2021年08月02日

「祭壇で祈れない?!」天一国時代の家庭連合・食口の祈り方 《自己牧会プログラムQ&A》



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自己牧会プログラム事務局に寄せられた
質問に答えるコーナー。
「祭壇の前で祈るのが苦手です」



昔から祭壇の前に座ってのお祈りが苦手でした。
時には天に通じて祈れることもありますが、
ほとんどは雑念で祈れず、定型文を読み上げているような感じでした。
ところが、自己牧会プログラムのワークを始めてみると、驚くことに、
祭壇の前で祈っているわけではないけれども、
生活の中で天に心が通じている感覚が持てるようになったのです。
しかしそれで満足してしまい、祭壇の前で祈ることが以前より少なくなりました。
これはあまり良くないことですか?
アドバイスをお願いします。
(女性 30代)



家庭祭壇は、天の父母様と真の父母様の象徴ですから、
そこを中心に生活することはとても重要です。
苦手であったとしても、家庭祭壇の前で、朝と夜、
そのほか事あるごとにあいさつして過ごすことを、
これからも意識して実践していただきたいと思います。

一方で、内的な本質としては、食口(シック/家庭連合の教会員)
一人一人が生きた祭壇であるということです。
食口の中にある良心こそ、生きた聖殿なのです。
そこに気付いて、生きた聖殿である良心に侍って生活することが、
天一国時代における信仰生活であると思います。
ですから、お便りのかたが、「生活の中で
天に心が通じている感覚が持てるようになった」というのは素晴らしいことです。

「祈る時間がなければ、歩き回りながら祈りなさい」
(天一国経典『天聖経』1010ページ)というみ言もあります。
生活自体が祈りであることを意識して、
これからも生活の中で神様と通じる体験を積み重ねていってください。

私の心の中にいる神様 80
「お便り&コメント」シリーズH
祭壇の前で祈るのが苦手です
(blessed lifeより)




とても的確なアドバイスだと思います。

質問された方は、
心のワークを実践することを通して、
「生活の中で天に心が通じている
感覚が持てる」ようになった。。。

まさに、『生活信仰』
そのものではないか、と思います。

手前味噌で申し訳ないのですが、
このブログを書くことも、
私個人においては、祈りの時間と
同じようなものだと思っています。

み言を読んで、書くことが閃いて、
すぐに文章を書けるときもあるし、
コメントが導かれないときもあります。

この時間も祈りの時間であると思い、
もっと導かれてコメントが書けるように、
精誠を込めなければなりませんね。


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posted by ten1ko2 at 07:54 | Comment(0) | 草創期の証し(韓国・日本) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2021年07月30日

「この若者たちを記憶してください」留学時代の思い出を語る 《文先生の足跡・早稲田篇》



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日本留学時代の話を交えながら語られる文先生
(1965年10月8日、東京都中野区野方・早成寮)

 
「日本を愛される文先生の足跡」
今回は、早稲田、高田馬場の特集です。


1965年10月8日、文鮮明(ムン・ソンミョン)先生は
東京都中野区野方にあった早大原研寮(成和寮、後の早成寮)を訪問されました。
そこで日本留学時代のことを話されたのです。

「早稲田の高田馬場の道を、
 先生は一日に2回ずつ歩いたよ。
 よく歩いた。
 今も歩いてみたらなんだな、月が出ておるよ。

 それを思うと今晚近い所へ来たんだから昔を思い出す。
 一度歩きながら、神に対して祈った日本での情が
 日本の一角に成しえられた感謝の念を抱きたい、
 先生、こう思う。  
 
 もしもそういうことをできずして国に帰ったならば、
 君たちがそういう気持ちでもって、
 早稲田の戸塚町を、高田馬場から歩いてほしい。
 わかりますか?

 そこにある角道、そこにある電信柱、
 そういう君たちの記憶に慣れている所には
 先生の涙があることを思っても、
 それは間違いないでしょう」


(『日本統一運動史』、p71〜72)


そして「この早稲田の若者たちを
記憶してください」
と祈られました。

その日、成和寮は文先生によって早成寮と改名され、
「天宙成寮 早成勇士」という揮毫を下さいました。


帰り際に、文先生はテーブルの上に用意されていた
上等なリンゴやバナナを、集まっていた一人一人に手渡してくださり、
ご自分は粗末な小さなリンゴをひとつ手に取り、
「先生はこれを頂いて行きますよ。
本当はこれがおいしいんだよ」
と言われました。

そして先生の車にいつまでも手を振っているメンバーたちに、
窓から手を出され、車の屋根をバン、バン、バンと
たたいて行かれました。


学生時代、下宿された三橋家を訪問

学生時代、文先生は東京都淀橋区戸塚町1丁目
(現在の新宿区西早稲田2丁目)の
三橋(みつはし)孝蔵・イトさん宅の2階に下宿しておられました。

早成寮訪問に先立つ65年1月29日、
文先生は下宿先であった三橋家を長時間かけて捜され、
三橋イトさんと劇的な再会を果たされました。

留学時代は文先生にとって、メシヤとしての使命を
全うされるための深刻な準備の期間だったのです。

「文総裁はこの原理を捜すために、
 満身創痍(そうい)になって、一日に12時間も
 14時間も祈祷したことが何年も続きました。
 …原理の本には血と汗と涙が絡み合っています」


(『真の御父母様の生涯路程』@、p199)。


原理の解明のみならず、品川の貧民街や新宿の裏町に行かれたり、
川崎の造船所で労働されたり、あらゆる体験と研究をされたのです。

韓国人蔑視(べっし)と差別の強かった
戦時中にもかかわらず、三橋家は
快く文先生に下宿を提供され、温かくお世話されたのでした。



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「天宙成寮 早成勇士」という揮毫を下さった  学生時代の下宿先の家主、三橋イトさんとの再会
(1965年10月8日、早成寮)           (1965年1月29日)


(光言社『グラフ新天地』384号[2000年7月号]
「日本を愛される文先生の足跡」より)
【文鮮明総裁聖和節記念】
日本を愛した文先生の足跡 3
〜 早稲田 〜


早稲田の学生時代、お父様は
涙を流さない日はなかったといいます。

45度以上、頭を下げ
罪人のような立場で生活されて、
原理の解明のためにひたすら精誠を尽くされた
その土台があり、統一教会は出発しました。

世界宣教は、日本から始まり、
西川勝(韓国名:崔奉春)宣教師が派遣されました。
西川先生が日本で活動された場所が
何と早稲田、高田馬場の地でありました。

最初に礼拝を捧げた時計店、雄鶏舎は、
くしくも、お父様が下宿された
三橋家の徒歩5分のところにあったとのこと。

このことは、西川先生があらかじめご存知で、
早稲田の地から宣教を出発されたのではありません。
すべて天の導きの中でなされていかれたのでした。

天に対する精誠は、
このような形で実りを結ぶのだと思わされます。




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2021年07月25日

若き再臨主が、現代の十字架に向かっていった経緯 1947-48平壌 《金元弼先生》



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金元弼先生の平壌時代のみ言。

いよいよ再臨主、最大の十字架・興南が
近づいてくる予兆が見えてきました。

今日は、「牧師の反対を利用する共産党」です。


韓半島では、キリスト教が伝来される時、北の方に先に伝わりました。
ですからキリスト教は北の方が盛んでした。
中でも、平壌にはすべてのキリスト教の中心がありました。

神学校も有名な復興師も、全部平壌に集まっていました。
平壌は霊能者が第二のエルサレム
と啓示を受けていたほどに、たくさんの教会がありました。
日曜日には鐘の音でうるさいくらいでした。

そういうところに先生が一人でやって来られたのです。

平壌の牧師たちは、その教会の中心幹部であり
統一教会につながっているメンバーに対して、
「私が今日、あなたの先生に会い、目の前で聖書の討論をして、
その教会がどれくらい異端であるか、お前に見せてあげよう」
と言って、先生を訪ねました。

「それを見たらお前は必ずこの教会に
帰ってくるようになるだろう」と念を押して。

訪ねてきた牧師を先生は丁重に迎えられました。
そして先生はその牧師が何を聞いてくるか御存じでしたから、
牧師が話す前に、彼が話そうとする
すべての問題についてお話ししてあげました。

聖書を通して、ずーっと説明されますので、
牧師は何も言うことができなくなりました。
彼はただ、「本当に苦労していますね」
という一言を残して去っていきました。

そしてこの牧師によって、聖書で討論しては
先生を負かすことはできないといううわさが
徐々に流れていったのでした。


そしてついに彼らは共産党の官憲に投書をしたのです。

教会の重要な幹部たちが統一教会へ行っていることに対して、
異端だということだけでは説得することが
なかなか難しいと分かり始めました。

しかし、教会ではその重要な幹部たちが全部出てしまうと
教会を運営することが難しいと気が付いて、
どんなことをしても彼らを取り戻さなくては、
と考えざるを得ませんでした。

彼らが取り上げた問題は何かといいますと、
「淫乱に違いない。淫乱な集団である」ということです。

統一教会は淫乱な集団であると問題にし始めました。
「この教会は家庭を破壊する教会だ」というふうに言い始めたのです。

その次に、「教会を破壊する」と考えたのです。
つまり、「社会の秩序を乱している」というのです。

これを利用したのが共産党でした。
彼らは、「この団体は家庭を破壊し、教会を破壊する」
として、さらに「共産主義社会の秩序を破壊するものだ」
といって問題にしたのです。


家庭や教会から反対されればされるほど、
メンバーたちの信仰はより強くなり、
霊界の協助は一層強くなったのでした。
霊人たちは細かいところまで教えてくれたのです。

教会の長老たちは、組を成して先生の所へやってきました。
そして先生の髪の毛を引っ張って迫害しました。
そういう中にあっても、先生は抵抗せず、
やさしい羊のごとくなすがままにしておいたのでした。

その場を見ていたメンバーたちは憤慨して、
その人たちを引き離すようにして帰したのでした。


先生は、こうした教会の中心幹部で、み言が分かり、
神のみ旨がよく分かった人たちには、
「教会に再び帰って、み言を伝えるように」
とお話ししてくださいました。

けれども、そういう人たちは、一度恵みに出会いますと、
なかなか自分の教会には帰りたいとは思わなかったのでした。
先生の言うことを聞かずに、
先生の所にいつもいつも来ていたので、
迫害が非常に激しくなりました。

食口になるのに二つの場合があるといいます。
まず非常に難しい問題を抱えているとき、
もう一つは非常に喜びにあふれているときです。

この人たちは、恵みの中にあったので、
先生の言われることをなかなか聞けなかったのです。

I 平壌開拓から興南解放
第二章 いつも弟子に関心をもたれる先生
「牧師の反対を利用する共産党」

信仰生活シリーズ 6
「伝統の源流 主と歩んだ教会創立以前の道」 
金元弼(1998年7月1日発行)
*『信仰と生活第二集伝統の生活化』を改題


迫害の発端は、自分の信徒が奪われていくことに対して
お父様と教会に対しての嫉妬心・・・
つまりは、批判する人自身の堕落性にありました。

真のお父様は、そのようなことは
何もしていなかったのに、
ただ、純粋にみ言を伝えただけなのに、
本当に残念なことです。

さらには、当の食口たちも
恵みの中にいると、お父様の指示を聞くこともなく、
勝手に喜んでしまう・・・
これも堕落性ですね。

イエス様を思い浮かべてしまうのは、
洗礼ヨハネが立てなかった後のイエス様と
許孝彬が受け入れなかったことで
お父様は同じような立場に立たされていたからでしょう。

イエス様の苦難の路程と重なるように、
十字架の道ともいえる興南監獄を
避けることができませんでした。

真のお母様と歩むこの天一国時代、
もう堕落性と戯(たわむ)れてばかりではなく、
私たちは、本当に良心に忠実な歩みをしなければならない、
改めて思わされるのです。





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