2022年04月12日

生きているものは、みんな愛し合っている! 泣かない日がなかった大阪時代 《松本ママ奮戦記》



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松本ママの「信仰は火と燃えて」
今回は、『寂しかった神様』です。


名古屋開拓の時は、いろいろな出来事を通してイエス様の心情を知らされ、
イエス様を思って涙することが多かったのですが、
大阪では、何かにつけて神様の愛を実感する日々でした。

クリスチャンセンターで山路さんと会ってからというもの、
彼女を通して多くのクリスチャンたちに
「統一原理」を伝えたい心情でいっぱいでした。
ですから、朝の5時半には起き出して、朝拝を済ませ、
それから一日のスケジュールを組んで一人一人に指図をし、
7時には教会を出て、神戸の山路さんの家へと向かいました。

ちょうど冬にさしかかっていて、早朝は冷え冷えとしています。
そうしたある朝のこと、阪急の駅の構内に入った瞬間、
軽やかな元気のあるメロディーが、
電車から降りたった群衆に向かって流れてくるではありませんか。
そして、「皆さん、きょうも一日頑張ってください」
という温かい言葉が衿(えり)を立てて職場に急ぐ人々を激励していました。

人々はその言葉に力を得て、元気良く東西南北に消えていきます。
その光景を見ていると、まるで親が子供を激励しているように思いました。
すると、天のお父様の声なき声が「お前もきょう一日元気で頑張れよ」
と励ましてくれるのが実感として感じられるのでした。

また、たくさんの人を乗せて走っている電車が物言う人間のように見えました。
しかも、人間は自由意志をもって勝手なことをするけれども、
電車は、素直に従順に、自分のやるべき責任を間違いなく果たしているのです。
レールの上を走っているその姿を、何と原理原則にかなっているのかと、
私は不思議な感を抱きながら見ていました。

すると、電車がとてもかわいく思えてきて、
物も大切にして愛してあげなければいけないなあ、
という気持ちが起こってくるのです。
そんなことを考えながら電車を見ていると、
今度は自分の責任分担を失った惨めな人間のことが思われてくるのでした。

神様は、人間には人間だけのルールを与えたのに、
どうしてそれを失ってしまったんだろう、
そういう思いが脳裏をかすめた時、
「天のお父様、まことに申し訳ありません。
遅ればせながら私は今、一人の命を救うために神戸に向かいます。
どうか山路姉を立たしめ、この一人の姉妹を通じて、
その背後にいる多くのクリスチャンに
『統一原理』を伝えることができますように」と祈っていました。
そう祈りつつ、毎朝同じ道を通ったのです。

山路さんはとても行動力のある人で、原理を聴いて感動すると、
自分の行っているナザレン教会の牧師を連れて来たり、
方々に出掛けて行っては人々に証(あかし)していました。
また時には、待ち合わせをして一緒に伝道に行くこともありました。

ある日のこと、それはどんよりと曇った日でした。
大阪と神戸の間の支線の小さな駅で、
山路さんと会う約束をしていました。
午後3時半の約束でしたが、4時になっても彼女は姿を見せません。
それでも1時間ぐらいは待ってみようと思い、
道行く人を眺めながら忍耐強く待っていました。
5時近くには空はもう今にも降り出しそうな雲行きになってきました。
どうしたものかと少々困っていると、
頭の上でピーピーという小鳥の鳴き声が聞こえてきます。
目を上げると、軒下につばめの巣が見え、
お母さんつばめが虫をくわえてきて、
ひなの口に入れているところでした。
そのほほえましい光景を、私は不思議な面持ちで眺めていました。

そこへ電車が到着して、仕事から帰って来た人々を降ろすと、
パラつく雨に備えて傘を持って迎えに来た人々が、
「あなた」「お父さん」と声をかけて、仲むつまじく歩いて行きました。
その後ろから、犬の親子がとことことついて行くのです。
その光景を見ていると、なんて美しいのだろうと
激しい感動が込み上げてきて胸が熱くなり、今にも涙があふれそうでした。
その感情を抑えるために足元に目を落とすと、
何とその足元を黒いアリの群れが、
列を作ってぞろぞろとはって行くではありませんか。

ああ、なんと不思議なことだろうか。
雨が降りそうになると、誰も教えないのに、
命あるものたちはそれぞれ自分の家へと急ぎ、
つばめはせっせと餌(えさ)を運んでひなに食べさせている。
人間たちも、これから夕食を囲んで一家だんらんのひとときをもつのだろう。
そのような愛の営みをいったい誰が教えたのだろう。
その光景を見ながら、ふとそんなことを考えていました。

生きているものは、みんな愛し合っています。
誰も教えなくても本能的に知っているのです。
けれども、その愛をつくった源を知らないでいるのです。
では、その愛の法則の源なるお方を、
いったい誰が愛してあげるのでしょうか。
そんなことを思っていると、急に声を張り上げて泣きたい心情にかられたのです。
そして、「天のお父様、みんな自分たちだけ愛し合って、
親であるあなたの愛を誰も知らずにいますね。
お父様、寂しいでしょうね」と心の中で叫ぶと、
空の彼方が泣き出しそうになって、
「寂しかったよ」という声が、私の全身に響いてきました。
私は天のお父様がかわいそうで、「天のお父様!」と叫びつつ、
はらはらと涙を流して、しばらく泣いていました。

その日はついに山路さんは来ませんでした。
しかし、私はその小さな駅で、
あらゆるものに注がれる神様の愛をかいま見、
神様の心情の一端にふれて一日中泣きました。
そして、そういう神様の愛を実感すればするほど、
“神様のためにもっとやらなければ”という思いが、
私の全身にみなぎってきたのです。

一生懸命に伝道しながら、神の愛を実感し、研究し、
日中はひねもす夜は夜もすがら、立っても座っても
ただ一筋に神様のことばかり思い続けていると、
見るもの聞くものすべてが不思議に思えてきます。
花を見ても涙が流れ、木に生(な)っているリンゴを見ても驚きました。

どうしてあんな木に、赤い丸いリンゴが生るのだろうか。
どうして黒い土の中から、白い大根が出てくるのだろうか。
どうしてバナナもみかんもりんごも、みんな味が違うのだろうか。
あのような味つけは誰がしたんだろう。
自然はなんて不思議なんだろう。

自然を見て、神様がいないなんてどうしていえるでしょうか。
とんでもない話です。
私たちは、あらゆる方面から論を進めていっても、
絶対に神様を否定することはできないでしょう。
私たちの周りにあるすべての被造物、自然の中に、
神の神性と力がみなぎっていることは間違いない事実なのです。

こうして自然を通して神様の愛を実感すればするほど、
私たち人間が神様の愛を裏切って堕落し、
神様を悲しませてきたことが思い起こされてきて
胸をしめつけられるようでした。
考えれば考えるほど神様がかわいそうで気が狂いそうになり、
絶叫したくなってしまうのでした。

こうして大阪での開拓中は、神様の悲しい心情を思い、
毎日涙で祈る日が続きました。
泣かない日はなく、祈らない日はなかったのです。
“父の神の庭の中で……”という、自然の中に現れる神様の愛の歌を歌うとき、
関西大学と梅田駅の間を通いつつ涙した大阪の時代を思い出します。

松本 道子(1916〜2003)・著(光言社・刊
『信仰は火と燃えて―松本ママ奮戦記―』より)
「寂しかった神様」13
(blessed lifeより)


松本ママが真を尽くして伝道された、
山路さんは、戻ってこなかったのでしょうか。。。

こんな経験を松本ママは、
何回も何十回も体験して来られたでしょう。

ただ、そんなつらい思いをされても、
乗り越えてこられたのは、
神様との絶対的な関係があったからだと思います。

松本ママは、『超』行動的な方だと思っていましたが、
その土台には、神様との親子の関係があり、
「絶対に神様を喜ばせていく」という
強い決意がありました。

そんな松本ママの心情圏を
少しでも相続する者になりたい、
そう思うのです。


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2022年04月11日

私だけが苦労したと考えてはいけない*前任と後任、神の前には一人?! 《金元弼先生》



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金元弼(ウォンピル)先生のみ言、
「私の苦しみの前に神の苦しみがある」です。

 
先生の心を理解したならば、
もう一つ考えなければならないことがあります。

例えば、私が問題のあるチームに、
六か月あるいは一年、一緒にいたとします。

その時、彼らを導くのに、「あっ、これは私の間違いだ」
「こんなふうにしよう」
「こうして私は導いた」といって
自分だけが苦労したと思ってはいけません。

私を通じて、いろいろと教育するために、
苦しまれた神がいるということを忘れてはなりません。

 
そしてまた、完全なリーダーではないのですから、
メンバーたちを傷つけたこともあるし、
メンバーが話を聞かないので、
自分も傷つけられたこともたくさんあるのです。

チーム・リーダーがよく導けなかったがゆえに、
あるいは牧会できなかったがゆえに、傷ついて、
教会から去ったメンバーもいます。
それによって、リーダーもたくさん学んだのです。

今まで問題のあるチームを引きずってきたのは、
自分ばかりでなく、背後で
神も苦しんでこられたということを考えるのです。

新しいリーダーが来た時に、彼らの中には
メンバーを傷つけたり、
苦しむ人も出てくるだろうと思います。

けれども、私が神の心でその人をよく指導できれば、
そのチームを通じての摂理が延長されるのではなく、
短縮されるだろうと考えるのです。

 
アダムが失敗したときに、アダムの代わりの者を、
すぐ立てることはできなかったのです。

アダムの身代わりを立てるのに、何年かかりましたか。
ノアを立てるために、一六〇〇年かかったのです。
ノアが失敗したときに、何年かかりましたか。

それと同じように、Aというリーダーを出したけれども、
チームをよくリードできなかったとすると、
代わりの人を立てるには、それくらい必要だということです。

皆さんは、最初の人ができないと、すぐ次の人に代えてしまいます。
そうしたらメンバーも変わったと思います。
形状的には変わっても、内的にはまだまだ変わっていません。

最初の人よりも、後に来た人がもっと上の立場に
立たない限りは、引き継ぎが
まだ終わっていないものと考えなければなりません。

 
ですから、リーダーの立場を受け継ぐためには、
新しい人はチームを率いることのできる基台を造らないといけません。

そこには最初のリーダーとメンバーとの
心情のかかわりがあります。

その次の人もよくできなくて、
代わりに新しい者が引き継いだとします。
そうしたら最初のリーダーが
どのように導いたかを知らなければなりません。

また、最初の人がテイク・ケアした以上の熱心さ、
心情をもたなければなりません。
それによって初めて引き継ぎが始まるのです。

最初によくできなかった者がいれば、
新しく来た者が蕩減をしなければいけません。
神が中心者を通じて何かを願うときに、神の目的を中心として見れば、
最初の人と次の人は同一の人なのです。

だから最初の人がよくできたもの、できなかったもの、
それらが全部次の人に引き継がれるのです。

 
アブラハムが失敗したゆえに、
イサクがいけにえに立たなければいけなかったのです。

み旨を中心として見れば、
アブラハム、イサク、ヤコブは同じ人です。

最初のアダムが堕落したがゆえに、
第二のアダムとして来られたイエス様は、
アダムが間違ったすべての蕩減条件を負わなければいけません。

第三のアダムとして来られる再臨主は、
第一のアダム、第二のアダムの
すべての蕩減を払わなければいけないということになります。

前の人の責任は前の人の責任で、
私には責任はないということはありません。
皆さんはそれをはっきりと分からないといけません。

平壌開拓から興南解放
第三章 興南監獄での伝道
「私の苦しみの前に神の苦しみがある」

信仰生活シリーズ 6
伝統の源流 主と歩んだ教会創立以前の道」 
金元弼(1998年7月1日発行)
*『信仰と生活第二集伝統の生活化』を改題
 

再臨主として来られた
真の父母様の立場は、どれほど大変だったのか、
窺い知ることができるみ言だと思います。

神様ご自身も6000年間、
待ちに待った真の父母様でした。

今回のみ言は、リーダーとして立つ立場の人の
観点で語られている内容ではありますが、
私たちが中心者を見つめるとき、
また、一人ひとりが神氏族メシヤでありますから、
私たちにとっても必要なみ言であると思います。

やはり、題目にあるように、常に
「私の苦しみの前に神の苦しみがある」
このことを念頭に置いていきたいと思うのです。




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2022年04月05日

大阪で見つけた神戸の種火 「ひらめき」そして果敢に行動すると 《松本ママ奮戦記》



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松本ママと山路美知子さん☆


松本ママの「信仰は火と燃えて」
今回は、『神戸の種火』です。

大阪では、クリスチャンセンターにおいても
すでに多くの否定を経験していた
松本ママですが──

 
またある日のことです。

河津さんと一緒に、いつものように路傍伝道をしていると、
クリスチャンセンターにたくさんの牧師夫人が集まって
集会をしている、という情報が入りました。

私は、これはチャンスだ、とピンとひらめくものがあったので、
河津さんを先に帰し、
その牧師夫人の集会に参加することにしたのです。

けれども、このままの格好ではとても行くことはできません。
そこで急いで近くのデパートに、洋服を買いに行きました。

並んでいる服を見るとどれも4、5000円近い値段がついています。
ところが、私の手元には2500円しかお金がないのです。
しかしなんとかしなければならないので、
そこの責任者に会って話をしてみました。

「私はいつも駅の前で路傍伝道をしている伝道師ですが、
実は急遽(きゅうきょ)行かねばならない所がありまして、
あの服を着て行きたいのですが、今手元には2500円しかありません。
残りはきょうの夕方かあす必ず持ってきますから、
ちょっと貸していただけませんでしょうか」

デパートで服を貸してくれるはずがないとは思いましたが、
無理を承知で、当たって砕けろとばかりにぶつかってみたのです。

すると即座に「いいでしょう。
あなたのことはよく知っています」という返事が返ってきました。

とても意外なことだったので、天にも昇る気持ちで感謝して、
さっそく着替え、顔を洗って、髪をとかし、
ちょっと口紅をつけて出掛けて行きました。

 
クリスチャンセンターに着くと、約100人ぐらいの婦人が集まっていて、
平和運動をしている野々宮さんという婦人が、
東南アジアを旅行した時の話をしているところでした。

彼女は「仏教はいろいろな派を越えて、
みんな和合統一する方向へ行っているのに、
キリスト教はいつも分裂ばかりしていて、
これは本当に嘆かわしい」ということを言っているのです。

私は「そうだ」と言って拍手をしました。

その時、私の方を見て“なんだあの女、ここにも来たのか”
という顔をする人もいましたが、
話を真剣に聴いている人は一緒に拍手していました。

私は拍手をしながら、
「そうです。先生の話はもっともです。
キリスト教は今や統一されなければならない、
宗教が一つにならなければならない時が来ていると思います。
先生は本当に素晴しいことをおっしゃってくださいました。
ありがとうございます」と言って、
野々宮さんのそばに行って握手を求めたのです。


そんな私の態度を見て、つかつかと
私のそばに寄ってきた婦人がいました。

神戸の教会から来ている山路美知子さんという人で、
お互いに自己紹介をし、名刺をもらって、
またいつか改めて会うことを約束して別れました。


この山路さんと会ったことが、
その日の大きな収穫だったのです。

何日かしてから電話をしてみると、すぐ来てください
と言うので、さっそく出掛けて行きました。

そして、その日は一日山路さんと神様の話をして、
最後に「『統一原理』を聴いてください」とお願いし、
序論だけを話して帰ってきました。

ところが、山路さんはその序論だけで心が満たされ、
すぐにも全部聴きたいと言い出したのです。
私は大阪から神戸まで、講義に通うことになりました。

松本 道子(1916〜2003)・著(光言社・刊
『信仰は火と燃えて―松本ママ奮戦記―』より)

信仰は火と燃えて 12
神戸の種火
(blessed lifeより)


松本ママの実践力は本当に素晴らしいですね。。。
時には落ち込むことがあっても、
すぐに翻って、また前に突き進んでいく。。。
これだけの突破力があれば、
恐れるものはないといえますね。

デパートで服を買うのではなく、
借りるというのも、松本ママならではのことですね(笑)

『ひらめき』というのは、
神様と善霊が働かれるものだと思います。
霊的に敏感になっていきながら、
また、松本ママの実践力を相続しなければと思います。


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あくまでも個人の意志に基づいて、書いているものであり、
教会本部の意向とは直接関係がありません。
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