2017年04月27日

信仰生活のマンネリ化から脱却するには?! 《李ヨハネ先生のベスト・アンサー》



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「李ヨハネ先生のみ言が良かった」
と、反響がよかったので
早速ですが、第2弾を紹介したいと思います。
今回は、
『信仰生活のマンネリ化から脱却するには』
という質問に対する回答です。


私たちは、自分というものを失っています。
神と自分との関係を体験できないから、結局自分を失うのです。
神と自分との関係を体験できない人は、
それを知ってはいるものの、自己を放置してしまうのです。

主管圏にいながらも、自分というものがはっきりしないために、
どういう立場でだれに所有されて、
だれの願いに存在しているかがはっきりしない。

そして、生活そのものの中で自分の価値を得られないのです。
刺激がないのです。
信仰者でも、そういう人は多いのです。


特に職場にいる人において、失敗しやすいのがそれです。
毎日同じ雰囲気の中で仕事をやらされて、
その量が多過ぎる時は、必ず仕事に支配されてしまうのです。

仕事に支配されると、自分のほうは、ほったらかしになり、重荷になる。
それで肉的に支配され、信仰に失敗する。
動機はあっても、過程で失敗することが多いのです。


だから、同じ場所と思ってはいけないのです。
いつもその場を聖別しながら、人物ならば、
きのうのあの人と思ってはいけないのです。

きのうの私だけれど、きょうの私は
だれを新しく知るべきかと、そう決意するのです。

今はこういう時だと、お父様は私たちに教えてくださいます。
この「時」を私たちは、忘れてはいけないのです。
時を教えるわけは、「あなたたちはこういう時の存在だ」
ということを教えるためなのです。

「世界」と言われたならば、
今、世界的な使命に応じているのだと思わなければならない。
しかし、その価値を発見できず、
時と自分が違うようになると、力が抜け始めるのです。


私たちは、毎日同じ食口だ、同じ場所だ、
これが習慣的になってしまっている。
そこが危ないのです。

健康な人は、毎日御飯の味が違います。
同じく、情のある人は、毎日が違うのです。
情が、喜びの世界が毎日新しく開けるのです。
喜びあふれる人は、いつ会っても新しい感じがするのです。

新鮮さ、刺激があるか。
同じ場所でも希望にあふれている人にとっては、
同じ場所ではないのです。


皆さんが最初に教会に来た時、
きのう来た教会と思ったことがありますか。
いつも初めてのような気がしたでしょう。

恋しい人と会った時に、何遍も会った人と思ったことがありますか。
いつも初めて会ったような刺激を覚えます。
それは間違いないでしょう。


情の世界は成長するから、数学的に、
打算的に考えるのではありません。
情でもって乗り越えないと、
量で来る仕事はやりきれなくなります。

だから、「信仰者は、どんな場面に遭遇しても、喜び、感謝せよ」
と言われるのです。
「そうすれば、勝利する。心配が先に出てくると、
これは情的立場ではないのだから、いつも祈れ」と言われるのです。



確かに、人と出会うことも、
新鮮でないといけないですね。
当たり前のように出会う人たち、
しかし、どれだけ貴重な一人一人かしれません。。。

今日は少し違った意識をもって、
生活していきたいと思います。





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posted by ten1ko2 at 10:54 | Comment(0) | TrackBack(0) | 信仰生活・信仰講座 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年04月23日

信仰が長くなった人に── 成長のための刺激をどう得るか?! 《李ヨハネ先生のベスト・アンサー》1



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やることが多くて外的になってるな。。。
もっと復活しないと。。。
そんなことを思ってみ言を検索していると
李ヨハネ先生のみ言をみつけました。

食口の質問に対して、
ヨハネ先生の回答です。


──信仰生活を始めて長くなりますが、
 もう一度刺激を受けて復活(復興)するためには、どうしたらいいでしょうか


兄弟は、古くなれば内的に努力しないのです。
なぜなら、今までの教会の内容についてたくさん知っているからです。
しかし、その知識がかえってその人には、毒になっているのです。

ユダヤ人たちは、自分たちはアブラハムの子孫だ、
祖先はこうだ、モーセはこうだとばかり知っていて、
これからの摂理とは全然関係ないのです。

私たちも統一教会に来て三年だ、七年だ、十年たったという。
しかし、現実において原理的ではない。

私たちは、今までのことに支配されることのない
原理的な自分であるかどうかを反省し、
各々自分が復活しなければならないと、私は思っているのです。


公的な人は、目の前のことでああだ、こうだと刺激を受けない。

イエス様は死んでも失敗とは思わない。
なぜか。
イスラエル民族のために暮らしているからです。

「殺すなら殺せ、死んでも生きるぞ!」
だから正義に死ぬ人は、死ぬ勇気が出るのです。
死んでも死ぬのではない。

私が血を流したら後孫たちが何十倍、
何百倍も立ち上がるのだという自信がある。


正義の人は、霊から預言を聞かなくても、
自分の心からそういう力が出るのです。
だから情を込めて暮らす人は、
勇気を与えられるようになる。

そうしないと、現在の私の心霊にどう刺激することができるか。
刺激なしに自分の霊人体を育てることができないのです。

イエス様も、あまりにも相手がいないから、
悲しい人を訪ねていって、友達になっていった。
その人を喜ばせたり、愛したり、
その人たちが感謝するのを見て、力を得たのです。




やっぱり与えることに徹していかないとな。。。
そんなことを思いつつ、霊界が晴れてきました。

明日に続きます。





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2017年04月18日

お父様はメシア、だから何でも知っているのか?! 《金元弼先生の信仰サプリ》



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金元弼(ウォンピル)先生の信仰サプリ
今回は、『メシヤと霊界』から紹介します。


時たま、先生はこんなこともするのです。

ある人が心づくしのお菓子をもってきたのでした。
ところが先生は、受け取らないのです。
せっかくおみやげに持ってきたその人は淋しかったかも知れません。

後で知った訳なのですが、その人がそうされることによって
自分をかえりみるというのです。

この人は、先生が真のお父様である
というお告げを受けていた人であったのでした。
普通の人には、先生はそんなことはしないのです。

しかし、この人は神のお告げによって
心づくしのものを買ったのでしたが、
それが百円のものを九〇円にして貰えないか
といって買ってきたのです。

私達でしたら問題にはなりませんが、
お告げによってメシアが分かってついて来た人が百円でも、
たとえ百円のものが千円だと言われても
高いと考えてはいけない立場なのです。

神の願いから離れた考え方だったのです。
それをどのように先生はお知りになったのか分からないのです。


ある食口が私にこういうような質問をするのです。
メシアであるなら何でも知っていますか?と。
皆さんはどういうように答えたらいいと思いますか。

私は「知ろうとすれば何でも知ることのできる方である」
と答えたいのです。

「先生は何故私達に聞かれるのですか。
試す為ですか?」
そうじゃない。
知ろうとすれば何でも知れる方であります。


あの人は非常に悩みがある、
あの人はない人だということはわかるのです。

個人個人のことをただではわからない。
神に通じなければできない。
霊界に通じなければならない。
お祈りの時間が必要である。

神の願うたくさんの重要なことがあって、
それでも時間が足りないという時に、
個人の事情を知る為に時間を費やすことは勿体ない。

しかし、その人が本当に
神の前にあって知らなければならないことで、
それをすることが数多くの人にとって
必要ならばする事もあり得るでしょう。


先生に対して私達が研究しなければならないのは、
一つは真理の面に於て、二つめは人格の面で、
三つめは心霊の面でお父様を研究していくならば
自然と自分が近くなっていくのです。

神の為に、人類の為に自分を推し進めて行くならば
必ず私達の心にはっきりしていくと思います。




私たちから見れば、何でも知っているように見える父母様。
お父様は、知ろうとすれば
なんでも知ることのできる方だと、金元弼先生は言われます。

まさに神様が願うことを優先し、神様を中心として
摂理を中心として、見るもの聞くもの、思いまでも
主管してこられたのでしょう。

確かに、メシアだからといって、
流行りの歌やファッションにまで精通しているわけではないし、
知る必要がないものもあると思います。

それでも、お父様が『霊的に』
何でも知ることができるお方であることは確かです。

昔の大先輩たちは、
お父様から直接アドバイスを受けて、
そのみ言がご本人にとって、
どれだけ大切な命のみ言であったか。。。
そのことによって、
新たなる信仰の出発をしていかれました。

羨ましい側面もありますが、
今は残されたみ言、
そして、お母様のみ言を命として、
受け止める必要があるのだと思います。

続きます。





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