2020年07月29日

夫の活力の源は、毎日の「命のパン」と・・・?! 《橘先生の夫婦♡Essay》



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橘先生のエッセイ「夫婦愛を育む」
今回は、『幸せの基本を忘れずに』です。


ラジオをオンにして食事の準備をしていると、
「褒める」をテーマにリスナーからの投稿が読まれていました。
中には思わずほほ笑まずにはいられないエピソードも。

娘さんが幼かった頃、パパが何かすると
「パパ、男前〜!」と言っていたそうです。
誰にそんなせりふを習ったのかは分かりませんが(想像はつきます)、
その一言でパパのやる気は120%アップ!
光景が目に浮かびますね。

男性にとって称賛は「命のパン」と例えられるほど
大切な活力の源です。
愛娘からのは格別でしょう。
が、鍵はやはり私たち妻からの称賛です。

関係が安定しているからと気を抜かないで、
改めて毎日おいしい「パン」を心掛けるよう、
神様から自分へのメッセージかなとも思いました。


そんな折、主人の食欲が今一つとなりました(時々あります)。
「疲れた」と言いますが、体力的な疲労だけでないかもしれません。
仕事が大変なのかなと内心思っても、
一般的に男性が自分から悩みを話すことは滅多にありませんし、
あれこれ心配されてはうっとうしいでしょう。

妻にできることは、食事に気を配り、
自然体で接しながら感謝や称賛の言葉を織り交ぜ、
話をしてきたら上手に聞くように努めます
(講座でお話ししてきた基本ですね)。


そして、もう一つ大事なポイントが。
 
先回ご紹介した“肝っ玉母さん”こと小澤静江さん*
元受刑者たちの“母”としてだけではなく、
妻として女性として、私が「お見事」と思ったことがあります。

余命宣告された夫が自暴自棄となり愛人をつくります。
複雑な思いを抱えながら、静江さんは、
愛人と暮らす夫の様子を見に行きました。

そこで目にしたのは、食事や洗濯物など身の回りのことを
かいがいしく世話してもらっている夫の姿。
「ああ、自分は全くそういうことをやってこなかったなぁ」
と振り返ります。

客観的に見れば、忙しくてその暇がなかったのは
無理からぬことです。

刑務所を出た人たちを突然社員として連れてきて、
面倒を丸投げされた静江さんは、
手探りながらも必死で彼らの世話をしました。

ひたすら夫を支えてきたのです。
彼女に非があろうはずがありません。

けれど、一人の男として彼が求めていた
潤いや癒やしを与えてこれなかった事実に気付き、反省するのです。


そして彼女は、普通の人は思いつかないような行動に出ます。
なんと、社交ダンスを習い始めるのです。

3カ月後の発表会に夫を呼んで、
奇麗にお化粧し、ドレスを着て、
若い男性パートナーと華麗に踊る自分の姿を見てもらいます。

見違える妻の姿を見た夫から出た言葉は……。
「うちの女房はチョウチョのようだった」

インタビューでうれしそうにそう語る静江さん。
改めて自分を女性として見てもらえて、
慰められたのではないでしょうか。

妻がそんなに素敵だったとは、と
「もったいなくなった」夫の心が少し戻り、
仲が改善したそうです。

感嘆するとともに、(できる範囲で)
奇麗でいることの大切さを再認識させられました。
家にいることの多い昨今、この点も反省です。

夫婦愛を育む 124
幸せの基本を忘れずに
ナビゲーター:橘 幸世
(◆Blessed Lifeで連載中
書籍化『いちばん大切な人と仲良くなれました』)



二つのエピソード
とても微笑ましいです。。。

男性も女性も、褒められること、
相手を喜ばせるために努力すること、
どれだけうれしいことかしれません。

要求したらキリがないですが、
相手に求める前に、
相手を喜ばせる努力をすることが重要ですよね。

世界日報の43とも倶楽部(ヨミトモクラブ)
というのがあります。
記事を読んで、感想を言い合い、
そのコメントに対して、褒めあうのです。
今日、『夫婦43とも』『家族43とも』
これがとてもいい、と伝道教育ニュースで紹介していました。

私たちの教会でも
伝道メンバーと『43とも』を何度かしています。
やはり、褒めあう、というのはいいですよね。

当たり前のことではありますが、
近い人間関係ほど、
褒めあう関係、賛美しあう関係ですよね。





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posted by ten1ko2 at 07:04 | Comment(0) | 夫婦講座 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年12月20日

「あってよかった」 夫婦間のルーティーン、意外な効能 《橘先生の場合》



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橘先生のコラムから、
「ルーティンの効能」を紹介します。


「ルーティーン」といえば思い浮かぶのは、
イチロー選手や五郎丸選手といったスポーツの世界かもしれませんが、
今回はわが家のルーティーンについて(恥ずかしながら)書いてみたいと思います。
あって良かったな、と思うことがあったからです。

子供たちが小学生だった頃は、
わが家では夕食時に「はい、今日学校であったこと〜」と親が促して、
その日の出来事をそれぞれが話すようにしていました。

やがて中学生にもなると返ってくるのは
「別に」「いつもと同じ」と、思春期らしい(?)返答。
それでもたまに「今日はねぇ…」と話してくれると
親としては様子が分かってうれしいものでした。

帰宅した主人や子供たちには、(私がいる時は)両手を広げてハグでお迎えします
(中学生になると息子は照れからか、私が玄関に出て行くと、
くるっと背中を向けて靴を脱いでいました。
私は諦めじと背後からハグして「お帰り〜」)。


実家の兄夫婦は、夕食時に二人で軽く晩酌をしますが、
杯をカチンと合わせて「お疲れ〜」とお互いに言って飲み始めます。
その姿がいいなぁと思ったので、わが家でもまねました。
一緒に食べられる時は人参茶で「お疲れ〜」カチンとしています。

雨の朝は車で主人を駅まで送りますが、
降りて構内に向かうタイミングで
お互いに手を振るのもお決まりのパターンです。

送らない日は、玄関での「行ってらっしゃ〜い」ですが、
この春ごろからそれにプラスアルファの
愛情表現が加わりました(ずいぶん遅いスタートです)。

 
正直たまに、マンネリ感があるかなぁと内心思ったりしましたが、
先日はこの(暗黙の)「お約束事」に助けられることがありました。

前の晩、もうきっかけも思い出せないくらいささいな事だったと思いますが、
二人の間に気まずい空気が生じました。
そして、その距離感を解消しないまま一日を終わりました。

翌朝、当然のことながらまだやや緊張感が残っています。
それでもお弁当をカバンに入れ出かけようという時、
主人がいつものようにしてくれたことで、二人の緊張感は解消しました。
内心ホッとしたのを覚えています。

ルーティーンのありがたさを感じた一コマでした。
これからも一つ一つのルーティーンを大切に、心を込めていきたいと思います。

ルーティーンの効能
ナビゲーター:橘 幸世


橘先生のような方でも、夫婦間では、いろいろあるのだな。。。
そんなことを思ってしまいました。

もちろん、うちでもいろいろとあります(苦笑)。
そういう時には、ルーティンが役立つと思うこともあります。

私と妻のルーティン。
これは、何度か書いていますが、「ブログ」です。
どちらかというと、私はアウトドア派、
妻は、インドアタイプなので、あまり趣味が合いません。

しかし、このブログだけは、
私のルーティンでもあり、
妻も必ず、守ってくれています。

なので、夫婦間で、いろいろあったとしても、
二人で作るものですから、
作っているうちに元通りになっています。

しかも、み言を中心としたものですから、
自然と正されていくのです。
これは、本当に感謝なことだなぁ、
天の父母様に感謝せざるを得ません。

もちろん、責任分担上でも、
いろいろとあったとき、
妻に報告して、整理されることもありますが、
やはり、ブログを書くことで、
気持ちが落ち着くことが多いですね。

ちなみに、橘先生のご家庭でされていた、
「今日一日、あったこと」
これは、我が家でも、今も継続しています。

中学生の三男、高校生の長女は、
いろいろと話してくれます。
長男、次男は、アルバイトでいないこともあり、
家族の団らんの場に交われないことも増えて、
「特にない、別に」という返答も増えましたが、
それでも、こちらからいろいろ質問すると、
多少なりとも、答えてくれます。

ルーティンというのは、ある意味、
信仰に通じるのではないか、と思います。
信仰も、同じことを継続して行う、
そのことで、天との関係が深まっていくわけですから。

我が家のルーティン、
これからもバリエーションを考えながら、
継続していきたいです。





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2019年12月03日

最終話 ──神が愛するのは誰?! み言:愛よ永遠に 《蝶野部長11》



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「私は夫からとても愛されたので、
とても幸せに感じ体が傷つくほど愛されました。
ただ神様に感謝し、万民に感謝します、
と言いながら生きてきました」と答えれば、
神様は「ほほう、
そんなに愛されたのか」と言って喜ばれるのです。
神様はあなたに関心をもち始めることでしょう。
そして、
「私は初めてそのように本当に愛された人間を見つけた」
と言われるでしょう(笑)。

愛よ永遠に
1984年1月22日
お父様のみ言より


蝶野部長の夫婦講座、
今回が最後になります。


最後にお父様のみ言1984年の「愛を永遠に」を
読んでみましょう。

神様が、祝福家庭に対してどんな愛の心親心をもってみつめておられるか、
このみ言を通してよくわかります。
(訓読・下記、上記)

めちゃくちゃ愛された人を神様が喜ばれるのです。

「だったらあなたは愛するのよ、これが証拠よ」
そんなこと思った人・・・

愛する側に立ちたいか、愛される側に立ちたいかということです。
アボジは愛する側に立ちなさいということを言いたい。
愛した旦那さんを(神様は)もっと愛する。

相手の性質に人格能力に主管されることが多い。
たくさん配偶者から真の愛を受けた人を喜ばれるということは、
愛した側がどれほど神に近いか。

だったら何もない配偶者が何もなくても、私もたくさん愛されて
神様ありがとうございますという、妻に愛された男、女を見てみたい。

愛の発露、神様を喜ばせたいという信仰基台の力からくる。(縦軸)
相手の長所を見て愛するというのは横軸、この世のものです。

常に、原罪が清算されたということで胸を張るのではありませんね。

中身を作っていくために、私たちをなぜ祝福されたのか、
神の愛、親心に夫婦で帰っていって、配偶者から、真の父母様、天の父母様の愛を
言葉の一つ一つに感じながら、相手を天的な価値として対しながらいくと、
それは素晴らしい夫婦になっていきます。

それが本当に祝福のブランド化できるということです。
血統転換される、(それが)ブランド化だというフレーズがあるんだけど、
中身がないのにブランド化が…というのは
おかしいと私は思います。

なんでこんな愛ができるかという中身を、無原罪であれば、祝福家庭であれば、
私たちが作っていって、ブランドかどうかは私たちが言うものではない、
この世の人がそれを見てくださる、
そのような夫婦になっていきたいと思います。



お父様のみ言(下記、全文)の背後に、
愛される妻を喜んでいる夫の姿を見た、
蝶野部長の心情は素晴らしいと思いました。

夫婦というのは、平行な立場ですから、
お互いを要求したらキリがないですね。
しかし、父母の心情で接していくなら、
これほど素晴らしいことはないというのです。
だからこそ、「永遠のテーマ」だとも思うのですが。。。

神様に喜んでいただける夫婦となるべく、
切磋琢磨しなければ、と思います。

蝶野部長の講話は本当に学ぶところが大きいです。
妻の書き起こしに感謝しつつ、
機会があれば、投稿させていただきます。
ありがとうございました。



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愛よ永遠に
1984年1月22日

皆さんは真の愛に出会って、本当に強く抱き締められ、また強く打たれて惨めなくらいに愛されても、「それでも構わない。それくらい愛されたい」とそう思ったことはありますか。「もしそうなれば、どれほど幸せだろう」と考えたことがありますか。そういう女の人はどれほど幸せな人でしょう。
もし皆さんが霊界に行くと、神様から「この小さなアメリカのムーニーよ、あなたは地上で何をしてきたのか」と聞かれます。それに対して、「私は大したことをやってきませんでした。ただ夫からとても愛されたので、とても幸せに感じ体が傷つくほど愛されました。ただ神様に感謝し、万民に感謝します、と言いながら生きてきました」と答えれば、神様は「ほほう、そんなに愛されたのかと言って喜ばれるのです。「あなたは小さいが素晴らしいアメリカの女だ」と神様はあなたに関心をもち始めることでしょう。そして、「私は初めてそのように本当に愛された人間を見つけた」と言われるでしょう(笑)。
それはどれほど素晴らしいことでしょうか。皆さんはどうですか。それは好きですか、嫌いですか?(好きです。)どうですか?先生はそのような女性が好きですよ。皆さんはどうですか?(はい好きです!)

先生もお母様にそうしてあげたいのですが……(笑)。人は真の愛の主管を好みます。今日は何ヵ月間も話をするほど話があるのに時間が過ぎてしまいました。
──私たちはどうすれば神様を身近に感ずることができますか?神様を私の家に迎え入れることができ、わたしの肉から、細胞から、心から離すことのできない愛の神様であるということを知る時、どれほど幸福でしょうか。神様はただ単にロゴス(全知全能)の神ではなく、愛の神様なのです。だから人間は神様の完全なる対象であり、愛の対象なのです。主体が神様であるので私がいなければならないのです。神の愛の前には私が必要であるという特権、人間がもっているこの特権を誇らなければなりません。どれほど素晴らしいことでしょう。そのような人間はどれほど価値のある人か考えてみなさい。分かりますか?

皆さんは希望をもってさらに神の真実なる愛の圏内で走り抜きましょう。どうですか。どれほど素晴らしい私たちでしょう!正に「愛よ永遠に」です。そのような永遠の愛をもつことがいかに素晴らしいことでしょう!
では、真の愛の中で神様の真の対象となるように努力しますと決意する人は手を挙げてください。



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