖地を決定される際のお父様のお姿。。。
命懸けということは、
その聖地の一つひとつが、生死を分ける
大切なものであったのでしょう。
その思いをしっかり胸に刻み付けていきたいです。




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2021年09月10日

先生のしっぽを死んでも放さない! 《日本を愛した文先生の足跡・狭山篇》



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▲2000人を前に語られる文鮮明先生(1972年4月26日)


「日本を愛した文先生の足跡」
今回は、『狭山(さやま)』特集です。

12団の世界統一十字軍を編成

1972年1月、アメリカで世界統一十字軍を結成された
文鮮明(ムン・ソンミョン)先生は、同年4月22日に来日され、
4月26日、雨の降りしきる狭山公園(東京都)に
2000人の教会員が集まった中、12団の世界統一十字軍を編成されました。

世界統一十字軍は爆発的に伝道を進めるために結成されたものです。

その後、4月30日から2週間、
名古屋の守山修練所で世界統一十字軍の修練会が開かれました。


文先生は、同年5月6日にも1000人の教会員を狭山に集め、
「神様と我々」「アメリカに負けるな」
と題してみ言を語られています。

「アメリカに負けるな」というみ言の中で、
文先生は


「君たち自分自身が、自分を信じることができるの?
 自分は自分を信じられない。
 自分は自分を信じることができないから、
 自分が自分を信じない者を誰が信じてやるか。

 …いくらすました顔をしていても、
 いつ倒れるか分からない。
 いくら言っても、それは信じられません。

 それは、見ておかないと、見ておく期間が
 これはキリスト教文化圏によって
 訓練された場合には短いんだよ。
 訓練されていない者は長く見ておかなくてはならない。

 こういうようになった場合…アメリカに負けないの?
 それには一つの方法がある。
 先生のしっぽをかたくなに持って、
 死んでも放さない。それしかないんだよ」


と力強く語られました。


外的には強くなくても内的に温かい心情が必要

また文先生は、その時


「外的には強くなくても内的に温かい心情、
 雪が解け合う温かい心情、
 それは西洋人でも温かい心情に
 忘れることのできない心情に印象を残すような心情。
 その心情だけ持ったならば、
 勝ったアメリカ人を使うことができる」


と訴えられました。

1973年7月11日には静岡以北の教会員3500人が
狭山公園に集まり、
1974年5月9日には狭山公園で
日本統一教会全国信徒大会が開かれています。


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▲韓鶴子女史(1972年4月26日)

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▲み言を語られた後で(同上)

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▲祈祷される文先生(1973年7月11日)

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▲日本統一教会全国信徒大会(1974年5月9日)

(参考/『成約の鐘』1972年7月号、『日本統一運動史』)
光言社『グラフ新天地』393号[2001年4月号]
「日本を愛される文先生の足跡」より
【文鮮明総裁聖和節記念】
日本を愛した文先生の足跡(10) 狭山

(blessed lifeより)


「狭山」でお父様がみ言を語られたことがある、
というのは、耳にしていましたが、
実際には行ったことがないので、
残念ながら、詳しい場所は知りません。

お父様が愛された地なので、一度は、
尋ねないといけないな、と思いました。

狭山で語られたみ言。。。
お父様をつかんではなさない、
その精神で歩んでいきたいと思わされます。

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2021年09月04日

一人ひとりに手渡された「世界基督ヘ統一~靈協會」朱印入りのハンカチ 《文先生の足跡・福岡篇》



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文先生が一人一人に下さったハンカチ(中村惣一郎氏所蔵)


日本を愛した文先生の足跡
今回は、福岡特集、「福岡は地が良い」です。


  神が褒めたたえられる故郷の一角となれ

1965年2月5日午後7時42分、
文鮮明(ムン・ソンミョン)先生の乗られた列車が福岡に到着しました。
出迎えた教会員と固く握手をされます。

…午後8時、文先生は休憩の時間を惜しまれ、
「行きたいところ、会いたい人、住みたいところ」と題して、
約1時間半にわたってみ言を語られました。


「故郷を持つということは、父母の心情の因縁で
 そこに生まれたという意味でなければならない。

 真の親が初めて見た世界、
 真の親が初めて聞いた音、
 真の親が初めて生活したものを始めとして、
 それに続いてわれわれが見たり聞いたり
 携わったり、生活する
 その地が本来の故郷である。

 …そこがわれわれが
 行かなければならないところである。
 …この地が、神が褒めたたえられる
 故郷の一角となるように、どうぞよろしく。

 …福岡は地が良い。
 祝福を受けた。
 …国家建設の時には
 重大なる功労功績を残した地名を汚すな」



  一人一人にハンカチを手渡されて

み言の後、わずかな料理を皆に分けてくださいました。
そしてそこにいた全員にハンカチを1枚ずつ下さいました。
「世界基督教統一神霊協会」の印が押されているハンカチです。

夕食後、夜12時ごろから和動会に入り、
文先生は韓国の歌を5、6曲歌われ、終了したのは2時ごろでした。

翌6日、文先生は朝食を取られた後、
「東園聖光之地 萬民拜服福岡」の揮毫(きごう)を下さいました。

そして聖地決定のため、西公園に向かわれました。
片手に市内全域を見下ろし、片手に博多湾を望む風景の美しいところです。

 
…福岡出発の数分前、文先生はすべての教会員に力強い握手をされ、
悠然と機上の方へ歩まれました。
振り返り、振り返り、メンバーの見送りに応えられます。

タラップを上がり、機上からも手を振られて、
11時5分、2日間にわたる福岡滞在を終えられました。

 
次に文先生が福岡を訪問されたのは、1967年7月12〜13日でした。

文先生は最初に「みんな、うれしいだろう。
やっと会えたんだね!」
と言われ、み言を語られました。

(参考/「成約新聞」特集号1965年3月15日号、
『日本統一運動史』)


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▲揮毫される文鮮明先生(1965年2月6日)

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▲福岡のために下さった揮毫

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▲み言を語られる文先生(1967年7月)

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▲西公園内の聖地にて(1967年7月13日)

光言社『グラフ新天地』392号[2001年3月号]
「日本を愛される文先生の足跡」より

【文鮮明総裁聖和節記念】
日本を愛した文先生の足跡 9
「福岡は地が良い」

(blessed lifeより)


真の父母として初めて来日された1965年の日本巡回では、
東京、名古屋、大阪、高松、
そして5番目に福岡に来られました。

札幌、仙台と巡回し、
聖地を決定してくださり、各地で揮毫と
ふんだんなみ言をくださいました。

「行きたいところ、会いたい人、住みたいところ」の
み言の抜粋(別部分)を見つけたので、紹介します。


『会いたい人』。
 この地上において一番会いたい人は誰か。
 それは再臨の主だというのです。

 再臨の主は真の親という立場で来られる方である。
 …再臨主は初めに…親として来られない。
 この地上に真の兄さんがいない。

 だから真の兄さんの使命をして、
 それで数多くの弟を育てて、それで
『こういうふうな生活、こういうふうな心情を
 持った人が真の兄さんだから…人類に対して、
 こういうような兄さんの代わりのつもりでやってくれ』。
 そういう使命を全うする…兄さんが欲しいというんですね。

 君たちは会ったことがありますか?
 それは会わなくてはならない。

 …再臨主は兄さんの時代を通過して、
 花婿の時代を通過して、
 そうして真の親の道に立たなければならない。
 だから我々はその方と会わなければならない。



真のお父様は、兄の使命を
先に全うされ、夫、父…すべての段階の
勝利を成してくださいました。

真のアベルの立場に初めて立たれたお父様。
万民が「会いたい人」とお会いできたということは、
どれほどの喜びだったでしょうか。。。

2回目に来られたとき
「みんな、うれしいだろう。やっと会えたんだね!」
と言われたお父様でしたが、
きっとそのような嬉しそうな顔を前にして、
一番喜ばれたのはお父様だったことでしょう。

改めて、ではありますが、
真のお父様をもっともっと、慕っていきたい、
そのように思わされました。




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