2019年07月14日

なぜこの人が私の夫/妻なのか、その「天の配在」を考える?! 《蝶野部長》2



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名講師、本部の蝶野(ちょうの)家庭教育部長の講座。
若い2世圏の人たちにもお勧めです。

祝福を受けても堕落性が多く、
「原理は、自分に適用したときにだけ、愛になる」
というのに、人に当てはめては
葛藤して、なかなか成長できない私たち。

どうしたら堕落性を脱げるのでしょうか。


堕落の血統を清算したんですが、痕跡がまだ残っています。
(祝福家庭の夫婦も)祝福2世も、堕落性がまだ残っているが、でも無原罪。

その堕落性をどうするか。
実は、堕落性の根はないんですね。
祝福で堕落性は残っているものの、根は清算されたというのですが、
しみ込んで残った癖があります。

祝福を通して血統転換したのであれば、
神の息子娘にふさわしくなっていかなければなりません。
(祝福までは、)
堕落性を脱ぐ条件としてメシヤを迎えていきましたが、
祝福を受けちゃった場合には、堕落性の根はありません。

根はないんだけれども、痕跡は残っています。
赤いインクの色水に植物を浸けたら色がつきますが、
でもこれが、祝福を受けたら真水に変わっている。
でも残っている色がある。
早く気化させて色を抜かなければならない。

これは(つまり)、人間の5%によってしか
(堕落性を)脱ぐことができないということです。

霊的役事で恩恵がある時代です。
しかし、自分で自分のことをやるというこの部分、
ハードルは(以前より)下がったのですが、
走るのは自分だということ、自分の責任分担を忘れてはいけないのです。

ですから、霊的恩恵プラス、
自分が自分で堕落性を脱ぐというのが必要です。

ですけど、そうした時に、私たちは祝福を受けても
堕落性を完全には脱いでいない状態で、原理を聞くものですから、
(原理を)相手に当てはめるようになる。

もっと悪い場合には伝道対象者に当てはめるんですね。
(伝道対象者は)まだ原理を聞いていないにも関わらず、
「こういう所がゲストにはあるんだ」と言うのですが、
それはあなたでしょう、ということです。

結局、相手によって自分がぶつかるものは、実は自分のものなんです。
相手に見えるものは。これが原理原則です。

ですから夫婦で、配偶者にうーん?と思っているものは、
実は自分の中のものなんですね。
しかし自分の中の癖が分からないので、それを教えるために
天の配在で、自分の配偶者がいるんです。
これ、既成祝福もマッチングも(2世祝福も)同じですよ。

ですから、配偶者に対していろいろ思うところ、躓くところ、カチンとくるところ、
えーっと思うところ、食べ方が気になる、清潔にしない。。。
男性の側からも女性の側からもいろいろあるかもしれません。

例えば、子女のマッチングに向かうためにどんな相手を願うかという時に、
夫がえらい外的な要望ばかりする。
年収800万、1千万以上、背が高い人でないと等々
そのように夫が言っていると、それに奥さんが葛藤している。。。

宗教の門をくぐったということは、
なぜそのたたかうことをいう夫が
自分の配偶者なのかということを考えるのが、
信仰者の道なのに、こういう天の配在は一切吹っ飛んでいます。
それは一般人の葛藤のし方です。

私たちは、神様を中心に出会った関係であり、
配偶者だというところに、もう一回帰っていかなければなりません。
夫婦が一つになるというときに、こういう現実的な見方や、
意見、感性が合わないなどというところで
葛藤してしまうと(ひとつになれません)。

原理を、相手に適応してたたかう(葛藤する)人は、
だいたい自分には適応していない、という場合が多く、
「自分はどうなんだ」と言われて、玉砕するんですね。

そして、それを子供たちが見ながら、『これなら
一般の夫婦の方がいいんじゃないか』と思われたとしたら、
それは原理を聞かない方がよかったということになります。

お父様の願いはどこにあったかということですね。
本来は、祝福を受けるまでに完全に堕落性を脱ぐ、
そのための条件(が信仰基台)だというんです。
ですから、血統転換後はサタン分立はいらない、というのが本来なんですね。

ところが私たちは祝福を受けても堕落性をもち、
それを原理で裁いて(指摘して)いたら、どうなる。
大きくなる。

信仰基台を立てることによって私心、自分がなくなるというのが条件です。
私はこういう信仰基台を立てたと自慢が始まる場合には、
サタン増幅になる。サタン分立にならないのです。

(文責:ten1ko2)



み言を相手に適用すると裁きになってしまう、
原理は自分のため、愛は人のためにある、
そのことを肝に銘じていかないといけないと思います。

それとともに、今回は、
さらに踏み込んだことを話されています。

今回は夫婦講座ですので、
自分の配偶者に対して言っておられますが、
すべての人間関係に通じることでしょう。

たとえば配偶者に葛藤するところ、
それが本人の課題というのではなく
自分の課題である、
そのことを悟らなければならない、といいます。

相手に戦って(葛藤して)いる部分は、
自分自身の堕落性なのである、
夫は「頑固で頑固で・・」と言いますが、
頑固であったとしても、
そのことが問題なのではない、
頑固な夫に戦っている、
あなた自身が問題なのだ、
そのようにも話されています。

自分が正しいと思って
み言を振りかざしていくと
サタン分立路程をいっているつもりが、
「サタン増幅」になってしまう。。。

そうではなく、
相手に対して引っかかっているところを
自分の問題として悔い改めていく。
とても高度な捉え方ですし、
簡単でないかもしれませんが、
これがお父様に通じる道である、
信仰の基本となるものだと思うのです。

不定期に続きます。





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posted by ten1ko2 at 08:46 | Comment(0) | 夫婦講座 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年07月11日

人を裁くなかれ! 夫婦は原理ではなく、愛で一つとなる 《蝶野部長の夫婦講座》1



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先日、本部家庭教育局の
蝶野部長を招いた講話に
妻と参加させていただきました。

目から鱗(うろこ)のような内容も多くあり、
とても恩恵のあるみ言でした。
夫婦講座ですが、信仰講座としてもとても奥の深いものです。
これから、不定期に紹介します。


家庭は親子ですと、子どもの事には本能的に愛するものもありますし、
親の責任ということで、ぐっと越えていける世界があるかもしれませんが、
夫婦というのは横ですから、フィフティ・フィフティですから、
ついつい相手に責任を問いたくなってしまいます。

特に二人とも原理を聞いている場合にはどうでしょうか。

既成祝福を目指すご婦人の場合は、
自分がみ言を聞いていて、だんなさんが聞いていないとすれば、
み言を聞いた立場で愛していく戦い(取り組み)ができますけど、
下手にマッチング家庭の場合は、
相手も聞いているわけですから、相手に要求したくなります。

「あんたも聞いている」
「お前も聞いているじゃないか」とこういう風になってしまう。

ですから、今日(きょう)のあり方は
(夫婦で一緒に受講しているので)やばいと言えば、やばい。
愛する話を聞いたはずなのに、
「お前、今日の聞いただろ」というように
お互いに要求し合うと、呪い合うというか(笑)。。。

だから原理を聞いているというのは恐ろしいことなんですね。

伝道対象者であれば、愛する戦い、犠牲の戦い(取り組み)が可能ですが、
夫婦の場合は相手に、これはなかなかの葛藤がありますね。

でも、(実は)いたってシンプルです。
相手がみ言を聞いていないと思うのが
一番安全な信仰生活になるのです。

共有するためにここに来ていらっしゃるんですが、
家に帰ったら、(今日の講座は)聞いていないと思っていかなければなりません。
「あんたも聞いたよね」というのをお互いに思っていると、
これは、原理を聞かなかった方がよかったということになってしまいます。

一般の夫婦にも(祝福家庭にも)りっぱな夫婦はいます。
ただし、原理を聞いていると、原理で裁ける(指摘できる)んですね。
堕落性で簡単に裁くことができます。

ですから皆さん、原理を聞いているということは、
(どうしたらいいのでしょうか。)
原理で一つになれとは聞いていないんですね、
「愛で一つになれ」というのです。

原理というのは自分に適応した時のみ、愛になります。
人に適応したら呪いになってしまうというのです。

天使長が人間を讒訴(ざんそ)する時に、原理で讒訴してきます。
「原理と違う。血統は清いくせに生活がそうなっていない」
と言って、神様を讒訴するんですよ。
何で讒訴する、原理で讒訴するのです。

ですから、私たちがそれをやっちゃうと、天使長(の位置、立場)になります。

2世は無原罪ですが、1世は人生の途中から無原罪でしょう。
この立場から、結局、成長していかなければなりません。
無原罪ということは、原理の軌道に一応乗っているのです。

(み言では)長成期完成級でメシヤを迎えて、
父母と共にいくと聞いてはいるんですよ。
しかし聞いてきた原理を、配偶者に適応した瞬間、
天使長になる。万物になるのです。


(文責:ten1ko2)


蝶野部長が語られているように、
「原理で一つになれ」
というみ言は確かにないですね。
代わりに「愛で一つになれ」
というみ言はたくさんあります。

しかし、人を愛で見るのではなく、
原理で見てしまう。

特に身近な人ほどそうなのかも知れないです。
特に横に対しては、要求が強いというか、
『配偶者はこうでなければならない』
そう決めつけてしまう傾向があるというのです。

「原理は自分にのみ適用する、人には適用しない。
自分に適用したときのみ、愛になる」

原理は鋭利な刃物みたいなものですよね。
人に適用したら、スパッと切れてしまいますから・・・
本当に気をつけなければ、と思います。

不定期に続きます。





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2019年07月08日

スピード解決! これを叫んで「私は恨みを手放した」 《橘先生の夫婦愛プチ講座》



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橘先生の「夫婦愛を育む」
先日紹介した
「恨みを手放したら、幸せがやって来る」
を読んで、このアドバイスを
実際にやってみた人の証しです。


遠方に住む知人が、
本欄No.68「恨みを手放したら、幸せがやって来る」を読んで、
珍しく電話をくれました。

読んだ翌日の日曜の午後、(ある)知り合いからの思いもよらない言葉に
「霊人体がプシュ〜ッとしぼんじゃった」そうです。

あまりのショックに愕然(がくぜん)として、
「他の人はここまで落ち込まないかもしれないけれど、
自分は力がすっかり抜けてしまった。何をする力も出ず、
気を紛らわそうにもテレビを見る気にすらならない。
よほど夕食の準備もやめようかと思ったが、
何とか最低限の支度はした」とのこと。

夕方帰宅したご主人に話を聞いてもらい慰めてもらっても、
翌日親しくしている先輩に電話して話を聞いてもらっても、
気持ちは晴れません。引きずったままです。

無理に元気になろうとするのもしんどいなと、力ないまま過ごし、
まだ早いけどシャワーでも浴びようかと浴室に入りました。
そこで、二日前に読んだエッセイを思い出したそうです。

「そうだ、私には話を聞いて励ましてくれる夫がいる、
友人もいる。幸せなんだ」と思って、シャワー中
「こんなことで私の幸せを奪わせないぞ」と
2、3度声に出して言ったそうです。

「あれで、8割がた気持ちが回復したの。
ありがとう」と言って、彼女は電話を切りました。

エッセイが功を奏したのか、彼女が自分の感情を封印しないで
向き合い感じ切ったから前向きになれたのかは分かりません。

いずれにせよ、風船がしぼむようにプシュ〜ッとしぼんだ気持ちが
二日足らずで転換できたと聞いて、とてもうれしくなりました。

この先また同様の事が起きた時、
同じようなパターンで切り替えていったら、
やがて落ち込み度合いも小さくなるかもしれませんね。

ポジティヴ思考がいいことは誰でも知っています。
けれど、人によってはなかなかそれに徹しきれません。
各人の思考の癖があるからです。

自分を客観視して思考の癖を知っておくと、自分に合った、
ネガティヴからポジティヴへの転換の鍵が見つかるかもしれません。
すぐには見つからなくても、努力していけば、
いずれストンと腑(ふ)に落ちるメッセージに出会えるでしょう。

そうやって、少しずつ幸せ体質になっていきたいものです。

でも大前提として、仮に自分はネガティヴになりがちだと思う人も、
そんな自分に駄目出ししないこと、
一生懸命生きている自分を愛(いと)おしむことを忘れないでください。


夫婦愛を育む 70
「そんなことで私の幸せを奪わせないぞ」と叫んでみた
ナビゲーター:橘 幸世



恨みを手放す、って結構難しいと思います。

相手のことで引っかかるというのは、
自分の課題の反映というか、
相手に躓くのは相手に問題があるのは、もちろんですが、
それに相対する自分自身の課題がある、ということでもあるわけです。

本部家庭教育部長の蝶野部長が
その辺りのことを明確に解いてくださっているので、
今後紹介したいと思いますが、
私に関わる人間関係の中で起きること、
思わされる感情に対して、
「私のテーマとして捉えていく」ことが出来れば、
解決できる、といいます。

まずは橘先生のアドバイスを受けて、
具体的に実践していかれた婦人のように、
「そんなことで私の幸せを奪わせないぞ」
何かあった時に、そう思える癖をつけていきたいと思います。





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