2019年12月20日

「あってよかった」 夫婦間のルーティーン、意外な効能 《橘先生の場合》



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橘先生のコラムから、
「ルーティンの効能」を紹介します。


「ルーティーン」といえば思い浮かぶのは、
イチロー選手や五郎丸選手といったスポーツの世界かもしれませんが、
今回はわが家のルーティーンについて(恥ずかしながら)書いてみたいと思います。
あって良かったな、と思うことがあったからです。

子供たちが小学生だった頃は、
わが家では夕食時に「はい、今日学校であったこと〜」と親が促して、
その日の出来事をそれぞれが話すようにしていました。

やがて中学生にもなると返ってくるのは
「別に」「いつもと同じ」と、思春期らしい(?)返答。
それでもたまに「今日はねぇ…」と話してくれると
親としては様子が分かってうれしいものでした。

帰宅した主人や子供たちには、(私がいる時は)両手を広げてハグでお迎えします
(中学生になると息子は照れからか、私が玄関に出て行くと、
くるっと背中を向けて靴を脱いでいました。
私は諦めじと背後からハグして「お帰り〜」)。


実家の兄夫婦は、夕食時に二人で軽く晩酌をしますが、
杯をカチンと合わせて「お疲れ〜」とお互いに言って飲み始めます。
その姿がいいなぁと思ったので、わが家でもまねました。
一緒に食べられる時は人参茶で「お疲れ〜」カチンとしています。

雨の朝は車で主人を駅まで送りますが、
降りて構内に向かうタイミングで
お互いに手を振るのもお決まりのパターンです。

送らない日は、玄関での「行ってらっしゃ〜い」ですが、
この春ごろからそれにプラスアルファの
愛情表現が加わりました(ずいぶん遅いスタートです)。

 
正直たまに、マンネリ感があるかなぁと内心思ったりしましたが、
先日はこの(暗黙の)「お約束事」に助けられることがありました。

前の晩、もうきっかけも思い出せないくらいささいな事だったと思いますが、
二人の間に気まずい空気が生じました。
そして、その距離感を解消しないまま一日を終わりました。

翌朝、当然のことながらまだやや緊張感が残っています。
それでもお弁当をカバンに入れ出かけようという時、
主人がいつものようにしてくれたことで、二人の緊張感は解消しました。
内心ホッとしたのを覚えています。

ルーティーンのありがたさを感じた一コマでした。
これからも一つ一つのルーティーンを大切に、心を込めていきたいと思います。

ルーティーンの効能
ナビゲーター:橘 幸世


橘先生のような方でも、夫婦間では、いろいろあるのだな。。。
そんなことを思ってしまいました。

もちろん、うちでもいろいろとあります(苦笑)。
そういう時には、ルーティンが役立つと思うこともあります。

私と妻のルーティン。
これは、何度か書いていますが、「ブログ」です。
どちらかというと、私はアウトドア派、
妻は、インドアタイプなので、あまり趣味が合いません。

しかし、このブログだけは、
私のルーティンでもあり、
妻も必ず、守ってくれています。

なので、夫婦間で、いろいろあったとしても、
二人で作るものですから、
作っているうちに元通りになっています。

しかも、み言を中心としたものですから、
自然と正されていくのです。
これは、本当に感謝なことだなぁ、
天の父母様に感謝せざるを得ません。

もちろん、責任分担上でも、
いろいろとあったとき、
妻に報告して、整理されることもありますが、
やはり、ブログを書くことで、
気持ちが落ち着くことが多いですね。

ちなみに、橘先生のご家庭でされていた、
「今日一日、あったこと」
これは、我が家でも、今も継続しています。

中学生の三男、高校生の長女は、
いろいろと話してくれます。
長男、次男は、アルバイトでいないこともあり、
家族の団らんの場に交われないことも増えて、
「特にない、別に」という返答も増えましたが、
それでも、こちらからいろいろ質問すると、
多少なりとも、答えてくれます。

ルーティンというのは、ある意味、
信仰に通じるのではないか、と思います。
信仰も、同じことを継続して行う、
そのことで、天との関係が深まっていくわけですから。

我が家のルーティン、
これからもバリエーションを考えながら、
継続していきたいです。





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2019年12月03日

最終話 ──神が愛するのは誰?! み言:愛よ永遠に 《蝶野部長11》



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「私は夫からとても愛されたので、
とても幸せに感じ体が傷つくほど愛されました。
ただ神様に感謝し、万民に感謝します、
と言いながら生きてきました」と答えれば、
神様は「ほほう、
そんなに愛されたのか」と言って喜ばれるのです。
神様はあなたに関心をもち始めることでしょう。
そして、
「私は初めてそのように本当に愛された人間を見つけた」
と言われるでしょう(笑)。

愛よ永遠に
1984年1月22日
お父様のみ言より


蝶野部長の夫婦講座、
今回が最後になります。


最後にお父様のみ言1984年の「愛を永遠に」を
読んでみましょう。

神様が、祝福家庭に対してどんな愛の心親心をもってみつめておられるか、
このみ言を通してよくわかります。
(訓読・下記、上記)

めちゃくちゃ愛された人を神様が喜ばれるのです。

「だったらあなたは愛するのよ、これが証拠よ」
そんなこと思った人・・・

愛する側に立ちたいか、愛される側に立ちたいかということです。
アボジは愛する側に立ちなさいということを言いたい。
愛した旦那さんを(神様は)もっと愛する。

相手の性質に人格能力に主管されることが多い。
たくさん配偶者から真の愛を受けた人を喜ばれるということは、
愛した側がどれほど神に近いか。

だったら何もない配偶者が何もなくても、私もたくさん愛されて
神様ありがとうございますという、妻に愛された男、女を見てみたい。

愛の発露、神様を喜ばせたいという信仰基台の力からくる。(縦軸)
相手の長所を見て愛するというのは横軸、この世のものです。

常に、原罪が清算されたということで胸を張るのではありませんね。

中身を作っていくために、私たちをなぜ祝福されたのか、
神の愛、親心に夫婦で帰っていって、配偶者から、真の父母様、天の父母様の愛を
言葉の一つ一つに感じながら、相手を天的な価値として対しながらいくと、
それは素晴らしい夫婦になっていきます。

それが本当に祝福のブランド化できるということです。
血統転換される、(それが)ブランド化だというフレーズがあるんだけど、
中身がないのにブランド化が…というのは
おかしいと私は思います。

なんでこんな愛ができるかという中身を、無原罪であれば、祝福家庭であれば、
私たちが作っていって、ブランドかどうかは私たちが言うものではない、
この世の人がそれを見てくださる、
そのような夫婦になっていきたいと思います。



お父様のみ言(下記、全文)の背後に、
愛される妻を喜んでいる夫の姿を見た、
蝶野部長の心情は素晴らしいと思いました。

夫婦というのは、平行な立場ですから、
お互いを要求したらキリがないですね。
しかし、父母の心情で接していくなら、
これほど素晴らしいことはないというのです。
だからこそ、「永遠のテーマ」だとも思うのですが。。。

神様に喜んでいただける夫婦となるべく、
切磋琢磨しなければ、と思います。

蝶野部長の講話は本当に学ぶところが大きいです。
妻の書き起こしに感謝しつつ、
機会があれば、投稿させていただきます。
ありがとうございました。



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愛よ永遠に
1984年1月22日

皆さんは真の愛に出会って、本当に強く抱き締められ、また強く打たれて惨めなくらいに愛されても、「それでも構わない。それくらい愛されたい」とそう思ったことはありますか。「もしそうなれば、どれほど幸せだろう」と考えたことがありますか。そういう女の人はどれほど幸せな人でしょう。
もし皆さんが霊界に行くと、神様から「この小さなアメリカのムーニーよ、あなたは地上で何をしてきたのか」と聞かれます。それに対して、「私は大したことをやってきませんでした。ただ夫からとても愛されたので、とても幸せに感じ体が傷つくほど愛されました。ただ神様に感謝し、万民に感謝します、と言いながら生きてきました」と答えれば、神様は「ほほう、そんなに愛されたのかと言って喜ばれるのです。「あなたは小さいが素晴らしいアメリカの女だ」と神様はあなたに関心をもち始めることでしょう。そして、「私は初めてそのように本当に愛された人間を見つけた」と言われるでしょう(笑)。
それはどれほど素晴らしいことでしょうか。皆さんはどうですか。それは好きですか、嫌いですか?(好きです。)どうですか?先生はそのような女性が好きですよ。皆さんはどうですか?(はい好きです!)

先生もお母様にそうしてあげたいのですが……(笑)。人は真の愛の主管を好みます。今日は何ヵ月間も話をするほど話があるのに時間が過ぎてしまいました。
──私たちはどうすれば神様を身近に感ずることができますか?神様を私の家に迎え入れることができ、わたしの肉から、細胞から、心から離すことのできない愛の神様であるということを知る時、どれほど幸福でしょうか。神様はただ単にロゴス(全知全能)の神ではなく、愛の神様なのです。だから人間は神様の完全なる対象であり、愛の対象なのです。主体が神様であるので私がいなければならないのです。神の愛の前には私が必要であるという特権、人間がもっているこの特権を誇らなければなりません。どれほど素晴らしいことでしょう。そのような人間はどれほど価値のある人か考えてみなさい。分かりますか?

皆さんは希望をもってさらに神の真実なる愛の圏内で走り抜きましょう。どうですか。どれほど素晴らしい私たちでしょう!正に「愛よ永遠に」です。そのような永遠の愛をもつことがいかに素晴らしいことでしょう!
では、真の愛の中で神様の真の対象となるように努力しますと決意する人は手を挙げてください。



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2019年11月08日

「神様がこの人を通して、私を愛している」 葛藤する原因は私 《蝶野10》



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蝶野講師の夫婦講座──

夫婦はお互いが貴い神様の半分であり、
すべてに「天の配在がある」
だから相手からくる言葉は、神様からのメッセージ。。。

いよいよ、お話も佳境に入ってきました。


だから自分の蕩減の情報なんですよ、(夫婦が)葛藤することは。

で、そこをね夫婦でたまにどこか行って、
何かルールを決めた日を作って、
ぶっちゃけ話、お互いの話を大切に聞くのです。
(相手が)どんなことを言っても、(ただ聞くのです)。

相手が話す時には相手を主体として言い訳したい時も全部大切に聞く、
ということをやればいいんですよ。(生活ハンドブックに掲載)

で、そういうことをやっていくと心理学的には楽になるというか、
わかり合えるんですよ。

でも最後は信仰と言うか、神様がこの人を通して私を愛している
というところにいかないとね、他のものでおさめた場合には、
じゃあ世の中の心理学の方がいいのかな、とかいうお話になってくる。


これで2世が離れているんですよ。
原理では難しいがこの世のカウンセリングの方がいいぞといって、
原理では復興しないからそっちに行くと言っているんですよ。
原理がわかってないわけですよね。

離れた2世と面談したらそう言っていました。
「アボジはすごいと思うが
ボクを解放してくれない。祝福よりこっちの道に行く」というのです。
あー全然原理が伝わってないな、と思います。


結局、神様の愛と祝福家庭の父母の愛と、
配偶者を通して神の愛を感じていくという縦軸がない。

この世のものは横軸を使うものですから、
(でも、それは)自分の霊人体の成長にはならない。
心理学的にはおさまるんですが。

蘇生、長生、完成を、本当に親心の中に入って、完成実体になっていく。
だから「恩讐を愛する」ことはできるということです。

ですから、信仰基台の中身を復習していかなければならないということを思いながら、
夫婦においては配偶者の価値をもう一回原理的に整理して、
一緒に愛によって一つになっていきたいなというふうに思います。



最近の祝福家庭は、『とても似ている。
兄妹みたいだ』そのようなカップルが多く、
草創期の先輩たちは、『極と極』
そのように言われることがありますね。

蝶野講師は、3万双家庭なのですが、
『極と極』なのだそうです。
物事も見つめ方も全く違っている、と言います。

以前も書いたような気がしますが、
そもそも男性と女性は、『別の生き物』
というくらい異なる観点が多いです。

それで、葛藤することもあるとは思いますが、
蝶野講師が言われるように、
葛藤する自分に原因がある、ということを
悟ることが重要だと思います。

「ここを変えてほしい」と相手に要求する自分なのか、
「自分に問題がある」と悔い改める自分なのか、
結局は、神様を中心とすれば、一つになるのです。
私自身が親心、神様の心情に立つ、
そのことが大事なのだと思うのです。

言葉で書くのは簡単ですが、
実践する者にならないと、ですね。。。






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