2021年08月17日

名古屋は最も古い名家 神と一対一、人が見ようとも見なくとも関係ない 《文先生の足跡・名古屋篇》 



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第3次世界路程ご帰還歓迎会で、表情豊かに
身ぶり手ぶりで語られる文鮮明先生
(1972年4月30日、名古屋教会)


日本を愛した文先生の足跡、
名古屋特集。

名古屋には、数々の素晴らしいみ言と
エピソードを残されています。


  名古屋は天宙における最も古い名高い家

1960年代から70年代にかけて、文鮮明(ムン・ソンミョン)先生は
たびたび名古屋を訪問されています。

最初に訪問されたのは1965年2月1日から2日にかけてです。

1日午後1時、特急ひかり号で東京を出発され、
午後3時30分、名古屋駅に到着されました。

数十人の歓迎陣に迎えられた文先生ご一行
(文鮮明先生、崔元福〈チェ・ウォンボク〉先生、
崔奉春〈チェ・ボンチュン〉先生、久保木修己会長、阿部トミ子さん)は
車で名古屋城、テレビ塔等を見学され、
4時半ごろ、教会に到着されました。


名古屋について文先生は

「名古屋は一番古い家、つまり天宙における
 最も古い名高い家。
 それはアダムの家を象徴しており、
 古い故郷を思い出させる」


と語られました。

その後、聖歌「新エデンの歌」を自ら力強くリードされ、
集まった教会員たちは心身ともに満たされた
楽しいひとときを過ごしました。

翌2日の朝、文先生は東山の高台に聖地を決定され、
聖別式を行われました。
教会に戻ると、正午近くからお話をされたり、質問を受けたり。

出発の予定時刻が迫ると、歌う聖歌も涙声に変わります。
「先生は名古屋に来て安心しました」と語られ、
午後2時車中の人となられました。

名古屋では「天下統一之星」
「香花盛園之都」
「嵐の風けば香り高く名高古屋の歌」
という揮毫(きごう)を下さいました。
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東山の高台に聖地を決定(1965年2月2日)     文先生が下さった揮毫(1965年2月2日



  人が見ていなくても神に報告しながらやる

二度目に名古屋に来られたのは
1967年7月8日から9日にかけてです。


「我々は、下がれば下がるほど、
 大きい心情が分かるんだね。

 …父母の心情はかたわの息子に対して、
 立派な息子に対するよりも、
 心情的には近いんだね」


とみ言を語られました。

1969年2月3日には名古屋で
リトルエンジェルスの公演をご覧になっています。


また1972年4月30日から2週間、
名古屋の守山修練所で世界統一十字軍の修練会が行われました。

修練会の中で文先生は
「父母と共に闘おう」(4月30日)、
「自分を信じよう」(5月)という題でみ言を語られました。


「何事をなすにも蕩減だと思って真剣にやる。
 その仕事の中に自分が蕩減を越えるかも
 分からないんだから、すべては真剣にやる。

 人が見ようと見なくともそれは関係ない。
 …人が見ても見ていなくても神と一対一によって
 報告しながら、一歩一歩前進する価値を
 自分なりに積み重ねていくというような
 生活態度が必要ですよ。

 そういうように行く者は、決して堕落とか、
 あるいは絶望とか、そういう立場に絶対おちない」



5月3日には「世界献祭 統一十字軍」
「萬苦勝達」と揮毫されました。


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統一十字軍結成の修練会でみ言を語られる文先生。     喫茶店で休憩される文先生ご夫妻
  500人が参加したため、守山修練所の2階講義室に入りきれず、
  急きょベランダまで広げて急場をしのいだ(1972年5月1日)

 

(光言社『グラフ新天地』388号[2000年11月号]
「日本を愛される文先生の足跡」より)

【文鮮明総裁聖和節記念】
日本を愛した文先生の足跡 6
「名古屋は一番古い家」

(blessed lifeより)


お父様は言葉遊びのように、
地名とか、名前とかに意味を含めて
語られることがたくさんありますね。

み言を尊いものとして侍られる真の父母様なので、
言葉も大事にしていかれるのだな、と思います。

そのようにして、一つ一つの地を愛し、
一人一人を愛してくださいました。

また、名古屋でみ言を語られた内容ですが、
一日一日真剣に歩んでおられるので、
そのようなみ言を語られたのでしょう。

お父様の聖和9周年まで、あと1週間となりました。
お父様に思いを馳せる貴重な
1週間にしていきたいと思うのです。




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2021年08月09日

夏の思い出*登山と川原でスイカ割り… 150人分のカレーライスのご褒美は 《文先生の足跡・五日市篇》



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城山の頂上でみ言を語られる文鮮明先生


「日本を愛した文先生の足跡」の5回目、
五日市特集です。


  先頭に立って登山される文先生の足跡をたどって

1967年7月1日、文鮮明(ムン・ソンミョン)先生は
「原理大修練会(6月17〜30日)」を終えた修練生を伴って、
東京都西多摩郡五日市町(現あきる野市五日市)へ行かれました。

午前7時半、総勢約150人は2台の大型バスで出発。
2時間ほどで、城山という小さな山のふもとに着きました。

文先生は先頭に立って一気に登られます。
続くメンバーは、狭い山道を踏みしめ、
急な岩道に足場を求めながら、
まさに文先生の歩まれた道を、文先生の足跡の上を、
こうして実体的に歩いているんだという感激に浸りました。

頂上では全員が文先生を半円形に囲んで座り、
声を張り上げて歌を歌いました。


下山すると、秋川(多摩川の支流)の川原に降り、
遅くなった昼食を食べました。

それは近くの菅沼志づさん宅で作られた
150人分のカレーライスでした。

数日前、菅沼さんの家には文先生ご一行
5人が行かれるかもしれないという連絡が、
教会から入っていました。

ところが実際は5人ではなく150人を迎えることになったのです。
費用は教会と菅沼さんとで負担することになりました。
しかしその直後、菅沼さんは教会に電話をかけ、
経費はすべて自分が引き受けると伝えたのです。

 
  「最高の言葉をあげるよ」

菅沼さんは150人分のカレーライスや
スイカなどを準備するために奔走し、
手元に残ったお金は1500円でした。

この日、孝進(ヒョウヂン)様(当時4歳)が遊んで服を汚され、
着替えが必要になったとき、菅沼さんは
子供服を買いに行く婦人にその1500円を渡しました。
汚れた服と同じ物をちょうど1500円で買うことができたといいます。


文先生は菅沼さんに「最高の言葉をあげるよ」と言われ、
「精誠」と「忠孝之源 誠心誠意」という言葉を
色紙に書いてくださいました。

川原ではカレーライスを食べながらスイカ割りが行われ、
その後、東京地区対その他の地区
という組み合わせで騎馬戦も行われました。


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秋川の川原で水遊びをされる文孝進様(当時4歳)

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文先生が書いてくださった色紙「精誠」「忠孝之源 誠心誠意」と文先生が色紙に書かれたときに使われた硯(すずり)と筆(菅沼志づさん所蔵)


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騎馬戦が行われた秋川の川原
昔、キリスト教の宣教師が洗礼を行ったことにちなんで「耶蘇淵(やそぶち)」と呼ばれている


(参考/『成約週報』第5号『ファミリー』1999年8月号)

(光言社『グラフ新天地』386号[2000年9月号]
「日本を愛される文先生の足跡」より)

【文鮮明総裁聖和節記念】
日本を愛した文先生の足跡 5
〜 五日市 〜

(blessed life)


五日市の菅沼家に訪問されたことは、
聞いたことがありました。

でも、すべてを捧げつくされたこと、
残った1500円も孝進様のシャツ代として、
使われたことは、初めて知りました。

残った三文で、草鞋を買ってしまった、
「趙家の過ちを繰り返すな」という、
文家の家訓を思い出しました。

すべて捧げたことに対して、
お父様は、「最高の言葉をあげるよ」
と、揮毫を残してくださいました。

私たちに対する、
生きた教訓だと思います。




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2021年08月08日

噂の真実、本当に見た人はいなかった! 発信源の一人、叔父の証し 《金元弼先生》



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金元弼先生のみ言。
今回は、「おじさんの回心」。

金元弼先生は、北にいる青年の頃、
叔母さんから、伝道されました。
玉世賢(オクセヒョン)先生です。

これは、実の叔父さんと
叔母さんのエピソードです。


事実無根のうわさが流れると、これは南に流れ、
日本に流れ、アメリカやヨーロッパ、
世界に流れていったのでした。

ですからヨーロッパの人に、
「あなたはそれをどこで聞いたのか、どこで見たのか」
と聞いたら、「いや私は見ていない。
私は聞いたのである」と答えるのです。

「誰から聞いたのか」と聞くと、
「アメリカの友達から聞いたのだ」と言います。
その人に「あなたはどこから聞いたのか、見たのか」と聞きます。
すると、「いや私は日本の友達から聞いた」と言います。

こうして、結局北の友達から聞いたということになります。
それで「見たのか」と聞きますと、「いや、私は見たのではない」。
「誰から聞いたのか?」
「私たちの教会のメンバーから聞いたのだ」と答えます。

そのメンバーは、自分のおじいさん、
おばあさんから聞いたと言うでしょう。 
そのおじいさん、おばあさんに、「あなたは見たのか」と聞きます。

「見ました。私の連れ合いが私と関係しないで、
文先生と関係したんだ」と答えるのです。

統一教会のメンバーである奥さんは、
「いやそうではありません。
夫は私が夫と共にしないというので、私を疑って
そう言っているのです」と答えるでしょう。


この話は、私のおばさんの家庭で起こったことです。
ですから皆さんにはっきりと言えることなので
この例をとったのです。

このおばさんの夫は、先生とおばさんとの関係を
疑って、先生を殴りつけました。

このおじさんとおばさんは、
十年も二十年も夫婦の関係をもっていません。
しかし、離婚はせず、一緒に暮らしています。

おじさんは、おばさんが先生と
本当に関係をもったものと考えました。
それを自分の父親に全部話したのでした。
キリスト教会の幹部だったそのお父さんは、牧師に話しました。

このおじさんは、韓国で大きな大学の学長をしています。
この間までは統一教会に反対し、
奥さんが統一教会へ行くことも反対し続けていました。

ところが、自分の妻が絶対にそうした不潔なことを
する人ではないということが分かってきました。

そして、大学校の学長でありながら、学生たちに
「お前たち、信仰をもつならば統一教会へ行きなさい」
と教えながら伝道するようになったのです。

教授たちにも、「信仰をもつならば、
私の妻のようにしなさい」と教えるのです。
こうしていまや統一教会の伝道者となっているのです。

そして自分の子供もみな統一教会へ行かせています。
その五人の子供は教会員となり、
そのうちの三人が祝福を受けています。

このおじさんは年を取っていますし、病気がちです。
ある時私に会うと、「統一教会では、
統一教会のメンバーだけを埋葬する共同墓地があるはずだろう。
私が死んだら必ずその共同墓地に埋めてください」
と私に希望するのです。

また子供に対しては、「私が死んだら、
この金さんを私の代わりとして、彼の話に
絶対的に従っていくように」と遺言しているそうです。

おじさんは、統一教会のメンバーでもなく、
(その後)先生にも出会っていません。


間違った話をする人によってうわさされたことが、
南に流れ、日本に流れ、アメリカ、全世界に流れたのです。

これをどのようにして償いますか。
その人たちは蕩減復帰することはできません。

ある一人をつまずかせてしまったなら、
その人に対して蕩減復帰することは可能かもしれません。
しかし、世界の人々を神に導く、
その道をふさいだことの蕩減は不可能です。

本来なら、その蕩減はその人が受けなければならないでしょう。
しかし、この人がしなければならない蕩減を
先生が全部受け継いだのです。

先生は今なお、その十字架を担っておられるということを
考えてみますと、私たちはそのことから
大きな教訓を得なければいけないと思います。



「悪事千里を走る」
ということわざにもあるように、
悪いこと、というのは、
それが事実でなかったとしても、
すぐさま伝わります。

もっと言えば、
尾ひれをつけて、伝わっていくのです。

人は、スキャンダルが好きですね。
テレビのワイドショーが人気なのは、
そのためだと思います。

人が持つ「堕落性」の問題とも
いえるかもしれません。

元弼先生が証しをしてくださった叔父さんは、
おそらく北にいた最初のころには、
噂を流す張本人だったと思われます。

しかし、後年、叔母さんの姿を見て、回心され、
逆に善なる協助をするようになった、と言います。

いわれない迫害を受けてきた先輩たち、
また偏見や反対を受けてきた私たちですが、
変わらない信仰と精誠を捧げつつ、
証しを立てていきたいと思うのです。






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