2016年03月14日

メシヤから全否定?! そんな時、どうする?! 《松崎先生の証し 1》



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今日は松崎先生の証しです。
松崎先生は、1972年6月23日、アメリカ宣教師
最初の12人の一人として、選ばれました。

真のお父様との出会い、
そして、大失敗の証しです。


1975年7月 真のお父様は
アメリカ、ボストンの北、グロースターの海で
40日間、マグロ釣りをされました。

40日期間中のある日、お父様から
ニシン料理を命じられました。
(少し加工して書いています)


ニシンは、マグロを釣るときの、餌なんです。
たくさんクーラーボックスに入っているニシンを見ながら、
「松崎、これはニシンだね。
韓国では、いい魚だよ。
これを料理しなさい」

「はい、わかりました。
お父様、どう料理するんでしょうか」
「煮るんだよ」

それで、料理をしたんですが、
釣りをしながら、料理をするので、
イカとか、サバとかが取れるんです。
ですから、ニシン料理とともに
イカの刺身、イカの天ぷら、
サバ料理をお出ししました。

「お父様、準備ができました」
「わかった」
そして、お昼を食べ始められました。

ところがお父様は私の作った料理には、
全く手をつけられませんでした。
お父様はご飯と、キムチか何かを食べられただけで、
私の作った料理には、見向きもされなかったのです。


私は、メシヤとお会いして、そして、メシヤに侍るため
このアメリカにやって来たのに、
そのメシヤに否定されてしまった。。。

このときは、本当に厳しい状態になりましたね。。。
言葉を失い、凍り付くような思いでした。
心の中は真っ暗闇。
まさに霊的地獄です。

悩みました。
苦しみました。
その状態で、真夜中になったでしょうか。
ハッと気づきました。
そして、ある聖句が浮かんできました。


旧約聖書のサムエル記の場面です。

サウル王は、神様から、アマレク人を絶やすように言われ、
アマレク人と家畜を殺しました。
しかし、自分にとって都合のいい肥えた牛
また、子羊とか、そういったものは、殺しませんでした。

サウル王は、その家畜に目がくらんだのです。
そして、神様に燔祭をささげたのですが、
神様は怒られたのです。
そして、サムエルを通して、サウル王に言いました。

サムエルは言った、
「主はそのみ言葉に聞き従う事を喜ばれるように、
燔祭や犠牲を喜ばれるであろうか。
見よ、従うことは犠牲にまさり、
聞くことは雄羊の脂肪にまさる」

サムエル記15章22節


そのことを前の日の出来事と結びつけたのです。
お父様は、「ニシンを料理せよ」と言われたわけです。
ニシンは料理しましたが、ほかの料理もしたのです。

不純ですよね。
ですから、手を出せないですよね。
私の作った料理は、
お父様の命令に反した自分なりの祭物なわけです。


そして、次の日になりました。
お父様は無言のまま、
再び釣りを始められました。

そして、お父様は昨日と同じくらいの時刻に
「ニシンを料理しなさい」と
再び全く同じ命令をされたのです。

いやぁ、主の愛というものは、
素晴らしいなぁ、そう思いました。



ここまで書けば、あとのことはわかると思います。
そうです。
松崎先生は、ニシン料理を作られ、
そして、お父様が食されるのでした。

そこで、松崎先生はいろいろなことを悟られました。。。
少し長くなるので、後半は明日に続きます。



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2016年03月05日

お父様からの最後のプレゼント! 巨文島の釣りの思い出



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地区長が、かつて真のお父様の招請を受けて
巨文島に行かれた時のエピソードを話してくださいました。
お父様が聖和される年の5月3日の話です。


今から4年前のことになります。
真のお父様が私たち日本の責任者たちを
巨文島に呼んでくださいました。
総会長はじめ、わずか20名くらいだったと思います。

その時、巨文島は本当に遠かったんですね。
ようやく到着して、真の父母様に敬拝を捧げ、
その次に昼食の時間になりました。

総会長に「昼食のあとはどんなスケジュールですか?」
そのように質問しても「わからない。
でも、お父様がいつ呼ばれるかもしれないから待機するように」
そんな風に語られたと思います。

それで、のんびり食事をしていると
とても慌しい雰囲気になりました。
総会長が突然、いなくなり、
そのあと、何人かがいなくなったと思います。

それでも、私はのんびり食事をしていたんですね。
そうしたら、「お父様が呼ばれている!」ということで
びっくりして、外に出ると、港で待っておられるというのです。

実は、その場所から港までは2キロ近くありました。
走って走って、港に着いたら、
既にお父様の船は出発していました。

私たちもお父様の船を追いかけました。
ようやくお父様の船に近づいたとき、
お父様は、「お前たちもう帰れ!」
それで、そのままUターンして、港に戻ることになりました(笑)

ところが、港に到着する直前に、お父様が
「戻ってくるように」と連絡してきてくださり、
再び、お父様のところに行くことになったのです(笑)

あとから、聞いた話では、
お父様の船には、古田先生が乗っておられて、
お父様から物凄く叱られたそうです。

なぜだか、連絡がうまく伝わっていなかったのだと思います。。。
それで、古田先生を叱りつけて、
お父様の気持ちがさっぱりしたのか、
また、戻るように言われたのでした。


このとき、お父様は私たちに
釣りの道具や、栗と胡桃の種をくださいました。

お父様は私たちを日本の代表として
プレゼントをしてくださったのですが、
まさか、このプレゼントが最後のプレゼントになるとは
思いもしませんでした。
しかし、お父様ご自身はわかっておられたのだと思います。


そして、巨文島で3日間過ごしたのですが、
何かお父様はそれでは物足りなかったのか、
天正宮に再び私たちを呼んでくださいました。

その時、疲れているお父様のお姿を見たのです。
お父様が食事をされながら、寝ておられました。
こんなお父様のお姿を初めて見ました。

そして、私たちに「歌ってごらん」
と言われて、一人ひとりに歌を歌わせました。
この時にもお父様は歌を聞きながら居眠りをされていたのです。

お父様は食口に歌を歌わせることはあっても
居眠りをされることなど一度もありませんでした。
ですから、肉体の限界で相当疲れておられたのだと思います。

そして、私たちが一曲づつ歌を歌い、
半分くらいになった時でしょうか。
お母様があまりにもいたたまれなくなったのか
「もういい」
ということで、残りのメンバー全体で
合唱をして、解散になりました。


お父様は、どれだけ日本の責任者を通して、
日本を愛しておられるのかがわかると思います。

先ほどの歌の時のこと、お父様は古田先生に
「君が代を歌いなさい」と言われました。
古田先生は君が代を歌い始めましたが、
途中、歌詞がわからなくなって、止まってしまいました。

そのとき、お父様が助け舟をだされて
君が代を歌われました。
そして、君が代の意味を解説してくださいました。
お父様は日本人以上に
日本を心から心から愛しておられることを本当に感じました。

そのようなお父様の日本に対する深い心情を
皆様にお伝えしたくてお話しました。



以前、そのときのことを記事にしたことがありました。
(当時の地区長は、偶然にも海に早く出て、
お父様と同じ船に乗ることができたのでしたが。。。)

今回、地区長を通して、
船のこと、プレゼントのこと、
詳しく聞かせていただき、本当に感謝でした。

お父様は日本をこよなく愛してくださっている・・・

今は、地上にはおられませんが、
霊界において、そのような愛情を持ちながら、
私たちを見つめておられるがゆえに、
そのようなお父様を、私たちは、
もっと意識していかないといけないな。。。
そんな風に感じさせていただきました。


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2016年01月04日

晩年のお父様の証し! なぜ巨文島が聖地なのか?! 〜真の父母の足跡を求めて4〜



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許煬(ホ・ヤン)天一国特別巡回師による
ツアーの続編を紹介します。

聖和される前のお父様が、どのように過ごされていたのか、
巨文島(コムンド)で、精誠の生活をされていた様子を語ってくださっています。


お父様は巨文島に訪れる度にお体の具合は考えもされず、
いつも海に出かけると言われました。

船着場で5〜6人の随行員が力を合わせて
お父様を車椅子に座らせたまま船に乗せたのです。
不自由なお体を物ともせず精誠に没頭されました。

帰られる時はお父様のみ言に従い、
随行員たちが歌を合唱しました。
舟歌、故郷無情、オキナグサ、半月、希望の国へ等、
父母様の愛唱曲を歌いました。

それでも訓読の時間はいつもの通り守られました。
訓読の時間は、公人として天と約束した時間であるというみ言を
常に思い出させてくださったりもしました。

お父様がお部屋から訓読室に出て来られる時、
随行員たちがお父様の両腕をかかえ歩くのを助けます。

訓読を終えられた後には、
御座に着いたその場でソーセージ、サンドイッチ、
サツマイモ、ジャガイモなどの食事をとって、
直面した摂理の課題を急かされました。

お父様が巨文島に来られると
海に行かれない日はほとんどありませんでした。


しかしある日、チェ・ジョンホ船長が
「お父様、釣りに行く準備ができました」と告げると
「私はもう海に行かなくても良い。
君たち同士で行ってきなさい!」と言われました。

お父様のこのようなみ言は意外でした。
今になって筆者が思うに、その時、
お父様は地上生活の最後の日を予見し、
準備されていた段階ではなかったでしょうか。。。

清平に戻られる時、麗水空港のVIPルームで
真のお父様と向かい合って座った筆者は、
やつれて苦しそうにしておられるお顔を
まともに見ることができずとても辛かったです。


お母様が「お父様は元々健康にお生まれになり、
100歳以上も生きることもできました。
しかし、お父様のお体をあまりにも無理に酷使されたことが
聖和された理由の一つとなります」と言われ

「あなたたちが乗って回る車を見てごらんなさい。
磨いて、緩んだのは締め、潤滑をしてあげてこそ
よく走るではないですか?
あなたたちが愛用する電化製品も
掃除をきちんとしてあげてこそ、
その機能を発揮することができるではないですか?」
と語られたみ言が私たちをより悲しくさせました。


お父様を担当した主治医は、
誰もが90歳もの高齢になると
東西を横断するような長距離の旅行はしないほうがいい、
どうしても旅行がしたいのなら
3年に一度が適切であると言われました。

しかしお父様は、2011年8回、聖和された2012年には4回
ラスベガスまで行って来られたのです。
仁川空港に到着すれば、清平に寄らず
巨文島に向かわれることがほとんどでした。

お父様がお体を酷使されたという
お母様のみ言が理解できます。


そうして聖和直前まで後天時代を開くために精誠を尽くされた
巨文島は、聖地でないはずがありません。

なぜ巨文島が聖地なのでしょうか?

まず一番目に、お父様は逃避城だと言われました。
二番目は、アベルUN創設報告大会を開催した場所であり、
三番目は、圓母平愛財団の揮毫された所であり、
四番目は、血統を転換するよう最後の訓令と
『天一国最大の勝利を記念宣言日』を
直筆で書かれた所であるからです。

そう考えてみると、巨文島は摂理や歴史的に新たな時代を開き、
きらびやかな統一家の未来を切り開いていく根源地だと言えるでしょう

『真の父母様の業績を訪ねてA』
TPマガジン より
編集・文責:ten1ko2
(参考:「世界家庭」12月号にも掲載されています。)



肉体の限界を超えて歩まれた真のお父様。。。
ラスベガスの長旅を終えて、戻られた時にも
車椅子のまま、随行員に抱えられ、船に乗り
釣りの精誠を捧げられ、
また、訓読の精誠だけは決して忘れられませんでした。

命を削って投入されたお父様の精誠・・・
その土台によって、
後天時代が開かれました。
そんな真のお父様に思いを馳せて、
また、心から感謝を捧げていきたいと思います。

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