2020年04月01日

天の願いと中心の願いの狭間で悩むときの、必勝法?! 《UTS時代の神体験》



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全国信徒大会(千葉)1991.9.18


神明(しんみょう)先生の『UTS時代の神体験』より、
「主体的な信仰で中心者を説得することが必要なときもある」を紹介します。


私は今までの信仰生活で、中心者から
ああしなさいと言われればああするし、
こうしなさいと言われればこうするのを
モットーとしてきました。

それは献身的に歩む者として当然であったし、
また、そのようにして神様の恵みを感じてきました。

しかし、中心者も完全な人間ではないので、
不適当な指示や命令をすることもありえます。


そのようなときは神様に祈りました。

祈ると、「たとえ中心者が間違っていても、
愛して仕えて一体化せよ」という答えがいつも返ってきました。

「なぜ、愛して仕えて一体化しなければならないのですか?」
とさらに聞くと、

「おまえが温かい愛の心でそうする条件で、
私をまだ完全に知っているとは限らない中心者も、
おまえを通して私の力が働いていることに気づかされるようになり、
おまえと中心者の間の授受作用が始まるので、
それを基盤として私の啓示が
最終的に双方に与えられるようになるためだ」
というのが、神様からの答えでした。

なので、たとえ最初は少々難しいことがあったとしても、
最終的に神様の願いが成されるために、
私は中心者の成功を心から願いながら、愛して仕えて一体化してきました。

それは目の前の怨讐に対しても同じであり、
愛して許して一体化するように努めてきました。
あくまでも神様を証しするためです。


ところが、そのようにして
最終的に神様の願いが成されるまでには、
時間が大分かかることもあります。

なので、中心者の命令を受け入れて一体化することによって、
即座に悪い結果が出てくるような場合はどうするのか、
その場合、本当に中心者と即座に一体化してもよいのか、
というような疑問も残るかも知れません。


例えば、1991年9月に、それまで米国で活躍された先生が
日本教会の会長になられたとき、
私はそのようなことを経験しました。

そのとき、米国在住の43双と777双の日本人は
全員「例外なく」日本に即座に動員されることになったのです。

それで、UTSでの私の直接の中心者である金相哲総長に、
自分の身の振り方を伺いました。
総長はすごいけんまくで、絶対に日本に行ってはならない、
日本に行く気配が一寸でもあれば
手錠をはめてでも拘束するぞ、とまで言いました。

こういう場合、普通は中心者の前に
萎縮してしまって従うのでしょうが、
私としては何よりも神様のみ旨が大切なので、
そんなことを言われても平気でした。

それよりもUTS全体が
神のみ旨と歩調を合わせないのが
大変な問題なのではないかと思いました。

私はその夜、一晩中、祈りました。

そして、もし私が日本に行かなかったら、
UTSは摂理に従わないような教授が教えている、
とんでもない、けしからぬ神学校だ、
という讒訴が来るだろうから、
真の父母様の大切なUTSを守るためにも、
総長の厳命に反してでも日本には必ず行こうと決意しました。


翌朝、総長を説得するために会いにいきました。
そして、日本に行かねばならない理由を告げました。
すると、祈った条件があったせいか、
総長は心情的に70パーセントは受け入れてくださいました。
しかし、あとの30パーセントはだめでした。

それで、次の手を打ちました。
日本と良い関係を結んでおくと
将来のUTSの経営のためにもいいかもしれませんよ、と。

これも天からの知恵であったと思います。
そしたら、100パーセント快諾していただきました。

私の場合はラッキーでした。
1985年からUTSで教え始めて以来そのときまで6年半の間、
さまざまな不当なつらい取り扱いを受けても
(それが総長からの不当な取り扱いであっても)、
全てを受け入れて一体化する努力をして、
神秘的な神様の愛の心情圏と導きを体験してきたので、
総長は直感的に私を非常に信頼するようになっておられたのです。

そのせいか、私が一晩祈って
総長の厳命に反するような説得行動をしたとき、
総長は受け入れてくださったのです。

要は、中心者が願わないような、
自分の決断を迫られる緊急事態に備えて、
日頃から中心者とは
神様の導きによる信頼関係で一つになって
いなければならない、ということだと思います。


日本動員に話を戻すと、
米国帰りの777双の人たちは成田空港に着いた後、
神奈川・川崎の宮崎台修練所で1週間の修練会に参加しました。
皆からは、UTSなのによく来たね、と言われました。

それが終わった後、日本での新しい責任分担が与えられる予定でした。
日本の新しい出発のための真のお母様による講演会が
千葉県で開催されましたが、それにも参加させていただきました。

いよいよ日本でみ旨をやるのだなと思っていたとき、
UTSも大事だから今すぐアメリカに帰るように、
と会長から直接言われました。

会長としては、私が今回の摂理の重要性を知って
日本に帰るという覚悟を持っただけでも十分だったようでした。
私が実際日本に行ったので会長は喜んでくださいました。

しかも最終的にはUTSに戻れることになって、
UTS総長も非常に喜んでくださいました。

私の信仰観が、今の日本の統一運動でのカイン・アベルの関係に
適合するかどうかは分かりませんが、
ここにこのような証しを記しておきたいと思います。



素晴らしい証しです。

中心から指示があった時、
素直に受け入れられないことがあったりします。
どうしても感謝できないこともあるかもしれません。

その時、神明先生は、神様に祈りました。
そして、答えを与えられることで、
ご自身の意向が受け入れられたのです。

自分の感情で物事を判断することなく、
天に委ねる姿勢が重要だと思います。

中心の心情、意向と異なる思いになったとき、
自分の感情で動いたら導かれることはない、と思います。

天が立てた中心であるし、
そういう中心を与えられた
天の願い、御意があると思うのです。

神明先生のように、天に祈る、
あるいは、アベルのまたアベルに尋ねる、
中心と一つになることが
天の願いですし、
お母様の語られる如く
「ウリヌンハナダ」だと思うのです。









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posted by ten1ko2 at 08:53 | Comment(0) | 信仰生活・信仰講座・礼拝説教 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年03月27日

当たり前の関係ではない?! 世界を愛してから会われるアボジ 《金元弼先生》



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この世に
生を享(う)けた人の中で、
無意味に
生まれた人はいない


人類の涙をぬぐう
平和の母」
より


金元弼(キム ウォンピル)先生のみ言、
「理想的な出会い」続編です。


外的な目で見れば、今、先生は夫人、
子女様たちと同じ家で生活しておられるのですから、
先生はお子様に会うにしても、夫人に会うにしても、
世界を愛してから出会われているということを忘れてはいけません。

言葉を換えて言えば、先生は世界を愛してからでなくては、
たとえ夫人に出会ったとしても会っていないということです。
それを私たちは分からなくてはいけないのです。


皆さん、世の中の家庭を見ますと、
どの家庭も同じ家で一緒に生活をしています。
外的に見ればそのように一緒にいて、いつも出会っていますが、
もし心がそれぞれ違っているならば、
内的には全然出会っていないということを、
皆さんも聞いて知っていることと思います。

それは一緒に暮らしていても、一緒に暮らしていないということです。

では、私たちはどうでしょうか。

今、私個人のことを考えてみても、
自分の心と体が別々に動いているとするならば、
自分の心と体は一緒にいるのではなく分かれているのです。

もし、一つの部署において、あるいは教会において、
皆が一緒にいたとしても、
一人一人の心が別々であるとするならば、
それは一緒にいるのではなく、
別々に分かれているというのです。

私たちは現実の自分というものを、
はっきりと見つめていかなければならないと思います。
それは消化できていない自分を知らなくてはならないということです。


私たちは一年、二年と同じ教会で一緒に暮らしながら、
どれだけ自分の心を打ち明けられますか。

寂しい時には「私、寂しいの」、
喜ばしい時には「私、とてもうれしいの」と、
お互いにそういう状態の話し合いをできる人が何名ぐらいいますか。

そのように聞いた時に、皆さんは何名いると答えるでしょうか。

そう言うと、たいてい「一人」、
「二人」、
「いない」と答えるのです。
これが現状なのです。

特に、本当に自分の心情を打ち明ける、という点になると、
「誰もいない」ということになるのです。


皆さん、世の中では、10年、20年、30年間
一緒に生活している夫婦の間でさえ、
「あなたは私の心情をよく分かってくれない」
ということがよくあるのです。
これが世の中です。

そしてまた私たちの世界においても、
それが適用されているというのです。
そうですか。(はい)。

私たちはこれをはっきりしなくてはなりません。
そういうことを考えてきますと、
つまり夫婦の出会い、兄弟姉妹との出会い、
親との出会い、親戚との出会い、友達との出会い、
これらの出会いがうまくいっていない
ということが分かってきます。

それがはっきり分かることによって、
私たちが今後、このような出会いを
いかにしなければならないか、という道が開かれていくのです。


私たちの心と体はいい加減に出会っています。
そしてまた親子の出会いもいい加減にしています。
夫婦の出会いもいい加減にしています。
そういう結論になります。

ですからさっきもお話ししたごとく、
先生の神様との出会い、先生と韓夫人との出会い、
先生の子女様に対する出会い、
先生の私たちに対する出会い、
それらがどういうものであるかということを
考えながら解決していきたいと思います。


例えば今、私たちは相対者に会おうと思ったら
たやすく会えるものですから、
会うのはそれほど難しいものではないと考えています。

しかしながら、この出会いというものが
どれほど真剣なものであり、どれほど難しいものであるか
ということを立証するために、次の例をとってみましょう。 

一人の人が神のみ言から離れて間違ったことをしたとします。
そうしたときに、今までそういうことがなかった時には
相対者にたやすく会うことができたのに、
間違いを犯したその瞬間、その人は、
自分の相対者に会うことがなかなか難しいことを感じるでしょう。

そうではないですか。
ということは、本当に神だけを愛した自分でない限りは、
相対者を愛する、相対者と会う
ということが難しいということです。
それがはっきり分かるだろうと思います。

つまり、私たちが神の善なる道を行き、
その道を通さない限りは、
自分の相対者に会うことができないということです。
何か分かりますか。

ところが私たちは、この相対者と夫婦の関係になると、
たやすく会えるものと考えてしまいます。
これは非常に間違った考え方です。


メンバーとメンバーとの関係、
メンバーとリーダーとの関係も全く同じことです。

リーダーがメンバーと会う時、
「私はリーダーだから、たやすく会うことができる」
と思うかもしれませんが、
メンバーに出会うということがいかに難しいことであり、
真剣なことであるかを忘れてはいけません。

メンバーもリーダーに会う時、いつも同じ所で一緒にいますので、
それほど難しくないと考えるかもしれませんが、
それがどれほど難しく、真剣なものであるか
ということを忘れてはいけないのです。

「理想的な出会い」
先生の出会いに対する心掛け
(1981年9月27日ベルベディア)


元弼先生は、本当に人との出会いを貴く思われておられます。
それは、真の父母様がそのような出会いをしておられるので、
相続をされたのだと思います。

負債のある時は会いずらい、というのは、本当にそうですよね。
しかし、会うときは、当たり前のように会ってしまう。
これを正さないといけないわけです。

天から与えられている自然万物に対しても、
「当たり前」だと思うのか、
心から感謝して生活するかによっても、
その人の心情基準が違うように、
いつも出会っている家族、
周りの兄弟姉妹たちに対しても、
心から貴く思う生活を心掛けていきたいと思います。




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 私たちはみな、自分が生まれたことに対して深く感謝しなければなりません。この世に生を享けた人の中で、無意味に生まれた人はいないのです。また、個人の人生は、その人だけのものではありません。一人の人が生まれる背景には、天と地のあらゆるもの、宇宙万象が縦糸と横糸として編み込まれています。全世界の、さらには全宇宙の機運が調和し、凝縮されているのです。
 ですから、誰であっても、自分自身を取るに足らないものとして扱ってはなりません。宇宙の聖なる作用によって生まれた貴い存在であることを、心の底から悟るべきなのです。


自叙伝 人類の涙をぬぐう 平和の母」p64より



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2020年03月26日

真の父母様に近くなる方法?! えこひいきの上司をもったとき 《UTS時代の神体験》



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真のお父様から命を受けて
UTSに赴任した神明(しんみょう)先生は、
多くの伝説を生んでいきました。

いつも、真の父母様を身近に感じておられたということですが、
そのような境地に達するのは
簡単ではなかったようです。

『UTS時代の神体験』より、
「恵みを受けた弟たちに対して
嫉妬心を抱かなかったとき」です。


私は1985年の1月からUTSで教え始めました。
そのとき、「家族をUTS内に連れてこないように」
と初めに言われていたので、
いつもタリータウンの自宅から片道1時間半、
車を運転をして通勤していました。

そのうち、私のポンコツ車は使用不能寸前になってきたので、
通勤を継続するため、どんな車でもいいから
それを買うための費用の一部でもUTSで払ってほしいと願い出ました。
子供4人を抱えた私は、UTSでの安い給料では余裕がなかったのです。

しかし、UTSにも経済事情があったせいか、
私の願いは一蹴されてしまいました。
このくらいの願いだったら受け入れてもらえるのではないかと
期待していたのですが、だめでした。

しかたなく、週末は家庭教師のアルバイトなど他の仕事をして、
自分の責任で自動車を調達しました。


さて、私が教鞭を執り始めてから3年ぐらいたって、
米国人の後輩2人 (UTS卒業生) が、私と同じように
他の大学で博士号を取得し、UTSに戻ってきて教えるようになりました。

私の専門はキリスト教神学でしたが、
彼らの専門はそれぞれキリスト教会史と世界諸宗教でした。
幸いにも彼らは自分の妻子全員を
UTS内に連れてきて住まわせてもよいということになりました。

さらに、その2人の後輩は総長に、
彼ら2家庭が共同使用する新車のワゴンを
1台買ってほしいという願いを提出しました。
私のときと違って、総長はそれを承認しました。

いよいよ、スタッフと食口の教授陣を交えた
ある日の朝食会の会合で、
その承認の発表がなされることになりました。

そして、総長は自らがそれを発表した瞬間、
私のことが気になったせいか、私の顔をちらっと見たのです。

私も人間ですから、遠い自宅から通勤のために自動車は
喉から手が出るほど欲しかったのに、私の願いは蹴られ、
2人の後輩は学内に住んでいて自動車の必要性はあまりないのに
新車を買ってもらうという現実を、
正直言って受け入れ難かったのは確かです。

なので、そのときに私は文句を言うこともできたのです。
しかし、そこは我慢して、何もなかったかのごとくふるまい、
恵みを受けた後輩である弟たちを嫉妬せずに、
彼らをかえって祝福してあげられるような心情を
どうか持たせてください、と天に祈りました。

総長は、私の顔が乱れた様子もなく平安なようだと感じて
安心したらしく、会合の議題は次に移りました。


その後のことです、
私が真のお父様により近くなったように感じたのは。

内的にお父様がそばにいらっしゃるように感じ、
人を見ては涙ぐみ、
山や木、建物を見ては涙ぐむようになりました。

この愛の力の恵みは、
自動車などの万物には代えられないものでした。

「UTS時代の神体験:ドクター神明の信仰エッセー」
現在、『世界家庭』に連載中


神明先生の証しはとても具体的でわかりやすいですよね。
愛の減少感の局地を乗り越えていかれました。

人によって次元は異なるでしょうが、
誰もが通過する愛の減少感。
嫉妬にかられないためには、
神明先生のように切実に祈っていくと、
平常心を保て、越えていけることでしょう。

先生のような父母様との心情的出会いはなかったとしても、
愛の減少感を越えることを通して、
真の父母様が乗り越えていかれた境地に
一段階近づくのかもしれません。

また、苦しい立場に置かれたとき、
感謝して乗り越えることを通して、
神様、真の父母様が、ともにおられることを
改めて感じることができると思うのです。







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