2016年04月20日

目撃した父の祈り! まさに告天文!! 《お父様と海と自然3》



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摩尼山から見る西海の島々☆


尹世元(ユンセウォン)元鮮文大学校総長による証し。

お父様は、ある島の霊山の頂きで、
海と山並みの素晴らしいパノラマを眺められながら
語られ、また深い祈りを捧げられたといいます。


1983年10月、文先生を迎えて江華島(カンファド)、摩尼(マニ)山に登ったことがあります。
頂上には檀君(ダンクン)が祭壇を築き、天神に祭礼をささげたという遺跡がある所です。

摩尼山から東西南北に見える景色は、本当に美しいです。
山と海、野原と空が、本当に見事な調和を成した所です。

文先生は、「本当に我が国の一連の山は、
世界のどこにも見られない独特な美しさがある」
とおっしゃりながら、西海(黄海)を指さして絶賛されるのでした。


「あの西海の穏やかな様を見なさい。
世界のどの海がこれよりもっと穏やかで、
これより平和的であろうか?

人類歴史を見れば、海を中心として無数の争いが起こり、
興亡盛衰を繰り返したが、この西海で、一度たりとも、
争いらしい争いがあっただろうか?」



また、文先生は北の空を見上げられて祈祷をささげられるのです。


「唯物論的共産主義の輩によって呻吟する
北の地と、善良なわが同胞を解放させて、
この地に
天のお父様の創造理想である
地上天国を必ず実現する責任を果たします」


文先生の表情は深刻で、謹厳であり、声は沈んだようでありながら
細く高い声を出し、額には汗の滴が流れるのでした。

文先生は、「天のお父様に親孝行をすることのできない子供たちを正しく導いて、
天のお父様に喜びをささげられるようにします」
という固い決意を神様に告げるのでした。

いわば、告天文とでも言うべき、決意文のような
内容と形式で神様に祈祷をささげられるのでした。

私は、足ががくがく震えるのを感じました。
共に立って祈祷をささげる弟子の中には、嗚咽して泣く人もいました。

文先生は祈祷をささげられるとき、理性で語られません。
ひたすら情で訴えられ、意志で決意を表明なされ、誓われるのみです。



尹先生を通して、
お父様の切実で深刻なご心情が伝わってきます。

そのお父様の切なる思いに、
神様が働かれ、イエス様が現れました。

少年時代、猫頭山で祈っているお父様に対して、
当時、近所の子供たちは、
『龍明お兄ちゃんは、山と相撲と取っているよ』
そのように表現しました。

私たちも足りないながら、2020年に向け、
お父様の切なる祈りを少しでも相続しつつ、
霊界のお父様、地上のお母様に
喜びをお返しする歩みをしていきたいと思わされます。

不定期に続きます。



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2016年04月16日

船上では絶対横にならない! 甲板で波風に打たれ続けたお父様! 《お父様と海と自然2》



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尹世元(ユンセウォン)元鮮文大学校総長による
真のお父様の証し、昨日の続きです。


夏のマグロ釣りの時期に、文先生の船(ニューホープ号)を追いかける
三十〜四十隻の小さい船(ワンホープ号)が
漁場で釣り糸を垂らす光景は壮観です。

しかし、船に乗った人々は、熱く照りつける太陽の光を受けながら、
一日中、波が音を立てる船の上から、釣り糸を垂らして
浮きの動きだけを見つめるということは、ほんとうに大変なことです。

文先生は世界を救うために、苦労を自ら喜んで受け入れていらっしゃるのです。
私は、文先生が痛ましく見えるときが一、二度ではありませんでした。

それで、疲れて見える文先生に、しばらく船の中に入って
横になられるようにと申し上げたことがあります。
しかし、文先生は船室に入られずに、
そのまま船の甲板の上で耐えていらっしゃるのです。

文先生は「過去十年間の海釣りで、ちょうど二回、
船内に入って横になったことがあった」と言われながら、
それをひどく後悔していらっしゃいました。


文先生はどんな苦痛であったとしても、
この時間に神様が味わっていらっしゃる苦痛よりも
大きな苦痛があり得るだろうか?と考えられるのです。

文先生は統一教会の信徒たちに、
この世のすべての苦痛を自ら背負う覚悟をしなければ、
世界を救える道が開かれないと教えられるのです。
そして、苦痛を先駆けて負って行かれるのです。

今日、文先生に従う真の統一教会の信徒ならば、
この世の苦痛を先駆けて負っていこうという覚悟とともに、
実践の人生がなければなりません。

そして、世界のすべての人が、この苦痛を負おうとするとき、
神様の苦痛が消えるはずであり、
神様の創造理想世界が地上に実現されるはずであり、
人間世界の苦痛も消えるはずです。



真のお父様が肉体の限界を超えて歩まれたのは、
神様を知ってしまったからであることを改めて感じます。

お父様は言われます。
「御飯がないからそうするんじゃない。
名誉が欲しいからそうするんじゃない。
誰かが恋しいからそうするんじゃない。
これはたった神様をわかったから、
そなたのその心情がわかったから。
そなたの悲しみというのは我々には問題にならない。
千万倍にもなる。
例に例えることが出来ない」

そのような神様をわかったがゆえに
身をもって示してくださるお父様に
心から感謝いたします。。。

少し長くなりますので、あと数日に分けて
不定期に紹介します。。。


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2016年04月15日

お父様が釣りのチャンピオンになった理由?! 全ての釣り師が使う「ムーニー式」釣り方法?!  《お父様と海と自然1》



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文先生の
釣りに対する深い研究と
り強い忍耐心が、
だれも追いつけない立場に
至らしめた──



尹世元(ユンセウォン)元鮮文大学校総長による
真のお父様の証しを紹介します。

尹世元先生は真のお父様とともに1980年代
海や山でともに過ごされました。
一部、編集しています。


一九八三年夏、私はボストンとアラスカのコディアクの海で、
七十数日間、文鮮明先生とニューホープ号に乗って、海釣りをしました。

朝四時ごろに起きて、顔を洗い、食事を終えた後、
日が昇るのよりずっと前に、宿舎を出ます。

五時半に船に乗って、日が昇る東の空の雄壮な姿を見ながら、
一時間半くらい船に乗って進み、
陸地が見えるか見えないかぐらいのところに錨を下ろして、釣りを始めます。

そのころから熱い日差しを頭の上に受け、十二時間近く釣りをして、
夕方六時か七時ごろ船を引き返して宿舎に帰り、夕食は夕方八時ごろです。

文先生は、夕食後、すぐ休まれるのではなく、多くのみ言を語られます。
ですから、私は夜十二時、または明け方の一時になってから寝床に入るのです。


朝五時から夕方七時まで、船に揺られ、
日差しに苦しみ、風と波を何回も受けます。
それに、一日に三時間か四時間しか寝ることができません。
本当にこの疲れは、例えようがありません。

文先生はそれを、一日や一週間で終わるのではなく、
毎年三か月ずつ、十年間続けられています。


文先生との船の上での生活で、また夕食の食卓で、
多くのお話を聞くことができました。

文先生と皆さんに申し訳なく思うことは、
日差しが焼きつくように照りつけ、ゆらゆらと揺れる船の上で、
いつどのようなときに文先生のみ言があるだろうかと
予測することができなかったために、
み言を書き記すことができなかったということです。

また、食卓でも文先生は、いつもみ言を語られたのですが、
疲れていた私はみ言をただ耳で聞いて、頭で記憶しておくのがやっとでした。


文先生はご自身で釣り方を研究されました。
そして、アメリカで文先生はマグロ釣りのチャンピオンになりました。
だれも追いつけませんでした。

アメリカ人たちが、文先生の釣り道具や方法を
『ムーニー式釣り道具、ムーニー式釣り方法』だと呼んで、
今ではボストン沖合のほとんどの釣り人が
この『ムーニー式』の釣り方式を使用するようになりました。

文先生の釣りに対する深い研究と粘り強い忍耐心が、
文先生をしてだれも追いつけない立場に至らしめたのです。


ハドソン川の下流、ベリータウンにある神学校に行くと、
川岸にある広い倉庫にはさまざまな網をはじめとした
各種の漁具が掛けられています。

これらすべてのものは、文先生が自らの手で作られたものです。
文先生の海釣りは、文先生の動的な面を見せてくれるものですが、
倉庫いっぱいの漁具は、文先生の静的な面を見せてくれるものです。


文先生は、たくさんの網を自らの手で編みながら、
何を考えていらっしゃったのでしょうか?

海釣りそれ自体は動的なもののようですが、実際は無限に静的なものです。
魚が釣り針に食らいついて、これを引き上げるときは一瞬です。

何時間、何日でも揺れる船の上で、
波打つ海を見下ろさなければならない退屈さは、
到底耐えられるものではありません。

あるアメリカの青年は、文先生と海釣りに一日出た後、
一週間休んでやっと疲れがとれたと言いました。

その人は私を見て、「あなたは文先生と七十日間共に海釣りしたから、
二、三か月はゆっくりと休むべきです」と冗談を言いました。
文先生は、このように苦しいことを、毎年夏に丸三か月もされるのです。


文先生は、海に人類の無限な希望を持っていらっしゃいます。

人々は陸地を開拓して、生きる基盤と食糧を得ました。
人々が陸地を開拓したのは、本来、
地上に住むようになっているという理由もありますが、
陸地が海よりも開拓することが易しいからです。

ところが、二十世紀以後、増える人口と限られた土地は、
人類の未来を暗くしています。
一方、海は陸地よりもはるかに広く、無限な資源があります。


アラスカ沿岸には、長さ五十キロメートル、
幅十キロメートルくらいの魚が群れになり、あちこちに泳ぎ回っています。

ボストン沖では、イカの群れが海を覆うくらいたくさんいます。
南洋の海には、クリルという小さいエビの群れが無尽蔵にいます。

アメリカ人たちが好んで食べる魚介類は、
サケ、ハリバット、エビ、カキ、カニ、ハマグリなど幾つかの種類だけで、
大部分の魚は食べず、捕まえては肥料や飼料として使用します。
全世界の十億近い人口が飢えているのに、とんでもないことです。


文先生は、世界の食糧問題を恒久的に解決しようとするなら、
海を開拓しなければならないと考えていらっしゃいます。

たとえ険しく苦労に満ちたところであっても、海を開拓し、
豊かにせずしては世界を救う道がないと、考えていらっしゃるのです。

ですから、文先生は自ら海の困難を経験されて、
文先生に従う若い男女を海へと導いていらっしゃるのです。



真のお父様は、海が好きだからとか
釣りが好きだから釣りをされるのではありません。
人類救済のために、切実な思いを持って、開拓していかれたのです。

神のために人類のために、
海を愛し、魚を愛することを通して、
マグロ釣りのチャンピオンになっていかれたのだと思います。

本当に伝道の精神ですよね。
相続していきたいと思わされます。


明日に続きます。


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